表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ショートショート

さよなら歯ブラシ

作者: 夕凪 もぐら


。・゜・(ノД`)・゜・。

 



 鏡に向かい軽く笑顔を作ってみた私の口で、青海苔一つ付いていない歯は今日も白く輝く。


 だが油断してはいけない。


 昨晩は、あんなに激しく、激しく、激しく、歯茎から血が滲むまで磨き尽くした綺麗な筈の口内は、睡眠と呼ばれる人間が最も必要とする行為によって、酷くベタついている。


 いや、ベタついているのは、私の人間性の方なのかもしれないな……などと自嘲的な思考を巡らせながら、愛用のピンクの歯ブラシのキャップを外す。


 少し草臥れたピンクの相棒の毛先は、左右共に外に向かって跳ねていて、何ともだらしがない。


 ああ、買い替え時だなんて分かっているさ。ただ捨てようと思う度に、胸の奥底に仕舞い込んだ彼との思い出が、鮮明に脳裏に浮かび上がって、私を思い止どまらせる。その場に踏み止どまらせるんだ。


 情が沸いてしまったのか?


 私は非情になりきれないのか?


『早く俺を捨てちまいなよ。俺にゃ、もう、あんたの歯を綺麗にする力なんざ、残ってないんだ』


 一瞬……それは一瞬、私は相棒の声が聴こえた気がした。初めてのことではない。その度に私は耳を塞いでいたのだ。


 気のせいだ、気のせいだ。私は力無い相棒の声が、聴こえてしまうのが怖かった。さよならするのが怖かった。


『さあ、今日でお別れだ。歯磨き粉は、俺のお気に入りにしてくれよな』


 鏡の前にある洗面台のラックから、カラフルなチューブを左手に取った。


 縺れる指で蓋を開けて、少し多めに捻り出す。顔はまだ洗っていないのに、ポタポタと顔をつたって、洗面台の上に落ちる水滴。私は泣いているのか?


 そして今、彼に目を戻すと、くたびれた毛先の上には、なんとも色鮮やかな三色の虹が掛かっていた。


『さあ、最後の晴れ舞台だ。派手にいこう』


 私は三色に輝く彼を、自分の口内に突っ込んだ。瞬く間に泡立つ口内。そしてゆっくりと奥歯に当てて、一気に加速させる。


 磨くんだ、磨くんだ。


 前歯に、奥歯に、犬歯に……


 掻き出すんだ、掻き出すんだ、歯垢を、残った酒の匂いを、昨日までのモヤモヤを、泣き虫な自分を。


 数時間後、泡だらけになった口を濯いで、私は生まれ変わった。


『今までありがとな。アバヨ』


「バイバイ」


 名残惜しかったが、また寂しくなると思い、私は振り返らずに彼を屑籠に捨てた。貴方のことは忘れない。


 絶対に。



 終


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] マンガ「ジョジョ」的に言うと 「お前は今までに捨てた歯ブラシの数を憶えているのか?」 というお話ですね! 歯ブラシ1本で、ここまで格好いいお話が書けるなんてスゴいです! 特に最後の一文、…
[一言] ある種の繊細な感性をうまく言語化した、珍しい作品だと思いました。あまり誰かと共感したことがない種類の共感を覚えました。
[一言] 歯ブラシを彼と表現したのが、どことなく、同棲していた彼がおいていった歯ブラシを使っているだと情けなくて面白いなあと想像してしまいました笑
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