第10話 部屋が先に、配信者っぽくなる
昼過ぎ、玄関を開けたら段ボールがいくつか積まれていた。
細長い箱が二本と、小さい箱が二つ。どれも自分で頼んだものだ。分かっていたはずなのに、まとめて届くと少しひるむ。
「増えたな……」
口に出してから、しゃがんで箱を持ち上げた。
最近ちょっとずつ、部屋に配信の物が増えている。最初はノートPCだけだった。今はマイクがあって、簡単な照明があって、配信のたびに動かす小物がある。今日はそこに、マイクアームとライトまわりと、ケーブル類まで加わるらしい。
必要だと思って買った。前より音が良くなった方がいいとか、画面の見え方が多少ましな方がいいとか、そういう理屈はある。あるんだけど、箱を前にすると急に勢いが消える。
社会人の頃から、この感じは変わらない。
必要だから買う。そこまではいい。面倒なのは、そのあとだ。接続、設定、説明書。よく分からない単語が並んでいる時点で、気持ちが少し後ろに下がる。
とりあえず箱を開けた。
中から出てくるのは、緩衝材とビニールと説明書と、もう一枚説明書。まだ何もしていないのに字が多い。マイクアームは見ればだいたい分かるけど、向きが合っているのかは分からない。ライトは立てるまでは何とかなったが、角度を触り出すと、どれが正しいのか分からなくなった。
それでも一時間くらいは頑張った。
つないでみる。認識しない。
差し直す。別の入力になる。
音を聞く。なんか変だ。
設定画面を開く。同じような項目が並んでいて、どれが今の俺に必要なのか分からない。
「なんでこういうの、全部ちょっとずつ分かりにくいんだよ……」
独り言を言いながら、また画面を見た。
昔の会社で、社内ツールや会議用の謎システムを触らされていた時の感覚に似ていた。分からないまま見て、たまに偶然うまくいって、それで終わるやつだ。違うのは、今は横で急かす上司がいないことくらいだろう。
ひとりだけの部屋で、よく分からない設定画面を見続けるのは、普通にしんどい。
検索もした。説明動画も見た。けど説明している人は、もう入口を過ぎている人の話し方をする。こっちはその入口がどこか分からない。
手が止まった。
机の上は、開封した箱と袋と、まだうまく動かない機材で散らかっている。配信部屋というより、一回机をひっくり返したみたいだった。
「……配信つけて聞いた方が早いか」
そう言ってしまった時点で、半分決まりだった。
最初から上手くできるタイプでもない。だったら詰まっているところごと出した方が、たぶん俺には合っている。
配信ソフトを立ち上げて、タイトルを入れる。
『機材届いたけど設定が分からないので教えてください』
ちょっと情けないが、事実だから仕方ない。
始めると、最初に見慣れた名前が何人か入ってきた。
【また機材増えてる】
【タイトルが素直】
【困った時だけ素直】
【何買ったんだ】
「いや、普段もそこそこ素直です」
【そこそこって付けるな】
【信用ならん】
【で、何が分からないの】
「全部ですね」
【全部は無理】
【説明書読め】
【終わった】
「読んだ上で分からないんですよ。読めば分かる人向けなんだよな、あれ」
【それはそう】
【分かる】
【機材相談配信きたな】
コメントを見て、少しだけ気が楽になった。
一人で詰まっていた時は、ただだるいだけだった。同じ設定でも、横から「そこ違う」「今のは合ってる」が飛んでくるだけで、妙に間が持つ。
画面を見せながら今どこで詰まっているのか説明すると、途中から機材に詳しいらしい人たちが増えてきた。
【それ入力先違う】
【マイク二重になってるかも】
【その型番なら初期設定が別】
【設定画面見せて】
【説明書の7ページ】
【いや先に配線では】
「ちょっと待ってください。一気に言われると、もう頭に入らないです」
【草】
【分かる】
【有識者が急に増える回】
【説明書とサポート窓口の中間みたいになってる】
【家電量販店の売り場】
本当にそんな感じだった。
普段の雑談では見ない名前まで、今日は妙に詳しい口調で入ってくる。全員少しずつ言うことが違うから混乱するんだけど、ひとつずつ試せば、ちゃんと前に進んだ。
「じゃあ、これ切って……入力こっちにして……あ、待って、変わったかも」
【良くなった】
【さっきより自然】
【二重じゃなくなった】
【今の方が聞きやすい】
「本当ですか」
【本当】
【たぶん】
【たぶん言うな】
ただ機材の相談をしているだけなのに、思ったよりちゃんと話が続いた。
俺がひとつ詰まって、コメントが少し騒いで、直るとまた笑う。その繰り返しが、案外ちょうどいい。
途中でライトの位置を動かしたら、画面が少し明るくなった。
