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夜が明ける。瓦礫の街の地平線のむこうから朝日が昇ってくる。頭上の判然としなかった雲の形がはっきりと見え、崩れかかったビルの陰影がさらに濃くなった。
アイカは、穏やかな寝息を立てているシホとアップルを起こさないよう、ラップトップのキーを丁寧に押していく。作業に行き詰まったら黄土色のレーションを口に放り込んでがりがり齧る。普段食べている合成食料と大差ない味ではあるが、保存性と節水のためにかなり固い。
「これでよし」
エンターキーを押して自分で組んだプログラムが指示通りの作業を開始する。
「アイカ、もう起きたの?」
「ああ、隊長。おはようございます」
この時もコールサインで呼ぶのか。名前で呼んでもらえなくてちょっと残念だった。
ケイコはライフルを片手に歩哨から帰ってきた。隊長の責務、といって深夜にアップルと交代して見張りをしていた。
「心配しなくても敵はいないし、いたらすぐに知らせる。安心して寝ていいのよ」
「エヘヘッ、なんだか眠れなくって。午後には唯一都市に帰れると思うと安心しちゃって」
「神経が図太いんでしょうね」
「へへっ、ほめられちゃった」
「別にほめたわけじゃないけど」
ケイコはてきぱきとした所作で、弾倉を抜いてコックを引くと安全装置と薬室を目視で確認した。教練通り、基本的な銃の扱いをもおろそかにしていない。
ケイコがアイカの隣にどかっと座ったとき、走らせていたプログラムがちょうど終了した。
「このコンピューター、支給品じゃないわよね」
ケイコが興味深そうにのぞき込む。
「はい。わたしが部品をひとつひとつ選んで組んだものです。あ、大丈夫です。通信用周波数などは出ないし受信もしないスタンドアローン仕様なので」
「そ、そう。それならいいのだけれど。この映像は昨日の奇械の群れ?」
「はい。低い解像度だったのでわたしなりに処理して見やすくしてみました」
「でも司令部に提出するデータは」
「オリジナルデータはハードディスクとフラッシュメモリに分けて保存してあります」
アイカは胸のポケットをポン、と叩いた。ポリカーボネート製のケースとクッション材はアイカなりに考えて用意したものだった。軍の支給品では衝撃で半導体が壊れてしまうかもしれない。
「機械が得意と思っていたが、そこまでとは思わなかったわ」
「でも履歴書に書きましたよね。わたし、学校じゃコンピュータサイエンスを勉強していたんです」
「あーそういえばそうだったかしらね」
「わたし、みんなを助ける仕事がすぐにでもしたくて。だから軍に入ったんです」
「殊勝な心掛けね。みんな、奇械との戦いは目をそらしたり、兵役を逃れようとしたり、入隊しても後方配置を希望するものばかりだから」
「わたし、奇械に興味があるんです」
「私も、奴らの壊し方には興味があるわ」
「エヘヘっ、隊長、強い」アイカは処理を終えた奇械の隊列の動画を拡大した。「わたし、これを見てて思い当たることがあったんです───ああ、フレームレートは高くしたいなぁ」
アイカは指2本を広げてキーボードのショートカットキーを操作した。動画がスロー再生になった。
「ふむふむ。だけど普通の奇械ね」
「歩き方です。どれも骨格の動きが同じで機械じみた動きをしています」
「……それは機械だからじゃ?」
「わたし、奇械はクローンのサイボーグと思っていました。機械はあくまで補助で人本来の神経系が残っていると。でもこれを見ていると歩き方が皆一様で、まるでプログラミングをしたみたいな。学校で歩行ロボットのプログラミングをしたときと似た動きなんです。つまり奇械は、全身義体のようなサイボーグではなくサイバネティクスに近いかと」
「ふむ、ふむ、なるほど」
「で、面白いことがあって、プログラミングって、組んだ人ごとに癖があるんです。歩行パターンや障害物や段差を避ける時の動作とか。奇械はこれがすべて一様なんです。きっとだれか1人が作った、もしくはCPUの性能があまり高くないという可能性もあります。」
