前線決意/三位明崇
明崇は、商業施設の奥、真夜と身を潜めていた。
「あァ、んぅッ」
「だ、大丈夫……?」
全身の熱が引かない。鬼人化するとだいたいこうなる。全身熱くて、抑制を聞かせるのが難しい。今。二人は婦人服コーナーの裏、エスカレーターを背にして座り込んでいる。
明崇は先ほどの、鳥越との戦闘を思い出していた。
勝算が、見えない――。
最近相手にした鎌鬼が全て鳥越という個体だったと、言い切ることはできない。しかしそれにしてもあの筋力とスピードは、今までの戦闘経験からしても、明崇の想像をはるかに超えていた。あれは恐らく、内からくる強さではない。外からくる強さなのだろう。
鬼人化は、感情に大きく作用される。感情の高ぶり、激昂、アドレナリンの亢進。しかし、あの強さはいわば、ドーピングでもたらされたようなものだ。全身からあれほどの量の金剛骨が析出する現象が、今まで自分の身に起こったことは無い。
だったらこの場合、明崇もドーピングを試みるしかない。
「何、してんの……」
胸ポケットをまさぐる。取り出したのは赤色のラベル、ポンプが付随した注射器だ。
「いいから……、俺の事ほっといてさ。早く行けって」
「で、できるわけないじゃん」
先ほどから、この問答が続いている。
「あそこからなら外、出られるかもしんないだろ」
「馬鹿言わないで。あそこ、どう考えても行き止まりだよ」
そう。この奥に道は無い。逃げ込むところをどうやら明崇は、間違ってしまったらしい。
「俺と一緒にいるのが、マズいんだって」
「だからっ……それが、やなの」
真夜の声が小さくなる。彼女が顔を伏せたのを見て、注射器のキャップを取り外した。
すると真夜が明崇の鱗だらけの手に、そっと自分のそれを重ねる。
心臓が、跳ねた。
「ねぇ、これ。何しようとしてるの。まさか」
――鳥越とまだ、戦う気?
「だったら「止めて」
何だよ、と続くのを遮られた。
――もう、やっぱさ……そういうの止めて。
でもそう言われても、俺は鳥越と決着を付けなければいけないのだ。凍結された明崇の過去、家族、弟。それに肉薄する大きな手がかり、そこから目を背けることなどできない。
「俺、行くから……」
立ち上がろうとすると、真夜がその、腕を掴んで離さない。彼女の細く白い腕には、先ほど明崇が買ってプレゼントした、水玉柄のシュシュが既に巻かれている。
「真夜、なんで……」
明崇は真夜が何故、自分の様な人間にここまで頓着するのか不思議でならなかった。明崇はそこまで顔が良いわけでもないし、性格もむしろ、取っつき難い方だ。
「何だって、いいじゃない……」
真夜は近くで見るほどに、やはり綺麗だった。
こんな時でも、言えない。昔から、真夜に惚れていたなんて。
――言えるわけ、ない。
「頼む。今は俺の事、黙っていかせてくれないか」
明崇は、無理をして笑った。こうやって笑うと口角が引き攣ってもっと格好悪いよと、前に真夜に言われたことがある。
「後で何だって、真夜の命令に従うよ。何でも我儘、言っていいから。今は俺の我儘を」
――通させてくれ。
「だったら、約束」
「うん」
彼女はこういう時、なんとお願いするのだろう。少し興味があった。
「ちゃんと生きて戻ってきて、そしたらさ……私の物になってね」
――もうどこにも、いかないで。
真夜が笑うとその目から、大粒の涙が、一片落ちた。
心臓が一瞬、拍動を止める。
体の芯が、空っぽになったようになって。
明崇はすぐには、言葉を発することができなかった。