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8 宴

 ついにアポロンが養蓮を訪れる日がきた。李慧も僕も大忙しで、日が昇る前からアポロンに捧げる桃饅頭や宴会で出す月餅の下ごしらえに追われていた。

 僕はお菓子なんかほとんど作ったこともないので、小豆やナツメ、ヤシの実などのあんこ作りに徹していた。ずっと火のそばにいなければならないため、汗が止まらない。李慧はあんこを皮で包み成形をし、仕上げの色づけを手際よくこなしていた。しかしいつもより顔色が良くない。

「李慧、大丈夫かい?調子悪そうだけど。」

「ああ。何だか体がだるいんだ。最近ときどきあるんだよ。それに、普段はあんまり食べなくてもいいんだけど、お腹も空くんだ。瑞鬼はとても喜んでくれているけどね。」

確かに最近は以前とは比べものにならないほど食べているので、心底驚いていたところだった。前は小鳥のように少しつまむ程度だったが、今では僕と同じくらいには食べている。しかも、書斎でしょっちゅうお菓子までつまんでいる。

「ちょっと色々と根を詰めすぎたかな。もうほとんど出来上がったし、後はせいろにある饅頭が蒸し上がれば完成だ。後は瑞鬼に華月亭(かげつてい)にすべて持っていくように伝えてくれないか。薬膳酒も忘れずにね。」

李慧は少し休むと言って、自分の部屋に戻ってしまったので、指示通り瑞鬼に大量のお菓子を渡し、自分もお酒を荷車に積み込んだ。

「おい瑞鬼、最近の李慧、どう思う?」

「どうこもうもねえけどよ、あんなにすぐ疲れる先生は初めて見るぜ。お前のせいで無理難題な調べものが増えてるからな。それで先生も色々と悩んでるんじゃないのか?先生が答えを知らないことも大分珍しいことだからな。お前、先生が困ってるんだからなんか手伝えよ。無能なりにさ。」

「色々と迷惑をかけていることはわかってるさ。僕なりにも現世に戻る方法を探してみてはいるんだ。だけど、やっぱりその場所の名がわからないんじゃ難しいらしい。」

「てことは、お前が記憶さえ取り戻ばいいってことじゃないか。それくらいどうにかなりそうなもんだけどなあ。俺が頭でも殴ってやろうか?刺激になるぞ。」

「僕を殺す気かい?瑞鬼の馬鹿力じゃ頭蓋骨が割れるから遠慮しとくよ。」

道中無駄話をしながら大荷物を運んでいたが、気がつくと華月亭についていた。どうも話に夢中になりすぎたらしい。

「あーら、瑞鬼じゃない!まあ、こんなにたくさん!今日の宴会は楽しみだわ。この街のほとんどの生き物たちが参加するんだから。」

背中や腕に花の刺青の入った艶やかな女将が待ってましたとばかりに勢いよく出迎えてくれた。華月亭は街一番の格式高い料亭だ。建物は中国式で、夜になると赤い提灯がともり、5階建ての高い楼閣は遠くからでもよく見えた。一階は大広間になっており、最上階まで吹き抜けになっている。2階から上は個室が100室ほどあり、上層階に行くほど豪華な部屋になっており、客の中には店の遊女と個室で遊ぶ輩もいた。

「瑞鬼、今夜は私と遊んでくれないのかしら?」

女将が瑞鬼の大きな胸を人差し指でなぞりながら、上目遣いでわざとらしく彼を誘っている。

「今夜は俺も忙しいんだ。また近いうちに遊びにいくさ。」

瑞鬼は僕の目の前にも関わらず、女将をなだめるように唇を重ねた。全く、キザな野郎だ。李慧もこいつには甘いから、女遊びで散財していても素知らぬふりばかりだ。

「そんなことより、きちんとお菓子と薬膳酒は納めたから、後で手間賃くらいは払ってくださいよ。」

2人の様子に辟易(へきえき)しあきれながら、金銭のことは忘れられてはなるまいと念押しをした。

「そんなこと言われなくても分かってるわよ。全く、幸士郎ちゃんは本当につれないわねぇ。そんなんじゃ女の子にいつまでたってももてないわよ。」

女将は水を差されたわ、と言い残して下男にあれこれ指示を出すとそそくさと忙しそうに立ち去った。

「さて、俺たちも今日はめかしこむぞ。アポロン様は音楽や芸事がお好きだからな。派手にいかないと。」

瑞鬼に無理やり手を引かれ家に帰ると、既に李慧が一張羅(いっちょうら)を着て宴の準備をしている途中だった。漆黒の絹の漢服には金箔の甲羅の紋様があしらわれ、美しい真っ直ぐな長髪の上には小さな金の冠を被っていた。耳には雫の形をした水色のトルコ石が揺れている。

