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4 幸士郎の仕事

「幸士郎、紹介してなかったけど、僕の下でずっと働いてくれている小姓の瑞鬼だ。これからは瑞鬼に色々仕事を教わってほしいんだ。」

翌日の早朝、李慧よりも若干年下くらいの青年を僕に紹介してくれたのだが、髪と瞳は鳶色に燃え、身長は180センチ近くあろうかと思われるほどの大男だった。真っ赤な上着に白梅の紋様、黒に金粉を散らした袴をはき、なんとも派手な武士の格好をしていた。彼はじっと僕を頭から爪先まで刺すような目つきでじろりと品定めをすると、

「先生、どうしてこんなやつ、わざわざ拾ってきたんですか。見るからに弱そうで役に立ちそうもない。しかも普通の人間じゃないですか。全く養蓮で生きていけるんですかねぇ。」

「瑞鬼、もう彼は僕と契約を交わしているし、僕には僕の考えがあってのことだ。よろしく頼むよ。」

さあ、これは不味いことになった。てっきり李慧に直接色々教えてもらえると思い込んでいたが、流石に彼もそこまで暇ではないようで、この明らかに暴力的なやつと一緒に働くと思うと暗雲が立ち込め思わず身震いをしないわけにはいかなかった上に、常に帯刀しているという有り様だ。李慧は気まずかったのか、そそくさと立ち去ろうとする素振りを見せたが、ふと僕に耳打ちした。

「瑞鬼は半分鬼だから、仕事以外のことはあまり深追いしないように。危険だからね。」

そんな人をびびらせるような余計なアドバイスはむしろいらないと心底思ったが、もう覚悟をするしかなかった。

「おいお前、早く行くぞ。」

年上に対してなんて口のきき方だとイライラしながら、僕は瑞鬼に早足で仕方なくついていった。


 李慧は先にも触れたとおり、この街で医者を営んでいる。瑞鬼の仕事は壁一面の薬棚の補充から始まり、家の掃除、患者が滞在していれば、朝に容態をみることもしばしばだった。また、別棟は薬膳酒の貯蔵庫になっているため、その管理の一部、そして市場への買い出しも瑞鬼の仕事だった。李慧は基本的には患者の問診や、書斎に引きこもって調べものをずっとしていたり、はたまた裏山にふらっとでかけることもあるようだ。

「はい、じゃあまずこの棚の補充からだ。この大瓶から棚に補充な。瓶にも棚にも名前書いてあるから間違えるなよ。オウゴン、カッコン、カンゾウ、ケイヒ、サイコ…」

次は家の掃除だったが、養蓮には電気も掃除機もないので全て人力でやるしかない。幸士郎は、そこそこ広いこの家の床を毎日雑巾がけするとなると結構重労働だぞ、とがっくりしてしまった。

「お前は俺と違って人間だからな。まあ時間も体力も俺よりも使うだろうが、明日からはお前一人でやれよ。先生に助けて貰ったんだから、それくらいきちんと働け。」

その次は薬膳酒の貯蔵庫での作業だった。広口のガラス瓶に、りんごやクランベリー、ライチを漬けたような馴染みのある薬酒もある。何段にも瓶が並び、彩り豊かで化学実験室のようだった。

「薬酒が出来上がるまでには、早いもので一週間、長いもので2ヶ月くらいはかかる。その間、瓶をときどき振って酒を全体に均等に行きわたらせるんだ。瓶に取り付けてある札の日付を見て、取り出しの予定日が来たものは先生のところに持ってけ。上手く出来ていれば先生がろ過をして完成だ。売り物だからきちんと状態をよく見て管理しろよ。」

