文化祭実行委員会とおまじないをかける人
「くぅーっ文化祭楽しみぃ~!」
「…江崎、それ伸びをする度に言わなくちゃいけない決まりでもあんの?」
毎年恒例秋の一大イベントである文化祭に向けての準備がいよいよクラスごとに始められていく。この文化祭を成功させる為に発足されたチームが文化祭実行委員会であり、その名の通り文化祭に大きく関わる重要な委員会だ。短期間限定のチームだがイベント運営の上で重要な役割を担っている為、細かなことも含めて様々な業務をこなさなくてはならず、その任期こそ短いものの忙しさは日に日に増していくばかりである。いつの間にか実行委員となっていた琉生もそれは例外ではなく、加えて自分も出演するバンドのステージ発表の練習も必須なのだから忙しいことこの上なかった。
「決まりっつーかこれは俺の魂の叫びなの!文化祭超楽しみー!作業もはかどるーっ」
「口はいいから手を動かしてくれマジで」
委員会でなくとも文化祭の準備となれば皆がそれなりに慌ただしくなるこの時期に、この男は突然バンド練習というさらなる忙しさを追加してくれたのだから迷惑極まりない。
環や絢斗と同じように巻き込まれたもう一人の被害者もといメンバーが荻野 義である。
彼は今まさに作業の手を止めてばかりでちっともはかどっている様子のない友人に頭を抱えているところだった。
「あーっ、るいるいまたぎっくんに手伝わせてるー!」
「江崎君、委員以外の人を勝手に巻き込むのは止めてと前にも言ったはずだけど?」
そんな琉生の不正の現場を目撃したのはこの期間限定組織のNo.2とも言える実行副委員長の影山 泉と、同じく実行委員の暖だ。
「やる気がないなら辞めてもらっても構わないわ」
「いややる気はめっちゃあるし!文化祭ってのは学年、クラス、委員会の垣根を越えてみんなで作るもんってことを証明したいんだよ俺は」
そう力強く持論を展開した直後、琉生は頭に強い衝撃を感じた。
「いってっ」
「だったら口より手を動かせ馬鹿。荻野にも言われてるだろうが」
自分にこの衝撃を与えた犯人が誰であるかは振り返らなくても琉生には大体察しはつく。
「梅宮君」
「あやと!」
「実行委員に用があって来てみれば仕事してねえじゃねえか。お前俺達を勝手に面倒事に巻き込んどいて職務怠慢とはいいご身分だなおい」
「痛い痛い痛い!あややそこ患部!さっき叩かれたとこ!それ丸めたプリントー!」
絢斗は片手に持った丸めたプリントの束をこれでもかと琉生の頭に強く押し付けていく。おかげでプリントの端がよれてしまったのだが。
「禿げる禿げるっ
てかそのプリント何!?何か使うんじゃないの!?」
「あぁこれか?これはお前に円形ハゲを作る為の物だよ」
「違うでしょっ違うよねっ痛い痛い痛いっ」
「う、梅宮…もうそのくらいでいいんじゃないか…。勝手に手伝った俺も悪いしさ」
義は絢斗におずおずと止めるように言うが実際先程までは仕事をしない琉生に頭を抱えていた。だがいざ罰を受けている姿を目の当たりにすると段々と琉生が可哀想に思えてきたのだ。
「あ?荻野はこいつを見かねて手伝ったんだろ。自分の責任は自分で果たすべきってことをこいつに叩き込むんだよ」
「いだいいだいいだいっ
物理的に叩きこんでるっ」
琉生の頭に押し付けられている力が次第に強くなるものだから、ついには顔が机につっぷさざるを得なくなってしまった。それは琉生が仕事をしないからという理由だけではなく、ここ最近の彼に対しての私怨があるようにも感じられる。
「ところで梅宮君、用事って何かしら」
泉は思い出したかのように絢斗に実行委員の活動場所へとやって来た理由を尋ねると、プリントの束と机とで挟まれていた琉生の顔がようやく解放された。
「そうそう。全生徒対象の文化祭アンケートの結果を持ってきたんだよ」
そう言いながら丸められていたプリントをしっかり伸ばして泉に渡す。今さらながら束になったそれはかなりの厚みがあるので使う人によっては十分凶器にもなり得ると、その凶器の餌食になったばかりの琉生は思った。
「やっぱそれ使うんじゃんっ」
「アンケート結果はもう生徒会でまとめてあるが、一応全意見に目を通したいんじゃないかと思ってな」
