舞闘/藤堂浩人
浩人は璃砂と共にある場所へと向かっていた。
戸塚、野方の両件は共に三島班と多野班が主導となって独自の捜査を進めている。対して浩人と璃砂は、それとは全く違う捜査を試みていた。いや、これはもはや、捜査でもなんでもないのかもしれない。
――非常に突飛かつ、バカげた考えだ。
つい先ほどまで、この二人も喫茶店で多野や三島班のメンバー同様捜査に加わろうとしていた。だが……。
「お前一体……何企んでいる」
浩人はどうしても汽嶋に、問い詰めたい事があった。
「へぇ?」
喫茶店の隅。皆が捜査の段取りをしているのを横目に見て、口の端を上げる。
まぁこの男が浩人の質問に対して素直にハイと言ってペチャクチャ喋るのは想像できない。
無理に問いただしたところでいいことは無いだろう。だから……
「いや、いい……それはいいとして」
それ以前に浩人には、必要な情報がある。そしてそれを、汽嶋なら持っている。
「お前に案内して欲しい。あの警備部の男と会わせろ」
「沖か」
ああ、そうだよ。沖和正だ。
するとフッと。鼻で笑う。
「会ったところでどうすんだよ。あんたじゃどうこうできる相手じゃない」
それは……やってみなきゃ分からないだろう。
汽嶋が人を見る時は、常に見下したような態度をとる。しかし今この男は、それ以前に機嫌が良いように見えた。
今は、質問をするチャンスかもしれない。そう、今なら――。
「お前……」
「何」
「お前はあの男の下についている、と。そういうことでいいんだよな」
「ああ、まあな」
「え、ええ?」
以外にも、と言うよりは予想通り、だろうか。汽嶋はあっさりと頷いた。それを隣で眺めている璃砂は、何が何やらという顔をしている。
浩人の中には期待が生まれていた。聞き出すなら、今しかない。
「だとしたら……やはり納得がいかない。なぜあの男は俺達の捜査を妨害する一方、お前を使って俺達に、殺人捜査をさせようとする?」
一体何が、あの男の目的なんだ。
「んなの一々気にすんなよ……」
気にするに決まっている。
「本庁の警備部と公安部……何を目的に動いているんだ。お前らは」
そう言うと一瞬汽嶋の顔がぽかり、と間抜けなそれになる。しかし直にああ、と呆れた表情を作った。
「あのさ……、公安部とか刑事部とか……そういうの関係ねぇんだよ」
……どういうことだ?
「だぁーもういい。とりあえず会ってこいよ、じゃあよ」
――沖和正。アイツの居場所は教えてやっから。
「言ってることが、この前とは全く違うな」
この前はあれほど、関わるなと言ってきたのに。そう言うとチッ、と。鋭い舌打ちが聞こえた。
「良いから早く行けよッ。さっさと失せろ」
なぜか汽嶋は最後の方になると、いつものように機嫌が悪かった。
――そうやって居場所を聞き出して、現在。
浩人は沖和正に直談判し、事件について探りを入れようと、バカなのか大胆なのか、自分でもわからない行動をとっているというわけだ。
「門田置いてくぞッ」
浩人はついて行くと言ってきかない璃砂を振り払うことができないまま仕方なく、汽嶋から教わった場所へと向かう。
「んッ、はぁ。待ってッ……下さいよぉ。あぁ、脇腹痛ひ……」
汽嶋に教わったのは新宿署のすぐ近く。なぜか都会の集合団地の裏手。その入り組んだ構造がやけに克明に記されていた。それにしても本当に……。
「こんなところに、いるのか?」
何度目かしれない疑問を再び頭の中に浮かべた、その時だった。
一つずつ覗いて行く裏手の路地。いくつか迷路のような道を行った後。
二つの、人影。
一つは背の低い、しかも腰が曲がったような体勢でブロック塀を背にしていた。何かに気圧されているように見える。それに対してもう一つの影は長身。低身長のそれを、壁に追い立てるようにして立っている。
近づけばすぐに、その二人が誰かは理解した。
壁に追い立てられるその表情は苦悶に歪んでいる。間違いない。浩人が所属する多野班をさらにまとめる立場にある男、八係係長の館山喜兵衛だ。
そしてその館山を壁際に追い込んでいるのは、間違いなく。
「沖ッ」
振り向いた。シルバーフレームがギラリと反射する。
それと同時に、館山がずるずると、壁に押しつけた背から滑り落ちる。
何をしているんだ。貴様何を、館山警部に何を言ったんだ。
――それが貴様のやり方か。なら……。
睨みつけるとその姿が、大きな圧力を持ったように見えた。
二人の間に、会話は全くない。浩人が名前を呼び、それに対して和正が振り向いた。それだけの事。
なのに自然に浩人は、右に構える。ボクシングで言うところのオーソドックスを作っていた。
それに対して相手もスッと、股を開く。
それが浩人には、紛れもない戦闘の開始サインとして映った。
――仕掛ける。
浩人は間合いを見て、スッと摺り足で間合いを詰め……。
跳んだ。
「シュッ」
素早く、上体・顔面にストレート。それに対して精密機械の様に、驚くほどなめらかに、和正の首が傾く。浩人のストレートに対して、正確に突き出される、それ。
――クロスカウンター……か?
