次期剣道部部長と文化祭実行委員会
嫌な予感程よく当たる。生徒会室前の廊下で立ち尽くす環は練習スケジュールと書かれた紙を手にしてそれを実感しているところだった。
(何でこうなるんだ…)
全てはとある会議から始まった。
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「重大発表ー!バンド結成記念の初ライブは文化祭に決まりましたー‼そこでバンドメンバーの諸君にセットリストを決めてもらいます!」
「はあ!?」
あれから琉生の会議とやらに出席をした環と絢斗を驚愕させたのは、やはりあらぬ方向へと話を進めていた男の意気揚々とした姿だった。
「待て待て待て‼
突っ込みたいところは山ほどあるがまずメンバーって何だ!?」
「えー?あやや頭良いくせにメンバー知らないのー?メンバーって言うのはある団体の構成員のこと「俺が聞いてんのは言葉の意味じゃねえよ!」
ひとり盛り上がっている男に制止をかける次期生徒会長。普段は冷静な絢斗でも取り乱すことはあるんだなとぼんやりと他人事のように考えている次期剣道部部長。自分には関係のない話だと言わんばかりに用意された夜食のサンドイッチを頬張る。マヨネーズと玉子の配分がまさに環の好みであった。
「おい!何食ってんだよ!?お前他人事じゃないからな!完全に当事者だ!俺達勝手にバンドメンバーにされてんだよ」
「…はあ?」
環はこの会議に誘われたことに深い意味はないものだと思っていた。というのも度々会議と称した泊まりがけのお祭り騒ぎが常だったからだ。
「絢斗は別として俺はバンドに入った覚えはない」
「俺も入ってねえぞ!」
絢斗は珍しく声を荒らげて否定するが主犯の男はそれをものともしない。
「とりあえず落ち着いて特製スムージーでも飲みなって。これめっちゃ上手いからさ☆」
まあまあと荒ぶる男を半ば強引に座らせてグラスに注がれたスムージーを勧める。見た目は林檎のような淡い黄色だが柑橘系の爽やかな香りがふわっと鼻に届く。
「…」
言われるがままに絢斗はグラスに手を伸ばす。先程声を荒らげたおかげで喉が潤いを欲していたのだ。
ごくり、またごくりと爽やかな風味と共にひんやりとした感触が喉を通っていく。それが心地好くてまた喉に通していく。気付けばあっという間にグラスが空になっていた。喉が乾くほど一時的に熱くなってしまったのかと自分を少し恥ずかしく思う絢斗。特製スムージーのおかげでいつもの冷静な判断力を取り戻しかけたその時、
「はい契約成立!ここからバンド脱退は契約違反になりまーす!」
「はあ!?」
あっけに取られる二人の前に手作りであろう「契約書」を突き付ける男。そこには一応二人の署名欄もあるがもちろん空白だ。
「名前も書いてないし印鑑も押してない、大体事前相談もなしに契約成立するわけないだろ。ていうか契約って何だよ、プロダクションの社長かお前は」
スムージーのおかけでいつもの冷静さを取り戻しつつある絢斗は、お手製「何ちゃって契約書」を掲げる琉生に反論を開始した。
「社長!いいねその響き☆
まあ高校生だしこういうのは形だけってことで!とりあえず見て欲しいのはここだよ、こ・こ!」
社長という言葉にまんざらでもない様子の男は契約書のある部分を得意気に指で示す。それは一目では分からない程ひどく小さな文字で書かれていた。
「報酬を事前に受け取った者は契約成立と見なす☆」
「はあ!?」
「さっきの特製スムージーは事前報酬だよ!あやや美味しそうに一気飲みしたじゃん?あれで成立ってことでもうこれ以上反論は受け付けませーん☆」
「…馬鹿らしくて付き合ってられん。帰る」
「ええー!?帰んないでー!せめて反論してー!」
「おい琉生!足にまとわりつくな!」
事前報酬なる姑息な手段で一本取ったつもりでいた琉生だったが、今やその態度も一変して帰ろうとする絢斗を引き止めることに必死になっている。そもそもこの手の話にはまともに取り合わずに無視を決め込むのが身を守る最善策だ。よって絢斗は琉生の土俵から降りることを選択したのだ。
ただ一人の馬鹿がつくほど律儀な奴を除いては。
「おい環!お前も行くぞ!」
「…いや、俺は残る。」
「はあァ!?」「カンカン‼」
絢斗は予想外な親友の返答に思わず声が裏返ってしまった。剣道の功績とその容姿から周りから注目はされているが、元々自分から目立つようなことをするタイプではない。それを絢斗はよく知っていただけに、この場に残ると言い切った親友に驚きを隠せなかったのだ。この話の流れで帰らないということは琉生の滅茶苦茶な提案に対してほぼ「イエス」と答えていることになる。