【あ、今いい】
【急にちゃんとした】
【前より顔が見やすい】
【生活感はあるのに前より整った】
「生活感は消えないんですね」
【そこが売りだろ】
【机の端とか棚がもう配信者の部屋】
【部屋育ってきたな】
【最初ただの部屋だったのに】
そこで、つい画面の端を見る。
マイクアームが一本ついて、ライトが増えて、コードが机の端を這っている。後ろの棚には趣味の物も少し見える。別にきれいな部屋ではない。整った配信部屋なんてほど遠い。でも最初の頃より、明らかに“配信している人間の部屋”にはなっていた。
自分では、ちょっと散らかっただけにも見える。けど、他人から見れば違うらしい。
そのあたりから、コメント欄の速さが少し上がった。
常連が笑いながら見ているところに、新しい人が混ざってくる。機材の話で流れてきた人もいれば、切り抜きか何かで知ったっぽい人もいる。悪い空気ではない。ただ、温度が前より揃っていない感じがした。
【その機材なら別の方がよかったかも】
【初心者ならそれで十分】
【もっと安いのでいい】
【口元にもう少し近づけて】
【ゲイン上げた方がいい】
【ゲインって何】
「最後の人、ちょっと俺寄りですね」
【安心するな】
【新規多いな今日】
【いつもより流れ早い】
常連は、俺が機材に強くないことも、途中でだるくなることも知っている。だから少し待ってくれる。
でも新しく来た人は、その前提がない。善意でどんどん言ってくれるし、悪気なく距離も近い。ありがたいんだけど、量が多い。
「すみません、順番にください。一気に言われると、その時は分かったつもりになるんですけど、次の瞬間もう怪しいです」
【それでいい】
【正直でよろしい】
【じゃあ一旦入力だけ】
【今の状態から一個ずつで】
言ったら、少し流れが落ち着いた。
そこでようやく、何となく分かった。
配信って、喋るだけじゃないんだなと思った。
喋るのはもちろんある。でもそれだけじゃなくて、その場を拾える速さにするとか、流れを崩しすぎないようにするとか、そういうのも配信なんだろう。朝比奈さんがさらっとやっていたことを思い出す。あれは場慣れだけじゃなくて、たぶん技術でもあった。
俺はまだそこまでいかない。むしろかなり不器用だ。
それでも、前より少しだけ、自分の配信の空気を自分で見ようとはしていた。
結局、その日の配信は思ったより長くなった。
機材相談から始まったのに、途中から「結局どこに金をかけると変わるのか」とか、「配信環境ってどこで満足すればいいのか」とか、そういう雑談まで広がっていった。コメントも途切れず、数字もいつもより少し良かった。
はっきり一段上がったと言い切るほどではない。けれど、ちゃんと伸びた感触はあった。
配信を切って水を飲み、机の前に座ったまま、しばらくぼんやりした。
配信前より机はましになっている。ちゃんと使えるようになった機材もあるし、まだよく分からないまま端に置いてある物もある。部屋としては別にきれいじゃない。それでも前より確実に、配信をする場所になっていた。
スマホを見て通知を追っていると、メールが一通来ていた。
件名を見て、一回止まる。
『商品ご紹介のご相談』
「……早いな」
思わずそう言ってから開いた。
いきなり大きい企業案件というほどではなかった。商品を送るので、使った感想を軽く出してもらえませんか、くらいの打診だ。条件もまだ曖昧で、本当に“案件未満”という言い方が合う。
それでも、今までなかった種類の連絡ではある。
視聴者の感想でもない。配信者同士のDMでもない。外から、こちらを何かに使える相手として見ている感じがあった。
少し怖い。
でも、嫌ではなかった。
スマホを持ったまま、部屋を見回す。
段ボール。マイク。ライト。コード。机の端に寄せた説明書。棚の隅の趣味の物。生活感があって、少し散らかっていて、でも前よりはちゃんと配信の跡が残っている部屋。
立派じゃない。整ってもいない。
なのに、部屋の方が先に進んでいる気がした。
俺はまだ、たまに「これ本当に続くのか」と思う。機材が届いただけで面倒になって、設定に詰まって、結局配信をつけて人に聞くくらいには、ちゃんとしていない。
それでも、気づけば少しずつ増えていた。
物も、人も、見られ方も。
「……置いていかれないようにしないとな」
口に出すと、少しだけ笑えた。
ただの暇つぶしで始めたはずだった。
なのに、部屋の方がもう少し本気になっている。
だったら俺も、もう少しだけ、ついていくか。
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