ケイコの目の焦点が合っていない。しばらく空中を泳いだ後、アイカを見た。
「なるほど」
「隊長、奇械のCPUを見たことがありますか?」
「んー奇械を倒すとき弱点の胸のパネルを撃つけど、連中の死体をわざわざ検めたことはないかな」
「たとえば爆発してバラバラになった部品とか」
「ああ、それんだけどね、奇械には回収係もいるんだってさ」
「教練ではそんなこと言われなかったです」
「日本人───唯一都市の人間からすれば棄民となるけれど、彼らのなかの話ではマシンの部品やらスクラップやらを回収してどこか山奥の地下工廠で奇械を作る材料にしているんだとか」
「うーんと、じゃあその工廠を破壊してしまえば」
しかしケイコは肩をすくめた。
「それをするかしないか、決めるのは私たちじゃないからね。軍や統制局のお偉いさん方が決めること。どのみち危険な橋を渡らせられるのは私たちだけど。とはいえ、戦術の基本は“攻めは守りの三倍”といって守る方が攻めるよりずっと簡単ってこと。唯一都市を守ることはできても攻めることは難しいんじゃないかしら。知らないけど」
ずっと疑問に思っていたことが言語化できた気がする。唯一都市ができて半世紀。戦争は何十年も続いている。それなのにいまだに終わらせることができていない。ちょっと考えたらわかるはずの解決策が放置されてきたなんて。
でももしかしたら、わたしがたくさんの人を助けるきっかけになれるかもしれない。
「さて、そろそろ出発よ。シホ、アップル、起きなさい。ここじゃ起床ラッパは鳴らせないんだから。アイカ、そのいじってた映像データだけど」
「はい、わかっています。1bit単位でも残らないようにします」
「いえ、うん、よくわからないけど、軍にバレないようにするんだったら別に持ってていいわよ。もちろん売ったり公開したりするのはダメ」
「了解です、隊長」
シホとアップルは寝起きの重い瞼のまま、背嚢を整理しゴミを隠し出発の準備を整えた。合成コーヒー飲料を皆で飲み、出発の体制を整えた。
「アイカ、2班にプランD-2を伝えて。みんな、予定通り須磨防衛線で合流するわよ。予定通り進めば日暮れまでには唯一都市に着けるはず」
「やったーシャワーだ。熱いシャワー」
「フフ、そうね。でも気を抜いちゃだめよ。アップル、先導を。シホは殿。偵察データはアイカが持ってる。だから死ぬ気でアイカを守ってね、みんな」
各々がうなずく。ハードディスクがいつも以上の重く感じてしまう。
アップルが持つライフルは、アイカたちのショートストックのようなものではなく、木製ストックで長大な銃身だった。そんな荷物を抱えながら崩れかかったビルの階段を器用に下りていく。クリアリングと索敵も余念がない。
15階から2階へ降りてきた。そこでアップルが後続へハンドサイン───親指を畳み、指4本を立てた。「敵見ユ」の意味だった。
「ケイコ、ボギー5 11時方向」
「5体か。面倒ね。ドローンもいる。斥候? ちょうどバイクの前にいる」
アップルがライフルのスコープをのぞく。
「ううん。私たちを探している気配はない。もしかしたら圏外かも。もしそうだとしたら数時間はあそこを動かないわね」
「ふむ、よし、倒そう」
ドキリ。その言葉の意味は分かった。つまり銃を使わなければならない。アイカはぎゅっと胸元に銃を引き寄せた。
ケイコは周囲の地形とほかの敵影の姿の有無をざっと見渡した。
「いい、落ち着いてやれば、奇械は恐ろしい敵じゃないから。アイカ、シホ、私で瓦礫の隙間をぬって接近する。私たちが位置に付いたら、アップルはここからドローンを狙撃して。アイカ、シホは1体ずつでだけでいい。倒すのは同時だからね。奇械は危機を察知したら信号弾を打ち上げて仲間を呼ぶから」
やるしかないんだ。
身動きを軽くするために弾薬以外の背嚢をビルの階段脇に置いた。防弾ベストとヘルメットのベルトを今以上にぎゅっと締める。意味ないことだけれど、手を動かさなければ落ち着かなかった。
