第三章9 『凛とした天然』
「――レオの恋人……なのだろう……?」
「…………………………はい……?」
「と、とぼけるな! こ、こんなことを二度も聞かせるんじゃないっ!! 正直に答えろと言ったはずだっ!!」
リビカは突如席を立ち上がると、少女を指さして声量を上げた。しかし、『怒っている?』のかと思ったが、リビカの頬はなぜか赤くなっている。
「今更隠そうとは思うまいな!? レオとお揃いのフードをそれ程大事そうに身につけているのが、何よりの証拠だろう!!」
「…………フード……って……」
そういえば、レオニクスは指名手配されている『アンシア』という人物と酷似しているせいで、王都に来る際は勘違いされないよう少女と同じフードを身につけているという話だった。
つまるところ、先刻の少女に対する詰問は、少女の正体になど一切関係がなかったということだろう。
しかし、そうなるとリビカのこの質問の意図は一体……
「……ふふっ……」
「な、何が可笑しい!? 私は真剣な話を――!」
答えは熟考するまでもなく出た。
少女の肩の力が抜け、やがて全身の緊張が一気にどこかへ離散した。
当然可笑しくもなる。少女もリビカも、それは大層な勘違いをしていたのだから。
「……好き……なんですか? ……レオニクスさんのこと……」
「――ば、ばばばバカを言うなっ!! レオニクスに誰が惚れるものか!! お前、私を憐れもうというならいい度胸じゃないか!?」
「……ふふっ……大丈夫です。……私は恋人じゃありませんから……」
わかりやすく動揺し顔を更に紅潮させるリビカを少し弄んだ後、少女は答え合わせをした。
するとリビカは時が止まったかのように静止し、数秒の後に再度口を開いた。
「……ほ、本当なの……か? い、いや待て……恋人じゃないというのは……つまりもう婚約しているという――」
「……し、してませんっ!」
リビカの飛躍した思考に、少女も思わず照れくさくなる。だが、首を振った少女を見て、リビカは心底安心したのか、胸を撫で下ろしながらゆっくりと腰掛けた。
「……そ、そうか。すまなかった……全て私の勘違いだったのだな。そうか……なら……良かった。……い、言っておくが、本当にただの確認だからな!? 断じて私はレオニクスに惚れてなどいないっ!!」
「……ふふふっ……」
「だから笑うんじゃないっ!!」
リビカは真面目で凛々しく、弱点のない頼れる女性だと思っていた。
だが、これ程までに女子らしい一面を見せられては、微笑むなと言う方が無理な話である。
「でもさぁ〜……そのレオは今行方不明らしいけど大丈夫〜?」
「ああ……その件なんだが…………って貴様っ!? 起きていたのか……!?」
いつの間にか、ファタリスの頭が机上にちょこんと座っている。
未だ眠たそうに目を閉じたまま、リビカの言葉に「やほ〜」とだけ返答していた。
「……いつから……聞いていた……?」
「んとねぇ〜……一応は客人の前で、よくもまあ堂々と眠ってた時からかなぁ〜?」
「――やはりコイツは絞めよう。構わないな、ミズカ?」
あわあわとぎこちなく立ち上がった少女にリビカはすぐに静止されたが、当のファタリスは一切動揺していない。
図太いというべきか、無頓着というべきか……
「こほんっ。ほら〜、話戻すよ〜。ミズカっちの話が本当なら、レオは安否がわかってない危険な状態なんでしょ〜? 今後のリビカっちの恋路のためにも、私たちが探すべきだと思わない?」
「こ、恋路は余計だッ!! あっ、というか、恋などしていないッ!!」
「いや〜……もういいってそれ……」
天然というやつだろうか。無意識にも話の腰を折っていたリビカに、ファタリスが呆れた表情を返す。
こういった真面目な話し合いにおいては、ファタリスの方が障壁になることを予想していたが……存外そうでもなかった。
「……でも……レオニクスさんが絶対に生きているという保証は……」
「「――生きてる」」
何かと息の合わなかった二人の声が、同時に少女の言葉を遮った。
その衝撃に圧倒され、少女そのまま口を閉じる。
「……というよりはまあ、死なれたら困るというだけだ。兵士を志願すれば、国が簡単に職と武器を与えてくれるこの時世で、レオは私の店に通ってくれる数少ない常連だからな」
