次期生徒会長と次期剣道部部長
相澤 環とは中学校からの付き合いだ。入学してそう経たない内にあいつの噂を耳にした。
噂といっても別に素行不良の類いでもなければ、実は有名芸能人なんてものでもない。どうやら剣の腕が優れているらしく、中学生として初めて出場した個人の試合で惜しくも優勝は逃したもののまさかの準優勝。元々我が中学の剣道部としてのこれまでの成績はというと、過去数十年間の中でも個人戦はベスト8が最高の記録。それを越える快挙を新人1年生がいとも簡単にやってのけたのだ。
「弱小剣道部の最新にして最終兵器」
それが中学デビューをして間もない頃の相澤 環の通り名だった。
最終兵器は大袈裟だとは思うが、それほど皆があいつに期待をして一目置いているという証でもある。
剣道をよく知らないものでも、試合が行われる度に全校集会なる全生徒の集まりの前で表彰されれば嫌でも奴の顔を覚えてしまう。
入学してから話したことはなかったが、全校集会のステージの上でいつも涼しい顔をして賞状を受け取るあいつはどんな奴なのだろうと興味は持っていた。腹を探るのは趣味ではないが、あいつの腹の内は中々読めない、そんな印象だった。
話しかける機会もなく1年を過ぎた頃ようやくそのチャンスが巡ってきた。初めて声をかけたのは中学校生活が始まって2年目の春、同じクラスに割り振られてからだ。
「また試合の結果残したんだってな。おめでとう」
「…どうも」
「どれだけ表彰されてもおごらず謙虚なのは武道家の強みだな」
「…どうも」
…キャッチボール、というよりは投げられたボールを嫌々打ち返す、いやバットを振りさえもせず義理でボールを当てて返すという表現の方がしっくりくるかも知れない。
何事も完璧な人間はいない。竹刀を持たない相澤 環は喋りが苦手で返答がパターン化されている。しかしそれは「クール」だとして女子の受けは上々であることに加えて容姿も悪くない。むしろ綺麗な顔立ちをしていると言える。が、前述の通り愛想は良くはない。話しかけられれば反応はしてはくれるが必要以上に返しては来ない上に自分から話すようなタイプではない。
ただ武道家の性か礼儀は大切にしているようで、挨拶はもちろんのことだが言葉をかけてくる女子生徒がいればどんなに急いでいようが一々「どうも」と返し、誕生日でもないのに物を貰えばご丁寧に何かの形で返す。本人は何とも思っていないだろうが彼女達にしてみればこれらは最高のファンサービスでもある。普段は無愛想で不器用なだけにその喜びはひとしおだろう。
まあ要はミーハーの集まりだ。放課後の剣道場の前にはあいつの姿を見る為だけに女子生徒達が集まる。一部の男子生徒を除けば、あいつに憧れて入部を決意するような熱意は誰一人として持ち合わせてはいなかった。相澤 環という人間を偶像化して自分勝手に騒いでいるに過ぎなかったのだ。まるで客寄せパンダだ。
(まだ動物園のパンダ目当ての客の方が運営側に利益はあるな)
「毎度毎度ご苦労なことで、カンカン」
あっという間に桜の季節は過ぎ、いつの間にかそこかしこに飾られていた鯉のぼりも姿を見せなくなった。大型連休の内に剣道場の裏に広がる田んぼ畑には水もはられ、まだ若く青々とした稲がきっちりと整列していた。
「…いきなり何だよ。人をパンダみたいに呼ぶなよ」
環の十八番芸「どうも」以外の返答を得られるようになるまでに思っていた程時間はかからなかった。
最初こそ迷惑そうに顔をしかめていたが、下らない内容でも話しかけ続けると二言、三言と返ってくる言葉が増えていった。この努力は報われたわけだ。
ちなみカンカンとは剣道部所属客寄せパンダ環君の名前である。洒落と少しの皮肉を込めて勝手に名付けてみた。
「普段は無愛想なお前がミーハー相手に愛想振りまき続けるなんて意外だって話だよ」
剣道場の裏の段差に腰掛けて環はパンを頬張る。給食制度のないこの中学校では環は昼休みになると大体ここで昼食をとる。練習をするわけではなく単に落ち着ける場所を探し求めた結果こうなった。
「別に愛想ふりまいてる訳じゃねえよ。挨拶されたら返すのが礼儀だろ」
「礼儀もいいが、その結果人気のない日陰で飯食うことになってるだろ」
昼休みの教室にいられないことはないのだが、廊下からの無数の視線や突然の訪問者への対応などで中々気が休まらないのだ。
「落ち着いて食えればどこでもいいんだよ」
お気に入りのパンをひとつ食べ終わり、もうひとつを手に取る。環は昼食はパン派であるらしい。さすがの礼儀マンもランチタイムは落ち着いて取りたいようだ。
「俺はお前と違ってどうでもいいことをペラペラ喋れねえから疲れるんだよ。これでも気は遣ってるんだ」