ケイコの動きを倣って、ビルの陰から背を低くして飛び出した。なるべく足音を立てないようにする。ブーツの靴底が小石を蹴る音さえ恨めしい。防弾ベストを着ていても、奇械の重機関銃の前じゃ気休めにしかならない。
ケイコ、アイカ、シホはの一団を取り囲むように、互いに距離を取って位置に付いた。奇械との距離は100m。落ち着いて狙えば胸の中央のバイタルポイントを確実に破壊できる。
弾倉───確認、安全装置───確認。コックをスライドさせて薬室に弾薬を送る。セレクターはセミオート。反動に備えて肩にストックを密着させる。
心拍数に合わせて銃口が上下してしまう。落ち着け。奇械はまだこちらに気づいていない。教練の射撃の的と同じ。ちょっと違うのは、本物の奇械に本物の重機関銃がついていることだけだ。
他の仲間に目くばせをして合図を待つ。
落ち着け。深く息を吸い込んで脳を冷やす。そしてゆっくりと吐いて集中する。アドレナリンが出ているのを感じた。視界が狭くなる。しかし視界の中央だけはやたら大きく見える。
トリガーに指をかけた。
ターーーーン
乾いた銃声が響いた。その1発だけで偵察用ドローンがはじけ飛んで地面に落着した。
来た。合図だ。
トリガーを引いた。反動と銃声。乾いた音が方々で立て続けに起きる。
超音速で銃弾が飛び、奇械の体表で火花を散らす。
10発ほど撃って弾道を修正する。もう少し右側だ。
さらにトリガーを何度も引く。優しく指の力を抜くように、と教わった教練が脳内でリフレインする。
反動───銃声───硝煙の臭いと砂埃がうっとうしい。
カチン
コックが後退したままロックした。弾切れ。
瓦礫から身を乗り出してて戦果を確認した。奇械は配線があちこち壊れ引きちぎれたらしく、火花とスパークが飛び散っている。右腕の重機関銃とは接続部分が壊れたらしくだらんと垂れ下がったままだ。
「うそ、やった? わたしやったの」
あっけない初めての戦果だった。こうもあっさりと終わるなんて。他の仲間も標的を倒したらしく、奇械が地面に突っ伏している。
あれ、わたしの標的だけ立ったまま?
突如、奇械の頭部がぐるんと動いてアイカを凝視した。赤外線を探知するレンズがちょうど目の位置に2つ ついている。まだ生きている───動いている!
弾帯から予備の弾倉を引き抜いて、空の弾倉と交換する。落ち着け。教練で何度もやったじゃないか。
「あ、あれ、入らない。なんで」
角度が合わない。薬室の奥まで弾倉をはめ込めない。銃が重くグリップを持つ左腕が震えてきた。ポロリ、と弾倉を落としてしまった。
一瞥───奇械がこちらに走ってきている。銃は破壊した。撃てないらしくだらんとぶら下がったままだった。身長2m以上の体躯が疾走してくる。
まずいまずいまずい。
アイカは本能的に踵を返した。銃を手に走る。
心臓の音が聞こえないくらい速く脈が打っている。アドレナリンのせいで音が何も聞こえない。背後の足音が聞こえない。どのくらい近いのだろう。
息をするのも忘れて走った。しかしその先は瓦礫の街の袋小路だった。ビルが倒壊したらしく巨大なコンクリート塊が道をふさいでいる。足場が悪いうえに、塊が大きすぎて登れない。
どうしようどうしようどうしよう。
振り返った先に奇械がいた。半分機械のクローン兵士。銃痕から白い体液が流れ出ている。剥き出た配線が体液でショートし時々動作不良を起こしているが、それでも確実に歩を進めてくる。
もうひとつ弾倉を弾帯から取り出す。最後の1本。数歩先に奇械が迫っている。
突然、奇械の頭部が弾けた。顔の正面部分がほとんど消失し、内部の機械の配線と生体部分の骨や髄液が飛び散った。
奇械はアイカを探すように両手を振り回して襲ってくる。
「避けて!」
声に従い半身で体をそらす。ケイコが奇械の背後から鋭い蹴りを食らわせた。
2mの巨体がふわりと宙に浮きそして落ちた。ケイコはとどめに、奇械のバイタルポイントに至近距離で弾丸を打ち込んだ。
