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鳥を嫌う人(S-02)  作者: 橙ノ縁
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 いつの間にか大雨は止んでいて、しんと静まり返った夜の空気は冷たく、秋の訪れを感じさせた。

 水たまりを蹴って私たちは墓地へ急いだ。テーカーが言うには、ルシオラは夜から朝方にかけて墓地でよく歌っているらしい。

 先日、父を埋葬した墓地へたどり着くと、あちらこちらから歌が聞こえてきた。

「うーんと、博士の魂は女ルシオラからうけとった。かわいい声の人だから、歌をきけばわかるぞ」

 テーカーの耳を頼りに父の魂を呼んだルシオラを探すことになった。ソラヤちゃんが言うには、死者はルシオラの歌声に信頼感を抱いて体を離れるらしい。それなら会話ができる人となると、魂を呼んだルシオラが適任ではないかという事になった。

「知らなかった。ルシオラはこんな夜に歌っていたなんて」

 彼らが歌を歌って死者から魂を切り離すという事は知っていたが、その場面を目にすることは今までになかった。

「ルシオラは本当に全員、歌が上手なんですよ」

 ソラヤちゃんがどこからともなく聞こえてくる歌と一緒に口ずさむ。

「そうなんだ。音痴の人とかいないの?」

「絶対にいませんね」

 キュフ君もそういって、歌い始めてしまった。どうしてみんな、歌を知っているのだろう。私だけが歌えないというのは、少し悔しい。

「ソラヤちゃん、その歌。私にも教えてくれない?」

「いいですが、一つだけ気をつけた方がいいことがあります」

「何?」

「上手に歌えるようになるまで、決してルシオラの前で歌ってはいけません」

「どうして?」

「音程がどうとか、あの音がズレているとか小言が五月蝿いんです。気をつけてくださいね」

 その言い方は、きっとルシオラに小言を言われた経験があるのだろう。

「もう、お前ら、しずかにしろよ!」

 歌声で人を探していてくれていたテーカーが地団駄踏んで怒り出した。

「ごめんなさい」

「とくにソラヤは下手!二度と歌うな」

「そんな……」

 キュフ君は上手に歌っているが、ソラヤちゃんは調子が外れているように思う。この歌を知らない私がそう感じるのだから、よほど上手くないのだろう。

「うーん。この辺りから聞こえるぞ。あ、いた!」

 テーカーは探し求めていた声を見つけたらしく、闇夜の墓地を駆け回る。そんなに急いで走ってよく墓石にぶつからないものだ。

「おーい。みんな、この人だ」

 テーカーが私たちの前に連れてきたのは、背の低い若い女性だった。この人を以前、どこかで見かけたことがある。

「もしかして、父が亡くなってすぐに私の家に来たことがある?」

 ルシオラの女性は私の顔を確認すると、私が誰なのか知っているようで小さく頷いだ。

「はい。博士に歌を歌いたくて家の周りをウロウロしていました。ごめんなさい」

 女性は気の弱そうな幼い声で、私はその声を知っているような気がした。

「謝らなくていいの。貴女の声も聴いたことがあるわ。どこで聴いたんだろう」

「次の日も朝から歌っていたんですが、イルザさんが窓から顔を出したので逃げました」

 なぜ逃げるんだ?私、彼女に何か悪いことでもしただろうか。もちろん記憶にはない。

「どうして逃げたんですか?」

 ソラヤちゃんが質問すると、女性は二三歩後ずさりしてこう答えた。

「わ、私。気が弱くて、人に歌声を聞かれるのが苦手なんです」

「ルシオラなのに?」

「え?鳥が喋った!」

 赤い鳥が言葉を持っているという事にすごく驚いたのか、今にも泣きそうな顔になって、また後ずさっていく。

「大丈夫。オレがいるから」

 テーカーに男らしくされても、彼女の不安は薄れそうにもない。

「わ、私に何の用ですか?」

「実はお願いがあるの。父の為にもう一度歌ってくれないかしら」

 私はキュフ君ではない方の赤い鳥を彼女の前に差し出す。そしてテーカーに父の魂を籠から出してもらった。

「皆さんの前では恥ずかしくて歌えません」

「お願い。父ともう一度、話がしたいの」

「死んだ方ともう一度お話が出来るんですか?」

 私は赤い鳥が魂を食べると、なぜか魂の声が聞こえるようになるという事を彼女に説明した。彼女は首を傾げたままだったが、しぶしぶ了承してくれた。しかし条件があるという。

