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見えない壁

 ポルティス王国の王宮は、ミストゲートのほぼ中心に鎮座する。その王宮のそのまた中心にある荘厳な会議室。巨大なシャンデリアが揺れるこの部屋に、ローブ姿の男たちが集結していた。

「魔族は我ら人類の仇敵だ! その魔族との講和などとても認められない! これでは戦争で命を落とした先人たちが報われないではないか!」

 声高らかに叫ぶ老人に、議会左翼席の数人も「そうだ!」と呼応する。その光景を、右翼席に座るサイズは機嫌悪そうに見つめていた。

 ピアたちが王国にやってきて三日。もとより主戦派の反対は大きかったが、この三日で一層激しくなった。

 主戦派の発言に、宰相が手を上げて歩み出る。

「過去にとらわれてはいけない。平和のために戦った英霊たちの意思を、我々は守らなくてはいけない。終わりの見えぬ戦に、国家も、経済も、兵士も、市民も疲弊している。いまそこに戦争を終結させる手段があるのなら、我々は一刻も早く平和を志向すべきだ」

 宰相はスラスラと建前を論じた。戦争を終わらせることも、平和を志向することもすべて嘘である。つまり主戦派と志は同じくしているのだが、議会には他国と密な関係にあるものも少なくない。計画を気取られるわけにはいかないのだ。

 左翼席からは「臆病者!」とか言う野次が上がる。中には「勝って賠償金を支払わせればいい」などというバカみたいな発言も出た。その精神が戦費と借金を積み重ねたのである。

 また一人、左翼席から手が上がった。歩み出たのは、雄々しい髭の、いかにも主戦派といった風貌の老人だった。

「ウラノス副大臣殿は先日、魔族から妻を迎えたそうですな。淫魔ともなればさぞ夜は退屈せんでしょう。魔族の体は、一体どのような味なのでしょうな」

 老人は下卑た表情で笑い、次いで主戦派の全員からも笑いが起こった。貴族のくせに何とも品のない連中である。サイズは相変わらず機嫌の悪そうな顔で手を上げ、歩み出た。しかし弁論台に立つと、途端に余裕たっぷりの厭味な表情となった。

「私は元来の奥手でありまして、妻とはアンニュイな関係を続けております。むしろ後学のためご教授いただきたい。女性の足とは、どのような味がするのでしょう」

「なっ!?」

 老人は今世紀最大の間抜け面をして、周りからは派閥を問わず大笑いが起こった。この老人が、いかにも主戦派じみた顔に似合わぬ、生粋のマゾヒストであることは前から噂されていたが、反応を見る限り本当らしい。

 ざまあ見やがれ。戦争利権に群がるハエどもが。サイズは言ってやったとばかりに、肩で風を切って席に舞い戻った。

 議会は今日も進展せぬまま、罵倒の嵐が吹きすさぶ。


 王宮を出たサイズは、いそいそと馬車に乗り込んだ。

「サイズ、顔怖いよ?」

 同じ馬車に乗り込んだアンジュが心配そうに言った。サイズはげんなりした顔を持ち上げる。

「朝から晩まで監視されてりゃな」

「え、もしかして尾行でもされてるの!? まさか私が気配を感じ取れないなんて、凄腕のアサシンなんじゃ……」

 どうやら言葉の意味に気づいていないらしいアンジュは、キョロキョロと窓の外を確認する。さした戦闘経験のない魔道師に殺気を気取られるアサシンに気づけないなら、アンジュはもう軍人やめた方がいいレベルである。

「いや、目の前に座ってる……まあいい、ジョークだ」

 一々ジョークの説明をするのさえ煩わしくて、サイズはとっとと答えることにした。

「寝不足だ」

「え、寝不足? たしかに目に隈が出てるね」

「ベッドに入ると淫魔、もとい夢魔が横にいるからな。うっかり寝たら怖いだろ」

 淫魔と言えば言明は避けるが、つまり男の夢の中に現れて死ぬまであれを搾り取るあれである。男たるもの、むやみに抵抗もできないから、つまりうっかり寝たら危ないのである。

「ソルが言ってたじゃん。淫魔はよっぽど欲求不満でなければ自制できるって」

「忘れるな。俺たちは夫婦とはいえ、常に命を狙いあってる間柄だぞ。今朝だってそうだ。うたた寝してたら、夢にエメラルド嬢が出てきた。しばらく哲学の話に夢中になっていたが、夢だと気づいて何とか起きたんだ。もう少し寝ていたらどうなっていたことか……」

 わざとらしく身震いしたサイズに、アンジュは探偵がふと疑問に思ったように質問した。

「それってピアちゃんも寝てるときだよね?」

「ん? そうだが」

「淫魔が夢に入れるのって、自分が起きてる間だけでしょ?」

「それもそうだな」

 サイズは顎に手を当て、考え直した。淫魔が夢に入るのは一種の魔法である。つまり使うには本人が起きている必要がある。では、どうやってピアはサイズの夢に入ったのだろうか。

「もしかしてサイズ、夢に出てくるくらいピアちゃんのこと考えてたんじゃないの?」

「は?」

 サイズは一瞬アンジュの言葉を考えて、慌てて否定する。

「そ、そんなわけないだろ! なぜ俺が魔族のことなど!」

「昨日、お話聞いてくれたのがそんなに嬉しかった? ほらほら、お姉ちゃんに白状しなさい。んー?」

「だから姉ではないだろ!」

 まるで純朴な少年をからかう母のようなお節介な笑顔のアンジュに、サイズは一層語気を強めた。その姿を見たアンジュはより笑顔を深め、サイズはようやく自分が弄ばれていることに気づいた。