「全生徒分をもうまとめるなんてさすが仕事が早いのね」
「文化祭は実行委員会が中心になって働いてくれるから生徒会は楽ができる。特に影山は細かい気配りをしてくれるからかなり助かるよ。俺達も出来る限りのサポートはするつもりだ」
絢斗はついさっきまで凶器だったそれを泉に手渡すと「何かあればいつでも言ってくれ」とだけ言い残してさっさと去っていった。
「あれあれ~いずみんなんかニヤニヤしてる~」
二人のやりとりを見ていた暖は泉の横からひょっこり顔を出して、彼女の口角がほんの少し上がっていることを楽しそうに指摘した。
「見送る時でも柔らかい表情はしておくものよ。もし相手が振り返った時に仏頂面じゃ失礼でしょ。これも相手を思いやるマナーよ」
「ふぅん~そうですかそうですか~」
「…暖、人の話は聞きなさい」
「なになに!いずみんの恋ばな!?俺ならその話めっちゃ聞くよ!」
「あ、梅宮」
「!?」
義の言葉で琉生は反射的に両手で頭を庇う体勢になりとっさに目を瞑るが予想していた衝撃はいつまでもなく、恐る恐る目を開けると暖や泉は既に持ち場に戻っており、さらには手伝ってくれていた義の姿もなかった。
「放置…」
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「やっっっと終わった!」
あれから気味が悪いくらいに自分の仕事を黙々とこなし、全てが終わる頃の空には秋の星がちらほら現れ始めていた。
暖や泉を含む他の実行委員は既に各々の仕事を終えて帰宅していたので琉生が最後の一人であった。さすがに気の毒に思った暖が琉生の仕事を手伝おうとしたが、乙女の安全の為暗くなる前に帰らせるのが男だと持論を展開した琉生によって強制的に教室から追い出された。そもそも琉生の自業自得であることを自分自身よく理解していたというのが大きい。
「さてと、帰りますか」
琉生は荷物を持ち正面玄関へと向かう。そろそろ部活も終わる時刻なので明かりのついている教室も数えるくらいだ。この時間でもまだまだ明るかった暑い季節が既に懐かしく思える。
(こんなに暗いと夏の明るさを忘れるわな)
静かな玄関で琉生はそんなことをぼんやりと考えながら上履きから靴に履き替えようとする。
「るいるいっ!」
「ぅワッ」
突然靴箱の影から飛び出してきた暖に驚いて腰を抜かした拍子に靴箱に頭をぶつけてしまい悶絶する琉生。
「あ…るいるいごめんね…」
「るいるい大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫」
琉生は頭をさすりながら暖と駐輪場へと歩く。
「ごめんね。まさかあんなに驚くとは思わなくて」
「いやー俺も完全に油断してたからさぁ…。てかはるるは帰ったんじゃなかったん?はっ!まさか俺が仕事投げ出さないか見張ってたとか!?」
「違うよー。るいるいはチャラいけど本当はやってくれる人だっていずみんも分かってるもん。図書室にいたの」
「チャラいってそれみんなの共通認識なの?」
ここ最近よくその評価をされることが多い琉生だが、正直自分でも否定しきれないところはあると思っているので深くは考えない。琉生は自分の自転車を見つけると籠に荷物を入れて鍵をさした。
「あ、そっか!はるるはカンカン待ってたのか!もう部活も終わる頃っしょ」
だから図書室で時間をつぶしていたのかと一人で納得する琉生だが、とんでもないと言わんばかりに暖はぶんぶんと首を横に振る。
「違う違う!読みたい本があったから夢中になって読んでたの。そしたらこーんなに暗くなっちゃって」
「そんな照れるなって~」
「もー違うってば~!だって私たまきの彼女じゃないもん!一緒には帰れないのー!」
「はいはい、そんなむきになんないの。カンカンの代わりにはなんないけどチャラチャラ系男子がお送りしますよ。いくら家が近いつったって女の子の一人歩きは危ないし、もし何かあったら俺がカンカンに竹刀で滅多刺しにされるわ」
そう言って琉生はさり気なく暖のバッグを自分の籠に入れ、徒歩で帰る暖に合わせて自転車を押してゆっくり歩き始める。
「はるるー行っくぞー!」
「え、う、うん!」