「皆さん、あっちを向いてもらえますか?」

「え?」

「じろじろ見られると歌えません」

「分かった。みんな、お願い後ろ向いて」

 私が彼女に背を向けると、ソラヤちゃんもキュフ君もテーカーも後ろを向いた。そして彼女は小さな声で歌い始める。

「あ、そうか。知り合いか」

 キュフ君が突然独り言を言ったが、この言葉の内容を聞き取れたのはどうやら私だけのようだった。私は気になって聞き返そうとしたが、腕に抱えていた赤い鳥が動き始めたのできけなくなった。

 赤い鳥は父の魂を再び一飲みすると、私の腕の中で父の声を発し始めた。

「ああ、また聴こえる。約束通り歌ってくれたことを感謝している」

「博士、私の声が聞こえますか?」

 彼女は歌を止めて、赤い鳥に話しかける。

「どうして歌をやめるんだ。君の声はとても澄んでいて美しいんだ。自信を持ちなさい」

「博士。イルザさんがお話をしたいと言っています」

「……」

「博士。聞こえていますか?」

 父は返事をしない。やはり会話は出来ないようだった。

「ありがとう。もう一度歌ってくれて」

 そう言ったのを最後に赤い鳥は魂を吐き出してしまった。

「すみません。上手くいかなかったようです」

「謝らないで。父の声が聞けただけで十分だから。お仕事中に手を止めさせてしまってごめんなさい。素敵な歌だったわ」

 これは仕方ない。でも、ルシオラの歌は届いたようだった。父はどうやら彼女の歌を気に入っていたようだし、最後に歌を届けることが出来て良かった。

「そういえば、博士とはお知り合いなんですか?」

 ソラヤちゃんの一言に私は自分がどれほど頭が悪いか実感した。

 明らかにこのルシオラと父は知り合いだ。しかも私の名前まで知っているくらいだから、よほど付き合いがあるに違いない。

「私はよく一人で歌の練習をしていて、その時、博士と出会ったんです。博士は私の歌を褒めてくれました」

「どうして私の名前まで知っているの?」

「イルザさんは知らないかもしれませんが、私、赤い鳥に歌を歌いによくお宅に寄らせてもらってたんです」

 そんなこと、初耳だ。私が仕事に出ている間に父が誰かと会っていたなんて想像もつかなかった。

「この体の鳥が教えてくれた。この人は仲間の為に歌ってくれたって」

「この体ってことは。キュフを食べているその鳥の事?」

 さっきのキュフ君の独り言はそういう意味だったのか。この二羽の鳥たちは彼女と知り合いだった。

「本来、動物に歌うことはあまりしませんが、博士がどうしてもお願いするので歌っていました。そして、博士も自分が死んだら私に歌ってほしいと言ってくれたんです。なので、お家に何度か訪ねたのですが、留守だったようで、博士の魂を探すのに夜中中歌い歩きました」

 そういえば解雇された日、二人目の来客があったが私は居留守を使った。あの訪問は彼女だったのだろう。

「ごめんなさい。そういう事情とは知らなくて」

「いいんです。ちゃんと歌えましたから」

 私は父の事すら何も知らなかった。情けないとただただ後悔する。もっと、父と会話をしてもっと一緒の時間を過ごせばよかった。鳥の事も、妹の事も、母の事も、旅の事も、ルシオラの女性の事も知っていれば、こんなにも困ることはなかったはずだ。