 サイズは冷静になるために溜息を吐くと、また気分が重くなってきた。

「しかし辛い。生きてるだけでイライラしてくる」

「相当重症みたいだね。ほんとに寝不足なだけ?」

「加えてストレスもある。主戦派がうるさい」

「あー……」

 アンジュは何か察したように神妙な顔つきになった。

 主戦派というより、これはそのまま市民の主張に当てはまる。新聞はどこも休戦協定をこき下ろす。なぜなら市民がそれを買うからである。軍の内部でも、意見は二分しているらしい。それだけ魔族への憎しみが根付いているのである。

「まったく。財務諸表と抑止力の論理だけで充分理解できるだろ。なぜもっと合理的に考えられん」

「親も仲間も、戦争で殺されてるからね」

 アンジュの一言で、サイズは二の句を飲んだ。政府の教育が魔族への嫌悪を促していたのは事実だが、そうでなくとも人間と魔族の対立は根深い。有史以来、人類は魔族よりあらゆるものを奪われてきた。アンジュもきっと数え切れない仲間を失っただろう。サイズだって親を奪われた。

 主戦派の政治家どもの大半などは権力が欲しいだけだろうが、要するに人類は深く長く、魔族を憎んできたのだ。

 どんどん重苦しい空気になってきた車内で、不意にアンジュが手を打った。

「サイズ、これから予定ある?」

 サイズはアンジュの発言の真意を考えあぐね、とりあえず素直に答える。

「いや、特にないが」

「よし! じゃあお買い物に行こう!」

「流れがわからんな。なぜいきなりそんな話になるんだ?」

「ぱーっとお買い物すれば、ストレス発散できるじゃん」

「思慮のない獣の思考だな」

 サイズは呆れて溜息を吐いた。サイズは物欲に任せたストレスの解消が一時的なもので、帰ったころにはより後悔するらしいと知っていた。宰相の奥方などはその典型で、とどまることを知らない物欲と、後のヒステリーに悩まされているという話を、ディナーの折によく聞かされた。

「でもどうせ家にいても本読んでるだけでしょ?」

「まあ、オペラもないしな。ちょうど今、例の蛮族の武士道を調べ直していて、それが……」

「いや、その話はいいから」

「お前、止めるの早くなってきたな」

 隙あらば趣味の話をしようとするサイズを制し、アンジュは話を続ける。

「予定がないなら行こうよ!」

「貴族の買い物とは商人を家に呼ぶことを意味する」

「それじゃお買い物の楽しさの半分も味わえないよ。実際に町を歩きながら、色んなお店を見るのが楽しいんじゃない」

「危険だろ。昨日だって財務大臣の家でデモがあって、警官隊と市民が一触即発だった。うちに来ないのはラグナロクを怖がってるだけ。町になんか出たら刺激するだけだ」

「大丈夫だよ。もしものときは私が守ってあげるから。それに、ピアもこっちに来て一度も外に出てない。ちょっとくらい散歩に付き合ってあげなきゃ、奥さんに嫌われちゃうよ」

「別に魔族に嫌われるくらいどうということはない。もとより命を狙いあう間柄だ」

 サイズはいかにも気にしてないという風に目を閉じて言い放つ。言ってしまってから、ピアの笑顔が脳裏に浮かんだ。

「まあ、利用できるうちは、好かれといて損はないか……」

 サイズが視線をそらすと、アンジュはまたお節介な笑顔になった。


 窮屈な馬車から降りると、サイズは体を伸ばしながら大きくあくびをした。

「くそ、何でこう一日に何度も馬車に乗らなきゃいけないんだ」

「ほら、また悪態付かないの。ほんと言葉悪いんだから」

「ただでさえ窮屈な政界なんかに身を置いてるんだ。俺にはもっと余裕が必要なんだよ」

 アンジュの母のような注意に、サイズは反抗期の子供のような口ぶりで、子供らしくない理由を答えた。

「あ、あの、本当によろしかったのですか? 私なんかが、サイズ様とお買い物など……」

 そんな親子のような同い年の主従に、妻は控えめに聞いた。

「気にするな。ゲストをもてなすのは主人の務めだからな」

「そうですか……。ありがとうございます」

 ピアは一瞬暗い表情をすると、取り繕った笑顔で感謝した。議会から帰ったサイズは、さっそくピアを連れ立って買い物をすることにした。場所はアンジュの紹介のもと、ミストゲート市民の台所。王国で最も活気あるノウズパーク市場である。

「では、行こう」

 サイズは咳払いしてピアの笑顔から目をそらすと、石畳をツカツカと歩きだした。

「ああ、待ってください!」

 ピアが慌てて追いかけ、アンジュとソルは呆れたように同時に溜息を吐いた。

 サイズたちは道の真ん中を、人ごみを割りながら歩く。まったく他人に道を譲る気がない感じが実に貴族らしい。

「お言葉ですがサイズ様。市場に来てただ前を見て歩くだけでは、意味がないと思いますが」

 サイズとピアの一歩後ろを歩くソルが、見かねて声をかけた。アンジュも同調してサイズの背中に言う。

「そうだよサイズ! せっかく色んなお店が出てるのに」

「売られてるものなんて、市民の生活必需品ばかりだろ。食事も備品もストックしてあるんだ。それとも何だ。俺はこんなところまで買い付けに来なきゃいけない市民を見て笑えばいいのか?」

「そんなこと言ってないじゃん」

「ジョークだ」

 サイズはとてもジョークとは思えない真顔で言った。

「要するに、わざわざ市場で買うものなんかないのに何を見るんだって話だ」

「言っとくけど、市場ってそれだけじゃないからね。レストランだってあるし。他にもたとえば、えーと、そこら辺の露店とかに……ふっ! あっはっは! これ! サイズこれ見て!」

