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初夜

 シルバ島から帰還して数日。長旅の疲れが残るサイズ副大臣は、ポルティス王国ミストゲートにほど近い国防省副大臣官邸で羽を休めていた。

「旦那様、お呼びでしょうか」

 随所に細かな装飾のされた、豪華なバロック様式の邸宅。その邸宅にまったくお似合いの瀟洒なメイド長が、まったくお似合いの正しい所作で深くお辞儀をした。サイズ副大臣は一人、本に目を落としたまま、メイド長に指示を出す。

「紅茶を持ってきてください」

「かしこまりました」

 メイド長はまた深くお辞儀をすると、部屋を出た。

 サイズ副大臣は勉強熱心である。政治家として若く、さらに元が低い家柄で英才教育を受けていない彼は、安息日でも政治家としての勉強を怠らない。

 もちろんプロメテウスのためだけに防衛省副大臣に任命されていることは理解している。宰相も大臣も、あるいは市民でさえ、それ以上の仕事をこの十六歳の若造に、期待してはいないだろう。そして、これさえあれば基本的に安泰なことも、サイズはわかっている。

 しかし真面目な彼はそれで良しとしない。どんな理由であれ政治家となったならば、誰よりもその役目を全うしようと努力するのだ。

 今日も今日とてサイズは小難しい法律の本を読みながら、難しい顔をしてふと肩を回した。

「旦那様、肩をお揉みましょうか?」

「何でお前がここにいる」

 真後ろからの聞き覚えのある声に、サイズはさらに難しい顔をした。

「言ったじゃん! 護衛だよ、ご、え、い」

 勇ましい赤い軍服のアンジュは、勇ましくない顔で何だかデジャヴ感のあるセリフを吐いた。

 もとよりサイズの邸宅には数人の警備がいたが、今日から新たに軍から六名が派遣された。内五名は従来通り邸宅の警備だが、アンジュは常にサイズの横に付くことになっている。

「今本読んでるんだよ。邪魔すんな」

「えー。つまんない」

「お前ほんと軍人かよ……」

 アンジュが最も身近に派遣されたのは、幼馴染だからという配慮らしいが、いくら何でも遠慮がなさすぎる。もう少し礼儀がなっていて寡黙な人がよかったと、サイズは心の中で思った。

「何の本読んでるの?」

「お前、人の話を聞けよ」

「ねえ何の本? お姉ちゃんに教えなさい」

「だから姉じゃ……。まあいい。法学の解説書だよ」

「法学?」

「俺の仕事は法律を作り、適用することだ。軍隊だって法律の中でしか動かせない。それに議会の投票権がある以上、その範囲は国防だけでも収まらん。だから古今東西の法律を知っとく必要があるんだ。今は刑罰のところなんだが、これがなかなか興味深い。目には目を、歯には歯を、と言って、極単純な論理だが充分に……」

「ふーん。あ、この小説面白そう」

「いきなり興味失うなよ……」

 いつの間にか本棚を漁り、中世の騎士道物語なんぞを勝手に立ち読みするアンジュの姿に、サイズは呆れた。サイズはクソ真面目な分だけ話がつまらない。特に政治と哲学の少々マニアックな話になると、多くの人が逃げるのである。

「旦那様、よろしいでしょうか」

 ドアがノックされ、紅茶を入れに行ったメイド長の声がした。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 メイド長が入室して恭しく頭を下げた。しかしドアの外にティーセットのワゴンがない。どうやら別件らしい。

「兎様が参られました」

「何だ、もうそんな時間か」

 サイズは驚いて、壁にかかった振り子時計を見上げた。時刻はすでに午後二時を回っている。

「兎?」

「気にするな」

 アンジュの質問を適当にあしらいながら、サイズはローブを整えて部屋を出る。アンジュは頭に疑問符を浮かべながらも、サイズに続いた。

「はるばる海の向こうより、よくぞ参られた。お待ちしておりましたよ。私はサイズ・ウラノス。ポルティス王国国防省の副大臣です」

「あ、アンジュ・ディア少尉であります! サイズ……ウラノス副大臣閣下の護衛であります!」

 数人のメイドや執事が立ち並ぶ玄関に降り、サイズは気品あふれる声で、アンジュは軍人モードを混在させながらゲストを出迎えた。大きな二枚扉の前には、二人のゲストが立っていた。

 一人は質素な雰囲気の、メイド服を着た赤目の女。そしてもう一人。そのメイド服の背に、怯えるように隠れる年端もいかぬ少女は、政略結婚でサイズの妻となった淫魔の娘、ピア・エメラルドだった。

 まず初めに、メイド服の女がしゃべりだした。

「初めまして、ウラノス副大臣閣下。わたくしはソル=ピジョンブラッド・ルビー。ソルとお呼びください。ピア様の侍女を仰せつかっております」

 ソルは落ち着いた態度で自己紹介をすると、妖艶にほほ笑んだ。ピアは怯えたまま、小さく会釈しただけだった。

 ソルの物腰といい言葉づかいといい、良い家柄の出だと想像できる。口からちらりと覗いていた八重歯は、大きく鋭かった。耳はとがっているが、エルフの形とは少し違う。そして赤い、血の色をした瞳。

 ヴァンパイアか。

 種族を特定したサイズは、先制攻撃とばかりに口を開いた。

「ほう、誇り高きヴァンパイアが兎の世話係か。たいした愛国心だな」

 つまりこれの意訳は、「下賤な娼婦の侍女とは、魔族屈指の名家も落ちたものだ」である。

 要するにものすごく失礼な言葉である。プライドの高いヴァンパイア族なら誰もが話者を殺さない程度に切り刻んでから、毎日死なない程度に鞭打ちをして、永遠の苦痛を与えるくらいの暴言である。

 ヴァンパイア族のソルも、サイズの言葉を聞いた瞬間に射抜くような目で睨みつけた。

「たとえピア様の婚約者とて、発言にはお気をつけください。ピア様を悪く言うことは、わたくしが許しませんよ」

 しかしソルは、自らを貶めたことでなく、淫魔のピアを罵った蔑称に態度を示した。これはヴァンパイアなりの厭味か牽制か。いや、おそらく裏はない。この女は、真にピアへの発言に対してだけ怒ったのである。

