第2話 エルフのコスプレ
「う~~~~~~~ん……」
腕を組み、キャナディは難しい顔で唸った。
「そんなに悩むことある?」
「ん、あ、ああ……いや……。き、気になる事があってな」
「気になる事?」
キャナディは肯いて言う。
「さっき散々言ってただろ? 『エルフとしての価値』がどうのこうのって」
「それがどうしたの?」
「だ、ダンジョン調査とどう関係あるんだ? 言ったらあれだけど、別に私でなくともいいだろ……?」
キャナディの言うことはもっともだった。
ダンジョン調査は文字通り生態調査やマッピングを行う仕事で、職業柄フリーの調査員の方が多いくらいなのだが、それだけにエルフにしかできない要素はなにもない。
どころか『エルフとしての価値』が足枷になっていて、キャナディ自身、向いている仕事だとは思えなかった。
なによりキャレットグループはダンジョン管理の最大手。
人材には困らないはずだ。
「昔アンタが倒してくれたウチの部隊、覚えてる?」
「…………モ――モチロン、オボエテルゾ……」
「今の反応、当人たちが知ったら泣くわよ」
ジト目で窘めるユリから、さりげなく目を逸らしつつ、キャナディはそっと記憶を掘り返した。
昔――なんて言われて思わず身構えてしまったが、ユリと出会ってまだ三年だ。千年を生きたエルフにとって、三年は大した時間ではない。
とはいえ、その中で出会った人間の数はかつて暮らしていた集落の人口をはるかにオーバーしている。人見知りにとって新しい環境での新たな出会いはそれだけで苦痛だった。
しかし。
そもそも戦った記憶なんて――
「……あ」
「……さっきの反応、てっきり冗談だと思ってたんだけど、まさか本当に忘れてたわけ?」
「ああ……いや……だって……その……!」
しどろもどろになるキャナディに、ユリは軽い溜息を吐いた。
ユリが呆れるのも当然だ。
なにせ、その戦闘がきっかけでキャナディは『保護』されて今の生活があるのだから。
とはいえ、キャナディからしてみれば戦闘ではなくゲリラ部隊から身を守るための防衛だったので、『倒してくれた』という表現には違和感しかなかった。
「……思い出したかどうかはともかく」
心底面倒くさそうにユリは続ける。
「その時の部隊長が偉い人でね、その人が推薦してやるって言ってくれてるのよ。エルフの価値はともかく、企業に優秀な人材として認めさせる、割とまっとうな手段よ。ま、向こうは人間だろうがエルフだろうが強けりゃ関係ないんでしょうけど」
「…………」
今度はキャナディが、眉に唾でも付けるかのようなジト目で返す。
「なに? 本当の話よ?」
「い、いや……。そ、そもそも論として、私は表立って行動しちゃ駄目だろ……?」
キャナディは眉間に眉を寄せる。
好き好んで引き籠もり生活を送ってるキャナディではあるが、一方で外出の危険性は耳が痛くなるほどに聞かされていた。
背が高く人目を惹く容姿で、エルフ特有の大きな耳。
一人一台が当たり前のスマホ社会において、キャナディの所在が全世界に流布されるのに時間はかからない。文字通り耳が痛い話だ。
仮にダンジョンまで送迎だったとしても、グループが管理してるダンジョンは調査未完了の物も含め、一般開放されている。フリーの調査員を呼び込む目的もあるがそれ以上に入場料で少なくない収益を担っている。
封鎖をすれば問題は解決するが、そんなの本末転倒だ。
「その点なら心配はいらないわ。対策はしっかり考えてあるもの」
ユリはそういうと、立ち上がって、棚の鞄から小さな紙袋を取り出すと、そのままキャナディに手渡した。
「本当はもっと後で渡すつもりだったけど……その疑問に答えるのが先よね」
「あ、開けても?」
「どうぞ。そこまで大したものじゃないけど」
キャナディがテープの封を丁寧に開けると、中から出てきたのは、彼女の髪色と似た緑のカチューシャだった。
「カチューシャよ」
「う、うん。見ればわかるぞ。べ、別に髪の毛が邪魔とは思ってないけどな」
「いいから付けてみて」
何がいいのか腑に落ちないまま、言われたとおりにカチューシャを頭に付けた。
「もうちょっと後ろ、耳と一直線になる辺りに付けてみて」
言われるがまま位置をずらすキャナディ。
「そう、その位置。……うん。いけるわね」
一人納得した風に頷くユリ。
「な、なにがいけるんだ?」
「コスプレに見えるわ」
「…………」
「どうしたの? ポカンと口開けてアホ面してるとせっかくの美人が台無しよ」
「ま……まさかだけどユリ……、こ、これがその対策……?」
「アホみたいに見えるでしょ? けどこれでいいのよ」
ユリは腕を組み、自信ありげに言う。
「どうせダンジョンなんて金と承認欲求に支配されたコスプレ配信者がわんさかいるんだから、一人くらい『エルフのコスプレをする人間のコスプレ』をするエルフが混じってたってバレやしないわよ」