 アンジュはキョロキョロと辺りを見回すと、いきなり笑い始めた。サイズは怪訝な顔をして、アンジュの駆け出した方を見る。そこには。

「ほらこれ! ビキニアーマー!」

 意味がわからなかった。ビキニアーマーが売られている。

「超面白い! ビキニアーマーて! こんなの誰が着るんだよ!」

 などとアンジュは自分でツッコんで大笑いするが、シュールすぎてサイズには笑いどころがわからなかった。

 地面にゴザを敷いた露店。他の商品は前衛的な壺とか絵とか。骨董屋と言う名の詐欺師だろうか。いや、でもまさか騙される奴なんていないから、一周回ってバカなアーティストかもしれない。

「おっと軍人さん、お目が高いね」

 ビキニアーマーの脇に座っていた青年が声をかけた。へりくだった商人の笑顔である。

「実はこれ、かのジャンナ・ダークが身に付けたビキニアーマーなんだ。こいつを着ればあんたもジャンナのような英雄になれるぜ」

「ジャンナ!」

 騙される奴いた。

「でもこいつは俺の家宝みたいなもんだからなあ。ちょっと売れねえかなあ」

「え……」

 家宝を露店でそんな適当な感じに出すなよ。

「いや、ここであったのも何かの縁か。俺は人の縁を大切にするからよ。軍人さんにだけ特別だぜ」

「特別……」

「涙を飲んで六〇〇〇ソールでどうだ!」

 アンジュは腕を組んでしばらく考えると、サイズを振り返った。

「サイズ、お金貸し……」

「嘘だろお前」

「え、だってジャンナの……」

「いやジャンナ、ビキニアーマー着てないだろ」

 誰が着るんだよとか自分でツッコんでたじぇねえかと、サイズは呆れた。

「おっ、魔道師様! いいところに! 実はこの壺は魔力を溜めることができて……」

「いらん」

 目が合うとすかさず持ち掛けられた店主の商談を、サイズは突っぱねた。何とも商魂たくましい詐欺師である。

「そっちのメイドさんはこのホウキが似合いそうだ! こいつは俺が昨日暇つぶしに作った……おっと失礼、えーと、伝説のメイドがかつて使っていた……」

「これほど盛大にあからさまな嘘を吐ける度胸には、逆に感銘を受けますわ……」

 ソルは珍しくポーカーフェイスを引きつらせた。

「そこのお嬢ちゃん」

「わ、私ですか!?」

「お嬢ちゃんにはこの絵何かどうだい? 何と言うかこう、いい感じの……って」

 などと、今度はピアに照準を合わせて意味不明な商品説明を始めた店主だが、不意に押し黙った。

「あ、悪魔!?」

 店主は怯えた声で叫ぶと、傍らの壺だけ持って大慌てで走り去っていった。やっぱりビキニアーマーも絵も大したものではないのだろう。壺からはジャラジャラ音がしたので、たぶん大事なのは中身だけか。

 サイズが呆れて立ち尽くしていると、騒ぎを聞きつけた野次馬が取り囲んでいた。

「あれ、デルシアから来たっていうラグナロクじゃないか?」

「何でもその正体は淫魔だとか。うちの亭主が最近機嫌悪いんだ。あいつに、かどわかされてんじゃないかね」

「横にいるあいつ、たぶんヴァンパイアだ。気を付けろ、あいつらは気まぐれで人を食うらしいからな」

「なぜ魔族なぞを俺たちの国に住まわせなきゃいけないんだ。さっさと滅んじまえ」

 辺りからそんな話が聞こえよがしにされる。こいつら魔族が怖いのか怖くないのか、わかんねえなと、サイズは冷静に考えた。

「行くぞ」

 サイズは構わず歩きだそうとして、ピアに言った。聞こえなかったのか、ピアは下を向いて立ち尽くしていた。

 サイズは小さく溜息を吐き、帽子を脱ぐと、ピアに乱雑にかぶせた。

「ふぇ!?」

 帽子は頭の小さいピアの顔をすっぽりと覆った。ピアは驚いて、帽子を持ち上げて不思議そうにサイズの顔を見上げる。

「周りは気にするな」

 サイズは顔を合わせず言った。


 人ごみをズカズカと通り抜け、野次馬の減ったところで、サイズは一息つくように立ち止まった。アンジュは後ろを振り返り、追手がいないか確認しながら口を開く。

「ちょっとやばかったかもね」

「だから言ったんだ。刺激するだけだって」

 サイズもアンジュにつられて振り返る。どうやら何も追ってきてはないらしい。

「あ、あの、ごめんなさい。やっぱり私は出るべきじゃなかったですね……」

 ピアは申し訳なさそうに謝罪した。ピアの頭には、まだサイズの帽子が乗っている。結構気にいったらしい。

「気にするなと言っただろ」

「で、ですが……」

 言いかけて、ピアは肩を落とした。その様子を見て、アンジュは耳打ちする。

「ど、どうするの、これ? ピアちゃんすごい落ち込んでるじゃん!」

「お、俺のせいじゃないだろ! こんなのエメラルド嬢が勝手に落ち込んでるだけで……」

 言いながらピアの顔を横目に見て、サイズは言葉に詰まった。魔族のことなど本来はどうでもいいが、こうしてみると、人間の少女が落ち込んでいるのと変わらないように見えた。