「すまない、気を付けよう」

 サイズは尊大な態度は変えずに、大人しく引き下がった。

「さて、長旅でお疲れでしょうが、あなたたちはこれより我が家でともに暮らすこととなる。家の中をご案内いたしましょう。メイド長。あとはお願いします」

「かしこまりました。お客様、私がご案内いたします」

 メイド長が二人を引きつれ、歩いていった。サイズは近くにいた警備兵に近付き、すれ違いざまに小声で言った。

「目を離さないでください」

「はっ!」

 敬礼すると、警備兵はメイド長たちの後を追った。サイズはその足のまま、自室へ向かった。その道中、サイズに付き従うアンジュが辛抱堪らないといった様子で言った。

「兎って、そういう意味だったの!? ひどすぎ……」

「当てが外れたぞ」

「え?」

 騎士道に悖る発言を糾弾しようとしたアンジュだったが、サイズの思いの他真剣な声に、押し黙った。

「ヴァンパイアが淫魔に従うのは屈辱のはずだからな。やらされてるなら情報を引きだせるかと思ったが、どうやら忠誠は本物らしい」

「え、まさかそれを確認するために?」

「政治の基本は相手を知ることに始まる。あれくらい挑発した方が、本性は出やすい」

 サイズはすました顔のまま、冷静に答えた。まあ、魔族をバカにしたような表現には、サイズの個人的な思想が少なからず混じっているが、概ね計算づくの発言である。

 アンジュは後ろを歩きながら、サイズのその底知れぬ腹の内に、言葉を失っていた。


 ピアたちをメイド長に任せ、サイズはまた自室に戻って本の続きを読み始めた。

「結婚したばっかりの奥さん、ほっといていいの?」

 アンジュは勝手に騎士道物語を読みながら、静かな空気に耐え切れなくなったように聞いた。

「お前、俺の護衛ってこと忘れてるだろ。敵のスパイが家にいるんだけど」

「大丈夫。サイズ強いから」

「俺が戦ってるの見たことないだろ……」

「で、ほっといていいの?」

「政略結婚の夫婦なんてだいたい不仲なもんだ」

「そうかな?」

「ジョークだ。常に暗殺の機会を狙いあってるのに、安易に近づけるか」

「そっか……」

 アンジュは複雑そうに言った。

「刺し当たって警戒すべきは、やはりあのメイドだな。ヴァンパイアといえば人の血を吸う怪力の化け物だ。それでいて向こうの貴族階級だから、適当な肩書も付けられる。メイドなのはわからんが、たぶんもとは家庭教師だろう。敵地に潜入して暴れさせるなら、これほど適役はない」

 中世の過去、大陸内の魔族を一掃する以前の歴史でも、ヴァンパイアは人類を脅かしていた。それこそ多くの騎士道物語ではヴァンパイア討伐が描かれる。もちろん当時の大陸は多くの種族が闊歩していたのだが、人々の恐怖に深く残っていたのはヴァンパイアだったのである。

「近々何か行動を起こすかもしれんぞ」

「まさか。たしかにヴァンパイアは強いけど、ソルは人を殺すような人じゃないと思うよ?」

「根拠は?」

「え、根拠? うーん……えーと……」

 アンジュは腕を組み、おそらく人生で一番に頭をひねり、ようやく答えを引きだした。

「目?」

「は?」

「いや、人を殺すつもりの目って、もっと獣みたいなんだよね。ソルはたしかにミステリアスだけど、目は優しかったよ?」

「曖昧だなあ」

 サイズはアンジュの実に牧歌的な頭を、若干うらやましく思った。つまり根拠は勘である。そこに論理性は欠片もなく、もとい机上の空論にすらならないものを、安易に信じるほどサイズもバカではなかった。

 だいたいサイズには、ソルの目がとても優しそうには見えなかった。何と言うか、実に冷徹で人を蔑むような目をしている。

「いいか。俺とあの淫魔の命が、人類と魔族の未来を握っている。向こうは充分に俺を殺す動機があるんだ。プロメテウスが死と同時に発動しないと知っていれば、すぐにでも動く可能性は……」

 と、言いかけた瞬間、部屋の扉が弾かれたように開かれ、一人の兵士が倒れこんだ。

「う、ウラノス、副、大臣……。あの、メイド、が……」

 そこまで言って、兵士は力尽きたように気を失った。よく見ればそれは、ピアたちの見張りを頼んだ兵士だった。

「う、嘘……」

「いきなり尻尾を出したな」

 信じられないと目を見開くアンジュに対して、サイズは冷静に立ち上がって部屋を出た。外には道半ばで力尽きた兵士たちが、ポツポツと倒れている。どれも外傷は見当たらないが、精神魔法か何かだろうか。

「ど、どこ行くの!?」

「様子を見る。お前も来い」

「危ないよ!」

「護衛を手にかけただけで国際問題にできる。協定を破棄にしたくなければメイドの強制送還。巧く交渉すれば、以降の世話係の入国拒否にも持って行ける。俺が現場を目撃すれば有利に運べるだろう」

 サイズたちは倒れた兵士たちを辿った。どうやら厨房にいるらしい。サイズは厨房の扉を勢いよく開け放ち、犯人を追い詰めるように叫んだ。

「貴様のやったことはわかっている! 大人しく……」

 サイズはその光景に絶句した。床で泡を吹いて気を失う兵士が二人。付近のテーブルには大量の皿と食べかけの料理。死んだ目で料理を運ぶ執事が二人。部屋の隅で腰を抜かして震えるシェフが三人。

 そして、メイド服の二人が料理を作っていた。

 サイズは困惑した。ソルもメイド長も、表情こそ普段とあまり変わらないが、何だか鬼気迫るオーラを背中から放出しながら、ひたすらに料理を作り続けている。

 倒れていた兵士が何とか起き上がり、力を振り絞ってサイズのもとに寄った。

「ふ、副大臣閣下」

「どうしました!」

「りょ、料理、が……」

「料理? ま、まさか毒!?」

「いえ、その、量が……」

「……量?」

「はい。料理対決で……うぷっ!」

 兵士は突然口を抑えると、扉を出て走り去っていった。

「し、失礼!」

 サイズの横を通り抜け、床に倒れていたもう一人も出て行った。廊下の兵士たちも次々と走っていく。よくわからないが、たぶんトイレは阿鼻叫喚だろうと、サイズは思った。

「じゃなくて、やめろ! ストップ! ストーップ!」

 サイズは気を取り直して、とりあえずソルとメイド長の間に入った。

「何ですかこれは! ちょっ、二人ともほんとやめて」

「邪魔しないでください、私は必ずこのエセメイドに……。おや、旦那様?」

「なかなかやりますね。しかしわたくしはまだ得意のデザートを……。あら、サイズ様?」

 ようやく手を止めた二人のメイドは、きょとんとした顔で我に返った。

「し、失礼いたしました。私としたことがつい熱くなって」

「とりあえず包丁置いてください」

 メイド長と、ついでにソルは慌てて包丁を置いた。その顔は少し赤く、恥ずかしそうである。こんなメイド長は見たことないし、ソルのそれも何だかイメージと違う。

「で、何があったのですか?」

「ええ、その、料理を、少々……」

「は?」

「お屋敷の中をご案内していたのですが、その、厨房に入ったときに、このエセメイドが……」

 メイド長は恥ずかしそうに下を向きながら、ちらりとソルを見やった。それを受けたソルが引き継ぐ。

「シェフが食事を作るとお聞きしたものですから、人間のメイドは料理も作れないのかと滑稽で仕方なく、思わず笑ってしまいました」

「下品な魔族と違って奥ゆかしい人間は普段から力を誇示しないのです。能ある鷹は爪を隠すという言葉がありまして。おっと失礼、教養のない魔族では理解できませんか」

「いやはや、下品なわたくしなどの安い挑発にも乗っていただけるとは、人間とは実に奥ゆかしい」

「とりあえず落ち着きましょうか。笑顔が逆に怖いから」

 今にも殺し合いが始まりそうな不穏な空気を感じ取って、サイズはいがみ合う二人の仲裁に入った。ほっとくとすぐ喧嘩しそうである。

「まあ、事情はわかりました。つまり、そこら辺にいた警備に料理を食べさせ、勝負をしていたと。一応聞きますが、どっちが勝ってるんですか?」

「そう言えばお料理を作るのに夢中で感想を聞くのを忘れていましたね」

「なんと迷惑な……」

 サイズは頭を抱えながら、何の意味もなくひたすら飯を食わされた兵士たちの勇姿を、心の中で称えた。

「あら、でもまだ生き残りの方が……」

 メイド長が、未だテーブルの料理を黙々と食べる人影を見つけた。大人用の椅子に座り、床に足の付かない状態で、懸命に手を伸ばして食事をする幼女。ピアがリゾットを食べている最中である。一口が小さいし、食べるペースも遅い。生き残っているのは、おそらく大食いだからというわけではないだろう。