リビカは腕を組み、淡々と述べてみせた。
そんなリビカを、ファタリスの意味深な視線が貫く。
恐らく、『リビカを茶化したいが、余計なことを言うとまた話が脱線する』とでも考えているに違いない。
この短時間で、少女は何となく二人の思考が読めるようになっていた。
「確かにレオに死なれると、わたしの家の掃除してくれる人いなくなっちゃうし困るな〜。まあでもそういうことなら、レオが身を隠してそうな場所に一つだけ心当たりがあるけど、行ってみる〜?」
「なにっ!? それを早く言え! どこだ!?」
「――『ユマノ教会跡地』ってとこ」
* * * * * * * * * * * * *
リビカの話によると、『ユマノ教会跡地』はその名の通り既に廃墟として放置された場所らしかった。
絶滅するよりも、隷属化されるよりも前、人間が自由に生きていた時代の名残――同時に、信仰の対象を持たない獣人には無関心なまま忘れ去られた廃墟である。
「……とまあ、この場所のどこにレオと結びつく要素があるのか見当もつかん。それに、噂を流した当の本人が留守番を決め込むとは……思い返すだけで無性に腹が立ってくる」
「……そ、そうですね……あはは……」
日を跨ぎ、ファタリスに場所を案内してもらおうと尋ねたところ、
――あ〜……多分リビカっちも知ってるから、そっちに聞いて〜。わたしはこの新品の巨大枕を堪能するという重大な使命があるから!!
などという戯言を聞かされた。その話をした時のリビカの怒りを諌めるのに、多大なエネルギーを要したのを未だに覚えている。
そんなファタリスへの愚痴をこぼし合っていると、例の跡地と思わしき場所に辿り着いていた。
焼け落ちたか風化したか、本来あったはずの天井が大きく崩れ落ちたそれは、教会の面影を残していない。
入口が全方位に出来上がっており、どことなく不気味さを感じさせるこの建物に近づく人は確かにいないだろう。身を隠していそう、という意味ではあながち間違っていないかもしれない。
「酷い外観だが、これでも地下は避難用の頑丈な設計になっていてほとんど無事らしい。そこを見たらさっさと帰るぞ」
足早に歩を進めるリビカの背を、少女は小走りで追いかけた。
いざ中に入ってみても、外観で得たイメージは何一つ払拭されなかった。伸びた蔦や苔が、ひび割れた壁と床を埋めている。かつて均等に並んでいたであろう長椅子も、一部は半壊、一部は全壊、無事に残っているものは一つもない。
「……地下の入口……見当たらないですね。……別の部屋とかもないみたいですし……どこに……」
「――あそこだ」
辺りを注視していた少女の隣で、リビカは確かに見逃さなかった。
わずか一瞬、数センチばかり右に動いた主祭壇を。
それに確信を持ったリビカは、そのまま少女を差し置き主祭壇へと向かう。
「……直前に稼働していたということは……まさか本当にいるのか……?」
リビカは主祭壇の裏に立つと、足元に隠れていた『仕掛け』を即座に起動する。
すると、牛歩よりも鈍い主祭壇が今度は左へと動き始める。
少女がリビカに応じて駆けつけた頃に、その『入口』が姿を見せ始めていた。
「……す、すごいです……! ……こんなすぐに見つけちゃうなんて……」
「……まあ、今しがた仕掛けが起動していたところを見たからな」
リビカの声調に、何となく違和感を覚える。彼女の表情も、謎を解いたというには少し達成感が足りないような気がしてならない。
そんな些細な違和感。しかし考察をする間はなかったらしく、主祭壇が隠していた地下へ通じる階段が既に全貌を現していた。
「――行くぞ。この先に間違いなく誰かがいるはずだ」
「……は、はい……っ!」
リビカが敢えて『誰か』と称した理由は、少女も無意識に理解していた。
長い降り階段の先は黒い霧がかかったように常に薄暗い。こういった人目のつきにくい空間を好むのは、決して今のレオニクスに限った話ではない。
先導してくれていたリビカが静かに足を止める。思いの外、階段は短かったらしい。
「……いるな」
リビカの細身の背後から、少女は頭だけ覗かせる。
二人の視線の先に、長い背丈の黒い影が映っていた。