「あら、こちらの建物」

 と、どうしたものかとサイズが思い悩んでいると、不意にソルが口を開いた。

「仕立て屋、でしょうか」

 ソルに釣られ、サイズは軒先の看板を見た。看板には針と糸の意匠がある。

「そういえば、ピア様はドレスを持ってきていませんね。貴族の妻たるもの、綺麗なドレスの一着もなければ格好も付かないというもの」

「そうか、なら帰って作らせよう」

「……サイズ様、目の前に仕立て屋があるのですが」

「ん? ああ、そうだな。それがどうした」

「……失礼ですがサイズ様、空気読めません?」

「何だいきなり。風くらい読める。今は北西から緩やかな風が……」

 サイズは指を空にかざして風の方角を確認すると、ソルは面食らったように硬直した。

「アンジュ様アンジュ様。もしやサイズ様……」

「うん、そう。こいつ全然女心わかってないから」

「それとこれと何の関係がある……」

 女子たちの心情を図れぬサイズは面倒くさそうに溜息を吐いた。

「では、朴念仁のサイズ様にわかりやすく説明いたします。ピア様は今、とても落ち込んでおります。自分を快く思わない人間ばかりの土地。深く思い悩み、寂しさもひとしおでしょう。しかしピア様は心優しきお方。人の悲しみを共に背負えども、自らの悩みで人を煩わせることはいたしません。なればその気持ちを汲み取って、さりげなく気をかけるのが殿方の役目では?」

「それで買い物か。一時的に忘れられるだけだぞ」

「その一時ストレスを忘れるということが、女にとっては重要なのです!」

「まるで獣だな……」

 サイズは短絡的な思考をバカバカしく思いながらも、仕方なく仕立て屋の戸を叩いた。

「邪魔する」

 サイズは扉を開けて中に入った。辺りに布きれが散乱する薄暗い部屋である。中央に大きなテーブルが置いてあり、そこでがたいの良い男がこちらに見向きもせず布を切っていた。

「エメラルド嬢、付いてきなさい」

 サイズはピアを呼び寄せると、男の前まで寄った。

「この娘に合うドレスを一着作ってほしい」

 サイズが不遜に言うと、男はサイズとピアを一瞥して、また作業に戻った。

「五〇〇〇オルス」

「ご、五〇〇〇……オルス!?」

 その数字と単位に、アンジュが絶句する。

 オルスとは、オルセーヌの通貨単位である。

 ソールに信用はない。金銀の蓄えは減り、市場の硬貨は重い銅が主流である。紙幣は貴金属との兌換性が失われつつある。長期的に使い物にならないため、国内では、特に大きな買い物の際はオルスが流通している。まあ、オルセーヌだって政情不安でいつまで続くかわからんが、それでもソールよりはマシなのである。

 しかし、それにしても五〇〇〇オルスとは吹っかけてきたものである。現在のレートでは、一オルスで二〇ソールだったか。通常ドレス一着程度なら、どんなに高くても一〇〇〇オルスがいいところ。市場最高値の五倍ということは、まさか足元を見られているわけではあるまい。

 つまりこれは、「魔族のために作るものはない」と、そういうことである。ずいぶん肝の据わった仕立て屋だ。

 サイズは懐から紙を取り出すと、作業台に置いてあった羽ペンを奪うように掴んで、スラスラと何かを書きだした。

「ちょっ、ちょっと、そんなのいくら何でもぼったくり……!」

 アンジュが抗議をすると同時、右下にサインをし終えたサイズは、作業台に紙を叩きつける。

「これを官邸に持って来い。金庫から出すよう手配しておく」

 まさか本当に出すとは思っていなかったらしい仕立て屋は、目を丸くして慌てて言いかえる。

「い、いや、八〇〇〇! 八〇〇〇オルスだ!」

「一〇〇〇〇オルスだ」

 サイズの突き付けた手形には、たしかに一〇〇〇〇オルスという膨大な額面が乗っていた。オルスの価値さえ変わらなければ、たぶん市民が一生食うに困らない額である。サインの入った正式書類であるから、いかに侯爵といえど、支払を拒否する権限はない。

