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男女比1:10の世界で配信はじめました  作者: らいじんぐ


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3/13

第3話 声だけのはずだった

 ノートPCが届いた日は、思っていたよりそわそわした。


 箱を開けて薄い本体を持ち上げ、机の上に置く。起動して初期設定を済ませる。アカウントを作る。配信アプリを入れる。そこまではいい。そこまではただの作業だ。通販で買った家電を箱から出して設定しているのと大差ない。


 問題はその先だった。


 配信開始ボタンが、ある。


 当たり前だが、ある。


 押せば始まるらしい。誰かが入ってきて聞く。コメントもする。たぶん。理屈では分かる。アプリなんだからそういうものだろう。でも、自分がその「始める側」に回ると妙に現実感がなかった。


「……たかが雑談だろ」


 自分に言い聞かせる。


 ゲーム実況でもない。歌うわけでもない。特技披露でもない。ただ、ちょっと誰かと話したいから、声だけで雑談配信をやってみる。それだけの話だ。


 それだけの話なのに、始める前の感じが妙に会議に似ていた。


 まだ誰も何も言っていないのに勝手に身構えて、始まった瞬間にどうでもいいところで噛みそうになる感じ。会社員時代、オンライン会議に入る前の数分がだいたいこれだった。


「会話するだけだぞ、俺」


 もう一度言う。


 大丈夫だろう。たぶん。


 配信名を入れる。初回なので、ひねる余裕はない。雑談、初めてです、そんな感じの無難な文にした。アイコンもまだ設定していないので初期のままだ。どうせ最初はほとんど誰も来ないだろうと思うと、そこに力を入れる気にもならない。


 マイク設定を確認する。音量を上げ下げする。イヤホンも挿す。顔出しはしない。そこは最初から決めていた。というか、そこまでやる気はない。今日はあくまで会話の練習だ。声だけで十分である。


 深呼吸する。


 開始ボタンを見る。


 また深呼吸する。


「……やるか」


 押した。


 配信が始まる。


 始まったはいいが、始まったから何だという感じでもあった。画面はついた。配信中の表示も出ている。コメント欄もある。でも当然、最初は何もない。静かだ。部屋の静けさが、そのまま画面に移動しただけみたいだった。


「えーと……こんばんは?」


 言ってみる。


 自分の声が少し遅れて返ってくる。妙な感じだ。音がちゃんと入っているのは分かったが、それ以外はよく分からない。


 視聴者数の表示は一人。


 それが自分なのか、誰かなのかも分からない。


「初めてなんで、たぶんいろいろ怪しいですけど……まあ、少し喋れたらいいなと思って始めました」


 このくらい言えばいいだろうか。いや、もっと何かあるのか。こういう時、配信慣れしてる人は何を話すんだろう。いらっしゃいませとか言うのか。雑談枠ですとか言うのか。分からない。


 分からないまま画面の端をいじっていて、ふと違和感を覚えた。


 何か、画面が明るい。


 コメント欄を見て納得した。


【顔出てる】

【映ってるよ】

【声だけじゃない】

【カメラついてる】


「は?」


 思わず変な声が出た。


 画面を見直す。


 小窓の中に、自分の顔がいた。


「え、ちょっと待て。なんで?」


 慌てて設定を開く。カメラオン。しれっとオン。

 なんでだ。いや分かる。たぶん俺がやった。設定を触った流れで、そのまま入ったに決まっている。


「うわ、最悪。いや最悪ではないけど、予定と違う」


【草】

【設定そのまま触ったな】

【慣れてない感すごい】

【そのままでもよくない?】


 コメントが少し増えている。


 妙に落ち着いていた。


 もっとこう、「男が顔出してるぞ」みたいにざわつくのかと思ったが、実際は拍子抜けするくらい穏やかだった。もちろん珍しがってはいるのだろうが、事故扱いされつつ、そのまま様子見されている感じだ。


「いや、声だけの予定だったんですけど」


【今知ったの面白い】

【初配信っぽくていい】

【隠すほどではない顔してる】


「最後のやつ、評価に困るな……」


 言ってから、少しだけ空気が緩んだ気がした。


 コメントが返ってくる。


 また返す。


 たったそれだけなのに、さっきまで一人で構えていた感じが少しずつ抜けていく。


【初配信?】

「初配信です」

【何歳?】

「二十歳……らしいです」

【らしい?】

「ちょっと事情が複雑で」


 そこは曖昧に笑ってごまかした。


 本当のことを言っても通じる気がしない。三十五歳会社員だった俺が、起きたら二十歳の男になっていました、なんて話を、初配信の三分で出すわけにもいかない。


【その声でその顔なんだ】

【思ったより落ち着いてる】

【初なのに静かでいいね】


「静かなのは、たぶん慣れてないだけです」


 でも、その返しにすぐコメントがつく。


【それでいい】

【むしろその感じがいい】

【無理にテンション高くないのいいね】


 そう言われると少し気が抜ける。


 雑談配信というものは、もっと何か喋り続けなければいけないのかと思っていた。芸人みたいにずっと面白いことを言うとか、配信者っぽくテンポよく回すとか、そういうものが必要なのだと勝手に身構えていた。