「さて、先生は今回主催者みたいなもんだから化粧まではしないが、俺たちはドーランで飾るんだ。」

李慧とは正反対の、派手な歌舞伎役者のような隈取り施すと、、緋色の獅子のかつらをかぶって、

「幸士郎、お前は何がいい?」

と瑞鬼が聞いてくるので、正直悩んでしまった。

「普通にこの着物に合う化粧でいいよ。」

僕は菊の透かしの入った純白の着物を選んだ。化粧は目尻に赤を入れてもらうくらいにしたが、それでも役者のような出で立ちになってしまった。できれば目立ちたくはなかったが仕方がない。


 養蓮は朧月夜に華月亭の楼閣が浮かび上がり、夢見心地になりそうなほど美しい景色が広がっていた。李慧も落ち着きがないし、いつもよりぼーっとしている。瑞鬼は上機嫌でやたら僕や李慧に話しかけてくる。そんな2人を見ていると、こっちまで今日の宴が楽しみになってくる。宴に参加する本当の目的は彼岸へ行くための情報収集だったが、それさえも忘れるほどに内心浮かれていた。

華月亭に着くと、既に大勢の客でひしめき合い、酒の空瓶がそこかしこの床に散らばって酷いことになっていた。

「李慧様方、お待ちしておりました。さあ、奥へどうぞ。」

僕たちは3階の少し前にせりだした席に案内された。ここからは1階の大広間や正面の庭園がよく見える。

「アポロン様がもうすぐお見えになりますから、座ってお待ち下さい。」

「待って、僕たちの席にアポロン様がいらっしゃるのかい?」

僕は驚いてぽかんと口が開いてしまった。

「あれ?言ってなかったかな?僕らが直接もてなすんだよ。大丈夫、舞や演奏もあるし、幸士郎は好きに席を離れて構わないから。」

李慧は僕のことは眼中にないらしい。それも仕方がない。位の高い神に会うのは李慧でも久しいことのようだし、折り入って話したいことがたくさんあるのだろう。

 そうしているうちに、辺りが急にざわついた。訳がわからず、李慧に声をかけようとしたが、李慧は何かを見上げていた。その目線の先には、彫刻のような美しい筋肉のつき方をした、40歳前後の男が微笑んでいた。

「やあ、久しぶりだね。今日はこんなに盛大な宴を開いていただいて本当に嬉しいよ、李慧。」

李慧と瑞鬼は深々と床に触れるくらい丁重に頭を下げた。それに続いて、広間の客も皆一斉に頭を垂れたので僕は慌てて皆に続いた。

「アポロン様。この辺境の地、養蓮まで遠路わざわざ足をお運びいただき、皆々さぞや嬉しく思っていることと存じます。さあ、お座りになって、今日は旅の疲れを癒してください。」

アポロンは李慧の隣にすっと座ると、目の前にあった白酒を杯に注ぎ、

「それでは今日というこの素晴らしくめでたき日に、そして養蓮の発展を祈って、乾杯!」

と眼下の群衆に向けて、とどろくような低い大きな声で言い放った。その瞬間、新緑の(つた)が酒から溢れ、そこかしこの柱や壁に湧くように絡みつき、小さな(つぼみ)ができたかと思うと、うっすらとピンクがかった可愛らしい花が一斉に咲き始めた。動物達は歓声をあげ、大喜びでむさぼるように飲み食いした。まるで断食明けの食事のようで、ちょっと微笑ましいくらいだった。李慧とアポロンは親しげに医術について話している。瑞鬼はひたすら白酒を飲み続け、店の美人な子が来る度に声をかけ、しばらくするとどこかへ消え失せた。僕は話し相手もいないので、喧騒から離れ、華月亭の素晴らしい庭園へ、独り外へ出た。

