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第三十話『剥落する石膏と選ばなかった過去の終着点』

 守護者の巨大な真鍮の装甲が、内側から膨れ上がる黄金色の熱に耐えかねて、悲鳴のような軋みを上げた。

 内部の蒸気が行き場を失い、装甲の継ぎ目から白い煙が噴き出す。


「……あ……」


 アリスが掌を離した瞬間、視界を焼き切るような眩い閃光が広場を包み込んだ。

 轟音と共に、三メートルを超える鋼鉄の巨躯が、内部の歯車ごと粉々に砕け散る。

 宙に舞った真鍮の破片、真円を失った歯車、へし折れたゼンマイ。

 それらは地面に触れる前に淡い光の粒へと姿を変え、凍りついていた広場を、一瞬だけ春の木漏れ日のような暖かさで満たした。


 しかし、光の飛沫が収まったあとに残されていたのは、勝利の余韻などではなかった。


 砕け散った守護者の残骸の中央。

 そこには、煤けた石畳の上に膝をつき、力なくうなだれる一人の少女がいた。

 その少女は、アリスと同じワインレッドのブレザーを纏い、同じ赤いタータンチェックのスカートを履いていた。

 黒いロングヘアは乱れ、解けたリボンタイが、冷たい風に虚しく揺れている。

 その姿は、あまりにも見慣れた、そしてあまりにも目を背けたい自分自身の写し鏡だった。


「……うそ。そんなの……」


 アリスは、自分の足がその場に根を張ってしまったかのような錯覚に陥った。

 少女がゆっくりと顔を上げる。

 その顔は、毎朝鏡の中で無機質に見つめ合っていた、誰よりも知り尽くしているはずの自分自身の顔だった。

 だが、その瞳に宿っているのは、アリスが持ち始めた微かな熱ではない。

 深い絶望の淵に沈んだような、暗く、底の見えない虚無だけが湛えられていた。


『……どうして、壊したの?』


 もう一人のアリスが、掠れた声で問いかけた。

 その声は、かつてアリスが母の前で、あるいは学校の教室で、誰にも悟られないように飲み込んできた何千もの『言えなかった言葉』を、長い時間をかけて煮詰めたような、重苦しい響きを持っていた。


『ここは、完璧だったのに。誰も傷つかず、誰も選ばず、誰からも期待されず……ただ綺麗なままで、明日を待たずに済んだのに。あなたがその『熱』を持ち込んだせいで、私はまた、選ばなきゃいけなくなる。また、間違えるかもしれない不安に怯えなきゃいけなくなるのよ……』


「私は……私は、あなたを傷つけたくてやったんじゃ……!」


 アリスは一歩歩み寄ろうとしたが、もう一人の自分は、拒絶するように鋭く叫んだ。


『来ないで!!』


 その叫び声は、広場のクリスタルを震わせ、微かな亀裂を生じさせる。


『自分の卑怯さを、理想の影に隠して生きてきたくせに! 決断の痛みを他人に押し付けて、ただ『いい子』のふりをして流されてきたあなたが、今さら誰を救うっていうの? 私を救う? 笑わせないで。あなたは、私という『責任』を捨てたいだけじゃない!』


 もう一人のアリスの影が、意思を持つ生き物のように地面を這い、肥大化していった。

 影は鋭い棘のような形に変貌し、周囲に散らばった真鍮の破片を吸い寄せながら、より禍々しい姿へと膨れ上がる。

 それは、アリスがこれまで『見ないふり』をし続けてきた、自分自身の怠惰、臆病、そして他者に委ねることで得てきた偽りの安寧が、具現化したものだった。


 宙に浮かぶティックが、アリスの肩越しに冷ややかに、けれどどこか楽しげに告げる。


「言っただろう、アリス。時間は君自身の首を絞める、と。あの守護者は、君が捨てたかった『責任の重圧』そのものだったんだ。それを壊したということは、君は今、逃げ場のなくなった自分自身の闇と、生身で向き合わなきゃいけないってことだよ。影を消すには、より強い光になるか、闇に飲み込まれるか。二つに一つだ」


 広場の中心にある巨大なクリスタルが、断末魔のような音を立てて激しく明滅し始めた。

 もう一人のアリスの輪郭が、次第に粒子となって透き通り、背後にそびえ立つ時計塔の黒い影へと吸い込まれていく。

 彼女は消え去る間際、アリスに向かって、凍るような冷たい、けれどどこか憐れむような微笑を浮かべた。


『……上で待っているわ。そこが、あなたの『時間』の終着点。あなたが選ばなかったすべての過去が、そこであなたを待っている』


 もう一人のアリスの姿が完全に霧散すると同時に、広場を覆っていた厚い氷の膜が、一斉に音を立てて崩壊し始めた。

 同時に、周囲にいた『幸せなポーズ』の人形たちも、魔法が解けたかのように色彩を失い、崩れた砂となって足元を埋めていく。

 アリスは、自分の足元までもが砂の奔流に変わっていくような目眩に襲われ、咄嗟に傍らにいた少年の手を、壊れ物を扱うような必死さで強く握りしめた。


「……行かなきゃ。あの子に……(アリス)に、会いに」


 アリスの声は、まだ小刻みに震えていた。

 けれど、その瞳に宿る光は、先ほどまでのような『怯え』だけではなかった。

 鏡の中の自分。

 直視できなかった自分。

 その『弱さ』すらも自分の名前の一部なのだと認めなければ、この狂った世界の秒針を、正しい位置に戻すことはできない。


「行こう。……私の、本当の終わりのために。そして、新しい一秒を刻むために」


 少年の手を引いて、アリスは崩れゆく広場を背に歩き出した。

 目の前には、黒い霧を吐き出し続ける時計塔の巨大な真鍮の門が立ちはだかっている。

 アリスが門の前に立った瞬間、地響きを立てて扉がゆっくりと、重々しく開き始めた。

 それは、アリスという一人の『針』が、自らの運命を決定的に刻むための、最終幕への招待状だった。



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