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 ある日の昼下がり。サイズ・ウラノスは相も変らぬムスッとした顔でローブに袖を通した。

「いつまでたってもその顔は変わんないんだね。今日は議会?」

 護衛と称してサイズの蔵書をあさりに来ているアンジュにイラっとしながら、サイズは質問に答えた。

「いや、国防省だ。協定内容を履行しなきゃいけないからな。軍縮が難航してる。他国の援軍をすべて返しても足りない。海軍はめどがついたんだが、陸軍元帥の反対が強くてな。お前の上司、どうにかならないのか?」

「まあ、市民出身で女性で、しかも若くして元帥まで登り詰めた人だからね。あの人は兵卒の英雄で、英雄ってのはしがらみも大きいものだから」

 アンジュは手元の騎士道物語を立ち読みしながら答えた。サイズは帽子を被り、杖を手にすると書斎の扉を開く。アンジュは本を戻して、サイズの背に付いた。

「それにしてもサイズ。宰相と敵対しても副大臣のポストは変わらずなんだね」

「そりゃそうだ。軍の特殊部隊を動かした暗殺作戦は失敗。プロメテウスは未だ俺のみが持ってて、ラグナロクだってこっち側。国を壊滅させる力をむやみに外に放り出すほど、宰相はバカじゃない」

 要するに、最初からポルティスもデルシアもタマを握り合ってなどいない。サイズたちが一方的に両方の命運を握っていたのである。

 無論、そこら辺の算段はもとよりサイズの中にあった。家に火をつけられないことも含めて、サイズにとってはすべて織り込み済みであり、だからこそこれほど強気で出られたのである。

「ま、これでようやく平和な世の中になるのかな。デルシアとの戦争はないし、他の国だってプロメテウスがある王国には攻撃しないでしょ」

「まさか、そんなわけない。魔族に反抗的な人間はまだ多い。逆だってしかり。何よりあの宰相の野望がそう簡単に消えるわけがない」

 休戦がなったところで、王国の窮地は変わらない。軍縮を敢行しても歳入はすぐに回復するはずもない。経済を正常に戻し、さらなる発展をするために、宰相が強大な軍事力を背景にした強攻路線を崩すことはないだろう。

「さらに言えば、俺の行動で人間対魔族という意識構図に変化が生じている国だってあるだろう。抑止力だって健在。これからはもっと特殊な外交が活発になる。種族の垣根を超えた軍事同盟も起こりうる。そしてその先は、ポルティスとデルシアという二大国で果てしない外交戦と代理戦争が始まる。両国間では一切の戦闘が起こらない。戦火なき冷たい戦争。いうなれば、冷戦だ」

「その戦争、楽しくなさそう」

 アンジュはどこかがっかりしたように言った。サイズは少しだけ顔を振り向けて、ちらりとアンジュの顔を見ると、またムスッとした真顔で正面を見据えた。

 玄関に到着すると、ピアとソルが出迎えた。

「あ、あの、サイズさ……さ、サイズ……?」

「む。な、なんだ。ぴ、ピア……さん。……いや、ピア……」

 言ったきり、二人は下を向いて黙り込んでしまった。あの日からしばらくたつが、二人は未だにお互いに名前で呼び合うのに慣れていない。彼女の顔を見るたび、先日のケーキみたいな甘いセリフが鮮明に思い出される。

 いつもならこのまま、何だか微妙な雰囲気で外出の挨拶を交わすのである。サイズにとっては、そしてきっとピアにとっても、このなんとも言えない気持ちが案外気に入っていた。しかし、毎日その様子を目撃させられるアンジュはそろそろもどかしさが限界に達したようである。