「それじゃあ、私たちは帰るわね。今日は父の為に歌ってくださってありがとうございました」

 私が深々と頭を下げると、彼女も一緒になって頭を下げ返す。

「貴女の歌、私も好きだから自信をもって」

「ありがとうございます」

 彼女は照れたように少し下を向いて微笑んだ。

 私たちは元来た道を引き返すと、あることを忘れていることに気づいて、去っていく彼女の背に向かって問いかけた。

「あ、そうだ。ねえ、ローラって知ってる?」

「もう、博士は最後まで間違って覚えていたんですね」

「え?」

「ローラじゃなくて、ラウラです」

「誰が?」

「私がラウラです」

 ローラの謎がこんなところですんなり解けてしまった。

「どうりでいくら探しても見つからないわけですね」

 ソラヤちゃんの言う通りだ。いくら記憶をめぐらしても、法師様やいろんな人に聞いてみても誰も知らないはずだ。そもそも名前を間違っているのだから。

「ラウラさん、いつでもいいから父の遺書を取りに来てくれない?貴女宛ての遺書を預かっているの」

 ラウラさんは驚いた顔をしていた。そして日が昇ってから家に取りに来ると約束してくれた。

 何故か分からないが、少し心が軽くて、今まで私の背中を大きく覆っていた重く湿った何かが落ちたように感じる。

「さあ、帰りましょう」

 耳にいつまでも鳴り響く歌声が心地よくて、私はもう一度ソラヤちゃんに歌を教えてとお願いした。



 私は縁側で針に糸を通す。銀の針は太陽の光を反射して輝き、真っ白の綿生地に青い糸を刺していく。

「イルザさーん。ただいま帰りました」

 赤い鳥を肩に乗せた少女が庭を通って直接縁側までやってくる。

「おかえり。お使いごくろうさま」

「いいえ。トゥガさんからこれを預かってきました」

 ソラヤちゃんが袋から取り出したのは取っ手付きのランプだった。

「ランプ?」

「はい。以前壊してしまったのでお詫びにと言っていました」

 今日はトゥガさんのズボンをソラヤちゃんに届けてもらったのだ。洗濯をして綻びを丁寧に縫い直し、左右の丈も揃えてあげた。

「そう、ありがとう。大事にするわ」

「それは本人に言ってあげれば?」

 キュフ君がソラヤちゃんの肩から縁側に飛び移り、私の隣で羽を休める。

「今度会ったらね」

「それで、ラウラさんは遺書を受け取りに来ましたか?」

 ソラヤちゃんも縁側に腰を下ろして、靴を脱ぎ始める。

「ええ、取りに来てくれたわよ」

「あの、何て書いてあったんですか?」

 鳥と少女が食い入るように私に迫ってくる。

「それがね、中身は手紙ではなかったの」

「え?」

 日が昇ってすぐにラウラさんが家を訪ねてくれた。私はローラへと書かれた父の遺書を手渡した。ラウラさんはすぐに開封して中身を確認するのだが、首を傾げて不思議そうな顔をする。