 でも、そうでもないらしい。


 コメントが来る。読む。返す。その間に少し間が空く。また何か来る。返す。


 それで会話になっていた。


 不思議なものだ。


 視線は画面の文字に向いているのに、ちゃんと人と話している感じがする。


【趣味ある?】

「趣味……」


 少し詰まる。


 趣味と聞かれて、すぐにこれですと出せるものが今の俺にあったか。前の人生では、あったはずだ。ゲームもやったし、動画も見たし、アニメも見た。でも最後の方はどれも、追いつけなくなるものになっていた気がする。


「昔はいろいろ見たりやったりしてたんですけど。最近は忙しいとそれどころじゃなくなるじゃないですか」


【二十歳のコメントじゃなくて草】

【人生二周目感ある】

【言い方が少し疲れてる】

【見た目若いのに中身落ち着きすぎ】


「否定しにくいな……」


 笑う。


 自然に笑った。


 その瞬間に、自分でも少し驚いた。


 初めての配信で、顔も事故で出ていて、見知らぬ相手に見られているのに、不思議と嫌ではなかった。むしろ返事があるのが妙に楽しい。


【彼女いる?】

「急にそこ聞く?」

【初対面だと聞きやすいし】

【顔出しだと気になる】

【いなさそう】


「最後の決めつけは何なんだ」


【じゃあ、いる?】

「……いません」


【素直】

【好感度】

【今の間は何】

【盛ろうか迷った?】


「盛っても意味ないだろ、ここで」


 コメント欄が少し流れる。


 その流れを見ているだけで、自分の部屋に一人でいる感じが少し薄くなる。


 気づけば、最初の緊張はだいぶ消えていた。


 もちろん会話が完璧に回っているわけではない。沈黙もある。コメントが止まる時間もある。そのたびに何か喋った方がいいのかと考えるが、焦って変なことを言うより少し待った方がましな気もした。


 だからそのまま待つ。


 待つと、誰かがまた書き込む。


【仕事してるの?】

 その質問に、少しだけ間が空いた。


「してないです」


【学生?】

「いや、それもたぶん違います」

【たぶんって何】

【設定がふわふわしてる】

【でも生活感ある】


「生活感はあるのか……」


【ある】

【なんかちゃんと暮らしてそう】

【配信慣れしてないのに、部屋の空気だけ生活してる】


「褒められてるのか分からないな」


 けれど、その言葉は少し残った。


 ちゃんと暮らしてそう。


 それはたぶん、今の俺に一番近いのかもしれない。何かを頑張っているわけではないし、まだ配信者でもない。でも一応、生きてはいる。生活はしている。画面越しに見えるのがそれなら、それでもいいのかもしれなかった。


 気づけば、一時間近く経っていた。


 最初は十分も持たないと思っていた。何なら開始前は、五分でやめてもいいと思っていた。なのに、話して、返して、また話しているうちに、いつの間にか時間が過ぎていた。


「……そろそろ、終わります」


【おつ】

【初にしてはよかった】

【またやって】

【次も来る】

【顔出し事故込みで面白かった】


「そこ込みにしないでほしいな」


 最後の最後まで、事故は事故のままだった。


 まあいいかと思う。今からなかったことにもできないし、思ったほど困るものでもなかった。


「ありがとうございました。来てくれた人は……まあ、ありがとうございました。また、たぶんやります」


 挨拶として正しいのかは分からない。分からないが、今の俺としては精一杯だった。


 終了ボタンを押す。


 画面が静かになる。


 部屋も、また静かになった。


 さっきまで文字が流れていたせいか、誰かが向こうにいた感触だけは残っている。


 配信画面の記録を見る。


 同時視聴は十人前後。


「十人か」


 多いのか少ないのかは分からない。


 ただ、ゼロじゃなかった。


 誰も来ないかもしれないと思っていた場所に、ちゃんと人がいた。入ってきて、見て、喋って、返してくれた。たったそれだけのことなのに、思っていたよりずっと効いた。


 机にもたれながら、少しだけ笑う。


「……これ、普通に楽しかったな」


 部屋はまだ静かだった。


 でもさっきまでとは違う。


 画面越しでも、ちゃんと会話になる。


 それが分かっただけで、ノートPCを買った意味は十分あった気がした。


 もう一度、配信アプリを開く。


 終了した枠の記録が残っている。コメント欄も、視聴数も、開始時刻も、終了時刻も、全部数字になっている。小さい。かなり小さい。けれど、ゼロではない。


 誰かが、画面越しに確かに俺を見ていた。


 そう思うと、次もやってみるか、という気持ちが自然に出てきた。

 たぶんこれなら、もう少し続けられる。


たくさんの評価、ブックマーク本当にありがとうございます。


皆様のおかげでモチベーションがとてもあがります!!!

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