暖は一瞬戸惑ったが琉生の言葉に甘えて歩き出す。その遥か頭上ではいつの間にかたくさんの星が瞬いていた。
「で、何ではるるはカンカンと一緒に帰んないの?朝はよく一緒に来てんじゃん」
自転車をゆっくり押しながら先程の話題をもう一度振ってみる。理由はどうであれ遅くまで残っていたのだからついでに一緒に帰ってもいいのではと琉生は思ったのだ。
「んー彼女じゃないから、かなぁ?」
「別に付き合ってなくても一緒に帰るくらい良くね?だって今俺達一緒に帰ってんじゃんか~」
彼女という立場でなくてもいつかの朝は公衆の面前で密着していたのだから、暖の言葉と行動は矛盾しているように感じた。
「んん~何ていうかなぁ。自分でも本当はよく分かってないんだけど…」
暖は自分の足元に視線を落としたまま歩きながら話を続ける。
「私とたまきは家が隣でしょ?私の家は帰っても誰もいないことが多くて、それでたまきのお母さんが一緒にご飯食べようって誘ってくれるの。だから自分の家よりもたまきの家で過ごすことが多くて。学校から一緒に帰ると一緒にたまきの家に帰るってことになるから」
「…なーるほどね~。でもそれなら尚更一緒に帰った方がいいと思うけどなあ」
「それはっ」
暖はそこで立ち止まり自分のスカートの裾を握りしめて俯いていた。琉生も歩く足を止めて暖を待つ。
「…私とたまきは家族じゃないから」
「家族?」
「おんなじ家にただいまって言って帰るって家族の特権なんだよ。いくら家に行っても一緒にご飯食べても私は家族にはなれないから。勘違いしないように気を付けなきゃって」
スカートを掴む手にぐっと力が入る。いつもの天真爛漫な彼女は今ここにはいない。
「朝はいいの。お互いの家から一日が始まるから。いつも窓から隣のたまきに声をかけて自分に言い聞かせるの。これは家が隣だからできること、立地条件を利用してるだけでたまきは他人だって」
街灯のあかりか今にも心が張り裂けそうな悲痛な彼女の表情を照らす。その表情はいつかの生徒会室での昼休みに天井を仰いでいたそれととても似ていた。
「はるる…」
「あはは、ごめんね!こんなこと話されても困っちゃうよね!るいるいってなんか話しやすくてついついいっぱい喋っちゃった☆あ、もうここまでで大丈夫だよ!あそこ曲がればもう家が見えるから!じゃあ送ってくれてありがとうね。るいるいも帰り道気を付けてね」
いつもの笑顔を作った暖は矢継ぎ早に話すと一方的に話を切り上げて、琉生を残したまま自宅に向かって逃げるように走り去って行った。
「ちょいっはるる!はるるー!あ」
呼び止める琉生の声を背中で聞きながらも暖は全力で走った。あの角を曲がれば家はすぐそこにある。普段体育の授業以外では運動をすることもないが彼女なりに最速で走っているつもりだ。だが運動不足からか気持ちに体がついてこられずに足がもつれてアスファルトに倒れこんでしまった。
「痛いよぉ…」
何とか手は付いたものの膝等を軽く擦りむいてしまったようで、そこからヒリヒリとした痛みが伝わってくる。
友達に送ってもらう道中に自分からペラペラと胸の内を明かした挙げ句、急に我に返りその友達を置いて逃げるように去った結果がこれである。暖はそんな自分があまりにも情けなくてなかなかその場から立ち上がれずにいた。
(余計なこと喋ってるいるい独りにして…何やってんだろ私…)
アスファルトに頬をつけると、その肌触りの悪さと冷たさで少しだけ冷静になれる気がした。
「…こんな道の真ん中で寝るなよ」
突然頭上から聞き慣れた声がする。
その声を聞けば鉛のように重くなってしまった心も簡単にすっと軽くなる。それはまるで不思議な魔法にかかったかのように。けれどその魔法には依存性があり、そのあまりの強さゆえに魔法にはまればもう二度と抜け出すことはできなくなってしまう。そうなれば彼に悪影響が出てしまうのは必然的であり、暖にとってそれは何をしてでも避けなければならないことだった。何よりも大切な友達、相澤 環を想うのならば。
「むぅ~地球の重力に負けたの~」
暖はなるべくいつもの調子でゆっくりと体を起こして制服に付いた汚れを手で払い落とす。まるで目に見えない魔法を自分から追い出すかのように念入りに。
