069 悪役令嬢マリア、大賢者灰色の鷹に会う
指南車が示す方角に進んだ。時折魔物と遭遇することもあったが、元気になったカザルさんがあっさり片付けてしまうので、私の出番はまったくなかった。
草原地帯を抜けて、私たちは森に入った。森のあちこちにトラップが仕掛けられていた。
「このトラップですけど、全部人間用のトラップ。人間以外には無害って、どんだけ人間が嫌いなんでしょうかね」とトラップを外し続けている兵士さんが愚痴をこぼしている。
「大賢者様は人間嫌いで有名ですから」会ってお話するととっても素敵な人だし、人間が大好きな人に感じたのだけど。有名人だから大勢の人が集まって来るのは嫌だと思う。
トラップを丸一日かけて外した。で、振り返るとトラップが元通りになっている。兵士さんが「ウギャ」って奇声を発していた。帰りもまたトラップを外しながら帰るのかと思うと、ウンザリするよね。わかるよ。
トラップ地獄を抜けると小川が流れていて、小魚が泳いでいる。私は昼食の材料を探していた。私って公爵令嬢なんだけど。ここのところ食材探しばかりしているので、サバイバーになった気分だ。
ここサワガニが多い。サワガニの寄生虫は十分に加熱処理をすれば食べられる。加熱が不十分だと、寄生虫が人間の腸に穴を開けて即入院ってことになる。この異世界のサワガニに奇声虫がいるかどうかわからないけれど、用心しておく方が良い。
「まあ、リンゴだわ。美味しい」とユリアさんがなんの躊躇いもなく、樹になっていたリンゴを食べた。トラップ地獄を抜けたら、ご褒美にリンゴって、ちょっと考えにくい。トラップ地獄を抜けてホッとしたところでリンゴ。食べるよね。それがトラップだったりする。
ユリアさんが眠れる森の美女になってしまった。カザルさんがキスをしたら目覚めないよね。王子様でないと効果がないのが物語の常道だから。
カザルさんがユリアさんを背負って進むことになった。お願いごとが増えたよ。ユリアさんの目覚めとカザルさんの暗示を解くこと。大賢者様に支払う対価はいくらだろうと、現実的なことを考える私だった。オリハルコンの剣で勘弁してもらえると嬉しいのだけど無理かなぁ。
小屋が見えた。どう見ても掘立て小屋だ。
「俺の田舎の家の方がまだ家らしい」と兵士さんが言ってしまうほど小さな小屋で、大賢者が住んでいるようには見えなかった。下僕の人の小屋だろうか? 物置き小屋ではなさそうだし……。
「どなたかいませんか? 私はマリア・フォン・クレールと申します。お願いがあって大賢者灰色の鷹様に会いに来ました」
「予想していたよりも早くここに来たね。待っていました」と後ろから声が聞こえた。灰色の鷹さんと満面の笑顔のネルーさんと、何か言いたげなガンダルフさんが立っていた。
兵士さんと衛生兵さんは硬直していた。カザルさんは警戒体制に入ったもののユリアさんを背負っているので、剣が握れない。
「後ろから、声をかけられるとびっくりします」
「びっくりさせたかったのよ。あなたたちが森に入ったことはしていたから」とネルーさんがいたずらっ子のようにはしゃいで話していた。幸せそうで何よりだ。
「マリア、いやミキはあちらに帰ることにしたのかね」
「えっ、はっ、私、日本に帰れるのですか?」
「私にネルーにガンダルフがいるし、可能だよ。ミキ」
「でも、私が日本に帰ったら、マリアが死んでしまいます」
「それはないね」
「へっ!」
「マリア様、ユリア様を目覚めさせて下さるように、大賢者様にお願いしてください」とカザルさんが私にささやいた。
「私の話は後で良いです。ユリアさんがリンゴを食べたら昏睡してしまいました」
「見てたよ。私たちもリンゴの中の眠気の成分を抜いて食べようと思っていたところだ」
「ユリアさんが、起きないのですが……」
「勇者に背負われた女性なら、本人が起きるつもりになれば起きる。ベッドに寝かせれば起きるさ。心配ない。幸せそうな寝顔をしているから、今は邪魔をしない方が良いよ」
「はい、了解です。で、本題なのですが、アウグストさんの部下にカザルさんが暗示をかけられました。それを解いてほしいのです。笛の音を聴くと味方に剣を振るうよう暗示をかけられたみたいです」
「そうか、では今から音を聞かせる。聞こえたら手を上げるように。全員が参加するように」と灰色の鷹さんが笑顔で言う。
音が聞こえたので、私、カザルさん、寝ているはずのユリアさんも手を上げた。兵士さんと衛生兵さんは聞こえなかったようで手を上げなかった。
「この音は三十代から上の人には聞こえない」
「俺たち、まだ二十代ですよ!」
「個人差はあるので、気にしないで良い」兵士さんたちはかなりショックみたいだ。
「次の音」
うーん聞こえたような気がする。私、カザルさん、ユリアさんが手をやはり上げていた。
「次は十代なら聞こえる音だ、正直に手を上げてほしい」
聞こえない。マリアは十七歳なんだから聞こえても良いのに。私は手を上げなかった。カザルさんとその背中で幸せそうに背負われているユリアさんは手を上げた。
「では次の音」カザルさんはサッと手を上げたが、ユリアさんは躊躇いがちに手を上げた。
「では次の音」やはりカザルさんはサッと手を上げる。ユリアさんは手を上げなかった。
「そこの二人、恋人同士を引き離す役目を願いする。次の音からがアウグストの部下が勇者にかけた笛の音の音域に近くなる」
カザルさんはユリアさんを背中から下ろして、兵士さんたちにユリアさんを預けようとしたら、ユリアさんが目を開けた。
「ミキ、勇者が暴れ出したら押さえるようにな」
「承知しました」
「勇者よ、お前が真の勇者であれば、悪魔のささやきに抗えるはず! 己と戦え」
「次の音」と大賢者が言った途端にカザルさんが苦しみに出した。ユリアさんが側に行こうとしたのを兵士さんたちが押さえた。
カザルさんは長剣を何度も抜こうとしたが、抜くことなく、その場に倒れた。