「アイカ! 大丈夫? ケガはない?」
「すみません、すみません、隊長。わたし、うまくできなくて」
「こっちこそごめんなさい。守ってあげられなくて」
アイカはポケットにしまったハードディスクに手を置いた。
「大切、ですもんね」
「バカね。あなたのことよ。決まっているでしょ」
矛盾。データは命より大切だって言っていたのに。
「助けてくれてありがとうございました」
「ええ。もう安心して。だから泣かないで」
頬にケイコの手が触れるのを感じた。そっと目の下をぬぐってくれる。
「わたし、泣くつもりなんてないのに」
「いいのよ。初陣だもの。さ、みんなが待っているから戻りましょ」
ジワリ。にじむ違和感と不快感があった。
「あ、あの」
「何? 足でもくじいたの?」
「ちょっと漏れちゃいました」
「あ、アハハハ。そう。安心したのね。みんな10日もシャワーを浴びていないんだから気にしないわよ」
こんなになるんだったらナプキンを一枚もらっておけばよかった。
ケイコに手を引かれて奇械の倒れた袋小路を後にする。小さい子供のように手を引かれるなんて、そこまでしてくれなくても帰られるのに。でもお互いに指2本で繋がって、うれしくて、でもそれ以上手を握ってしまってはいけないのだと自制した。
シホとアップルは警戒を解かず、互いに背を向けて銃を構えていた。厳しい表情だったが、合った瞬間、笑顔で出迎えてくれた。
「あーよかった。でもごめんね。私の位置からは死角だったの」
アップルのふわふわボイスに包まれた。
「あんたってやつは、まったく。まあ、でも無事だったんだからよかったじゃないの」
シホのつんつんボイスは安心感の裏返しだった。
発砲音を他の奇械に聞かれた可能性もあるので、そそくさと退散することになった。アイカはケイコに教えられた通り、バイクを操作する。
キーを差し込み、回す。そしてキックレバーを蹴り下ろす。何度かやってもエンジンはぐずったようにすぐ止まってしまう。だが、アクセルを少し回してあげておだててやれば、軽快にエンジンが回りだし白煙がたちこめた。
「ケホケホ、隊長。ケイコ隊長。準備ができましたよ」
見るとケイコは瓦礫の隙間に座り込んで、余ったレーションや医薬品、浄水キットなどを隠していた。そしてチョークで〇の印を書き込んだ。
「さ、行くわよ」
ケイコは何食わぬ顔で戻ってくると、アイカにリアシートへ座るよう促した。
「よいしょっと」
ケイコと密着する形で座った。そのせいか、後ろを振り返って〇印の瓦礫を見ていることがバレた。
「あれはね、あの人たちのために残しておくの」
「あの人たち?」
「まずは出発よ。道路が平らなところまでしゃべらない方がいいわよ。舌を噛むから」
2台のバイクは白煙を上げて廃墟の街を疾走した。
思わぬ遭遇戦があったせいで4人ともきょろきょろと物陰を見ながら進んだ。警戒した割には何事もない、シンと静まり返った普段通りの廃墟の街だった。
右手に小高い丘と山が見えてきた。枯れた木々が山肌に沿って生えている。汚染のせいか下草より大きな植物が見えない。
須磨防衛線。山の内部に堅牢なトーチカが建設され、東からやってくる奇械を警戒している。ここを抜ければその先は人類の領域だ。教習で教わったことが本当なら、この防衛線を突破されたのは過去に1度しかない。以後は戦線が、昔の大戦のクレーターが残る大阪から旧神戸までを行ったり来たりしているらしい。
「ここまで来たらほとんど仕事が終わったようなものね」
平坦な道に入ったので、ケイコは左腕をだらりと下げて右腕だけでバイクのハンドルを操作する。それでもバイクは直進していた。
「なんだか、人生で一番長い1週間でした」
「そうでしょうね」
「隊長、さっき瓦礫の隙間で何をしていたんですか」
「ああ、あれ。日本人のスカベンジャーのために、ああして物資を残しておいてあげるのよ」
「日本人って、このあたりが瓦礫になる前に住んでいた人たち、唯一都市の外の人たち、ですね」