「あの、これは遺書ではありません」

「え?」

「ただの楽譜です」

 封筒に収められていたのは、ただの古い楽譜でそこには父の文字は一つも見つけられなかった。

「それはどんな歌なの?」

「これは、我が愛しき牛とか、最愛の犬という歌詞が書かれてあるので、おそらく家畜や動物に歌われていた歌のようです」

「そんな歌があるの?」

 ラウラさんは少し笑っていて、楽しそうに見えるので、こっちもつられて微笑んでしまう。

「大昔はもっとたくさんの歌があったそうですよ。虫の歌とか植物を育てるときに歌う歌とか、猫を躾ける歌というのもあったそうです」

「そうなんだ。ルシオラの歌は悲しい歌ではないのね」

 私は墓地から聞こえてくるルシオラの歌を悲壮感があって怖いと感じた。しかし恐ろしいのは知らないせいで、本質はそうではない。

「はい。もう、本当に変な歌の方が多いんですよ」

「今度聞かせて」

「そ、それは遠慮します」

 やはりこの人の恥ずかしがり屋な部分はそうそう治るものではなさそうだ。

「私にも妹がいたらしいの。でも幼くして亡くなってしまって。もし妹が居たらこんな感じかしら?」

「あ、それは博士もよく言っていました。もう一人の娘が生きていたら、君と同じ年位だと」

 父がラウラさんに声を掛けたのは、きっとカルナの事をいついかなる時も思っていたからだろう。

「私、この家に一人なの。また遊びに来てくれる?」

「わ、私でよければまた来ます」

「ありがとう、ローラ」

「ラウラです」

 私があえて間違った名前で呼ぶので、少し困った顔をしたままラウラさんは帰って行った。

 遺書が楽譜だったということを聞いた二人は肩透かしをくらったように詰まらなさそうな表情を浮かべた。そして間を空けて、言葉を紡ぎ始める。

「イルザさん、私たち明後日にはここを発とうと思います」

「え?でもまだキュフ君を元に戻せてないわ」

「博士の魂を見て、この赤い鳥はきっとこうやって魂を受け入れて、魂の声を届けることが出来る鳥なんだと思います」

 キュフ君が私の目をじっと見つめて、しっかりした声でそう言った。

「飲み込んでも消化せずにちゃんと吐き出すみたいなので、このまま旅を続けようと思います。キュフの体を見つけたらすぐに吐き出してもらって、すぐに体に移す。という計画です」

 ソラヤちゃんは赤い鳥のお腹を軽くつっつきながら愛想笑いを浮かべた。

「それに、傭兵の紹介所へ行ってみたら明後日にグッタの首都へ向かう人がいるそうなんで、その人を雇ってきました」

 朝早くから率先してズボンを届けると言って、家を飛び出したのには理由があったようだ。

「私たちランテルナを探しているんです」

「そうなんだ」

 あまり二人の事情を聞き出さないように努めてきたつもりだ。男装をした少女が人ではないユウレイ?とよばれる状態の少年をつれているというだけで、訳ありだという事はすぐに分かった。

「イルザさんは私たちの事を何も聞いてこないので、すっかりいろいろ甘えてしまいました」

「もう少し居てもいいのよ」

「いいえ。約束があるので、そこへ行かなくてはいけないんです」

 これ以上引き留めてはいけない。私は父を失った寂しさで誰でもいいから側にいてほしいだけだ。二人のためを思えば、ここできちんと見送ってあげるのが一番いい。

「イルザさんはランタンの事も何も聞かなかった。どうしてですか?」

 キュフ君はソラヤちゃんが持っている黒い布袋を赤い翼で指し示す。

「父が昔、よく語ってくれていたから、それがランテルナの祝福の灯だということは想像がついたわ。でも、現代でそれを持っている人は殆どいないと聞く。持っているということは事情があるはずで、私はその事情を聞くのが嫌だったの。深く知ろうとすれば貴方たちが去っていくような気がして」

 それに、私は他人との関わり方が下手だ。赤い鳥を理由に人間関係を構築することから逃げて、なんでも一人で構わないと思い込んでいた。しかし実際に独りになってみて、感じたのは寂しさだった。この寂しさが死ぬまで永遠に続くのだと思うと、絶望すら感じだ。

「二人があの日、家の扉を叩いてくれて私は神様に感謝したの。隣に誰かが居てくれるという安心感に」

 どんな訳ありの他人でも寂しさが和らいで、父を失った悲しみに飲まれることもなかった。

「二人とも私に優しくしてくれてありがとう。もっと力になってあげられれば良かったんだけど、キュフ君を元に戻せなくてごめんなさい」

 二人は私の隣で、首を横に振って「そんなことない」と言ってくれた。

 私が再び針を動かし始めると、遠くから誰かの会話が耳に入って来た。足音もだんだん大きくなって、明らかにこっちに近づいてきている。この辺りに民家はこの家だけで、散歩などで人が通ることも殆ど無い。