「…………」
「絶滅したエルフが生きてて、偶然にもダンジョンにやってきました――なんて普通の人間ならまず思わないし、視聴者だってヤラセとしか思わないでしょうね。そこにわざとらしくカチューシャ付けとけば誰だって付け耳だって思うわ。以上Q.E.D. 何か質問は?」
「……あー……その、なんだ……」
「思ったことは素直に言っていいわよ。飲み込まれたら気になってしょうがないもの」
「……いや、その……うん」
どう言葉を選んだらいいか、頭の中で言葉を咀嚼し、時間をかけてしっかりと言葉を選んだ末、キャナディは言った。
「ひょっとして、意外と馬鹿だったりするのか?」
「…………」
「あ、ああ、あああああ! ち、ちちちち違うんだ!」
自分で言ってから、慌てて否定するように叫んだ。
「こ、コスプレで誤魔化そうってアイデアは悪くないっていうか、す素晴らしいよな! 木を隠すなら森の中って言うし! で、でもなんだ……気付かないほど馬鹿――あ、いや、他人に興味が無い人間がいるのかって言うか、なんていうか……! そ、その――」
「そうね。言いたいことは分かるわ」
キャナディの言葉を意に介する風もなく、ユリは落ち着いた口調で答える。
「テストも無しにぶっつけ本番なんて普通なら怖くてできないもの。その点、アメ子は用心深くて信用出来るわ。さすが私のアメ子」
「わ、私はユリの物になった覚えはないからな……?」
「あら、保護者に向かってその態度。反抗期かしら?」
「……私の方が年上だからな?」
「精神年齢はどうかしら」
そんなものどうやって測るんだろうと思ったが、キャナディは口にしなかった。他愛ない雑談に野暮な突っ込みは不要だ。
「まあいいわ。テストだけでも受けてくれるってことでいいのよね?」
「ずっと心残りでもあったからな……」
「ふうん……。ま、いいわ」
ユリはポケットからスマホを取り出して、数回画面をタップして誰かに連絡を入れた。
「格好は……今のままでいいわね」
「……格好?」
ちなみに、キャナディのジャージはネット通販で本人が好んで選んだ(キャッシュカードはユリの物なので購入したのはユリだが)ものだ。特に金額に縛りは無く、ユリも反対したのだが、着る物に対してだけはキャナディの意志は固かった。現在では同じジャージが五着ずつ揃っている。
「早速だけど、準備してちょうだい」
「さ、早速ってなんだ……」
「早いに速いで早速と読む熟語よ。同じ読みの言葉で出来た熟語って何か素敵よね」
「いや、そうじゃなくて――」
ユリが何か言いかけたところで、インターホンにかき消された。
「時間ピッタリね」
と呟いてから、反射的に玄関からの死角に逃げ込むキャナディを無視し、ユリは戸を開けた。
「おはようございます!」
明朗快活な挨拶はユリが彼女を認識するのと同時だった。
真っ暗なタクティカルサングラスをかけ、キリッと仕立てられたパンツスーツは身体の線をしっかりと拾い、胸元の豊かな曲線と太腿のラインが計算されたかのように目立っている。
健康的に日焼けしたショートヘアの似合う、若い女性だ。見ようによってはどこかのボディガードにも見える。
キャナディ程ではないにせよ、ユリよりも背が高く、いくらか年上に見える。
「おはようございます玄倉さん」
ユリは頭を軽い会釈で返す。
「すみません、日曜日なのに無茶なお願いしてしまって」
「いえいえ。その分代休を融通して頂いてますから、こちらとしてもありがたい話です」
玄倉は笑顔で応答した。サングラスさえなければ挨拶回りの営業マンにも見える態度だ。
「どうぞ上がってお茶でも飲んでってください。その間に準備させますんで」
「どうかお構いなく」
「ほらアメ子、隠れてないで挨拶くらいしなさい」
ビクッと背筋を震わせ、申し訳なさそうにキャナディは立ち上がって玄関に顔を出した。
「お久しぶりですキャナディさん。私、ユリ主任の部下の玄倉涼女です」
「おっ――こっ……こんつぁ……」
ニコニコとサングラス越しからでも分かる笑顔の涼女に対し、キャナディはひたすら挙動不審だった。むしろ逃げずに挨拶を出来ただけでも上出来だ。
とはいえ。
「アンタ、玄倉さんのことも覚えてないでしょ」
「えっ……いやっその……おおおーぼえて……」
「仕方ありません。私も病院に送られた大勢の一人ですから」
目の泳ぐキャナディに、涼女はさらっと助け舟を出したが、明るい口調とは裏腹に棘のある言葉だった。やられた恨みはあるのだろう。
そんなわけで、玄倉涼女。
キャナディに倒された隊員の一人である。
「ほら、アンタはとっとと顔洗って準備しなさい」
「だ、だから準備ってなんの……」
「そんなの決まってるでしょ。研修よ」