第1話 生きるために働け!
「ど、どうだユリ。今日はネットでバズってた味噌汁をアレンジしてみたんだ」
それほど広くないアパートの一室、キャナディとユリは対面に座って食卓を囲んでいた。
間に挟んだ木製のローテーブルには味噌汁のほか、炊き立てのご飯や卵焼き、肉じゃがに少々の漬物といった、いかにも日本人らしい料理が並んでいる。
これらをつくったキャナディも背筋を正して丁寧に箸を扱い、日本人よりも日本人らしい仕草だが、らしいのは仕草だけで、見た目はおおよそ日本人離れをしていた。
すらりと伸ばした背筋は高く、折り畳んだしなやかな脚からも身長の高さが窺える。水仕事をしているはずの手肌は絹のように白く、切れ長の垂れ目は長い髪と同じ緑色を宿している。同性からも一目置かれる『理想的な大人』を体現した彼女の見た目だが、それを補って余りある欠点があった。
ひとつは理想を無に帰すような上下のジャージ。
そしてもうひとつが――先の尖った大きな耳だ。
その二つが見る者に強い違和感を与えた。
長身のキャナディとは対照的に、ユリは全体的にやや小柄で、ワインレッドに染めた髪を一本に結んでいる。小柄と言っても女性の中では平均的なのだが、ノーメイクも相まってどうしても幼く見えてしまう。
ユリが黙々と箸を進める一方、キャナディは「あ、ああ、勿論普段の味噌とは違うぞ」と、熱弁する。
「甘い味噌もいいけど、この味噌汁には塩辛い方が合う気がしたんだ。朝食は今日も一日がんばるぞ! って気持ちにさせてくれるのが大事だからな」
普段は蚊の鳴くような声も、今ばかりは人並みに声が出ている。それだけ今日の味噌汁には自信があるのだろう。
若干覚束ない喋り方だが――自信の篭ったキャナディの言葉を受けて、対面で正座するユリは、もう一度、味噌汁をゆったりとすすり、そしてそのまま静かに椀を置いた。
(……あれ?)
普段と違う反応に、キャナディはすぐ違和感を覚えた。
いつもなら料理の出来に関わらず、なんらかのアクションをしてくれる。なのに、今日は何の反応もない。
苦手な物でも入っていただろうか?
基本的に買い物はユリの担当だから苦手なものが入ることは滅多にない。あるとすればキャナディがネットで注文した時くらいだが、今回は味噌だけだ。
ユリは社長令嬢だけあって舌が肥えていた。それでいてジャンクフードも好む人間なので献立に困る事はあまりないが、まずい時はしっかり文句を付けてくる。
作ったのに文句なんて――とはもちろん言わない。
ユリが文句を付けてくるのは決まって無謀なチャレンジをした時だけだからだ。それだって褒めてくれる方がずっと多い。
「な、なあユリ? もし、私が粗相をしてたら、早めにお、教えてくれないか? 私はほら、ガサツだし、まだ人間社会に慣れてないから、さ。……ホ、ホントだぞ?」
「…………」
ユリの答えは沈黙だった。
美味しくできたはずの朝食なのに気まずさが優先して、ちっとも食が進まない。原因の糸口でも見つかればなんとかなりそうなのに、このなんともならない状況が妙にもどかしい。
いっそ怒られた方がまだスッキリする。
「ごちそう様でした。今日も美味しかったわ」
結局、ユリが口を開いたのは自身が完食した後だった。
しかし、そこにいつもの笑顔はなく、明らかに何かある様子だ。
「ねえ、アメ子」
妙に優しい口調で問いかけるユリ。
「いいニュースと悪いニュースがあるんだけど――」
「ススストップ! 聞ききたくない!」
キャナディは箸を持ったまま、大きな両耳を手で塞いで縮こまった。
「しし――知ってるぞ! この流れで言う奴は、だ、大体ロクでもないんだ!」
「あら、よく分かってるじゃない」
慌てるキャナディに対し、優しく目を細めるユリ。
だが、優しいのは表情と声だけだった。
「そのロクでもないニュースを先に聞くか、いいニュースを先に聞くか。特別に選ばせてあげるわ」
「き、聞かない選択肢は……?」
「別に聞かなくてもいいけど、その場合、悪い結果だけを突然被ることになるわ」
「………………」
「さ、早くご飯食べちゃいなさい。最悪な展開だけは避けたいでしょ?」
一足先に食事を終えたユリはゆっくりと立ち上がり、空いた食器を流し台へ持っていく。
「で、でもどうしてこのタイミングなんだ……」
「どうしてって、そりゃ決まってるでしょ」
独り言のつもりだったキャナディの言葉に反応し、ユリは振り向いて溜息交じりに答えた。
「アンタ、食べ終わったらいっつもすぐパソコンに向かうじゃない」
「あう……」
伊達に三年も同じ部屋で過ごしてはいない。
ちなみに、最近はもっぱら料理動画を見ながらのFPSゲームだ。
キャナディは十分遅れで完食し、食器を片付けて、それからローテーブルを綺麗に拭いた。この際食器洗いは後回しだ。
「あ、ついでにテーブルは脇に避けといてくれる? たぶん危ないから」
「あ、危ない……?」
「ちゃぶ台返しなんてされたら困るもの」
真面目な顔でそんなことを言う。
「そ……そんなことはしない……」
「そう? じゃあ精々変なリアクション取らないように気を確かにしてもらうとして――どっちから聞きたい?」
「う、うん……じゃあ……」
「いい話はアンタのお小遣いがアップすること」
「選択権は!?」
思わずテーブルに手をついて身を乗り出すキャナディに「判断が遅いのよ」とユリは冷静に返す。