「お前なぁ、こんな面倒なことには関わらない方がいいに決まってるだろ?大体バンドやるなんて話されたことないだろ。このチャラ男が勝手に騒いでるだけだろうが」
「えっ、チャラ男って俺のこと!?」
お前以外に誰がいるんだよ、とぐいぐい迫ってくるやたらやかましい男を手で押し退けながら親友に考えを改めるように促す。
「…確かに滅茶苦茶な話だ。けど」
そう言葉を続ける環の顔は真剣そのものだった。
「事前報酬を受け取ったならその分の働きをするのが道理だろ。確かに何も知らされなかったけど、別に俺達の金銭を狙ってやったことじゃないんだ。悪意はない、だろ?」
「カンカン!」
琉生は自分を押し退けようとする絢斗から離れると環に思い切り飛び付いた、つもりだったが受け止める気などさらさらない環がさっと身をかわした為に床に直接飛び込むことになった。だが今はそんなことは気にならない。なぜなら自分の体を受け止めることを拒否しても、自分の無茶な提案に対しては応えてくれる存在がいるのだから。
「カンカーン!まじ神!カンカンなら分かってくれると思ってたよー!」
「くっつくなチャラ男」
「今はもうそれも気にならないくらい嬉しいっ」
チャラ男は感極まるあまり救いの神の腰に抱きつこうとするも、それも先程と同様に失敗に終わり大胆に床に倒れこむことになったが本人は全く気にはならない。
(いやお前馬鹿律儀も大概にしとけよ…)
最早絢斗は反対し続ける気力を奪われたかのように脱力し呆れてものが言えなくなってしまっていた。
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「何が起こったのか分からないって顔してんじゃねえよ」
「…いてえな」
環の背後からどんっと肩を小突くのは先日の会議現場に居合わせた次期生徒会長だ。彼の手にも環と同じ練習スケジュール表なるものがある。
「こうなったのもほぼお前のせいだからな」
「…」
環はあの時救いの手を差しのべてしまったことを責められても何も言い返せなかった。
「あいつ俺らにバンドの話をする前に周りの奴らにステージに立つんだとか言ってたらしいぞ。で、無視すればいいのにどこかの馬鹿が馬鹿正直に引き受けるからあいつ文化祭実行委員にまで入って先生にまで話を回してるみたいだ。生徒会長になる俺と剣道部エースのお前がライブをやるってな」
はあと大きなため息をつく絢斗の顔に疲れが見えていた。
おそらく既に周りからライブに対する期待の声を掛けられたのだろう。実はそれは環も同じであった。だからこそ周囲の期待の眼差しから逃れる為に昼休みが始まるや否や生徒会室にやって来たのだ。
「あいつはチャラチャラしてるように見えてこういうところはしっかりしてやがる。外堀から固めて俺達を囲いこんだ。もう逃げられないぞってな」
やってくれた、と次期会長の特権で生徒会室の鍵を開けながらぼやく絢斗に掛ける言葉が見つからない。あの時の絢斗と同じように無視をすれば良かっただけのことであり、突然無茶苦茶な提案を突き付ける琉生に助け船を出すことはなかったのだ。
だがそうしてしまったのは琉生を哀れに思ったからではない。理不尽だとは思いながらもあの時に食べた夜食のサンドイッチを美味しいと思ったからだ。少なくともスムージーを含めてあれらは環達を客人としてもてなす為にわざわざ用意してくれたものであり、一飯の恩を感じているのにも関わらず仇で返すことはこの環という男には到底出来なかった。
「…悪かった」
それだけの言葉を口にするのがやっとだった。理由を説明するにも馬鹿馬鹿しいと思われるのが落ちだと分かってはいた。自分が絢斗の立場ならそう思うだろう。
絢斗は窓を開けて自分の定位置に座る。すうっと入る風がレースカーテンを柔らかく踊らせた。
「まあお前のことだから変なとこに恩義でも感じたってオチだろどうせ」
絢斗の前髪がふわりと風になびく。その手元ではスケジュール表が半分に折られていた。
多くの嘘や邪念が飛び交うこのご時世と随分相性の悪い性分だがそこが彼の長所でもあることを絢斗は理解している。犯罪ではないにしても結果的に面倒事に巻き込まれたのだが、これ以上環を責めるつもりはない。
「…もうこうなったらやるしかないか」
そう言うと紙飛行機に姿を変えたスケジュール表が宙を舞った。
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「ただい「あ!たまきおかえりー!」