環は口下手だ。それでも環なりの礼儀作法にのっとってファン対応をしている。迷惑なら迷惑だと言ってしまえばいいのに、それをしないのは面倒なのか優しさなのか…。
「…お前今俺のことお喋り野郎って言ったろ?」
「そこまで言ってないだろ。お前みたいに頭がキレて喋るのが詐欺師になるんだろうなぐらいしか思ってねえよ」
「もっとひどいだろ‼俺を犯罪者予備軍みたいに言うなよ‼」
環は口下手だ。そして口が悪い。
対して俺は話すことは得意だ。環が剣道で表彰される横で、俺はスピーチ大会での成績を称えられる。その能力を悪用する気は更々ないが、以前から興味のあった生徒会に立候補する予定ではある。生徒会活動は高校進学への内申点にもプラスになる。
「まあでもある程度喋れた方がモテるとは思うけどな。自分で言うのも何だが俺にもファンはいるからな」
「…」
「…」
ごそごそと食べ終えたパンの袋を片付け始める環。
「無視かよ」
「そういやカンカンは彼女いるのか?」
「…いきなり何だよ」
ファンの多い環だが浮いた話は特に聞いたことはなかった。中学生にもなるといつの間にか周りは見よう見まねで恋愛を始める。一途な想いもあれば、その時その時を楽しむことに全力を注ぐものもある。
環のファン対応から見ても特定のお付き合いをしている人がいるという確証もないので、ファンの間で話題になることが多いらしい。
「いやあれだけ女子にキャーキャー言われても「どうも」でやり過ごすんだから本命がいるんだろ?」
「…」
ほんの一瞬袋を片付ける手が止まった。これは図星だ。
「…いねえよ」
「ふーん。で、同じ中学か?」
「話聞けよ」
「お前が好きになるってどんな子なんだ?」
「だから話聞けよお喋り野郎」
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――――――
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「毎度毎度ご苦労なことで」
「…いきなり何だよ」
環のこのうるさそうに顔をしかめる姿は中学時代からもう数えきれないくらいに見てきた。
(面倒なこと聞くなよって顔だな)
むしろこの顔が見たくて敢えて煙たがられる話題を振っているともいえる。意地が悪い自覚はあるが、節度はわきまえているつもりだ。
「まあ、言いたいことは山ほどあるんだが」
言いながら座り慣れた椅子に腰を下ろす。次期剣道部部長は目の前のパンに手を付け始めたところだ。昼にパンを好んで食べるのは中学の頃から変わらない。変わったことといえば昼休みを過ごす場所だろう。中学時代は剣道場の裏を隠れ家にしていたが、高校生となった今は季節を問わず快適な教室、それも特定の生徒のみ出入りを許されている領域「生徒会室」。
ここは暗黙の了解で関係のない生徒は近付かない場所であり、生徒会副会長の権限で昼休みは貸し切りの休憩室となっている。中学時代からファンの多い環は高校でもその人気は衰えず、むしろファンの数は増す一方だ。
「…なんだよ」
今朝のおんぶ騒動の後は何事もなかったかのように授業を受けた環だったが、心なしか疲れているようだった。それは無理もない。朝から女子と密着して何も感じない方が男としては不健全だからだ。しかもその相手が相手だけによく耐えたものだと感心さえする。
「お前らいい加減付き合えばいいだろ」
この言葉で環の眉間のしわはより一層深く刻まれた。
「…簡単に言うなよ」
「いや難しいことは言ってないだろ。お前ら端から見れば付き合ってるようにしか見えないし、そのお陰でお前のファンも減りはしないが接触は控え目になっただろ」
「お前は一体何に遠慮してるんだ?」
環は何も言わない。パンをひとつ片付けて飲み物を口にする。返す言葉を考えているのだろう。聞いたのは俺だが返ってくる答えはもう察しはついていた。
「…遠慮してるわけじゃねえよ」
「俺は一度あいつに振られてるんだよ。俺があいつをどう想ったって、あいつ自身は俺のことを友達以上には思わない」
「でも環には好き好き言ってるだろ。さすがに好きじゃない男には言わないだろ」
それに狙っていないのなら、今朝のように人前でべったり密着することもないだろう。
環はふうと息を吐くと椅子の背もたれにその背中を預けて生徒会室の天井を見上げた。
「確かにあいつの中での俺は男としては一番だとは思ってる。けどそれはあくまで「男友達」としてだ。それを越えることはない。だから俺はあいつの「男友達」として居られればいいんだよ」
そうきっぱりと言い切る親友の顔は天井に向けられていて表情こそ分からないが、その言葉とは裏腹にどこか寂しそうな声を聞くにとても割り切っているようには見えなかった。