「あの、イルザ・コルデスさんの家ってここですか?」

 家の門前である女性が大声で私の名前を呼んだ。その女性の後ろには十人ほどの様々な年齢の女性が立っている。

 私は針を針山に刺して、ゆっくり立ち上がると、ソラヤちゃんが裸足のまま縁側に立って女性たちに手を振った。

「そうです、ここです。こちらの人がイルザさんです!」

「ソラヤちゃん、知り合いなの?」

 私がソラヤちゃんの服の裾を引っ張って問うと、彼女は「はい」と素直に答えるだけだった。

「あの、お願いあるの。この服を直してくれない?」

「え?」

 女性たちは次々に縁側の前に集まり、私を取り囲んで服を押し付けてくる。

「私たちトゥガの仕立て直されたズボンを見て感動したの。まるで、新品みたいだった」

「この紙に服のお直しはお任せくださいって書いてあるけど、本当?」

 女性が持っていたのは、文様が描かれた小さな紙だった。

「ゼノ達にその紙煙草の紙を渡したのはソラヤです」

 キュフ君がこっそり私に耳打ちする。そうか、この人たちはゼノだったのか。よく見ると確かに皆、穴が空いたりほつれた服を身につけていた。

「今度、結婚式があるの。母から譲り受けたこの服を直してほしいんです」

「うちは子ども服をお願いしたいの」

「お金は無いけど、食べ物ならあるから。これでお願いします」

 女性たちは籠一杯の野菜を私に渡す。その量は一人では食べきれず腐らせるくらいの量だった。

「こんなにたくさんは頂けません」

「いいのよ。野菜はあまるくらいあるから気にしないで」

「そういう意味ではなくて」

 縁側に次々に野菜と仕立て直ししてほしいという服が積みあがっていく。あまりにも必死にお願いされるので、断る機会をすっかり無くしてしまった。

 無職で明日の食材調達にも頭を悩ませている現状では、この量の食材は喉から出るほど欲しい。

「みなさん、イルザさんの針仕事の腕を見込んで来てくれたんです。どうですか?やってみませんか」

 ソラヤちゃんがニコニコと今までで一番楽しそうな顔で笑っている。こんな笑顔を見てしまうと、別れがくるのが寂しくなってしまう。

「わかりました。お受けします」

 寂しさを紛らわせるには忙しくするしかないと思い、私は女性たちの仕事依頼を受けることにした。

「ソラヤちゃん、旅発つまでの間手伝ってもらうからね」

「もしかして、縫物を教えてくれるんですか?」

「この量よ。当然じゃない。もちろん、キュフ君にも手伝ってもらうから。二人とも、仕事を持ってきた責任を取ってもらうからね」

 ソラヤちゃんは嬉しそうに返事をしたが、キュフ君はため息交じりに頷いていた。

 それから二人が旅発つまで忙しく過ごした。生地を裁断したり、縫ったり、教えられることは殆どソラヤちゃんに教えた。彼女は不器用だったが、物覚えは早く、それなりに簡単な服を繕う事が出来るようにはなった。


 私は二人が家を出た日、その姿を見送ることが出来なかった。

 朝食を作ってあげようと早起きしたつもりだったが、私がぐっすり眠っていた夜明け前に二人は静かに家を出ていた。

 書置きには「お世話になりました。赤い鳥を大切にします」と小さい字で花煙草を巻く紙に書かれてあった。

 私は家に残ったもう一羽の赤い鳥を撫でて、手紙を父の机の引き出しの中に収めた。

「まるで夢をみているみたいだった」

 この数日は自分の人生の中で一番忙しく、多くのものに触れる日々だった。昨日までここにいたあの少女と喋る赤い鳥は幻だったのではないかとすら思える。

 一人になったこの家は本当に広く、静かすぎて辛い。でも、父を失ってすぐに感じた感覚と少し違っている。それはここで誰かと笑いあったり、言葉を交わしたりしたという思い出が残っているという事だ。それをしっかり覚えていれば私は一人でも生きていけると思う。