「アンタと違って人間の寿命は短いの。いつまでもあると思うな私の時間――ってところかしら」
「い――いや、さすがに秒単位の余裕は欲しいぞ……、それと食休みも……」
言って、キャナディは乗り出した身体を元に戻した。
ツッコミの勢いを維持できるほどキャナディのメンタルは陽気に傾いてない。
「え、えっと……」
「食休みしながらでいいから、話くらいは聞きなさい」
言葉を選んで進まないキャナディに、ユリはぴしゃりと言った。
「悪いニュースだけど、ひとことで言うなら、そう――絶体絶命のピンチね」
「ぜ……絶体絶命のピンチ……」
キャナディはおずおずと繰り返す。
しかし言葉を繰り返しただけではなにもピンとこない。
そもそも何がピンチなのかも曖昧で、判断も理解もしようがない。
「ぐ、具体的にどうピンチなんだ……?」
「このままだと森へ還されることになるわ」
「だ――大ピンチじゃないか!」
キャナディは叫んだ。
「ぶ、文明を知った私を森に棄てるのか!? もうネット無しじゃ生きていけないんだぞ!? 保護責任遺棄だ!」
テーブルに身を乗り出し、顔を真っ赤にして怒るキャナディ。
感情に対して言ってることが滅茶苦茶だ。
「なんでそこで真っ先にネットが出てくるのよ、せめてエアコンくらいにしなさい」
「エ、エアコンなんて快適なだけで、お――面白くないじゃないか!」
「快適さよりもネットが勝るとかどんなエルフよ。文明にかぶれすぎでしょ」
「わざわざ不便な生活を求めるのなんて、持ってる人間だけだ」
「よくそれで五百年も一人で森で生活してられたわね」
「し――知らなかったから出来たんだよ……」
「そういう台詞は、もっと格好のつくところで使いなさい」
ユリは肩を竦め、キャナディは座布団に座り直した。
引っ込み思案で人見知りで内向的で消極的――有り体に言ってコミュ障だったから五百年も森で生活していただけで、他のエルフだったら百年と経たず生活に見切りを付けていたことだろう。
もっとも、キャナディを除いたエルフは数世紀前に絶滅しているのだが。
「そ、それで?」
「それでとは?」
「ど、どうしてそんなことになってるんだ?」
「ああ――最近増えてきてるのよ」
ユリは言葉を溜めることも一切飾ることもなく言った。
「エルフはもう採算が取れない、だからいらないって意見が」
その言葉にキャナディは押し黙った。
社長令嬢の言葉が重くのしかかる。
「採算――つまりはお金の問題よ。最初はみんな、エルフとしての価値に期待してたんだけどね」
「エルフとしての価値……」
キャナディは繰り返す。
美しい容姿を永遠に維持する不老長寿――人類の永遠の夢を体現するエルフの価値に天井は無い。可能性を求め、骨の一片にさえ大金をつぎ込む富豪もいるほどだ。
ユリの所属する企業――キャレットグループもまた、その夢を追っていた企業の一つだった。
「採血やら検尿やら色々とやってもらってたけど、三年経ってもまだ、何の利益にも繋がってないのよ。基礎研究なんてそんなものだけれど」
溜息交じりにユリは愚痴を零す。
「そ、それは私が原因じゃないような……」
「当然よ。アンタの責任だなんて誰にも言わせないわ」
力強くユリは言った。立場以外の感情もそこには含まれているように見える。
「けど。実際問題、赤字ばっかりでなんにも還元できてないってのはまずいのよ。生きてるエルフを保護してます、なんて公に言えればまた違うんだけど」
当面無理よね――と、ユリはまばらな雲の浮かぶ窓の外を見つめた。その表情は汲み取れないまでも、言葉の意味はキャナディも理解していた。
「でまあ、さっきの話に戻るんだけど、まだ挽回できないわけでもないのよ」
「……そ、そうなのか?」
わずかな光がキャナディの顔に宿る。
「ピンチだって言ったでしょ。無理なら無理ってハッキリ言ってるわ」
「そ……それもそうか……」
「だからここから先はアメ子、あなたの覚悟一つよ」
「わ、私の覚悟……」
「方法は二つあるわ。一つは今以上に献身的になる。具体的には人工繁殖ね」
「じ――人工繁殖!?」
キャナディは目を剥いた。
「エルフが世界に一人しかいないんじゃ、遅かれ早かれ絶滅するんだもの。それまでにあらゆる手段で増やしておこうと思うのが人情じゃない?」
「か、考えがおかしいだろ! に――人情じゃない!」
「私はエルフの生活に疎いけど、年齢的には子供がいてもおかしくないんじゃない?」
「お――おかしくはないけど、前提!」
「ああ、パンダだって最低限のお見合いはあるものね。ハーフエルフ同士を配合すればきっとエルフも生まれるわ」
「そうじゃなくて!」
「クローンの案もあるけど、そもそもエルフって一応哺乳類で良いのよね? ……まさか無性生殖が出来たりとか」
「できないけど!」
「じゃあこの案は無しね」
散々からかった挙句、さらっとユリは撤回した。
「ひ、人が悪いぞ!」
「人が悪いだなんて、これでも割と現実的な案よ? 現実的で、外に出なくてもいい、一番安全な案」
「ほ……他の案は?」
「勿論あるわよ。ただ、外に出ることになるからあんまりお勧めはしないけど、それでも構わない?」
「じ、人工繁殖なんかと比べたらだいぶマシだろ……」
「そう。そうね」
ユリは我が意を得たりと、テーブルの下でぐっとこぶしを握って言った。
「もう一つは――ダンジョンの調査員よ」