 ついぞ引き下がれなくなった仕立て屋は、陰湿なジョークを止めて正直に恫喝することにした。

「ふざけるな! その金は俺たちが払った税金だろ! 何で魔族のためなんかに使われるんだ!」

「この金は俺が国防、治安維持というサービスを運営して正式に手に入れた金だ! 貴様らに使い方を指図される筋合いはない!」

「なっ!?」

 サイズは一歩も引き下がらず、仕立て屋の意見を突っぱねた。そしてグッと顔を近づけ、脅すように囁く。

「市場価格の十倍だ。最高のものを作れよ」

「ぐっ……」

 仕立て屋は悔しそうに奥歯を噛むと、おもむろに立ち上がって奥の扉へ歩きだした。

「そこの悪魔、来い。採寸する」

「え、え?」

 いまいち状況が飲み込めないらしいピアは、仕立て屋とサイズの顔を交互に見ながら困惑している。

「構わん。行くといい、エメラルド嬢」

「で、ですが……」

「メイド、付いていけ」

「かしこまりました」

 ソルは一礼して、立ちすくむピアを連れて行った。

「ちょっと強引じゃない?」

 ピアたちと仕立て屋が奥の部屋に引きこもると、二人取り残されたアンジュがどこか遠い視線を投げかけた。

「じゃあ、すごすごと引き下がればよかったのか?」

「いや、そうは言ってないけどさ……」

 アンジュの口ぶりに少なからず不満がにじんでいる。きっと市民から見れば、貴族が権力と財力を振りかざして、市民を屈服させたように見えるのだろう。

「明らかにぼったくりなんだから、ちゃんと交渉すればよかったんじゃないの?」

「まともな交渉なんて通用しないよ。売る気がないのが根本なんだ。だったら金か暴力で黙らせるしかない。魔法で脅すよりよっぽどマシだろ」

「それは、そうかもしれないけど……」

 アンジュはどうにも納得できないらしい。世界が正義で動かせると思っているこいつには、きっと一生理解できないのだろうと、サイズは思った。

 しばらく無言で待っていると、ピアたちが出てきた。

「完成したら納品しにいく。納期は二週間。金はそのときもらう」

 仕立て屋はそれだけ不遜に言うと、サイズたちなど初めからいなかったように黙々と作業に戻った。

「そうか、用意させておく」

「あ、あの、サイズ様」

 足元からピアの声がかかった。

「ありがとうございます」

 取り繕った笑顔の得意なピアが、時折見せる年相応の無邪気な笑顔が、サイズは案外気にいっていた。

「あ、ああ」

 たとえ一時でも孤独を忘れられたなら。たとえ一時でもこの笑顔が見られたなら、獣のような散財も悪くなかったかと、サイズは思った。

「さて、出るか。失礼した」

 長居は無用と、サイズは最低限の挨拶をして、仕立て屋を出た。

「ウラノス副大臣殿とお見受けする」

 すると、不意に名前を呼ばれた。サイズは声のした方を確認する。頭の先からつま先まで真っ赤。赤い帽子にはトリコロールのバッジという、絵にかいたようなサンキュロットの男が三人。革命派である。少し騒ぎすぎたらしい。

「これはこれは皆さんおそろいで。ロブ・ピエールはどこかな? ああ、先に地獄で待っているんだったな」

「お、俺たちをあんな独裁者と一緒にするな!」

 この間まで「オルセーヌのように」がスローガンだった連中が何を言っているのだ、とサイズは思った。

 サイズの厭味が堪えたらしく、革命派の三人はふうふうと息を継いだ。

 ポルティスの革命の火は薄い。魔軍の脅威と常に隣り合わせの王国には、革命にかまけている時間はない。特に過激派で治安を乱す彼らは、むしろ市民に忌み嫌われる存在である。よって道行く人びとは、何事かと様子を確認し、サンキュロットが見えると、関わり合いにならないよう足早に去って行くのである。

 ようやく精神を落ち着かせた彼らは、コホンと咳払いをすると、まるで演技でもするように大げさな声を上げた。

「副大臣殿! いや、悪魔と契約した売国奴殿! 我らが人類の仇敵と癒着せしこと、万死に値する!」

 瞬間、通行人たちが一斉に足を止め始めた。野次馬たちが距離を取って集まり出す。

 なるほど、革命の火が薄いと見て、まずは市民の反魔族感情を利用することにしたか。実に小賢しい。

「思慮のない獣と変わらんな。感情のみで無為に動くのは、愚かだぞ」

「……話しても、分かり合えそうにないな」

 小粋なジョークを返せず煽り負けた三人は、顔を引きつらせながら腰のサーベルを抜き、そのまま斬りかかってきた。

「さ、サイズ様!」

 と、ピアの心配するような声が聞こえたが、サイズは微動だにせず。三人の刃がサイズの首を刎ねようとした瞬間、冷たい金属音が響いた。

「こ、コルセス砦の英雄……アンジュ・ディア!」

 三人のサーベルを、一人の少女の一本の刃が受け止めていた。

「警告する。刀を収めなさい」

 アンジュの警告に聞く耳も持たず、三人はサーベルを振りかぶって打ち直した。

「天使の名を持つ悪魔。そう言えば貴様も悪魔だったな」

「もう一度警告する。刀を収めなさい」

 アンジュは三人の斬撃を、埃でも振り払うように簡単にいなしながら警告を続ける。

「サイズ、逃げて」

「エメラルド嬢、メイド、行くぞ」

「へ!?」

 サイズはピアの腕を掴み、一目散に走り出した。サイズに釣られて走るピアは、後ろを振り返りながら心配そうに言う。

「あ、アンジュ様は……?」

「俺の盾になるのが奴の仕事だ」

「ですが、女性が男の方を三人同時に相手するのは」

「そのときは晴れて二階級特進だな」

「サイズ様……」

 サイズは市場の入り口まで走ると、馬車の扉を乱暴に開け放った。ピアとソルを馬車に押し込み、自らも馬車に飛び乗って、サイズは声を荒げる。

「官邸まで! 急げ!」

「え?」

「早くしろ!」

「は、はい!」

 御者は慌てて鞭を打つと、馬車が左右に暴れながら走り出した。

「ふう」

 サイズは固い椅子にもたれかかると、ホッとして息を吐いた。馬車はサイズが急かしたこともあり、相当飛ばしている。安全運転などクソくらえの状態だが、このスピードなら追いつかれまい。

「あれが噂のサンキュロット、革命派ですか」

 一緒に走ってきたにも関わらず、一切息の上がった様子の見えない美しい声で、ソルが言った。これまであまり気にしなかったが、これが噂のヴァンパイア族の体力、身体能力かと、サイズは紅色の瞳を睨んだ。

「貴国でどんな噂になっているか知らないが、面倒な連中だよ」

 サイズは普段と変わらない落ち着いた表情で、しかしソルの行動を警戒しながら答える。

 すっかり油断していた。サイズは革命派なんかよりもよっぽど手ごわい連中に命を狙われているのである。気づけば護衛がいない。馬車という閉鎖空間で、暗殺の好機を与えてしまった。