 最後は市場での買い出しだったが、何よりもこの仕事が一番の驚きだった。養蓮の中心街である市場は、様々な国の行商が集まって、全く統一感がなく雑多としていた。常設店もあるが、西洋と東洋のものが入り交じり、さながらシルクロードの交差点のようだった。綿、麻、絹などの生地からラピスラズリやエメラルド、真珠、翡翠などの宝石、ローズマリーやタイム、セージなどのハーブがところ狭しと並んでいる。数は少ないが、各地の工芸品を扱う露店もあった。そして最も奇異だったのは、店主に人間がほとんどいないことであった。織物商の虎、宝石商のカラスや鷲、肉屋の狼、八百屋の兎、雑貨屋の猫…。皆普通の姿よりも一回り大きく、言葉を解した。いや、幸士郎が動物たちの言葉がわかるようになったのかもしれない。

 ずっと李慧の上等な漢服を借りる訳にもいかず、その上やはり綿や麻のシャツととズボンの洋装が良かったので、ネズミの仕立屋に採寸をしてもらうことにして、支払いはお金の代わりに薬膳酒で支払った。

「そのタンポポ酒をいただくよ。ヒッヒッ、今日はご馳走、ご馳走。」

上下7着をこの酒一本で買えてしまうのだな、と少々驚いたが、とりあえず後日仕上がった洋服を受け取りにいく約束をして、次の肉屋に向かった。肉屋は狼が切り盛りしており、できることなら瑞鬼に任せて自分は退散したいくらいだったが、それはもちろん許されなかった。

「なんだい、そのひょろっこい人間は。先生の所に新入りとは、これは珍しい。」

狼は威圧的な瞳を細め、怪しい薄ら笑いを浮かべながら幸士郎の肩を掴んでまじまじと見つめてきた。

「ほうほう、お前さんは何かいけない匂いがするねえ。あの真っ白で清廉な先生のお世話になるなんて、なんて罪深い人間なんだろう。私がお前を食べてやろうか?その方が先生もお前も救われると思うがねえ。」

心の内を見透かされたのか?心臓が跳ね、冷や汗がどっと流れるのを止められなかった。その瞬間、瑞鬼が目にも止まらぬ速さで狼の首に腕を回し、刀を添えた。

「勝手にそいつに触るんじゃねえよ。俺だって好きでこいつと一緒にいる訳じゃないんだ。ただ、先生のご意向で、しばらく養蓮にいさせてやってほしいんだ。あんたがどうしてそこまでこいつが気にくわないのかわからねえが、頼むよ、狼の旦那。」

狼はしばらく考え事をしていたが、おとなしく彼の脅しで引き下がった。

「瑞鬼、お前がそう言うなら仕方がない。これは貸しだ。本当なら、先生の美しい黒髪でも取引きにいただきたいくらいだが。」

狼は幸士郎にしか聞こえないように、瑞鬼の隙をついて耳打ちした。

「人間、わかっていると思うが、養蓮にいたいのなら、お前が現世で犯したことは、誰にも言ってはいけないからね。用心しなよ。」

真剣にその忠告を心に刻みつけ、幸士郎は小さく頷いた。瑞鬼は鶏のモモ肉やササミ、鴨、猪などを塊で何事も無かったかのように買って世間話をした後、好きな薬酒を選んでけと景気よく言った。

「さんざし酒とクランベリー酒、月桂樹酒でもいただくよ。いや、先生にお礼を伝えておいてくれ。それにしても、相変わらず出来の良い酒だねえ。あんたたち以外のところの薬酒とは天地の差だ。」


 帰り道、瑞鬼はかなりイライラした様子だった。幸士郎に購入品を全て押しつけ、

「ああ、お前のせいで時間をくっちまったじゃねえか。俺は先に帰るからな。」

と、地面を蹴ると目にも止まらぬ速さで消えた。

 明日から一人で市場をまわることになるが、狼のように、中には僕のこの宙ぶらりんな状況を、李慧よりも正確に把握しているやつがいるかもしれない。瑞鬼がいなければ、こちらとしても情報収集するのに好都合だ。


