終の華・復讐
ああ、天竺牡丹の蝋燭が燃えきりました。
次は何を点しましょう……もう良いですか?
ああ、なるほど。おもては満月なのですね。月明かりに闇が白い。この闇だけでじゅうぶん話が出来そうですね。
そうそう、華の話です。綺麗でしょう?
髪だけは宝石に加工する時に、短く切り詰められてしまったようですが……これもまたかえって亡き母に瓜二つで、今にその面影を忘れません。
そうして、わたしは復讐を誓ったのです。
もっとも抱月は、それからひと月もせずにまた転校していきましたがね……殺気さえ孕んだわたしの目つきに耐えられなかったのでしょうな。
ともかく、転校なんぞで忘れるような生半可な復讐心ではございません。
どこへ行ったのか、あいつはそれからも転校につぐ転校で。抱月の屋敷もそれこそ世界中いくつもいくつもあったそうで、すぐ音沙汰もとぎれましてね。
けれどもわたしは、あいつを心に念い続けました。
そうして何年、何十年越しの復讐を遂げんがために、がむしゃらに勉強し、働いて金をため、二十歳でこの店を持ちました。
『どうしてか』って……? 今申し上げた通りです。復讐ですよ。
どう復讐をするのかと?
簡単です。抱月をあの時のわたしと同じ目に遭わせてやるのです。
美しいものには目がない奴のこと、いまだに綺麗な妖精に魅かれているに違いない。この業界で名を売れば、いつかきっとあいつはこの店へ訪ねてくるに違いない。
しれっとにやにや笑いながら、さぞかし「仲の良かった旧友」のような面をして……。
そうしたらもうしめたものです!
わたしはこの目で厳選し、この世で一番に美しく、この世で一番に愛らしい、わたしにとっての華のような妖精を奴に見立ててやるのです。
そうすれば、今度こそあいつはきっとその妖精に骨抜きになるだろう。
そうして奴がその妖精にとろとろになった頃合いに、わたしは抱月の屋敷からその妖精を連れ出すのです――。
何、理由は何だって構わない。
メンテナンスの折からに、「ちょっとした病気にかかっている。治療のために店に」とか、てきとうに理由づけすれば良い。
そうしてね、その妖精の首を白い体からぱちんと思いきり切り離し、紅玉水晶の飴がけをして抱月のもとへ返すのです。
ああ、そうしたら奴はどんなにか嘆くでしょう!
どんなにかわたしの胸はすくでしょう!
考えるだけでたまらない、抱月はどんな呪いの言葉を吐くだろう!
無論そのためにわたしは訴えられるでしょう、器物損壊で何年間も檻にぶちこまれるでしょう!
それだって良い、その苦しみが長いほど、わたしはそれだけあいつに痛手を負わせたのだと実感できる! この老体、たとえ獄中で生命を終えることになろうとも、華のためならかまわない!
……けれどね、あなた様。
本当はね、わたしはもうあいつに復讐できないのです。
あいつはね、もうとうの昔に、わたしなんぞの手の届かないところへ行ってしまっていたのです。
それを知ったのは、そう……三月ほど前になるでしょうか。何十年ぶりに、小学校時分の旧友がこの店に訪ねてきましてね。わたしにこう言ったのですよ。
「おい柚良、例の抱月を覚えているかい?
あいつね、もうこの世の人ではないそうだ」
「何だって……死んだのかい? 病気か? 事故か?」
「どちらでもない。『神隠し』だよ。
あいつ、この世とあの世のさかいをふらふらしていて、向こう側の世界にはまってしまったんだそうだ」
――いやはや、なんとも呆気ない幕切れで!
けれどもね「あいつは現世の行いが祟り、妖精の血の染みついた五体を、妖精の群れに食い殺された」と……そう思うことにいたしました。
また、そうでないとわたしと華の想いの立つ瀬がありません。
いやはや、何とも……。
またそうであったなら、こんな悪趣味な店の店長をする由もないのですが、いかんせん何十年この商売をしておりますもので……他のことは何ひとつも出来ません。
こんな穢らしい商売、そう思うてももはやこの店から放たれるつても術もないという……いやいや、前世の因果とあきらめるしかございませんな。
なにぶん華のことと、復讐のことしか考えてきませんでしたから、この年で妻もなし、もちろんのこと子も孫もただの一人もおりません。
いや、しかしまあ、この年になればあきらめもつきましょう。
いい加減に使用期限のせまったこの老体、使いきってひとりの墓に、華の生首と一緒に葬られることを思えば、枯れた心も踊ります。
おやおや、もうお帰りですか……?
ごきげんよう、優しいお兄様。
あなた様はわたしと同じ道など辿られぬよう。
何が原因か存じませんが、けんかした恋人さんとちゃんと仲直りをなさい。そうしていずれは結婚なさって、子も孫ももうけて幸せな一生を送るのですよ……。
ははは、いやいや!
今までのわたしの話、老人の世迷言とは申せ、あなたの人生の何がしかの教訓へと化けますように。
さようなら……。
今一度、あなた様とこの店で出逢わぬことを祈ります。
* * *
「……おうおう、帰っていく帰ってく。ほうほうの体で逃げ帰ってゆく……。
ははは、やっぱりあの青年はこの店には合わなかったね。ねえ華や……」
柚良紳士は紅色の水晶を愛しげに手にしつつ、閉じこめられた小さな生首に語りかける。
半世紀以上前にみまかった生首が、まるで生きているかのように。
「ほらほら、ごらん、華や。おもてはぼうっと白しら闇だ……。
今宵は満月だよ、華や」
老人はかさついたくちびるで水晶の粒にキスを捧げて、頬ずりしながら話しかける。その年老いた瞳には、ぞっとするほど狂的な愛が満ちている。
「もうじきだよ。もうじきわたしの生命は尽きるだろう。
その時こそ、お前とわたしは本当にまた一緒になれる。老いの病に蝕まれたこの老体を捨てきって、もうじきに、わたしはお前の居る天上へとゆくからね。
その時はどうかよろしくね」
水晶の生首は応えない。
それでも老人は相手が生きているかのように、全て聴こえているかのように、綿々(めんめん)と恋々と語り続ける。
「華や。華や。華や。華や……ごらんよ。月が綺麗だね」
おりから吹いた風に流され、薄絹のようにかぶさっていた雲がとぎれた。満ち足りた愛の象徴のように光をそそぐ朧月夜に、紅色の水晶が照らされた。
狂おしいほどの愛に壊れた紳士の瞳に、水晶の生首はほんのわずかに微笑んだ。