「ちょうどいい、お客様に伺いましょう。ピア様、いかがですか?」

「ひゃう!?」

 ピアは突然話しかけられて一瞬驚き、近くのナプキンで口元を拭いてから、花のようにニッコリと微笑んだ。

「とってもおいしいです」

「な、なん、ですって……」

 言いながら、ソルが打ちひしがれたように倒れこんだ。

「そんなピア様……。人間ごときの料理がおいしいなどと……」

「ですよね! ですよね! それは私の作ったリゾットなのです! やっぱり私の料理はおいしいのです! ピア様、私は信じていましたよ! あなたは味のわかる方だと!」

「あ、いや、別にソルの料理がおいしくないんじゃなくて、メイド長さんの料理もおいしいっていうか……。ソルがいっつもおいしい料理を作ってくれるのはわかってるんだよ! だ、だから……」

 ショックを受けて涙ぐむメイド服の大人を、慌てて幼女が慰める。その横ではメイド服の大人が子供のようにクルクル回ってはしゃいでいる。最初から意味はわからないが、もう取り返しが付かないくらいカオスになっている。

「何と言うか、何だこれ……」

「だから言ったでしょ。ソルは人を殺すような人じゃないって」

「いやしかし……」

 たしかに今のソルは、サイズの暗殺を企てているようには見えない。もしやアンジュの言う通り、本当に杞憂なのだろうかと、サイズは思わずにいられなかった。

「まあそれはそれとして、どうするんだこれ」

 サイズは改めて厨房を見渡した。さながら皿の海である。台と言う台には隙間もないほど料理の乗った皿が置いてある。

「市民が食糧不足に苦しんでるときに」

「申し訳ありません」

 誰に言うでもなくサイズがつぶやいた言葉に、ソルとメイド長が揃って頭を下げた。無論、サイズは当てつけのつもりで言ったので、反省してくれなければ困る。

「しかし、ほんとにどう処理したものか」

「いっそのこと配っちゃうとか?」

 アンジュがポンコツメイドたちに代わり提案する。サイズはこのメンバーの中にいて、アンジュが一番まともだとは思わなかった。

「すっげえ厭味だなそれ。小麦とかなら称えられたかもしれんが、調理されてるものなんて残飯処理の感覚だ。特に革命派の連中は頭おかしいからな。何でも難癖つけてくる。うっかり革命されてもおかしくないぞ」

「じゃあ、捨てちゃうの?」

「まさか。それこそ革命の火種だ。まあ、何とか内々に消費するしかないだろ。メイド長。とりあえず警備……は全員グロッキーか」

 サイズは惨状を見ながら、もしやこうやって警備を機能停止に追い込むとか、アホみたいな作戦なんじゃないかとか考えて、たぶん自分は疲れていると悟った。

「じゃあ執事とメイドを全員呼んで来てください」

「かしこまりました」

 もはや瀟洒なメイドの威厳などないが、メイド長は外だけ取り繕って美しくお辞儀をして、厨房を出た。

「まあ、一先ずこれで落着か。実に意味不明だったが」

「あ、あの……」

 足元から不意に声がかかり、サイズは声の主を見やった。小さな妻、ピアが顔を真っ赤に染めながら見上げていた。

「もしよろしければ、お話しませんか……?」

 ピアは懸命に、勇気を振り絞るように言った。ピアとサイズには、夜のシルバ島で初めて会った時の一件がある。ずいぶんと恐れられているらしい。

「あ、ああ。……あ、いや、すまない。まだ仕事がある」

 サイズはピアの飾ることのない上目遣いに、思わず快諾しそうになったが、何とか気を取り直した。

「そう、ですか……。お仕事、頑張ってください」

 ピアはがっかりした顔をしてから、笑顔を取り繕った。その取り繕った笑顔がこなれているようで、サイズの心に妙に響いた。

「では、失礼」

 サイズは恐ろしい罪悪感を覚えながらも、妻を置いて厨房を出た。厨房から離れると、アンジュがジトッと睨んできた。

「いいの?」

「何が」

「奥さん」

「魔族など信用できん。どこで何が仕掛けられてるのかわからん。油断させて情報を引き出すつもりかもしれん」

「さっきちょっと靡きかけてた癖に」

「そ、それに! 仕事が残ってるのは本当だ」

「え、そうなの?」

 アンジュの素で覚えてないみたいな声に、サイズは呆れて振り返った。

「忘れたのか? 今日はもう一人ゲストがいるんだよ」

 サイズは溜息を吐き、もう一人のゲストの名を告げた。


 ポルティス王国西岸の港町ソドル。現在は主に軍港として用いられているこの港に、数隻の軍船が寄港した。サイズ副大臣は、強い海風に帽子を飛ばされないよう抑えながら、宰相と大臣の立ち並ぶ隣で様子を見守っている。

 一隻のフリゲートからはしごが落とされ、数体のウェアウルフが土を踏む。装備はマスケット。爪があるからか、サーベルは提げていない。魔軍の尖兵の基本装備である。

 ウェアウルフたちがマスケットを構えて警戒する中で、一人の男が船より降りてきた。

 燕のようなタキシードに、鬼のような片角。決して荒くれた様子のない落ち着いた雰囲気だが、どこか近寄り難い殺気を放つ悪魔。魔族の王、ベルゼビュート二世が、人類の大陸に降り立った。

 片メガネのウェアウルフ、デルシアの陸軍首相も降り立つと、宰相が歩み出る。サイズも宰相に付き従い、ベルゼビュート二世の前に立った。

 まず宰相とベルゼビュート二世が握手する。

「手厚い出迎えに感謝いたします、スティビウム宰相殿」

「遠路はるばるご苦労、ベルゼビュート国王よ。願わくば、我が王国の滞在中が、お互いによい時間となることを、祈っています」

 続いてベルゼビュート二世が大臣に手を伸ばす。通例なら大臣以下との握手は不要である。ベルゼビュート二世の異例の行動に、大臣は一瞬驚くが、すぐに握手をする。さらにベルゼビュート二世はサイズにも手を伸ばした。

「あなたが、プロメテウスなる魔法の使い手ですな」

 なるほど、わざわざ大臣に握手したのはこのためか。

 サイズはすぐに勘付いた。ベルゼビュート二世は休戦協定、戦争のカギを握るプロメテウスに興味があった。しかしすぐに副大臣に握手を求めれば大臣の立つ瀬がない。よって、まずは大臣と握手したということか。もちろんそんなことは大臣も気づいただろうが、ともかく面目は保たれた。

「初めまして、デルシア国王。国防省のウラノス副大臣です」

 サイズはベルゼビュート二世の威厳に臆することなく、あくまで副大臣として握手を返した。

「それでは、さっそく現地へ向かいましょう。馬車を用意しています」

 宰相が先導し、ベルゼビュート二世は護衛とともに、ポルティス政府の手配した馬車に乗り込んだ。魔族を乗せる御者は怯えたような表情をしている。

 サイズらも護衛と馬車に乗り込むと、馬車の一団はソドル港から街道を進みだした。

「すごい人だかりだね」

 護衛のアンジュが景色を見ながら言った。沿道には、魔族の王の姿を見ようと大勢の野次馬が群がっている。国内には協定の反対派も多いため、街道も厳重な警戒態勢を敷いている。