部活を終えて帰宅した環を待っていたのはやかましい隣人、五十嵐 暖だ。環自身はいたって静かなタイプなのだが、何故だか琉生しかり暖しかり賑やかなタイプに縁があるらしい。
特に暖は家が隣どうしでもあり、彼女の家庭の事情も相まって夕飯を環の家で共にすることが多い。
「たまき聞いたよ!バンドやるんでしょ!何でもっと早く教えてくれなかったの、内緒にしてたでしょー」
「別に内緒にしてた訳じゃない」
内緒どころか先日突然決まった話でそれまでは何も知らされていなかったとは当然言えなかった。
「まさかあなたがバンドやるなんてね。剣道のことしか頭にないのかと思ってたから意外だったわ」
そう笑いながら夕食の準備を進めているのは環の母だ。環の整った顔立ちはこの母から受け継がれたものであろうことは誰が見ても一目瞭然である。
「たまきが剣道以外で大きい声出すなんてめったにないよね。最近たまきの歌聞いてないから楽しみぃ」
暖も夕飯の皿の用意を始めながら嬉しそうに笑う。環は部屋着に着替えようと一旦自室へと向かい、それまで来ていた制服をハンガーにかける。自分から話したわけでもないのにあっという間に話が広まるとは思っても見なかった。これが江崎 琉生の成せる業かと半ば感心しながら着なれた服に袖を通す。
通したところでふと先程の暖の言葉を思い出していた。
(大きい声を出す…歌…)
環ははっとして階段をかけ降りた。
「暖!」
「わ!なになに急に!たまきのオムライスにハート書いたのがそんなに嬉しかったってこと!?」
「違う!さっきの話だ」
「さっきの話?あーバンドやるのが意外って話?大丈夫だよーみんなギャップ萌えだねって言ってたよ!」
「違う!歌の話だ!」
環が気になったのは歌という単語だ。何せバンドの話も突然のことの上、練習スケジュール表は渡されたものの内容は本番の日までとにかく練習という雑なものであった為、一度目を通してはみたがすぐにごみ箱行きとなったのだ。
「歌の話ー?だって環は歌が上手いからボーカルやるんでしょー」
「…それ誰に聞いたんだ」
「誰ってるいるいだよ?今日の放課後文化祭実行委員の顔合わせがあった時に言ってたよ?私もるいるいも実行委員会になったから。
るいるいがギターで、副会長がベースでたまきがボーカルって。それでドラムはぎっくんだって」
バンドをやることになった以上それぞれに役割があることは分かってはいたが、環は自分が何をするのかは全く考えてもいなかった。だが考える必要はなかったようでこれもまたあの抜け目のないチャラ男の仕掛けだったようだ。
「たまきは文化祭が終わったら今度は試合でしょー?ボーカルならお風呂でも練習できるから部活と両立できそうだもんね。さっすがたまき!考えてるねー」
確かにやったこともない楽器の練習を一からするよりも歌の方が取っつきやすくていい。文化祭の準備は他でカバー出来るにしても試合に向けての練習を減らすことはできない。だからといって引き受けた以上バンドの完成度を中途半端な仕上がりにはしたくない。
(外堀を固める…絢斗の言った通りだ)
自分の知らないところで歌声を披露することを強制的に決められていたのだが、下手に楽器をあてがわれずに良かったと逆に安堵した。
もっともこれもあのチャラ男の思惑通りなのかも知れないが。
「あ、そだ!私文化祭実行委員になったからたまき達のバンドを一番に見られるんだよ」
「はあ?」
「一応有志のステージ発表にはオーディションみたいなのがあって先生と生徒会と実行委員会のOKが出たらできるんだよ。私は絶対OKだよー!」
つまり文化祭本番までは2カ月はあるが、それよりも先に形にしなくてはいけないということだ。歌うことは好きな方だが元々経験のないことをやるのだから簡単なことではない。
(そういや何を演奏するのかさえ聞いてなかったな)
夕飯を食べ終えたらごみ箱へと入れられてしまった哀れなスケジュール表を救いだそうなどと考えながら、ケチャップでご丁寧に描かれたハートをスプーンで平にならした。
「きゃあ!食べる前にぐちゃぐちゃにしないでー!」
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「はあっさっぱりしたー!」
暖の栗色の髪から滴り落ちる水が環の部屋のベッドに染み込んだ。
「…いちいち俺の部屋で髪を乾かすなよ」
「いーじゃーん減るもんじゃないし。あ、お風呂上がりのはるちゃんがセクシーで照れてるんでしょー