「おや、わたくしの顔に何か?」

 しかし、ソルからはとても殺気は感じられない。いや、もとより殺気などサイズには察知できないが、暗殺のそぶりも見せない。

「いや、気にするな」

 杞憂なのだろうか。サイズは答えながら思考する。

 いや、そんなはずはあるまい。たった一人を無力化すれば泥沼の戦争に一転、勝利できるのだから、暗殺指令が出ていないはずはない。

「アンジュ様は大丈夫でしょうか」

 何となく殺伐とした雰囲気の中で、小さな体でようやく息を整えたらしいピアは、しかしすぐには安心せず人間の心配をした。

 サイズは思考を断ち切り、一先ず妻の言葉に答えることにした。

「さっきも言っただろ。殉職すれば特進だ。軍人の誉れだろ」

「サイズ様は、本当にそのように思われているのですか?」

 ピアの質問に、サイズは窓の外を見た。ガタガタと揺れる車窓はとても風景に集中できるものではないが、サイズは窓から目を離さなかった。

「……命の重さは違う。幾万の兵を犠牲にして、指導者は生き残るものだ」

 ピアは何も言わず、かわいそうなものを見るような表情をすると、同じように窓を見た。彼女はその言葉を聞いてどう思ったのだろうか。サイズは気になった。薄情な奴だと思われただろうか。

 別に魔族にどう思われようが、サイズの知ったことではない。しかしピアが顔を背けた一瞬、サイズはなぜか悲しい気持ちになった。


 まだ止まり切らぬうちに馬車を飛び降りたサイズたちは、その勢いのまま官邸に駆け込んだ。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 急な主の帰還に、使用人たちが皆一様に慌てふためく中、メイド長のみが落ち着いた挨拶をする。

「それではサイズ様。ピア様とわたくしはお部屋に」

「待て、メイド。お前には話がある」

 ピアを連れて玄関を離れようとしたソルを、サイズは引き止めた。ソルは一瞬サイズの考えを読もうとしたか、瞳をのぞき込むように見つめる。

「……承知しました。して、ピア様は」

「メイド長、エメラルド嬢を部屋にお連れしてください」

「かしこまりました」

 メイド長は深々とお辞儀をすると、「さあピア様、こちらへ」と、ピアを連れて行った。ピアは心配そうにソルを振り返りながら、メイド長に従った。後に残ったサイズは、周りに使用人たちが立ち並ぶのを見回す。

「では、我々も行こう。二人きりでしか話せないことだからな」

 サイズは不遜にそう言うと、ソルを連れて書斎に向かった。

 書斎に入ると、サイズは手元の机に杖を立てかけて、どっかりと椅子に座り込んだ。

「さて、わざわざ来てもらってすまない」

 サイズはそう前置きながら、どう切り出そうかを考えた。ソルは正面で、メイドらしい慇懃な態度で、しかし底知れぬミステリアスな雰囲気で立っている。

 何せ極めて繊細な話である。聞き方を間違えれば外交問題に発展する可能性もあるので、サイズも慎重にならざるを得ない。サイズはなるべく婉曲的に、考えを読まれないようにしようと、目を閉じて話し出した。

「それで話というのが……」

「夜伽、でございますね?」

「……ん?」

 サイズは目を閉じたまま聞き返した。

「貴族が書斎にメイドを呼び、二人きりの用事と言えば夜伽の他ありません。されどわたくしはピア様のメイド。ああ、ピア様。他の主に蹂躙される淫らなわたくしめをお許しくださいませ」

「いや待って。ちょっと待って。ひとりで勝手に話を進めないで」

 妄想のみで勝手に突っ走るソルを、サイズは慌てて止めた。

「……違うのですか?」

「違う」

「何だ……」

「何がっかりしてんだよ……」

 サイズは顔を赤く染めて、薄眼からソルの体を見回した。何と言うか、改めて見るとやはり美人である。顔立ちが端整なのはもちろんだが、スタイルも抜群である。エプロンの紐で縛ったウエストは決して無理をしている様子がなく、自然体で細い。その細さが、もともと大きい上半身の出るとこをさらに強調している。また、ロングスカートからちらりと覗くくるぶしから、足もきっと細く美しいはずという妄想を掻き立てる。夜伽とはすなわちその体を……。

 という思考に至ったところで、サイズは目をそらした。気取っていても所詮は十六歳の少年である。そう言ったジョークを爽やかに流すには、まだまだ女性経験が足りなかった。

 しかし、この三日でピアのことはある程度わかっている気がするが、ソルに関してはまったくわからない。いや、性格はジョークを言ったりふざけたりと、結構フランクな感じなのだろうが、一々表情が変わらないので、そのジョークがふざけてるのか本気なのか測りかねる。と、サイズは改めて思った。

「ええい、もう回りくどい言い方はなしだ」

 サイズはあれこれ考えるのがバカらしくなった。

「単刀直入に聞こう。お前、俺を暗殺するためにここに来ただろ」

 ソルは少し考える風に黙ってから、しかし相変わらずの無表情で答えた。

「……さようにございます」

 サイズはとっさに立てかけた杖を引き寄せ、警戒した。やはりソルは、女中とは名ばかりの暗殺者であったか。サイズはいつでも反撃ができるよう、魔法の準備をする。しかし、次いで出たソルの言葉に、サイズは再び思考を断ち切らねばならなかった。

「しかし、わたくしにサイズ様を殺めるつもりはありません」

「何?」

 暗殺を目的に遠路はるばるやって来たにも関わらず、殺す気がないだと?

