六の華・抱月
この抱月という輩、何でもえらい金持ちの息子だそうで。
こいつはわたしが小学校の四年のとき、梅雨時くらいにわたしのところに転校してきたのです。
え? ええ、梅雨時です。間違いありません。
あいつが王様みたいな態度で「初めまして」のあいさつをしている時、窓辺には紫陽花が咲き誇っておりましたから。
『なんともはんぱな時季だなあ』? ええ、その通りです。こいつはね、まともに一つところに落ち着いたことがなかったのです。
なんでもどこでも好き勝手にふるまって、そのうちそこに居づらくなって……長くば半年、短いとひと月でまたどこぞへ「転校」してゆくという……要は金のある札つきですな。
よりによってわたしがね、その札つきに目をつけられてしまったのです。
いえいえ、わたしが校内で悪目立ちしていたとか、そういうことではございません。
わたしはごくおとなしい、女子のような生徒でした。
いわばそれが悪かったと申しましょうか……自分で言うのもなんですが、わたしは「腸もち小町」とあだ名のつくほど、綺麗な少年だったのですよ。
え? いやいや、これは少々言い回しが古すぎましたか。お分かりがない……。
え? 「腸もち」の意味?
いやいや、知らぬでもよろしい。要はちょっとした美人だったと、信じられんでも話の流れでそう思うていらしてください。
ともかくも、わたしは見た目の美しさでその札つきに気に入られ、友だち面をされるようになってしもうていたのです。
「お前の家に行きたいな」
そうつぶやかれた時なんぞ、わたしはもうびくりと飛び上がらんばかりに怯えましたよ。なんせ家には華美人がいるのですから。
美しいというだけでわたしを「お気に入り」にした抱月のこと、華を目にしたら絶対に「ほしい」と抜かすに極まっています。
「およしよ、ぼくん家なんか来たって面白かあないよ」
「小さいし、狭いし、汚いし……」
わたしは幼い頭をひねって、幼いなりに「我が家に来たってつまらない」と抱月に思わせようとしました。けれど抱月は聞き入れません。
我が侭放題にわがままを言い通し、しまいにそこにいられなくなって転校を繰り返してきたような奴、おとなしいわたしの言うことなんぞにまるきり耳を貸そうとしません。
わたしはついに折れてしまって、抱月を家に招き入れることになりました。
うまい具合にその時、華は押入れのすみで寝入っていました。
(こちらに来てくれるなよ)
わたしは繰り返しそう念じながら、抱月を客室へ招きました。
人見知りの華のこと、もしふっと目を覚ましても、わたしが呼びでもしない限り、抱月の話し声に怯えて客室に来る気づかいはありません。
ああ、けれどなんという運命のいたずらか!
抱月は何を思ったか、おもむろにわたしの手を握り、わたしの顔へ厚ぼったいくちびるを寄せてきたのです。
「お止しよ、花ちゃん」――。
ああ、わたしは思わずそう叫んでしまったのです。叫んだとたんに「しまった」と心底思いましたが、今さら言葉を呑みこむことなど出来ません。
……ええ、抱月は「花月」という名前でした。それでわたしに自分のことを「花ちゃん」と呼ばせていたのです。
はたして華は、己が呼ばれたと思いこみおずおずと客間に顔を出しました。
華を見たとたん、抱月の興味が一気にそちらに移ったのが分かりました。
「柚良」
奴はわたしの名を呼んで――、ああ、申し遅れました。この老爺、名を柚良と申すのです。
奴はわたしの名を呼んで
「おれはあれがほしい。おれにあの妖精をくれないか」
と言ったのです!
ああ、何たること。
愛しい華を「あれ」呼ばわりするようなうろんな輩に、この小さな恋人を譲るわけには参りませぬ。
わたしは必死で抗弁しました。
わたしがどんなに小さな華を愛しく大事に思うているか、この妖精は亡き母の忘れ形見だとまで申しました。
ふんふんと聞くともなくつまらなそうに聞いていた抱月は、
「柚良、今度はおれん家に行こう。おれの屋敷に招待してやる」
と申しました。
わたしはひとまずは安心して、おとなしく抱月の背中についていきました。
ところがね……ああ、くちなしの蝋燭が消えかけですね。今度は天竺牡丹の香りの蝋燭を点しましょうか。
少々お待ちを……。