浩人の拳に対してラグのある、相前後させて放たれる一撃。それに対してこちらも、首を捻ろうと――
「んッ」
そこでカウンターと思われた手が、浩人のストレートを引っ掴み。
――なッ
和正の方へ勢いよく引き寄せた。
その後突然、示し合わせたように襲ってくる、膝。
「んグゥ」
浩人は苦し紛れに左でガード、しかし膝蹴りに容赦なく圧迫され、肺の中の空気が――
「浩人さんッ」
璃砂の声が、遠く……。
――ク、ソッ……
敷いた左を素早く引き抜く、浩人から見て左、和正の右足を捉えにかかる。
しかしその足は、するりと浩人の腕をすり抜けた。
「ッ」
形勢は明らかに、和正に傾いていた。浩人は状態を沈めた状態でうずくまり、たいして和正はその浩人を見下ろす立ち位置にいる。これではマズい。だからまず……、
体勢を少しでも、崩す。
タックル。
沈めた上体を勢いよく前へとスライド。下半身を抑えにかかる。
――これは予想していない、はず。
今までの浩人の紛れもないボクシングスタイル。それとはまったく異なるレスリングの動きだ。
しかしそれをなんと、いとも簡単に右に跳び、なんと躱した。
――嘘だろッ。
だが想定しなかったわけじゃない。和正の立つ方向に足は向いている。
勢いよく回転して起き上がる、ノールックで右。
長年のサッカーで鍛え上げた、寝そべったまま渾身の右ローキック。
これに対して浩人は初めて、丁度頭上、驚いたような和正の息使いを聞いた。この一撃は浩人の長い脚も相まって、有効範囲が広い。これで避けられる訳……、
が。
直後タンッ、と跳ぶ音。
しかしその一撃も、どうやらわずかスーツを掠っただけ。どうやらバックステップで距離を取られたようだ。
――なんて反射神経してやがる……。
もう一度仕切り直し。
「やるじゃないか」
なんとそこで初めて和正は、浩人に向けて言葉を発した。そして、
今度は和正から、その拳を突き出してきた。
「クッ……」
ジャブ。それが異様な瞬発力を持って、浩人に襲い掛かってくる。
「ンァッ」
一撃、まともに受けた。ガードの隙を、容赦なくついてくる。軽く瞬発的な拳の割に、その一撃一撃、これがなんとも響く。
――効っくな、これ……。
しかし浩人に、勝機が無いわけでも無かった。
和正の、足だ。
上体の重みを引き受ける二つの柱。弱点とすればそこ。今まで見たところ和正はずっとクラウチングスタイル。膝蹴りなどあったものの、その姿勢は正にボクサーのそれだ。
なら……。
――ボクサーの弱点は、足。
腹筋に力を入れ、誘う。
「フ……ぅんッ」
重い。だが、チャンスは掴んだ。
すかさず、ローキック。
決まった。和正の体がここで初めてぐらりと傾いだ。
確実に伸すなら、今。
ブロック塀に向かって横に倒れ込む長身。その正中線、鳩尾に狙いを定め――
渾身のストレートを、見舞う。
「ンッ!?」
避け……られた。和正が一撃を予測していたのか素早くしゃがんだのだ。
しかし、そんなことはもはや、浩人はどうでも良くなっていた。
避けられた一撃、それは和正が背にしていたブロック塀に衝突した。ただの痛いでは済まない、そう思っていたのに。
浩人の拳は、いとも簡単に、そのブロック塀を粉砕していた。
「ひっ、浩人さん……」
礫石が砕かれる、音。それがやけに現実じみている。
な、んだっこれ……。
「余所見」
「グゥん」
和正がまた、言葉を発した。今度はお返しとばかりに、腹に重い重い一撃をくれた。
「ァ……はッ」
昼食が腹の中でうねっている。距離を取ったところで、素早く近寄られたら、これでは何もできない。
――こいつ、今の見てもなんとも……
浩人の明らかに桁の違う怪力を見ても、彼はそれもさも当然の事のようにそれを一瞥する。
「この路地は、狭い」
また、喋りだした。突然、なんだ……?
「こういうところに弱者の逃げ場は、存在しない。つまり君に、逃げ道はない。今回の被害者の女性たちと同じだ」
――見誤ったな、相手を。
フッと。あの小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「見誤ってなど……、無いッ」
そうだ。間違ってない。この男に……、絶対、何が何でも、一撃……
「やっ止めてくださいッ」
璃砂が、近寄ってくる和正と浩人、その間に立った。
「もう、もう浩人さんの事、傷つけないで……」
「門田そこどけ」
「嫌ですッ」
そのやり取りをなぜか和正は、冷めたような、それとも嫌なモノを見るような目で見つめている。
「沖、和正……」
浩人は一か八か、和正と会話を試みた。
「何だ。藤堂浩人」
「あんたは、どこまで知ってる……、今回の件」
立ち上がる、だが平衡感覚が狂っている。璃砂にまた、肩を貸してもらう羽目になった。
「何も知らん」
「ウソを吐くなッ」
じゃあ、どうして四谷の帳場を……。
「ヒントを、やろう」
この男。会話の流れ、その変化が唐突だ。文脈が読めない。
「今回の事案は極めて“野性的”な連続性を持っている。自然な連続性とは得てして周期性を持っている……」
――俺が言えるのはそこまでだ。
連続?周期?理科とか科学は浩人の大の苦手分野だ。この男、俺を煙に巻こうと……。ダメだ。逃げられる――
その時、頭にプカリと何かが浮かんだ。
連続、間隔?……間隔の周期性、四か月で三件……、三件?
浩人の脳内で、何かが激しくスパークした。思い当たった思考の点は今まで脳内に存在していた他の点と出会い線となり、その構造を明らかにしていく……。
「藤堂浩人、期待しているぞ」
沖和正は颯爽と、狭い路地から姿を消した。浩人はもう、和正を呼び止める気力を失くしていた。