「朝から警備が張り付いてたからな。協定のニュースだけで巧く記者はかく乱できたが、近所の噂まではどうもできん。おかげで他国からも見物が来てそうだ」

「これから向かうのって、えっと、何だっけ?」

「リーリズ城だ」

「あ、そう。それそれ。たしか中世のお城だよね? 白くてきれいな。有名な恋愛物語のモデルだった。ユリのお城なんて、かわいい名前だよねえ」

 アンジュは軍服にまったく似つかわしくない、しかしその顔には結構似合っている乙女な顔をした。

「まあ、そうだな。ユリ、というかスズランだ。皮肉な名前だよ」

「え、皮肉?」

 サイズは今一度、車窓に目を向け、アンジュの質問には答えなかった。ただ、出かける前のピアの顔が、頭から離れなかった。

 特にトラブルもなく、馬車は街道を進む。やがて林道に入ると人だかりはなくなる。森を抜けると、緑豊かな草原に囲まれた町が現れた。

 遠くに見える中世の城以外には大したものもない、農村地帯のリーリズである。しかし日が落ちる前だというのに、市民の姿はない。まるで時が止まったような静けさで、野生動物や虫の鳴き声がたまに聞こえるだけである。

 町に近付くと、二人の魔道師が立っていた。一人は杖を掲げており、もう一人と世間話をしている。二人とも軍規定のローブである。馬車がそこで止まると、サイズたちは次々降りた。

「ご苦労」

「閣下。お疲れさまです」

 宰相が声をかけると、杖を掲げている方は声だけで、もう一人は敬礼をして答えた。

「この者たちは魔道歩兵です。毒が拡散しないよう、数か所で結界を張っています」

 宰相の説明に、ベルゼビュート二世は「ふむ」とうなった。

「毒、ですか。その割には木々や草花は枯れてないようだ」

「魔道医によれば、直ちに影響があるわけではないが、多量の毒を浴びると、後に地獄の業火のような永遠の苦しみを感じるそう。お気をつけくだされ」

 スズランはその美しい姿とは裏腹に、猛毒の植物である。もちろん、その名が町や城についたとき、他意などなかっただろう。ただスズランがたくさん咲いていた、程度のものだ。

 しかしこの一年。劇的な人為的環境の変化によって、リーリズの名は皮肉な名となってしまった。

「これより先は馬車では通れません。特殊な結界に入って頂きますゆえ、ご容赦を」

 宰相の護衛の一人がベルゼビュート二世に杖を向けると、護衛のウェアウルフが銃を向ける。一触即発の雰囲気の中で、ベルゼビュート二世は無言のまま手を差し出して、ウェアウルフを制した。

「失礼いたします」

 護衛の杖が光り、ベルゼビュート二世は甘んじて結界に入った。

「ほれ」

 その光景に注視していたアンジュに、サイズも杖を向ける。

「え、何?」

「お前も結界に入れた。これで入れるぞ」

「あ、ありがとう」

 ウェアウルフたちもベルゼビュート二世に倣い、次々結界に入った。宰相たちも自らに結界をかけ、これで全員が毒に侵されることはない。

「では、参りましょう」

 宰相の音頭で、一行は進みだした。

「ねえサイズ。毒ってほんとなの?」

「ああ、魔道医たちが嘘をついてなければな。これまで多くの魔道医や学者が調査に入ったが、その意見は一致してる」

 サイズは慎重に、魔族の前で言って良いことと、いけないことを吟味しながら答えた。

 一年前から整備されてない草だらけの道を進むと、ついに一行は巨大なリーリズ城の足元に到着する。

「ああ……」

 おとぎ話の世界の、憧れの城を前に、アンジュは絶句した。

 かつてスズランのように白く、王のように雄大であったろうその城は、今や見る影もない。白壁はくすみ、ツタが茂っている。あらゆる襲撃を阻んだであろう水堀は干からび、城下にあるはずの町はどこまで見渡しても更地。

 そして、きっと頑強であったはずの石造りの城は、半分以上がなくなっていた。

「なるほど。これがプロメテウスの威力……」

 百戦錬磨のオーラを放つ魔王でさえ、その光景に言葉を失った。

 リーリズ。改め、プロメテウスの実験場。史上初めて、公式にプロメテウスの試験を行った地である。

 人類が、多くの労力と、長い年月と、知恵の限りを尽くして建造した文化の結晶は、その一発で崩れ去った。

「元いた市民は皆退避させており、今は都市部で生活をしています」

 宰相の説明に、他の誰でもなく、アンジュがホッとした表情をした。この光景から察するに、この場に人が残っていたとして、一体何人が死なずに済んだだろうか。放った本人であるサイズは、考えたくもなかった。

「いやさすがだ。これは予想以上。ウラノス副大臣殿、素直に感服しましょう」

 ベルゼビュート二世はわざとらしくサイズを持ち上げると、眼光を鷹のように変えて続けた。

「して、これはどれ程の射程を持っているのでしょうな」

「さあ、測ったことがないので何とも。何なら試してみましょうか。運がよければ、洋上の小島が一つ沈む程度で済みますが」

 魔王は一瞬冷たい視線でサイズを睨みつけると、途端に顔を戻した。

「いや、止めておきましょう。運が悪ければ、こちらも相応の返事をしなければならない。せっかく長い期間協議して締結した協定。さっそく無下にしたくは、ありませんからな」

 サイズと魔王は、しばらく冷たい笑顔のまま見つめ合う。

「ふふ、ははははは」

 やがて二人は、暗く笑いあった。その状況を理解できたのは、おそらく宰相と大臣のみだろう。アンジュや他の護衛、あるいはウェアウルフたちのような、軍と言う敵と味方のはっきりする組織にある者たちには、この他人を牽制する笑いは理解できまい。

「さて、もう少し行った先に川があります。そちらも是非ご覧いただきたい」

 宰相が歩きだし、プロメテウスの他に興味はないという風に、ベルゼビュート二世も無言で続く。サイズはその魔王の後ろ姿に、問いかけた。

「ピア・エメラルドのことは、聞かないのですか?」

「エメラルド? ……ああ、ラグナロクの。彼女がどうされた」

「いや、何でもない。気になさるな」

 サイズは帽子を目深にかぶり、先を進んだ。やがて日が落ちるまで、一行は大量破壊魔法の威力を辿った。


 辺りがすっかり暗くなったころ。副大臣官邸に一台の馬車が止まった。官邸から出てきた執事が扉を開いた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

「ありがとう」

 サイズは執事に目も合わせず礼を言うと、慣れた足取りで馬車を降りる。そして執事が御者に運賃を払う間に、スタスタと歩きだした。

「閣下たちとのディナー。サイズは行かないの? あ、どうもすいません。ただいま戻りました」

 庭に並んだ使用人たちが「お帰りなさいませ」と挨拶する中で、アンジュは申し訳なさそうに頭を下げながら聞いた。まだ高級貴族の生活様式は見慣れないらしい。

「向こうの陸軍副首相だって来てないだろ? 本来、外遊に副大臣が出迎える必要はないんだ。ただしリーリズの視察が目的である以上、俺がいる必要があった。あとのディナーは、ただゲストをもてなすだけ。国防省からは大臣がいけば結構」

 当のサイズはまったく気にしていない風に、使用人たちをスルーする。

「それに、こっちにもゲストがいる」

「いいかげんそのゲストって言い方やめたら? お客さんじゃなくて、自分の奥さんじゃない」

「一か月後にはどっちかいなくなってるんだ。夫婦ごっこをするつもりはない」

「サイズ……」

 アンジュは悲しいような声でつぶやいた。魔族といえば、古来より人類の命を脅かし、今でも人類を滅ぼさんとする敵である。魔族との激しい殺し合いを繰り広げ、魔族に悪魔とまで呼ばれたこの軍人が、なぜ魔族に肩入れするのか。アンジュの考えが、サイズには理解できなかった。