 さて、今日もし立て直しの仕事が残っている。まずは腹ごしらえと台所に立った時、玄関扉が叩かれた。

「はい」

 扉を開けるとそこにはトゥガさんが一人で立っていた。

「あの、これを持っていけと言われました」

 トゥガさんが手にしていたのは麻袋に入った小麦粉だった。

「仕立て直しのお代は十分に貰っていますから」

「でも、ソラヤちゃんもいるならと思って」

「ああ、あの二人は今朝発ちました。だからもうたくさんの食べ物はいらないんです」

 トゥガさんは突然の別れに少し寂しそうな目をして俯いた。

「イルザさんこの家でお一人なんですか?」

「うーん。父の残した赤い鳥が一羽と、妹の骨と暮らしていこうと思ってます」

「遺骨ですか?」

「そう、両親が手放せなくてずっと大切に保管していたみたいなんです。どうしようかと思ったんですが、私が死んだときに一緒に埋めてもらおうと決めました」

 何度も父と母の墓を掘り起こすことは気が引けてしまう。二人で安らかに眠ってほしいから、妹は私と共に眠ろうと決めた。

「それなら俺が、一緒に入れてあげます」

「私より長生きしてくれるってことですか?」

「はい!」

「それなら、その時は宜しくお願いします」

 ゼノという種族はお人好しにも程があると思うが、その親切な気遣いは嫌いではない。

「あ、そうだ。朝食食べていきますか?ソラヤちゃんが行ってしまったので、食材が余っているんです」

「いいんですか?」

「そのかわり、出来上がった服を届けてください」

「はい。喜んで」

 小麦粉を抱えた人は嬉しそうに家に入って来た。そして満面の笑みで私の手料理を「おいしい」と繰り返し言いながら食べるのだった。

 旅発った彼女はもう、気づいただろうか。私が彼女の持ち物に忍ばせた物を。白い巾着に入れたのは裁縫道具で、私のお下がりだから綺麗な代物ではないが、旅に少しは役立つだろう。

 白い巾着には青い花の刺繍を入れた。それは母の刺繍を真似たもので、母のように上手には刺せなくて少し不格好になってしまったが、二人への感謝の気持ちと、旅の安全をしっかり込めたつもりだ。

 私の信じる神様は赤いものが嫌いだから、私が赤い鳥と友人の旅が幸多からんことを祈っている。ずっといつまでも。



 どこまでも続く真っ白の花畑。この花は日が経つごとに青く色を変えるという。真っ青に色が深まった時、花は一枚ずつ花びらを落として土を青い海に変えるという。そこからつけられた名前は海花。

 赤い鳥が花畑を低く滑空して僕の肩を宿り木にして止まった。赤い鳥は大きく、ずっしりと重い上に足の爪が肩に食い込んで痛い。

「多くの人を殺した。戦は私を英雄にした。しかし戦が終わればただの罪人だ。名誉など魂となった今となっては何の意味もない。死して犯した罪が薄らぐこともない」

 先刻、赤い鳥はある戦で命を落とした騎士の魂を食べた。この赤い鳥は魂を摂取すると、魂の声を代弁することができる。

 僕は、その罪悪感はどうすれば癒されるのかと聞き返した。しかし、赤い鳥は返答してくれなかった。どうやら死者にはルシオラの歌しか届かないようだ。

「我々は逃れられない激流の中にいる。その中で出来ることは少ない。大きな流れは変えられず辿り着く先は決まっているが、一瞬の選択で変えられるものがある」

 それはなんですか?と届かない言葉を紡いでみる。

「己の心のありようだ。忘れるでないぞ」

 そう言って赤い鳥は体を震わせ、胸の奥から光る魂を吐き出すのだった。

 プルモの子ども達が鳥と魂を捕まえようと走ってくる。

「お兄さん、この魂とおしりあい?」

「ねえねえ、どんなしりあい?」

 プルモ達の質問に僕はこう答えた。

「その人は、僕が殺したんだ」

 他国の英雄を打ち取った僕は英雄と称えられることは決してない。英雄どころか、恐ろしい厄介者として多くの人に口伝えで広まっていくことだろう。

 僕は足元で咲く白い花を何本も引き千切って、花を握りつぶした。潰した手からは芳しい花の香りが匂いたち、僕は唇を噛んで涙を堪えるのだった。

エアルの手記より。

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