 庭園は回遊式になっており、中心には澄みきった大きな池が月を映しだしている。あまりにも幻想的なので、誰もいない池の縁にそっと腰かけ、ひたすらぼんやりと李慧とアポロンを遠くから眺めたり、夜風に吹かれて美しい庭園の草花を観賞した。アポロンが西から持ってきた葡萄酒をちびちび飲み、李慧の手作りの月餅もかじり、少し酔いが回ってくると本当にいい気分になってきた。

 気づけば養蓮での日々が日常になっていた。李慧と瑞鬼は、もう僕にとっては空気のような存在であった。ただ一緒に生活するだけで、現世での悲しい思い出を一時だけでも忘れ去ることができる。しかし、この場所にいつまでも永遠にいることはできない。それはなんとなく僕の第六感が叫び続けていたし、狼から指摘されてもいる。

「あなた、なんだかとても悲しい目をしているわ。今日は祝いの日なんですから、つらいことは忘れて大いに楽しみましょう。」

アポロンの取り巻きである、ムーサの九姉妹の1人、ウラニアがいつのまにか横に佇んでいた。

「僕、ただ悲しいわけではないんです。この街と李慧たちが好きだからこそ、とても幸せだと思ってるんです。でも居心地がよければ良いほど、悲しくなるんです。また別れが来るかもしれないと思うと、とても怖いんです。」

「出会いがあれば、別れは必然なのよ。それは避けることはできないわ。」

「そうでしょうか。彼岸の世界では違うのでは?」

彼女はしばらく考えていたが、

「彼岸の世界は、確かに別れはないかもしれないわ。だから、悲しみも苦しみもない。でも、それは喜びも楽しみもないものと同じ。あなた、そんな静かで平穏なところに、急いで行く必要があると思っているのかしら?」

と怪訝そうに僕を見た。

「実は会いたい人がいるのです。それまではその人がいることが当然のことで、気にもとめていなかったですし、そこまで仲も良くなかったんです。でも、突然目の前から消えてしまった。いなくなって初めてその人の存在がどんなに大きかったか思い知ったんです。せめてもう一度だけ、一言だけでも言葉を交わしたい。そう思っているのです。」

僕自身が現世に未練など全くないことは、念のため言及することを避けておいた。

「あの世にたどり着けたとしても、その人に会えるかどうかはわからないわ。それに生前の時とは、本質的にその人は変わってしまっているかもしれない。死者に語りかけても、失望するかもしれないわ。」

僕の手を取り温かな両手で包み込むと、目を閉じて何語でもないわけのわからない言葉を呟いた。そして再び開けた目は虚空を見つめ、その瞳孔は深淵を覗いたかのごとく深い闇に囚われていたので、思わず背筋が凍りついた。

「過去を振り返ることよりも、前を向いて進みなさい。今、あなたの時間は止まったままになっている。でも、心配することはないわ。近いうちに、あなたは大切なものを見つけることになる。あなたは失ったものを取り戻すと同時に、ある意味では永遠にその大切なものを失うことになるけれど、それは悪いことではないわ。時はもうすぐ動き出すのよ。」

低い声で予言めいた言葉を発すると、ウラニアはすぐに先ほどまでの様子に戻り、母のように優しく、後ろからその豊かな胸の中に抱きしめてくれた。僕は両親のことや李慧、瑞鬼のことを考えた。いつか来るべき別れの未来を思い、夜空に昇る望月が涙でぼやけていった。池の蓮の花がいやに美しく、ヒキガエルが夢見心地になって鳴いているその傍らを、ホタルが池の水面をほのかに照らし彷徨(さまよ)っている。夏のむわっとするような濃い緑の濃密な空気に気圧されて、我慢できずにウラニアの手を握り、その温かい唇に口づけをした。

「あなた、そういうことで足りないものを埋めるのはよした方がいいわよ。さあ、こんなところに独りでいるのは良くないわ。宴に戻りましょう。」

 大広間の中心には舞台が設置され、ムーサたちが演奏を始める準備をし始めている。僕は李慧の元に戻り、アポロンとの世間話に何事もなかったかのように加わった。


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