「ところでお二人。王国の慣習では、夫婦となった男女は玄関で行ってらっしゃいのチューをするそうですよ」

「なっ!?」

 サイズとピアは同時に顔を上げ、お互いの顔を見てまたそらした。そんな光景にソルは「ふふ」っと笑うと、とてもジョークを言う感じではない真顔でジョークを言った。

「それではお邪魔ムシは退散しましょうか」

「あとは若いお二人で」

「お、おい、待て護衛! ていうかお前も同い年だろ!」

 とっさに引き留めるが、ソルとアンジュは本当に奥へ引き上げてしまった。

「なんだあいつら!」

 サイズがやるせない気持ちで叫ぶと、ピアも「あはは……」と苦笑いをする。すぐに沈黙に耐えきれなくなった二人はまたお互いに顔を合わせて、背けた。

 この状況を打破するにはどうすればいいか。早く出発すればいいわけだが、立場上アンジュを置いていくわけにはいかない。宰相の動きよりも革命派への備えとして護衛は必要である。

 おそらくアンジュはどこかで見ているだろう。たぶん階段の裏とかから覗いている。つまり行ってらっしゃいのチューをするまで、このバカみたいな展開は終わらないということである。

 サイズはピアの口元をちらりと見る。その幼い少女の唇は、淡い薄桃色があどけない。この純粋な純真な唇をこれから……。

 一瞬見とれてしまったサイズは、とっさに目を伏せる。危うく理性が吹っ飛びかけるところだった。

 サイズは固く目を閉じながらまた考える。はっきり言って、恥ずかしい。普段大人ぶっているサイズにとっては非常に認めがたいことだが、こればかりは認めざるを得ない。

 しかし、だからと言ってこのままヘタレを決め込むわけにはいかない。なぜなら目の前の少女は、愛する妻はきっと期待をしているからだ。自分の精神の平穏のためだけに行動するような、そんな程度の愛ではないと、サイズは同時に自負をしている。

 そう、ここで逃げれば男が廃るのである。

 サイズは意を決すると、しゃがみこむ。ピアの手を取ると、そのまま彼女の小さな手に口づけをした。

「へ? さ、サイズ……?」

 ピアは突然のことに困惑したような声を出す。しかしピアは、次いでサイズに目をまっすぐに見つめられ、言葉を失った。サイズはピアの手を取ったまま、顔を赤く染めて口を開く。

「あの日私の言った言葉は、何一つ偽りありません。私は、たとえあなたが何者であっても、あなたを愛している。私はピア。あなたの心を愛しています」

 言ってしまってから、サイズを激しい後悔が襲う。こんなことを言うつもりはなかった。当初はただサイズの精いっぱいの行動として手にキスをして、それから「行ってきます」とだけ言って、スタイリッシュに立ち去るはずだったのだ。

 それが彼女にキスをして彼女の目をみた瞬間、頭が真っ白になってあふれ出す思いを口走ってしまった。理性の喪失とは実に恐ろしきものである。

 しかしどれだけ後悔しても、言ってしまったものは戻ってこない。これからどうスタイリッシュに立て直そうかと泣きそうになっていると、妻は不意にしゃがみこんで、サイズの頬に口づけした。

「あの日、私は何も言えなかったですけど、今度こそ私もちゃんと言います。サイズ。私もあなたのことを、愛しています」

 サイズは唖然としながらピアの顔を見た。ピアの赤く染まった顔は、果てしない愛に満たされているようだった。

「やだもうおとぎ話みたい」

「ピア様、すっかり立派な女性になられまして……」

「なはっ!?」

 突然聞こえてきた外野の声に、二人は同時に驚いた。サイズはすっかり忘れていたが、どっかで見ていたアンジュとソルである。

 アンジュは小悪魔のようにいたずらっぽく笑うと、サイズを煽るように言う。

「ちょっとチューするだけでよかったのにもっと恥ずかしいことしちゃってえ。もうラブラブじゃないですかあ、閣下あ」

「やめろその言い方!」

 言い返すサイズの隣で、ピアは頭をクラクラさせながら立ちすくんでいる。その横でソルは涙ぐんで、目元をぬぐっている。

「ええい、めんどくさい! さっさと行くぞ!」

「はいはい」

 サイズがさっさと歩きだして、アンジュがまだいじり足りないという風な返事をしながら背に続く。何とか我に返ったピアはサイズの後ろに走り出てきた。

「行ってらっしゃい、サイズ」

 サイズははたと立ち止まると、魔族の少女にやさし気な笑顔を振り向かせた。

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