 サイズは意味がわからず困惑した。

「殺す気がない……」

「はい」

 サイズは思考を巡らせた。表情からは一切の考えが読めない。しかし、たしかにこれまで幾度かの暗殺の機会はあったが、そのいずれでも行動は見せていない。しかし情勢から考えれば暗殺をしないという選択はありえず、その真意はまったくもって不可解である。

「……なぜだ」

 いくら考えてもその理由に皆目見当のつかないサイズは、ついにじきじきに聞くことにした。

「わたくしが仕えるのは国ではなくピア様です。ピア様の意思がわたくしの意思。そしてピア様は、あなたを殺すことを望みません」

「エメラルド嬢が……?」

「はい。ピア様は魔族と人間が共存できるとお考えですので」

「世間を知らぬ子供の理想論だな。長きに渡る憎しみの歴史は、いや、何より根本的な種族の壁は、どうあっても埋めようがない」

「なぜそう思われるのでしょう」

「歴史が証明している。人間と魔族の歴史は戦争の歴史だ。人類が海へ出る以前から自分の大陸で奪い合い、互いに大陸を発見するとまた戦争が始まった。人間と魔族は相いれない存在なんだよ」

「しかし、歴史もまた証明しています。かつての大航海時代。初めて世界周航を達成したのは人間の冒険家、マズレンと魔族の海賊、フール・ケットシー=パイライトの艦隊でした」

「お互いの利害が一致したからだ。他の大陸の存在や南東諸島の発見。世界中を知ることはお互いにメリットがあった。だから人間はマズレンを支援し、魔族はパイライトを支援した」

「国家同士では政治的理由かもしれません。しかしマズレンやパイライトはどうでしょう。自陣営のメリットのためだけに、三年に及ぶ洋上での共同生活を続けられるでしょうか」

 たしか文献では、マズレンとパイライトは仲が良かったとされている。人間側、マズレン陣営では政治的ないさかいが絶えなかったようだが、二人の関係は最後まで良好だったらしい。南の孤島でマズレンが窮地に陥ったとき、援軍に駆けつけたのはパイライトたち海賊だけだったと、マズレンの部下の日誌に記されている。

 マズレン自身はその孤島で命を落とすが、パイライトは遺体を持ち帰り、共に世界周航を成し遂げる。帰還後にポルティス、デルシア間洋上の無人島にマズレンや仲間たちを埋めたパイライトは、その翌年にペストで死に、マズレンの隣で眠っているという。

「種族の壁。それは本当に埋められないものでしょうか。いやあるいは、そんな壁、本当にあったのでしょうか。マズレンとパイライトに思いを致せば、そんなことを考えてしまいます」

 こういった議論でマズレンとパイライトがピックアップされたことはないが、なるほどたしかに。人間であるマズレンと、魔族であるパイライトが長期に渡って生活していたという事実は、共存の可能性の証明にはなり得るかと、サイズは不服ながら納得した。

 そう言えばと、サイズは考えた。

 人間社会と同じく、魔族にも貴族制度というものが根強い。その上下関係は、まさしく種族から来ており、ソルのヴァンパイア族は貴族の中でも名家中の名家である。対して淫魔族は最下級の悪魔で、人間の階級に照らせば奴隷である。ヴァンパイアからすれば屈辱でしかない関係を、種族の壁を、ソルはどう考えているのだろうか。

 ミステリアスにたたずむソルを忘れて、サイズが静かに哲学にふけっていると、扉がノックされた。

「旦那様。アンジュ様が帰還されました」

 その一方を聞いて、サイズより先にソルがホッとした表情を浮かべた。

「無事でしたか。安心いたしました」

 魔族が人間を心配する光景を不思議に思いながら、サイズは立ち上がった。

「そうか。では、俺も出迎えるとしよう」

 ソルを連れて玄関に降りると、すでにピアとアンジュが話していた。

「ピアちゃんただいま! いやあ、仕事したよ」

「アンジュ様、ご無事で何よりです!」

「お帰りなさいませ、アンジュ様」

「あ、ソルもただいま!」

 見た限り、アンジュは無傷である。赤い軍服も傷一つない。

「出世し損ねたな」

「特進しても大尉じゃね。私は元帥になる女だよ」

「それだけ冗談が言えれば問題ないな」

 いつもと変わらないアンジュの軽口に内心安堵したサイズは、一転して真面目な顔で聞いた。

「……あの三人はどうした?」

 サイズに釣られて真面目な、いや軍人の表情になったアンジュ少尉は、軍人らしい敬礼をし、軍人の言葉で報告する。

「三回の警告後も攻撃を止めなかったため、已むを得ず処理いたしました」

「そうか」

 三人の遺体が街中に転がっている光景を想像しながら、サイズはどこか現実味の湧かない映像に感情の読めない顔で答えた。

 王国軍が王国民を攻撃する場合、三回警告を発さなければならない。

 この法律はすでにない。何せサイズが政治家になって、初めて着手したのがこの法律の破棄である。

 王立軍が創設されて以来からあったこの法律は、しかし当初から形骸化していた。なぜなら例外として、兵士の生命がすぐさま危険に晒される際は警告なしでの殺傷が認められ、そしてその例外はすべての場合に適用されるからだ。

 よってこの法律は、軍内部の邪魔な人間を、適当な理由をでっち上げて排除するだけに適用されていた。これを無駄な法律として、宰相の指示のもとサイズが法律整理をしたのである。

 そんな誰も律儀に守らないルールに乗っ取り三回もの警告の間、自分を本気で殺しにくる三人の男の攻撃を受け流す。警告が終わると一転して攻勢に出て、見事三人を打ち果たしたアンジュ少尉は、人の目に悪魔のように映ったのだろうか。

 先ほどまでピアやソルと話していた姿は、無邪気な天使そのものだったはずなのに。

 よく見ると、敬礼するアンジュ少尉はいつもの白い手袋をはめていなかった。ポケットからはみ出た悪魔の白い指先が、赤黒く染まっている。

 人を殺すのは簡単じゃない。

 アンジュは以前そう言っていた。三回の警告をするという舐めきった行為をして、それでもいともたやすく、無傷で三人を殺した彼女が、なぜ人殺しが難しいと言ったのか。あるいは、なぜ三回の警告の後にしか殺せなかったのか。

