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教室の銀河鉄道

作者: 久禮 晃
掲載日:2026/02/12

 教室の空気は、昼休みの喧騒に満ちていた。机の木目が指先にざらつく感触、窓から差し込む陽光が頬を温かく撫でる。遠くで誰かの笑い声が響き、鼻をくすぐる弁当の匂いが漂う。


 圭介は椅子に体を預け、ぼんやりとした視線を天井に向けた。心の中で渦巻く思いが、言葉となって零れ落ちる。


「なぁ優太、しあわせってなんやろな?」


 優太は机に肘をつき、消しゴムのカスを指で弾いた。かすかな音が耳に届き、圭介の言葉に眉を寄せる。急な問いかけに、胸の奥で小さな苛立ちが芽生える。


「急にどうした? 圭介、変なもんでも食ったんか? てか知るかボケ。俺らまだ高一よ、ピチピチの若もん! 彼女もおらん俺らよ?」


 優太は消しカスを投げつけ、圭介の肩に当たる軽い衝撃が、冗談めかした空気を生む。圭介はそれを払い、黒革の鞄から文庫本を取り出す。革の冷たい感触が手に残る。


「いや、こないだな? 朝読あるやん? それで読んだ本がな、結構深くてさ……」


 本の表紙が優太の目に映る。銀河の星々が描かれた装丁が、遠い記憶を呼び起こす。


「銀河鉄道の夜? あれか、メーテルとか言う金髪の美人なねぇちゃん出てくるやつ」


 優太の言葉に、圭介の胸に小さな苛立ちが湧く。だがそれはすぐに、説明する喜びに変わる。


「それは銀河鉄道999な。こっちは宮沢賢治の本! 亡くなる前最後の本で遺作ってわけよ」


 優太は頷き、教科書の記憶が浮かぶ。クラムボンの響きが、耳の奥でかすかに蘇る。


「あぁ、宮沢賢治ね。クラムボンやっけ? 小学生の教科書に乗ってた人ね」


 圭介の目が輝き、立ち上がる衝動に駆られる。心の高揚が、体を動かす。


「そうそれや! これがまたおもろいのよ」


 優太は興味を引かれ、圭介の熱意に引き込まれる。胸の奥で、好奇心が静かに膨らむ。


「いや、おもろいのはわかったけど、どうおもろいんよ。」


「お、聞いてくれるか!」


 圭介は目を輝かせ、身振り手振りを加えて語り始める。空気を切る手の動きが、物語の流れを象徴する。


「立たんでええから、話してくれや」


「おけおけ。ほんなら話そか。まぁ本題に入りたいからざっくり説明すると、二人の少年がいた訳よ。まぁ友達の関係で、でもそのうちの一人、ジョバンニっていう子なんやけど、その子が川で溺れてしまって、それを助けようともう一人のカンパネルラが川に飛び込んで、自分は亡くなってしまうんよ」


 圭介の声が教室の空気に溶け、優太の耳に届く。川の冷たい水の感触が、想像の中で肌を刺す。


「ほんで死ぬ人が乗る銀河鉄道に乗るねんけど、ジョバンニも乗ってしまうんよ」


「生きてるのに!?」


 優太の声が割り込み、驚きの感情が顔に表れる。心の中で、物語の不思議さが渦を巻く。


「まぁそうなんやけど、そこの謎はまぁ本題とは関係ないから置いとくわ」


 圭介は右から左へ手を振る仕草をし、話を続ける。優太は頷き、集中する。


「銀河鉄道に二人は乗って、色んな死んだ人を見ていくわけよ」


 圭介の真剣なまなざしが、優太の心を捉える。死の影が、胸に冷たい風のように吹き抜ける。


「ここまでは大丈夫やな? 色んな人あって色んな死に方、人生の終え方を見て、カンパネルラはこう言うた。『おっかさんは僕を許してくださるだろうか』ってな、これがまた深いセリフでな」


 優太は頷き、言葉の重みに沈む。母親の視線が、想像の中で優太を責めるように感じる。


「これってカンパネルラからしたら、友達を助けていいことを最後にしてるから許して欲しいって願ってる。終わりよければすべてよしってことやろな、けどおっかさん視点から見てみ、堪ったもんじゃないやろ」


「確かにそうやな」


 優太の声に、納得の響きが混じる。胸の奥で、親の悲しみが静かに疼く。


「最後にいいことをして死ぬのなら、遺された人達は許してくれる。褒めてくれるなんて自分のエゴでしかないわけよ。これって多分作者本人も許して欲しいって死ぬ前に考えたことなんかもしれん。この時の心情は死のうと思ったり、死にそうになったことが、無いから俺にはわからん」


 圭介の言葉が、優太の心に染み込む。死の淵の孤独が、遠い星のように輝く。


「まぁ他人の気持ちなんぞ理解しようにも理解はできひんからな、寄り添うことはできたとしてもや」


 圭介の視線が遠くを向く。心の中で、無力感が霧のように広がる。


「そこでや! “ほんとうのしあわせ”ってなんやろ?って話よ!」


 圭介が手をパンッと叩く音が、教室に響く。優太の体がびくりと震え、驚きの波が胸を洗う。


「うぉ、びっくりしたぁ。まぁ確かにな。圭介はどう考えてるんや?」


「わからん」


 優太は椅子から転げ落ちる仕草をし、心の落胆が体に表れる。


「わからんのかい! まぁだから聞いてるって話やな」


「しょうゆこと」


「まぁ俺の考えとしてはよ。俺は結婚もしてへんしましてや、彼女もできたこともあらへん。これだけがしあわせやとは思わへんけど。大人になってみないとわからんかも知らへんし、わからんままなんかもしれへん」


 優太の言葉に、圭介はうなずく。未来の不確かさが、胸に甘い痛みを残す。


「でもこれだけはいえるな」


「なんや」


「お前と友達で互いに生きてて、愚痴も嫌味も言い合えるってこと。そんな存在が自分の隣に居てること。これに気付けたことは“ほんとうのしあわせ”のひとつなんかもな」


 優太は照れくさく鼻を擦る。頬が熱くなり、心の温かさが体を包む。


「くさいなぁ」


「なんやと!? しばいたろか。人がせっかくええことゆうてるのに」


 優太が殴る素振りをし、圭介が止める。


「まあ、優太が思ってることは俺も同じや。あんがとさん、なんか嬉しいわ」


 沈黙が流れる。教室の喧騒が遠く感じ、二人の絆が静かに輝く。


「こっちのセリフじゃ、アホ」


 優太が右手を差し出す。圭介も応え、手が触れる感触が、心のしあわせを確かめる。


「まぁしあわせやな俺たち」


「やな、生きてるだけでまるもうけなんかもしれへんな」

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