 扉の前まで到着すると、警備兵が敬礼して開ける。玄関の前でサイズを出迎えたのは。

「お、お帰りなさいませ、あ、あな、た……」

 人類の敵が顔を紅潮させて座っていた。しかもその座り方が、どっか極東の訳わからん国特有の正座とか言うやつである。その座り方は、とてもしおらしく見える。

 サイズはまたしても状況を処理できず、フリーズする。そんなサイズをよそに、ピアは子供の演技のように拙く、しかし一生懸命に言葉を紡ぐ。

「ご飯にしますか。お、お風呂にしますか。そ、それともわた、わ……」

「食事にしてください、メイド長」

「へ?」

 しかしサイズ、これをスルー。

「はあ……。サイズ、そりゃないわ」

「まったく、人間の男はなっていませんわね」

「旦那様、ありえませんよ、それは」

 気を取り直してピアの横を素通りしたサイズに、なぜかメイド長さえも蔑むような視線を向けてきた。

「え、何これ。俺が悪いの?」

「旦那様よく考えてください。ピア様がこんなに一生懸命に、恥ずかしいのを我慢して、かわいらしく誘ってくれているのですよ? それで即答で食事。その上他人に返答するなど……。はあ。ありえませんわ」

 メイド長は追い打ちとばかりに溜息を吐いた。

 え、何これ。何でこいつ、いきなり悪魔と仲良くなってんの?

 サイズは意味がわからず、屋敷を見回してみる。アンジュ、ソル、メイド長が呆れたような表情で見ている。ピアがちょっと泣きそうだが、懸命にこらえている。

 他の使用人たちは、やはり魔族を恐れているようで、距離を取って近付こうとしない。よかった。異常なのはアンジュ達の方らしい。

「ゲストをディナーでもてなすのは貴族の務め。ゲストに食事を用意させるのも狂ってる。他に理由がいりますか?」

 サイズはなるべく角を立てないよう、極力個人的思考は排除して説明した。

「はあ。かしこまりました」

 メイド長は何がそんなに不満なのか、また溜息吐きながらも渋々厨房へ向かった。

「で、サイズ。どうすんの?」

「今度は何だよ」

「あの娘」

 アンジュが視線で示した先では、ピアが涙をふきながら立ち上がり、やがてこちらの視線に気づくと取り繕った笑顔を向けた。サイズは咳払いをして目をそらす。

「いいんだよ、別に……。魔族に情けをかけてやる必要などない」

「あ、サイズ、待って!」

 サイズは逃げるようにスタスタと歩いて行ってしまった。サイズはピアの、どこかこなれた作り笑顔が、好きになれなかった。

 

 食事の準備が完了し、サイズとアンジュは食堂に向かった。長いテーブルの先にはすでにピアが、他人の家で委縮している猫のように小さく座っている。給仕としてソルが後ろに立っていた。

 主人と使用人が一緒に食事を取ることはない。これまでも食堂には多くの人があったが、同じテーブルを囲んで、誰かと食事をした覚えはない。誰かと同じ時間にナイフを握る。距離的には少し遠いが、そのなぜか息が詰まるような近さに、サイズは違和感があった。

「というかお前、食事中も俺に付いてるのか?」

「そりゃ、護衛だし。四六時中付いてろって、軍どころか国防省からの命令だから」

 アンジュは当然といった顔で口笛など吹いている。軍人として来てるなら態度も改めろと、サイズは思った。

 主人が席に着くと、給仕が始まる。メイド長とソルがワゴンから皿を取り出す。

「前菜の……」

「シェフを呼んでください」

 メイド長の説明を遮り、サイズは言いつけた。使用人たちの動きが凍り付き、とっさに一人の執事が食堂を飛び出し、シェフを連れてきた。

「だ、旦那様、お気に召しませんでしたか?」

「なぜ陶器を使ったのですか?」

 慌てて帽子を取るシェフに、サイズは質問する。

「と、東方より良い皿が手に入りましたので、旦那様に是非にと……」

「貴族がなぜ銀食器を好むのか、わからないシェフではないでしょう。それも国賓級の来客のときに」

「それは……」

 うろたえるシェフに、サイズは判決を下す。

「今晩は、頭を冷やしてよく考えてください」

「うう……」

 気落ちするシェフを、執事が牢屋に連れて行った。

「明日から毒見を雇いましょう。手配してください」

「かしこまりました。もし、そこのあなた」

 メイド長が近くのメイドを呼び、毒見役の人事について執事長に相談するよう伝言した。

 つまり、シェフが毒を盛ったのである。無論、サイズに毒を盛る動機はない。狙いは魔族のピアである。

 人間の魔族への敵意は大きい。貴族でも市民でも、子供のころから魔族は鬼畜な悪の権化であると教えられるのだから、無理もない。シェフほど過激な行動に出るものは少ないにせよ、恐怖と憎悪の対象である魔族との生活など、人間にとっては耐えられるものではない。これが、正常な人間の、魔族に対する態度である。

 しかし、今殺されては困ると、サイズは暗殺を防いだ。まずは敵のラグナロクが自爆型であるのか、見極めなければならない。

「仕方ありません。メイド長、ディナーの用意を」

「かしこまりました。十分ほど、お待ちくださいませ」

 指示を出すと、メイド長はワゴンを引き、数人のメイドを引き連れて食堂を出た。

「申し訳ない、エメラルド嬢。シェフが粗相をした。今しばらくお待ちいただきたい」

「い、いえ……」

 サイズは心のこもってない平坦な声で、頭も下げずに謝った。いきなり毒殺されかけたピアの返事は、怯えたように震えている。

 きっかり十分して、メイド長が戻ってきた。またサイズの給仕に付くと、メイドたちによってワゴンが到着した。

「ベーコンとオリーブのキッシュでございます」

 配膳された銀食器には小さなキッシュが二つ置いてある。前菜といえばさっぱりしたものが多いが、おそらく毒の話が持ち上がったばかりなので、火の良く通ったものにしたのだろう。

 サイズはキッシュを口に入れる。さすがはメイド長である。厨房でのソルとの一件で、瀟洒なメイドとしての威厳は地に落ちたが、やっぱりこの人は有能だったのである。

 前菜が終わると、次はスープが運ばれた。サイズはスプーンを握り、優雅にスープを掬おうとしたところで、無粋な声が入る。

「サイズ、静かなんだけど……」

 サイズは無言のまま、露骨に嫌そうな顔をアンジュに向ける。おそらく貴族の食事の作法など知らないアンジュは、何か変なこと言ったかと慌てたように言いかえる。

「い、いや、だってご飯中って普通もっとしゃべらない? これおいしいね、とか! 私が子供の頃とか家族みんなしゃべってたし、軍のみんなも感想言いあったりするよね?」

 同意を求められても困る。しかし、そう言えば他の国は知らんが、我が王国は食事中しゃべるのは、むしろマナーだと聞いたような気もする。何でも軍人が貴族だけだった時代は、魔族との戦争に明け暮れていたから、絆を強固にするために食事中のコミュニケーションを欠かさなかったのだとか。

 そう言えば宰相とのディナーでは、あの人すげえしゃべってた。と、普段一人で黙々と食べていたサイズは思い返した。

「アンジュ、こういう場合って何をしゃべればいいんだ?」

「へ?」

 サイズはピアに気取られないよう、正面を向いたまま小声で聞く。煽りとか厭味とかはポンポン出てくるが、基本的には十年外部とのコミュニケーションを断っていたサイズである。こういう日常会話的なものは苦手だった。