 改めて彼女を見直すと、アンジュの普段は手袋に覆われている美しい手が、そして真っ赤な軍服が、サイズには途端に黒ずんで見えた。天使のようだったその少女が、人ではない何かに見えた。

 一刻も早くその何かから目をそらしたかったサイズは、話を変えた。

「まあ、仕事とはいえ命の恩人だ。今日は良い食事を用意させよう」

「お、サイズ太っ腹! 私、いつもサイズが食べてるディナーみたいなのがいいなあ!」

「調子に乗るな。……メイド。シェフに伝えてくれ。今日のディナーは一人分多く用意してくれ」

「かしこまりました。それか、もしよろしければわたくしがお作りいたしましょうか。腕に寄りをかけますよ」

「あ、それいい! 私もソルの料理食べたい!」

「くれぐれも作りすぎるなよ」

「もちろん。承知しております。……メイド長殿が出しゃばって来れば、その限りではありませんが」

「またエセメイド様ですか。旦那様に気にいられようと必死ですね」

「あら、噂をすれば。さすがメイド長殿は奥ゆかしい。どこにでも湧いてくるのですね」

「ずいぶんなものいいですねエセメイド。良いでしょう。今日という今日は決着をつけてやります。厨房で会いましょう」

「またわたくしと遊んでいただけるとは。メイド長殿は実に面白い方ですね」

「いやだから作りすぎるなよって……」

 サイズの忠告など無視してソルとメイド長は暗く笑いあいながら厨房へ歩いていった。サイズは人間と何ら変わらないソルの後ろ姿を、しばらく眺めた。

「どうしたの、サイズ? ボーっとして」

 玄関で立ち尽くすサイズに、アンジュが不審そうに声をかけた。

「いや、何でもない。書斎で少し考え事をする。エメラルド嬢も部屋に戻るといい」

「え? は、はい……」

 ピアの返事も聞かず、サイズは自分の世界に入り込んだようにうつむいたまま歩きだした。アンジュはサイズに少し遅れて付いてきた。

 人を殺さない悪魔。人を殺す人間。一体どちらが人間で、どちらが悪魔なのか。サイズにはわからなくなった。


 騒がしいディナーも終わった時刻。仕事と称して書斎に引きこもったサイズは、アンジュも閉めだして机に座り込んでいた。今はピアとソルも入浴中。邪魔が入ることはない。

 サイズは杖を片手に持つと、魔力をこめて宝珠を輝かせた。

「宰相殿。聞こえますか」

「うむ。ご苦労、ウラノス副大臣。念波は良好だ」

 宰相の声が頭に直接入り込むように響いた。念波は魔道師の通信手段である。

「ラグナロクが来てから三日が経った。何かわかったかね」

 軍人ではないが特殊任務に就いているサイズは、毎日とはいかないまでも三日ごとに報告を上げることになっていた。

「ラグナロクは、自爆型なのかね」

「それは……」

 ラグナロクは自爆型でない。そんなことはすぐにわかっていた。この報告を上げれば、すぐにでも兵が派遣され、サイズが手を下さずとも廃絶することができるだろう。そうすれば、長く苦しめられた魔族との戦争も終わる。親の仇を討つこともできる。

 しかしサイズは、なぜだかそれを言う気にはなれなかった。

「……不明です」

「……そうか」

 宰相は少し考えてから返した。

「他に情報は」

「何も」

「わかった」

 それから二人は沈黙した。単に報告であればこれで終わりだろうが、サイズは宰相が通信を切るまで待った。すると、悠久のように長い十秒の沈黙の後、宰相が話しだした。

「二週間後、パーティーを開くことにした。招待状は追って送るが、君にも是非参加してもらいたい」

 サイズは考えた。おそらく今開催を決めたのだろう。貴族のパーティーとは得てして謀略の渦巻く場所である。その真意は何か。

 とはいえ、それがわかったところで宰相の催すパーティーである。上下関係からも政治的立場からも、もとよりサイズに拒否権はない。

「楽しみにしております」

「うむ。良い夜にしよう。それでは、おやすみ」

 宰相が念波を切っても、サイズは机に目を付したまま考えた。

 パーティーの目的は何か。パーティーとは主に人脈づくり、味方づくりの場。もとい、敵味方を見極める場である。

 よもや嘘がばれたのか。いや、まさか。だとしたらどこで。念波でかわした言葉などほとんどない。声音、調子、速度。何にせよ、宰相はたった一言で見極めたというのか。

 ……いやしかし。だとしたら、むしろ好都合かもしれない。

 自分でさえ、なぜ嘘を吐いたのかわからないのだ。かねてよりの悲願である戦争の勝利と親の仇。それらを自ら手を下さずに討てる。実に政治家らしい。

 サイズはふうと息を吐いて顔を上げた。背もたれに背中を預けて、天井を見上げる。

 自分でも何に悩んでいるのかがわからない。どれだけ考えても、この哲学の答えが見いだせない。なぜ俺は、彼女の暗殺をためらうのか。

「あのじいさんに知恵を借りるか……」

 不意に出てきた、自分でも予想外の自分の言葉に、サイズは手で目を覆った。

 五歳の時から育ててもらったのに、勝手に森を抜け出して不義理をしたとか、そういうことでなく、単純にサイズは、あの老人のことが嫌いだった。しかし非常に癪ではあるが、もはやあの掴みどころのない、世間や政治から隔絶した仙人に頼る他、道はない気がした。

 サイズはおもむろに立ち上がると、ベルを鳴らしてメイド長を呼んだ。思い立ったサイズはさっそく彼に会いに行く準備を進めた。

 サン・ルチル老師。人生の大半をともに過ごした師。

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