特別な日
9月12日。ついにこの日が来た。
今日のために密かに準備をしてきたんだから。
暑さを残しつつも涼しさが日本列島に侵攻してくる季節。窓際の席から空を見上げると、うろこ雲が呑気に張り付いている。
「それでは、今日のショートホームルームを終了します。皆さん、明日も元気に会いましょう」
担任の教師の放課を告げる言葉に重ね、琴葉はゆっくりと深呼吸をした。
ダムが決壊するがごとく急激に喧騒が教室を支配する。今か今かと終業を待ちわびた生徒たちが一斉に動き始めたからだ。部活に行く者、直帰する者、教室に残って勉強したり、会話を楽しむ者などが混ざり合っている。
普段は喧しく思えるこの音たちも、今回は琴葉の背中を押してくれているように感じた。
「あの、加奈。ちょっといい?」
前の席に座っている加奈に声を掛ける。
「はいはーい。どうしちゃったの急に、なんか改まった雰囲気出しちゃって」
振り返り、軽い調子で尋ねてくる加奈。やばい、緊張する。いつも話してる相手なのに。琴葉は自分の上がり性なところを恨んだ。
「えっとそのー、渡したいものがあるんだけど」
「うん、何?」
琴葉は、机の上の通学カバンから大小2つの物体を取り出した。
「これ、プレゼント」
恥ずかしさから逃げるように、突き出す形で加奈の前に差し出す。
「えっ、プレゼント?」
キョトンとした表情で加奈は答える。
えっ、もしかして誕生日を間違えた?今月に入ってから以前もらった加奈のプロフィール帳で毎日確認してたしそんなはずは。でもドジを踏んでしまったのかも。予想外の反応に、琴葉の脳内は困惑の嵐に包まれた。
パンっ。澱んだ空気に裂け目が入った。
突然、加奈が両手を叩いたのだ。
「そうか!今日ってわたしの誕生日だ!すっかり忘れたよー。はははっ、自分のことなのにねー。わたしのうっかりさん。これ貰っていいんだよね?」
「う、うん」
すると、先程までの鈍った雰囲気とは打って変わって、まるで電光石火の速さで加奈はプレゼントを手に取った。
喉に蓋をされたみたいに言葉がうまく出てこない。
「おっきい方がクッキーで、ちっさい方が、私が前から欲しがってたストラップじゃん!やったうれしー!もしかしてクッキーって手作り?」
「そうだよ、どうかな?」
「うん!とっても美味しそうだし、形も綺麗で素敵だよ」
大きい方の袋にはハート型のサクランボ味のクッキーが5個、星形のオレンジ味のクッキーが5個、カエデ型のメープル味のクッキーが5個入っている。小さな袋には『もくもクン』という雲のようなキャラクターのストラップを入れてある。『もくもクン』は加奈が見ている魔法少女ものの深夜アニメに出てくる主人公を補佐するマスコット的な雲の形をした妖精である。彼女はオタク気質があるのだ。
一先ず、誕生日を間違えていたわけではなかったようでホッとする。
この日のために夏休みから密かにクッキー作成の練習を積んでおいてよかった。
加奈のうれしそうな顔を見て動揺がおさまってきた。
「改めて、お誕生日おめでとう。加奈」
気を取り直して、今度はしっかりと伝える。
「うん、琴葉、ありがと!」
琴葉は自分の胸が熱くなっているのを感じた。
安堵感がおさまり、今度は嬉しさがこみ上げてきたのだ。
我儘かもしれない自分の希望を実感する。
加奈の喜ぶ顔を近くで見ていたい。できればずっと。