「そんなの、何だっていいでしょ。今日のことだっていいし、自分のことだっていいし、相手のことだって」

「なるほど」

 サイズはナフキンで口をふきながら話題を考えた。

「エメラルド嬢。一つ聞ききたい」

「ひゃ!? ひゃい!」

 慌てて口をふくピアを待って、サイズは話題を振った。

「死ぬと同時にラグナロクは発動するのか?」

「なっ!?」

 その質問に、ピアではなくアンジュが真っ先に驚いた。

「ば、バカなのあんた!? いきなりそんな話題って……」

「うるさい。急に話せと言われても俺は仕事の話しかできん。それにまさか教えてくれるとは思ってない。これはブラフで……」

「いえ、それで発動はしません」

「は?」

 が、あっさりと答えたピアに、サイズとアンジュはそろって間抜けに口を開いた。

「そ、それはつまり、死ぬと自動的に発動するとか、そういうオプションはない、ってことか?」

「はい。私の意思がなければ、発動することはありません」

 ピアの顔に嘘をついている様子はない。視線はまっすぐサイズを見ており、動揺は感じられない。まさかこの無垢な少女が、人を騙す手練手管を体得しているとは思えない。ピアの後ろのソルにも目を移す。表情から嘘をつく後ろめたさは感じないが、こちらは参考にならないか。

 サイズはしめたと思った。ずいぶんあっさりと情報を得てしまったが、構わない。今晩中に殺してしまおう。

「あの、サイズ様。私からも、よろしいでしょうか?」

 真顔で暗い計画を練っていると、ピアが聞き返してくる。サイズは余計な情報を流さないよう、身構えた。

「何だ?」

「サイズ様の、ご趣味はなんですか?」

「しゅ、趣味?」

「はい!」

 サイズはまたもや拍子抜けした。趣味など聞いてどうするのだ。

 しかし、とサイズは考える。

 思い返せば趣味という趣味などない気がする。たとえば普通の貴族なら、読書、執筆、音楽、学問、服などなど。いろいろ経験して貴族らしい趣味の一つや二つを見つけるものだ。

 しかし、サイズは五歳よりこの年まで、ずっと魔族への憎悪を原動力に修行に勤しんだ。最も自由なその期間に、サイズは最高に無駄だが、人生を豊かにする本を読んでいない。音楽も聞いていない。服など薄汚いローブ一着だった。

「強いてあげるなら、哲学、かな」

 そんな幼少期を過ごしたサイズに趣味があるとすれば、これだった。周りにまともな娯楽などなかったサイズは、ふと暇になったその時間、考えることを楽しんだ。

「哲学?」

 ピアが首を傾げる。後ろからアンジュの、「また始まった」と言うような溜息が聞こえた。

「哲学と言っても、難しく考える必要はない。哲学の本来の意味は『知を愛する』ことだ。アカデミーで学問でもしない限り、セクレテスやプラトーンを読む必要はない。自分が知りたいことを突き詰めて考えればいい。そう言えば、東方の宗教に禅問答という考え方があるらしい。あれも答えがない概念的な問いを、自分なりに考えるらしい。考え方は近いのかも……」

 長々と語り出したサイズだったが、途中で話を止めた。

「すまない。こんな話をされてもつまらないな」

 サイズは今朝、政治の話で早々に興味を失ったアンジュの姿を思い出した。アンジュだけではない。サイズの哲学や政治の話は、他人にはつまらないのだと薄々気づき始めていた。

「やはり俺の話はいい。アンジュ、適当に話題を……」

「いえ、そんなことありませんよ」

 結局コミュニケーションを断念するが、そんなサイズにピアはかわいらしい笑顔を向けた。

「サイズ様のお好きなお話なら、ぜひ聞かせてください。サイズ様のこと、私は知りたいです」

 ピアのその笑顔は、これまでの取り繕った笑顔ではなかった。少女が初めて見せた年相応の笑顔に、サイズはなぜか引きつけられた。

「そうか。ならもう少し話そう」

「サイズ様は、今どんなことを哲学されているのですか?」

「最近のテーマは、人間とは何か。人間の定義だな」

「人間の、定義ですか」

「ああ。この間の話だが、オルセーヌに人間は猿から進化したと唱えた奴がいた」

 後ろのアンジュが「ぷっ」と吹きだした。ピアも「お猿さん?」などと、頭にクエスチョンマークを浮かべたように困惑している。

「たしかに、荒唐無稽な話だ。俺だってまさか信じられない。当然そいつは異端審問にかけられ、銃殺刑に処された。しかし俺は同時にこうも思った。そいつが出した証拠はあまりに稚拙だったが、同時にそれを否定する証拠も聖書しかなかったんだ」

「じゃあ、もしかしたら、なんてこともあるのですか?」

「さあな。しかし、もし確固たる証拠を提示すれば、俺たちの常識は近い将来で覆されているかもしれん」

 ピアは想像もできないといった風な、ぽーっとした顔をしている。こういう顔は年相応である。

「それで本題だ。今まで人類は、人間は動物とまったく違う優れたものだと考えていた。しかし猿から人間への進化が事実であれば、その認識が見直されることになる。つまり何を持って人間とするのかを、明確に定義づける必要が出てくる」

 進化論が事実であれば大事件である。人間と動物の境界が崩壊し、どのラインでこれまでの人間と同等の権利を与えるのか。法律の問題だけでなく、無意識のレベルで変化が生じてくる。たとえば、馬に乗ることも法に明記されない禁忌とされる可能性もあるのだ。

「実を言うと、これまで知識人の間で共有されていた人間の定義は、『魔法が使えること』だった。つまり厳密に言えば、市民階級は人間扱いされてないことになる」

 食堂の中で唯一市民階級のアンジュが、「えっ」と小さく驚いた。

「と言っても、その認識は何となくのもの。定義が法律で定まってないから、大多数の権力者が漫然と思っているだけ。市民階級が定義から外れてることなんて、思ってもないだろう。しかもその定義は、案外最近出てきたものだった。なぜ『魔法』を要諦にしたか、わかるか?」

 ピアは少し上を向いて考え、「わかりません」と素直に首を振った。

「南方大陸の奴隷を、正当に奴隷として使役するためだ。人間と違って動物は魔法が使えない。つまり魔法が使えないのは動物であり、魔法の使えない南方大陸の動物なら、牛や馬のように使役していいだろう。という論法だ」

 人間が人間を奴隷とすることはできない。なぜなら、神の下に平等であるからだ。しかしその平等の中に動物は含まれない。奴隷として使役するためには、対象を動物だと無意識下で認識しなければならない。

「しかし貴族たちの認識には間違いがあると俺は思ってる。記録には、南方大陸との戦争では、得体のしれない呪術に苦しめられたとある。おそらく大部分の貴族はこんな記録に興味ないだろうが、これってたぶん向こうの魔法だろ」

 つまり、漠然と信じられてきた定義が根本から覆される事実である。この際奴隷はよくないという倫理的問題は無意味である。それを言えば牛や馬はいいのかと、際限がなくなる。

 話の本筋は、人間の定義は容易に移り変わる、曖昧なものである。あるいは定義を決めているのは、権力者による思い込みの多数決である、という点である。

「注目すべき事件がもう一つある。今から数年前、この世のありとあらゆる生物には、魔力が宿っていると主張する学者が現れた」

「えっ!?」

 と、今度は食堂にいる全員が驚いた。市民も動物も魔法が使えない。つまり魔力など最初からないのだと考えるのは自然であるから、これまた荒唐無稽な話である、

「もちろんそいつも当初は異端扱いされ、処刑された。しかし進化論のエセ学者と違って、彼の出した証拠は完璧だった。後に多くの学者が声を上げ、今では貴族の上層の中では常識になりつつある」