たまきのエッチ!」
暖はきゃあと両手で胸を隠す仕草をするが、相手をすると調子に乗ることを知っている環は無視することにした。くしゃくしゃに丸めてしまったスケジュール表を元の姿に戻すことに忙しいのだ。
「もう!無視しないでよう!」
だが無視をしたところで怯まないことも知っている。暖はベッドに背を向けて座る環目掛けて飛び付いた。
「はるちゃんスペシャルホールドー!」
ぎゅうとしがみつけばしがみつく程に暖の胸が環の背中に押し付けられる。それは先日のおんぶ事件よりもはっきりと感触が伝わるもので、環も男である以上意識しないことの方が難しい。しかもあの時と大きく違うことはここは公衆の面前ではなく、環と暖の二人だけの空間ということだ。
「…暖」
環はスケジュール表から手を離し、自分の首に巻かれている暖の腕に触れてそっと優しく解くとゆっくりと振り向いた。
そして
「…たまき」
「!痛いっ‼」
環は頭を振りかぶると一気に暖の頭にそれをぶつけた。いわゆる頭突きである。
「調子に乗るな」
それだけ言うとくるりと元の体制に戻り確認作業を再開する。
暖は頭を押さえてしばらく悶絶していた。
「――そういえばたまきってぎっくんと仲良かったんだね」
暖の頭にはこぶができたようで時々それをさすりながら乾いた長い髪をブラシでとかしている。
「ぎっくん?ああ、荻野か。別に特別仲が良いって程ではない。たまに会えば話すくらいだな」
荻野 義
環達の同級生であり今回のバンドのドラムを担当することになっている。琉生の会議には出席していなかったが彼もメンバーだということだけはさすがに琉生から知らされていた。
「え、そうなの?一緒にバンドやるくらいだから仲良いのかと思った。
でもるいるいとぎっくんは中学が一緒だったんだよね。あの二人は仲良しだよねー」
「…仲が良いというよりあいつのお守りじゃないか?あれにはストッパーがいた方がいいだろ」
良くも悪くも琉生には思い付いたことを形にする行動力が備わっているが時に周囲をも巻き込んでいく。それは今回の突然のバンド結成の件で身を持って知ったことだ。そんな琉生をトラブルを引き寄せる厄介者と思う者は環が知る限りいないのだからこれまた驚きだ。ただ荻野 義は琉生を厄介者とは思わないまでも常に彼に対して世話を焼いているように見えた。
「それでも一緒にいるんだから仲良しなのー!」
「何むきになってんだよ。ていうかお前髪乾いたんだからそろそろ帰れよ」
「えー」
「えーじゃねえよ。隣っていっても遅くまで外にいるもんじゃないだろ。仮にもお前は女なんだから。それにあんまり遅いと俺が皐月さんにどやされるんだよ」
「たまきが心配してくれてるー!嬉しい!でも大丈夫だよー。お兄ちゃんは今日バイトだからまだ帰ってこないと思うよ」
と言っているそばから暖のスマホから呼び出しの音がけたたましく鳴り出した。環はちらりと窓の外に目をやると、暖の自宅前でスマホを片手に早く妹をかえせと言わんばかりにこちらを鋭い目付きで睨む青年の姿が目に入る。
(こうなるから言ってんだよ…)
「大丈夫じゃねえよ、いいから早く帰れ!
母さん!暖帰るから玄関まで送って!」
環はしぶる暖を無理矢理廊下に押し出して部屋のドアを素早く閉めた。
「たまにはあなたも見送りしなさいよ、まったく…」
「大丈夫です!あれは照れ屋なたまきなりの見送りなんです。ちゃんと愛は感じてますから!」
「あら、ふふふ」
「違えよ!早く帰れよ!」
環は暖と母が玄関へと向かうのを音で確認すると外へと出る頃を見計らって再び窓の外を見ると、暖も同じように外から二階の窓に向けて大きく手を振っている。さすがに夜ということもあり大声を出さないだけの常識は一応彼女にもある。
ただその口元は音を発していないだけで何かを伝えようと動いていた。環には彼女が何を伝えようとしているのかは手に取るように分かる。いつも暖が簡単に口にする言葉だがそこに言葉以上の意味を持たないことも環はよく知っていた。そしてそんな彼女を早く家に入るようにせっつくのが彼女の三歳年上の兄、五十嵐 皐月だ。
人に慕われることの多い環だがあの皐月には嫌われている絶対の自信がある。環は元々皐月とは幼なじみでよく一緒に遊んだ記憶はあるのだがいつの頃からか敵意を持たれてしまったように感じるのだ。幼なじみとはいえ大切な妹が自分よりも他人である環の方になついたことが面白くなかったのだろうと思う。
(俺だってあんたの妹にはまいってるんだ…)
環はベッドに倒れ込むといつまにか泥のように眠ってしまっていた。