「そうは言ってもそれはお前の想像に過ぎないだろ。彼女の本心なんて当然俺には分からないが、お前にだって分かるわけないんだよ。改めて聞いてないんだから」
「第一環自身はどうなんだよ。今のお前は彼女のことどう思ってるんだ」
環は自分の気持ちを自覚はしているが、過去の一件からその想いに蓋をして見て見ぬふりを続けてきた。本人がそれでいいと言うのなら他人がとやかく言う筋合いはないのだがどうにも納得がいかない。
環はずっと上を向いたまま動かない。彼の次の言葉を待ってはみるがいっこうに発せられる気配はないので今日はもうこの件に関しては終了だろう。
時々この手の話を切り出すが結局は環の黙秘作戦で強制終了となる。
(さてご機嫌斜めの剣士をどうなだめるかな)
部屋中に響く時計の規則的な音。
生徒会室の外を歩く足音。
今まで気にしていなかった中の音も外の音も一斉にこの部屋に入り込んできた。
こうなることが分かっていても話題を振るのは意地が悪いからだけではない。過去の一件から全てを悟ったつもりでずっとその場で足踏みをし続けている親友に少しでも前に進んでもらいたい。ただそれだけだ。
(まあ、そう上手くいく相手でもないしな)
五十嵐 暖…
環とは家が隣どうしなのに中学校が別々だったのは高校入学前まで隣町に住んでいたからだ。引っ越して来たのは約2年前だが、環とはもっと前から知り合いだったらしい。彼女の家庭も複雑だという話は環から聞いたことはあるが、さすがに人様の家庭に深く首を突っ込む程趣味は悪くない。ただ数回だけ環繋がりで彼女の兄に遭遇したことはあるが。
(五十嵐本人の攻略も難しいが、一番の壁はあの兄だよな)
数回会っただけの人物をぼんやり思い出していると突然生徒会室の扉がバンッと大きな悲鳴を上げた。
「おー!やっぱここにいんじゃーん!」
一人なのに数人はいるんじゃないと思わずにはいられない賑やかさでドカドカと部屋に入ってきたのは江崎 琉生。一言で分かりやすく紹介するのなら「チャラい」。そして「やかましい」。
だが顔も整っている上に生まれ持った華やかさと人懐こさもあって男女問わず好かれやすく、どこにいても自然と輪の中心にいるような奴だ。剣道で一目置かれている環や生徒会副会長兼模範的優等生(自分で言うのも何だが)として評判の俺とは違う意味でよく目立つ。そんな琉生だが何故か俺達によく絡んでくる。
「なああやや!放課後集まって会議しようぜ会議!」
「なんだ急に。悪いが放課後は生徒会の会議だ」
「えー生徒会かあ…じゃあその後集まろうぜ!」
琉生との会話には沈黙が存在しない。そこはどごぞの剣士とは大違いな点だ。こちらが話題を振らなくても一人でどんどん盛り上がるので気を付けないとあらぬ方向へと話が進んでいくことがある。
「お前その後って言っても何時に終わるか分からないぞ。今年の文化祭の要望もまとめて提出しなきゃなら「それそれそれー!それの会議がしたいんだよ俺達も!」
「一緒に思い出作ろうぜー!なあカンカン!」
琉生は今まで天井の一点を見つめていた不機嫌な男の肩にぐいっと腕をまわして強制的に肩をくんだ。持ち前の人懐こさで人との距離をどんどん縮めていき、いつの間にか皆がこいつのペースにはまっている。こいつにかかれば環の必殺「どうも」を封じることができる、というより繰り出す隙もない程に喋り倒す。
「カンカンは部活の後に集まろうぜ!場所は俺の家で各自集合!あ、泊まる準備も忘れんなよ☆」
「よしじゃあ決まり!またなー!」と言う時には既に生徒会室を飛び出しており、こちらの返事は待たずしてあっという間に去っていく。ちらりとカンカンに目をやると自分の肩と首に手を当てて労っていた。先程の嵐のようにやって来た男の影響で多少痛めたようだが、やっと正面を向いたその表情を見れば大したことはないだろう。そして眉間に深く刻まれていたしわも少し緩んでいるようだ。嵐が過ぎ去った後の空気は心なしか穏やかだった。
「…で、どうするんだ?行くのかカンカン?」
間もなく昼休み終了を知らせるチャイムが校内中に鳴り響く。教室に戻る準備をしながらカンカンの意志を確認する。
「その呼び方はやめろ…」
「俺が呼ばなくたって琉生が気に入ってんだから呼ぶだろあいつは」
「…」
何がきっかけかは忘れたがこの呼び名を琉生に教えたのは紛れもなく俺自身だ。あいつに言えば面白いことになるのではというほんの少しの好奇心と出来心の結果がどうなったかは言わずもがな。
「それで行くのか?行かないのか?」
「…部活が終わり次第準備する」
カンカンの参加も確認できたところで午後の授業へとのぞむ。
琉生の家で何が議題に挙がるのかは不明だが、またあらぬ方向へと話が進んでいく気がしてならないのは俺だけではないだろう。