「そ、それじゃあ、私も本当は魔法使えるの!?」

 アンジュが立場も忘れて食いついてきた。普段つまんなそうに聞き流す癖に、とサイズはちょっとイラッとしたが、ピアが続きを待っているので抑えた。

「理論的にはな」

「で、でも全然そんな気配ないんだけど……。あ、もしかして、あるにはあるけど、ほとんどないから、みたいな?」

「いや、少なくともアンジュは俺より魔力あるぞ。俺より少ない奴はそうそういない。おそらく魔道師が魔法を使える理由は、教育と環境だろう。小さなころから魔法が身近にある環境で、両親から魔法についての英才教育がなされる」

「えっと、つまり、私でも教えてもらえば魔法が使えるってこと?」

「それはわからん。実は政府でも実験をしててな。適当に見繕ってきた市民に魔法教育を施してるんだが、成果はない。幼少期にしか身に付かないのかもしれん」

「何だ……」

 アンジュはいきなり興味を失ったように舌打ちをした。どうやら本当に立場は忘れているらしい。

「しかし俺は希望があると思ってる。オルセーヌのジャンナ・ダークなんて良い例だ」

「ジャンナ!」

 物語大好きのアンジュは、男が活躍しまくる中で燦然と輝くヒロインの名に叫んだ。

「田舎娘が神の声を聞いて国を救った。偶然魔法に目覚めたと俺は睨んでる。後に魔女裁判で処刑されたのは、貴族以外が魔法を持つのを恐れたとも解釈できる」

 この手の話は、物語の中に結構ある。中には明らかに創作のものもあろうが、ジャンナが実在した可能性は高い。

「それじゃあ」

 と、今度はピアが質問する。

「お猿さんやワンちゃんも、実は魔法を使っているのですか?」

「それは考えたこともなかったな。観察する限りでは魔法を使っているようには見えない。市民と同様に、魔力を持っているからと言って、それを使えるかはやはり別問題か……」

 サイズは少し考え込む仕草をすると、不意に何か気づいたように「いや」と、続けた。

「もしかすると、本来俺たちが魔力と呼んでいるものは、魔法を使うためのものではないのかもしれん」

「どういうことですか?」

「今思ったんだが、本来魔力は生きるために必要なものだったんじゃないかと。移動しながら食糧を確保し、身を守るために危険を察知する。それらを魔力で感知する術を、動物は持っているのかもしれない。例えば動物たちは、大きな自然災害が起こる直前で逃げだしたりするだろ? 実は魔力で感知しているのかもしれない」

 竜巻の直前に飛び立つ鳥の群れ。干からびた砂漠でオアシスを発見する馬。それらは人間が察知できないが、彼らはまるで予知しているように行動することがある。

「人間が猿から進化したという進化論に立ちかえれば、かつて同様に生活していた人間は、食糧を自ら育て上げ、身を守るための強固な拠点と武器、火を使う技術を発達させた。結果的に生きることに魔力を使わなくなった人間の中で、偶然魔力を魔法として使う方法を考え付いたものが現れた。技術を発達させた人間は、魔力で危険を察知する能力が衰えているのかもしれない」

 サイズは、これを進化と呼ぶべきか退化と呼ぶべきか一瞬考えあぐね、とりあえず変化とだけ名付けることにして持論を展開する。

「この変化が連綿と現代の体制を形作ってきたとも考えられる。魔法の存在は、まともな武器が槍と弓しかない社会では、土地を守る最も有効な手段となる。魔法に目覚めた少数は、魔法を独占しようと秘匿し、世襲制を堅持する。それが荘園の守護を発端とする騎士、貴族の始まりとなった。なるほど、これは面白い考え方かもしれん」

「サイズ、キモイ……」

「なっ!?」

 一人で納得してうんうん頷くサイズに、アンジュは非情な感想を表した。

「お、お前にはこの崇高な考察が理解できんのか! 哲学どころか従来の歴史や聖書の記述さえ覆す大発見かもしれないんだぞ!」

「いやだって、哲学とか歴史とかどうでもいいし。何かこう、人生で必要?」

「それを言ったらお前の大好きな物語だって生きるのには必要ないだろ!」

「物語は必要ですう! 恋愛と騎士道は必要ですう!」

「何と自分勝手な……」

 サイズは呆れて額を抑えた。論破されたのではない。不毛だと気づいたのである。

 とはいえ冷静に考えると、やはり一般的に考えればつまらない話を長々としてしまったのは事実である。アンジュに対してはどうでもいいが、一応ピアには謝らねばなるまい。

「すまなかったな、エメラルド嬢。つまらない話を冗長にしてしまうのは、俺の悪い癖だ」

「い、いえ、そんなことは……」

 ピアは明らかに気を使ったような返答をし、しかしすぐに素直に言いかえる。

「たしかにサイズ様のお話は難しくて、私にはよく理解できませんでした。しかし、サイズ様がお話されている最中のお顔は、とっても楽しそうで、私は好きですよ!」

「すっ!? そ、そうか……」

 サイズは素でうろたえた。おそらくこの「好き」という言葉に他意がないことは、サイズも理解している。しかし人生でこんな直接的な愛情表現をされたのは、サイズにとっては初めての経験だった。

「うそ、ピアちゃん……。こんな理屈っぽい男まで許せるの? すごい包容力……」

 アンジュが何だかよくわからんことを言っているが、サイズはそれどころではなかった。

 やはり魔族と言えど、いいところの生まれは品がある。しっかり教育がなされているから、人生の大いなる無駄を尊べるのである。生きるための欲望を満たすべく生きる獣のごとき輩とは、格が違う。

「よし、そういうことであれば、もう少し話を続けよう」

「はい!」

「え、この話まだ続けんの?」

 うんざりした様子のアンジュを無視して、サイズはまた勝手に話し始める。ピアはきっと訳が分からないであろう話を、それでも笑顔で一生懸命に聞く。

「人生というものについて考えたことはあるか? 国や民族、個人によってもその考え方はそれぞれだ。俺はそれこそが、概念的ではあるが人間の定義になると思ってる。たとえば極東の蛮族だが、奴らの戦士階級は武士道という特殊な生き方を信奉している。宣教師の報告書が根拠だから、どこまで信じていいかわからんが、それがなかなか興味深い」

 サイズは時間が経つのも忘れて、しゃべり続けた。おかげで食事が驚く程進まなくて、いつもの三倍は時間がかかってしまった。やはり食事中にしゃべるのはよくないらしい。

 しかし、マナーであれば仕方ないかなと、サイズは明日の話題を考えた。

 

 十二時の鐘も過ぎた深夜。たっぷりと時間をかけてディナーを終えたサイズは、寝室にいた。

「どういうことだ」

 サイズは寝室の扉の前で、怪訝に口を開いた。アンジュ、ソル、メイド長の三人は困惑しながら聞き返す。

「どういうことって?」

「なぜエメラルド嬢がここにいるかと聞いている!」

 サイズは、寝室の椅子の上でうつらうつら座っているピアを指差した。

「エメラルド嬢には部屋を用意したはずだろ! なぜ俺の部屋にいる!」

「なぜって、あんたら夫婦でしょ」

「それとこれと何の関係がある」

 アンジュが両手を上げて首を振り、どことなくませた表情で溜息を吐いた。

「いや、ほら。大事な初夜じゃない?」

「サイズ様。ピア様は初めてなので、どうぞお手柔らかに」

「そうですよ旦那様! ここが男の見せどころじゃないですか!」

「何だこいつら……」

 サイズはあまりに直接的な下世話な話に、気圧された。基本的に大人な感じを取り繕ってるだけの子供だから、こっち方面の話はからっきしである。アンジュは同い年であるが、やはり精神的成長は女性の方が早いのだろうか。