 家に戻った後、李慧に色々と聞きたいことがあったので姿を探したが、どの部屋にも見当たらない。瑞鬼に尋ねると、書斎にいるというので覗きに行ってみた。書斎は薬膳酒の倉庫のように別棟になっており、お寺の六角堂に似た佇まいだった。重い木の扉を開けると、3階建ての天井の高い建物で、図書館と言ってもいいほど一面に書物が保管されている。内部は各階に回廊があり、柱や手すりは赤や黄、白や青の極彩色で塗られている。本はゲルマン地域からイスラーム、アジアのものまで、古今東西の素晴らしい哲学や自然科学、歴史書が収蔵されていた。そんな時を超えた異次元の空間で、李慧は窓際の机で本を枕に寝入ってしまっていた。

「おい李慧、起きろよ。どうしたんだよ。まだ昼間なのに。」

名前を何回か呼んで揺り起こしたが、彼は眉間にしわを寄せ、苦しそうにじんわりと顔に汗をかいていた。

「ああ、幸士郎か。いや、調べものをしているうちにうっかり眠ってしまったよ。どうだった、養蓮の街は?」

徹夜明けだったようで、半分眠ったままの目で僕を見た。

「ああ、活気に溢れていて素晴らしい街だったよ。瑞鬼がいなかったらちょっと危なかったけどね。」

「中にはかなり力を持った者たちもいるんだ。ただ、本気で幸士郎に危害を加えるつもりはないんだよ。むしろ瑞鬼が一番怒りっぽくてね。苦労するよ。幸士郎、僕、少し外でゆっくり休みたいから、庭で茶でも飲みながら話をしよう。」

書斎から出て李慧について行くと、梅や桃、桜の大木が植わっている庭園に出た。この庭の木は不思議なもので、花が散っては実をつけ、またしばらくするとまた(つぼみ)をすぐにつけだし、また満開の花が咲くのだった。まさに常世の春であった。池には睡蓮の花が咲き始めており、亀や(こい)が気持ち良さそうに泳いでいるのがときどき垣間見えた。李慧は桃の木のそばの四角い(てい)に腰を下ろした。彼は茶器一式を取り出し、烏龍茶を上品な手つきで入れはじめた。陳皮(ちんぴ)(瑞鬼はミカンの皮を干したやつだと言っていた)を加えてあるのか、甘酸っぱい良い香りがする。

「現世に戻る方法を調べてみたけれど、やはり幸士郎が場所の名前を思い出すことが一番の近道だということがはっきりした。他には、僕の知る限り方法はない。」

「そう――。努力してみるよ。それで、李慧は現世や天界、地獄には自由に入れるのかい?」

「幸士郎がいた世界に関しては、聖域というか、清い場所にしか行けないな。菩薩様達やアルテミス様のような神もめったに現世には降りない。僕は天界と地獄には、用事があるときはもちろん訪ねることはあるけど、無断で入ることは出来ない。僕はこの世界に来て30年もいかないくらいなんだよ。移動できる場所も限られている。そういえば瑞鬼は地獄には普通に出入りしてるみたいだし、天界は僕と一緒に何回か訪ねているよ。でも、僕の力では現世にしろ彼岸の世界にしろ、幸士郎を連れて行くことはできない。できたしても、それはルール違反だ。天帝の怒りを買ってしまう。」

「そうか、自分で何とかするしかないんだね。それにしても、瑞鬼はある程度自由に行き来が出きるのか。意外だな。」

「地獄と現世にはときどき行っているみたいだ。彼は600年くらい前からずっとこちらの世界にいるからね。それに瑞鬼は妖怪に近しい存在なんだ。そういった類いの輩の方が、現世に行くことは易しいんだよ。」

「何だって!あいつそんなに年寄りだったのか。どうしてあんなに若い見た目をしてるんだ?」

「瑞鬼は元々は人間でね、あの出で立ちは、人間だった時の最後の姿なんだよ。」

瑞鬼はただのむかつく青年ではないのだ。彼岸へ行くためには彼を調べることから始めるべきだ。僕は物思いにふけりながら、李慧と美しい桃の木を観賞し、美味しいお茶を飲み、楽園のような午後の一時を過ごした。


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