「よし、これでオケ!たまきは部活帰りでしょー。私は実行委員帰りなんだよ。帰り道に会うって珍しいよね!あ!もしかしてこれって運命だったりして!たまきだーいすき」
人が聞けば恥ずかしくも馬鹿らしくも思う言葉をいつも通りに並べる。言葉には物事を実現させる力がある。またその逆もあり曖昧な状態で簡単に口に出せば出すほど程その信用性がなくなるものもある。これは暖のおまじないでもあるのだ。気持ちを表す言葉を必要以上に乱用しておどけることで信用を失わせる為の虚しいおまじない。けれど暖にとっては重要なことだった。
「さ、かーえろ♪」
「…」
暖はくるりと背中を向けて歩き出した瞬間、膝の裏に何かで突かれたような衝撃を受けて危うく擦り傷をまた一つ増やしてしまうところだった。
「もうったまきー!竹刀でがつってやったでしょー!」
「…」
環は黙ったままで暖の目の前でしゃがみこみ、そのまま自分の背中を差し出した。
「…たまき?」
「膝、怪我してるだろ。血が出てる」
「え?あ、うん…痛いは痛いけどそんなおんぶしてもらう程じゃないよー!家だってもうすぐそこだし」
「俺が自分からお前をおぶることなんてこれが最初で最後だぞ」
「…あ」
暖は以前のおんぶの一件を思い出した。自分から環の背中にしがみついて彼をわざと困らせたあの朝のことを。
あの時は降りろと言っていた彼が今は乗るようにと言ってくれているのだ。
「それとこれ腰に巻いてろ。巻いたら早く乗れ。お前にとってはいつもとやってること変わらねえだろ」
「…うん」
環は今まで来ていたカーディガンを脱ぐと暖に投げてよこした。
暖にとっては環の背中に乗ることなんて難しいことではない。環の自宅で過ごす時間が多いのだから隙なんていくらでも見つけられる。実際何度も環の背中にしがみついては振り落とされていた。
ただ環が自分から暖を背負うことは今回が初めてのことだった。
「じゃ、じゃあはるちゃん背中に失礼しまーす」
暖は環の背中にその身を預ける。と同時に環の肩にかけられている物に目が止まった。
「あれ、たまきそれ私のバッグ…」
「お前琉生にバッグ持ってもらってたの忘れてただろ。さっきそこで琉生に会って預かった」
「なんということでしょ…」
暖は琉生の籠の中に入ったバッグのことは完全に忘れていた。その場から走り去ることで頭がいっぱいになっていたのだ。
「うぅ~るいるいごめんねぇ」
「それは明日本人に直接言え」
環は暖を背負って歩く。その両肩にはバッグや竹刀がかかっており、なかなかの大荷物だったが何ら気にすることなく歩き続ける。
「…」
「…」
環に背負われてる間、暖はいつもの調子で環に声をかけることができないでいた。いつもなら好きやら格好良いやらをただひたすら言い続けて、最後にはうんざりした環に振り落とされるのがお約束であった。
だが今は環は自分を振り落とさない。それどころか暖の両足をしっかり自分の体に巻き付かせて腕で支えるだけでなく、自分が来ていたカーディガンを暖の腰に巻き付けたのだ。スカートの中が見えないようにとの配慮だろう。
いつもならば魔法に対抗しておまじないをするところなのだが、暖の口は固く閉じたままで動く気配はない。
「ほら、着いたぞ」
先に口を開いたのは環だった。
転んだ現場から家まではわずかな距離の為あっという間に着いたのだ。環は暖をそっと下ろすと玄関の鍵をバッグから取り出す。
「このまま俺ん家に入れよ。飯食うだろ。先に風呂入って傷洗ってこい」
「…そうだね。じゃあお言葉に甘えまあす」
環は自宅の玄関を開ける。
「ただいま」
それに続いて暖も中へと入る。
「お邪魔します」
その言葉を口にする度に自分に言い聞かせる。越えてはいけない距離がある。私は環の領域に勝手に入り邪魔をしているだけ、と。
(痛いなぁ…)
ずきずきと痛むのは膝なのか、それとも目には見えないものなのか分からずにいる暖は、ただただ痛みに耐えるしかなかった。
暖は無意識の内に心の奥底の頑丈な扉の向こう側に本当の気持ちを隠してそこに鍵をかけた。
その鍵にひびが入り始めていたのだが、そのことに暖はまだ気付いていなかった。