「まあいいから一緒に寝て来なさい。テストだから」

「は? テスト?」

「いいから行けヘタレ」

「おわっ」

 アンジュに無理やり部屋に押し込まれ、扉を閉められた。退路を断たれた。

「あのう……」

 どうしたものかと途方に暮れて立ち尽くしていると、背後から間延びした声がかかった。振り返ると、眠そうに目をこするピアの姿があった。この小さな少女には、深夜まで起きているのは大変なのだろう。

「私、やっぱりお部屋に戻ります」

 ピアの提案に、おそらく扉の前で護衛に張り付いているアンジュを思い浮かべた。今ここでピアが出て行けば、幼女を追いだしたクソ野郎のそしりは免れない。

「いや、そういうわけにはいかんだろ。幸いにもダブルベッドだ。一人で持て余してたところだよ」

「ふえ!? それはつまり、一緒のお布団で……」

「い!? い、いや、そういうわけじゃ……!」

 サイズは慌てて否定するが、他に寝具などない。

「あ、安心しろ。手は出さん」

「そう、ですか……」

 ピアは安心したようながっかりしたような声で頷いた。

「それではその、おやすみなさい」

「あ、ああ、おやすみ」

 ピアがぎこちない動きでベッドに潜り込み、サイズも意を決してランプの火を消した。寝室がすっかり暗くなり、サイズはベッドの端に遠慮するように入った。ベッドの中は、何だか温かいを通り越して暑い。

 サイズはベッドの中で、なるべく動かないように小さくなった。頭をよぎるのは初夜というアンジュの言葉。よもやこんな幼女に手を出すつもりはないが、サイズの意識はなぜか背中の幼女から離れなかった。

 カチコチと音を立てる振り子時計が耳障りである。とっくに十二時を過ぎているので、突然ベルがなる心配はないが、心臓に悪い。

 しかし、思えばすっかり遅くなってしまった。オペラを見た夜などはこれぐらい当たり前だが、貴族にしては健康的な生活を送るサイズにとって、パーティーもオペラもない夜がこれほど長い経験はない。

 思えば、今日はずいぶんと自分のことを話した気がする。今まで誰も聞かなかった哲学の話。セクレテスの時代に生きていればと、サイズは何度運命を呪ったことかわからない。

 そういえば、ピアもはっきりと、話の内容は理解が難しいと言った。きっと面白くはなかっただろう。

 それでも、彼女はひとまず話を聞き続けてくれた。おかげで新たな発見もあった。

「な、なあ、エメラルド嬢」

 サイズは教養ある貴族らしく、せめて礼だけは言おうとピアの名を呼ぶ。しかし聞こえてきたのは返事ではなく、すうすうという小さな寝息だった。

「何だ、寝てるのか……」

 サイズはどこかホッとしたように言った。

 よい子はとっくに寝ている時間である。きっと頑張って起きていたのだろう。無理もない。

 まったく、何をやってるんだ俺は。

 サイズは暗闇の中、またピアのことを考える。ディナーの時のことではない。それ以前に見せていた取り繕った笑顔である。あの年不相応で、無邪気さの欠片もない作り笑顔は、身に付けようと思って身に付くものではない。

 それに反して、おそらく興味がない哲学の話を延々されている間の笑顔は、作り笑顔ではなかった。誰かがどうでもいい話をしてくれる。そんな機会が少なかったのだろう。

 その理由は、ベルゼビュート二世との会談で察した。

 ピアの両親は、娘を売ったか殺されたか知らないが、すでにいない。魔王が義理とはいえ親になったわけだが、彼はピアをラグナロク、兵器としか見ていない。彼女の従者、ソルとの関係は定かではないが、もしかすると彼女だけが唯一の心を許せるものかもしれない。

 兵器としか見られない気持ちは、サイズもよくわかっている。サイズの哲学に当てはめれば、扱いは違えど、その本質は奴隷と同じである。

 兵器は人間ではない。利用価値のある「もの」でしかない。

 サイズはそれが嫌だった。力ではなく、サイズ・ウラノスという人間を認めてもらうために、必死に政治の勉強をした。サイズ・ウラノスという人格を知るために、哲学をした。

 サイズはおもむろに起き上がると、そばの引き出しを漁った。冷たい感触を見つけ、意匠を凝らしたナイフを取り出す。

 ベッドに座り、ふと使命を思い出したように、首筋にナイフを突き立てた。ラグナロクは自爆型ではない。暗殺によってその存在を滅却することができ、長きに渡る人類と魔族の争いに終止符を打てる。親の仇を根絶やしにできる。

 眠っているピアは無防備で、その表情は幸せそうだった。細い首筋はナイフなど使わなくとも、軽くひねっただけで小鳥のように儚そうだった。

 サイズはしばらく真顔のまま静止して、途端に力を失ったように構えを外した。そのまま元の引き出しにしまい込むと、何食わぬ顔でベッドに戻る。

 ピアから聞きだした情報が嘘とも限らない。本当は自爆型だったとすれば、都市とプロメテウスが同時に消滅することになる。魔族からすれば嘘を吐くメリットがある。安易に信じるべきではないだろう。

 サイズはベッドの中で、冷静に考えた。


 カーテンの間から薄日が差し、サイズは怪訝そうに目を開けた。

「くそ、寝れなかった……」

 あれからまた哲学にふけっていたサイズは、結局眠ることができなかった。

 サイズは溜息を吐いて隣に首を回す。音をたてないようにベッドを出て、そっと寝室の扉を開けた。警備の男が壁に寄りかかって眠っている。夜の間にアンジュと交代したようだが、何とも緊張感がない。

「おはようございます、サイズ様」

「おはようございます、旦那様」

 部屋の前を通りがかったソルとメイド長が、主人に気づいて頭を下げる。サイズはあくびをしながら「おはよう」と返事を返した。

 サイズの返事を受けると、二人はまた歩いていった。一日でずいぶんと仲良くなったものである。

「朝食の準備は私がします。お客様はどうぞごゆっくり」

「何をおっしゃる。ピア様やサイズ様にいつまでも粗末なものを召し上がっていただくわけにもいきません。今朝はわたくしが」

「ほう、遠慮がなくなりましたね、エセメイド様。やはり魔族。上品なのは外面だけのようで。いいでしょう。その挑発に乗ってあげます」

 ずいぶんと仲良くなったものである。

「おはよ、サイズ」

 今度はアンジュが現れた。

「おはよう。……何してんだ、お前?」

 アンジュはサイズの返事など無視して、つま先立ちになって寝室を覗いた。やがてサイズに向き直ると、悟りでも開いたような穏やかな顔で言った。

「やっぱりね」

「何だよ。言っておくが、手は出して……」

「テストは不合格」

「は?」

「でも、それが正解だよ」

「何なんだよ……」

 サイズは意味がわからず、勝手に納得するアンジュに不審なまなざしを向けた。満足そうにうなずくアンジュは、一転して真剣な顔つきになる。

「命令してくれれば、私はいつでも動けるからね」

「……何度も言わせるな」

 すべてを理解したサイズは、力が抜けたように肩を落とした。

「人間がケリをつけることだ。神に頼るつもりはない」

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