いったん言葉を飲み込んで、慎重に選んだ。棄民、という蔑称は伏せておいた。
「ええ、そう。私の知識の大半は暮らしの中で教えてもらった。安全な水源の探し方、放射能や汚染された地域の避け方、不発弾や奇械へ警戒すること、とかね」
「みなさん、なんだか強いんですね」
「正確には強くなきゃ生き残れない、かもね。だから私は彼らを他人事とは思えないの。ここから東の方には、唯一都市に逃げ込めなかった人たちがまだ残っているの。家族単位で行動するから、私も、ほかのグループには会ったことがないのだけれど」
「外の暮らしって大変なんですか」
「んーそうね。その質問はが大変じゃないっていうのと同義ね」
「たぶん。そうだと思います」
「たしかに、そう。で市民権があれば最低限の衣食住は保証されてる。似たり寄ったりの服に合成食品に狭くて古い集合住宅ね。外の暮らしはね、唯一都市の市民が思っているよりも自由なの。山中には食料になる動物や植物が多いし、家も戦前の建物がいくつか残ってるからそれを修理しながら暮らしてる。でも、そうね、大変なことは冬の食糧確保と医薬品、かしら」
そこまで言って、ケイコは言葉を濁した。須磨防衛線を過ぎたあたりで2班のバイクたちとも合流した。バイクが蛇行しながら、各々がうれしそうにしていたので何かしらの戦果があったんだろう。
瓦礫の街の向こうに唯一都市が見えてきた。最終防衛線となる瓦礫の街のあらゆる隙間から野砲の砲身が東の方角を睨んでいる。
「私が9歳の時。いまから8年前ね。厳しい冬があったの。台風のせいで食料が取れなくなって、動物もいなくなった。だから私たち家族は唯一都市に向けて移動したの。ちょうど、今みたいに、遠くに唯一都市の外壁が見えたくらいね、奇械の集団と鉢合わせしたの。大人たちは戦って私は逃げた。で、気づいたら唯一都市の病院のベッドの上だった」
「その、じゃあ、ご家族は」
「亡くなった。そう知らされたわ」
「じゃあ、復讐のために軍隊に?」
「復讐、ね。どうかしら。軍隊にいるのはいろいろ理由はあるけれど、いちばんは生きていくためよ。身寄りのない復帰民にとってスラムでの暮らしは危険すぎる。軍隊なら生活は保証されるし、荒野で培った知識は役に立つと思ったから」
「そう、なんですね。隊長は強くてかっこいいです、と思います」
「かっこいい? 復帰民は普通なら差別されるものと思っていたけど」
「そういう大人がいるのは知っています。でも悪い人かどうかわからないのに差別するのは間違っています。隊長は頼りになるかっこいい人です」
「そ。どうも。そう素直に言われると照れ臭いわね」
今、ケイコはどんな顔をしているのだろうか。背中にしがみついているせいで見えない。のぞき込もうかと思ったが、バイクが揺れるせいで諦めた。冷静に取り澄ましているケイコの照れ臭い顔という世に珍しいものが見れるチャンスを逃してしまった。
梅園寺基地の正門に着いた。帰り道は往路より早く着いた気がする。
今しがた降りた、白煙を吹いていたバイクが懐かしい。まだお尻がジンジンする。
「さて」アイカと、その後ろのシホを前にしてケイコが言った。「お勤め、ごくろうさま。無事帰ってきて何よりね。規則通り、銃と弾薬は返却してネコババしないこと」
「ケイコ隊長、偵察のデータです。どうぞ」
「もうケイコでいいわよ」
自腹で用意したポリカーボネートのケースからハードディスクドライブとフラッシュメモリを出して渡した。
「あ、そうだ、シホちゃん!」
「なによ、急に」
シホが普段にもましてたじろいだ。
「兵站部のおじさんとの約束、覚えてる? 無事帰ってきたらレーションをくれるって。チョコレート味の!」
チョコレート、がどういうものかは知らない。昔あった食べ物らしい。それでもレーションの中では一番味がよく、ゆえに配給ではなかなか回ってこない。
「あんた、ばかじゃないの。あんなの冗談に決まってるでしょ」
「そんなことないってば。ねぇ、いこ!」
「ちょ、そんな走ることはないでしょ」