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D.N.A配列:ドラゴン  作者: 吾妻 峻
第一章 鮮血街・ブラッディシティ
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四年越し/三位明崇


朝。自宅にて。結構前から散らばったままの自著の医学論文を番号順に整理し、明崇は深くため息をついた。


『鬼人化メカニズムにおけるセントラルドグマ活性に対する三又槍凍結法(トライデント・クエンチ)の有効性評価』


日本語訳して声に出してもどうも、内容が頭に入ってこない……。

まだ脳ははっきりと機能しておらず、思考には薄い靄がかかっていた。


結局、課題の結論は出ないままだ。その課題は到底達成できそうにもないとわかり切っていても、明崇はそれについて夜遅くまで考えるのを止めることができなかった。


コーヒーでも淹れようか。いや、それはもっと時間の無駄になる気がする……。


何気無く、しかし本当に久しぶりに、テレビを点けた。

画面に映ったのは見慣れた街並みの景色。それを彩る蛍光色のテロップを見ると否が応でも意識が覚醒していくのが分かる。


「ウソだろ」


これでおそらく四件目、中野、やはり頭部の損壊。


胸に、ぽっかりと穴の開くような焦燥を意識する。また、人が死んだ。

事件発生は二日前の晩――徹夜で外に出なかった日だ。

「タイムリミット、か」


テレビを消し、ぼすっとソファに体をうずめる。昨日徹夜でまとめた論文、今や無駄になったそれをゴミ箱の方へ乱暴に放り投げる。分厚い紙の束は空中で不格好に別れ、いくつかは壁に衝突しグシャッと音をたてて床に広がった。全く一束も、ゴミ箱には入らなかった。


代わりに、二度と開けたくなかった押入れに近づく。


中に入っているのは布の袋に包まれた人長(ひとだけ)とは言わないまでもすらりと長い棒状の物。それが押入れを不格好に、斜めに占領している。袋の取っ手についたウサギのワッペンが懐かしい。


手に取ろうとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。



「明……何度片づけろと言ったら分かるんだ」

押しかけるように部屋に入ってきた伽耶奈はリビングを睥睨し、低い声でこちらを睨む。明崇が幼い頃から、叱る時のこの声の調子は変わっていない。


「しょうがないじゃんか」


それどころじゃない。そんなこと、伽耶奈もわかっているだろうに。

「私は三か月前にも言ったよな!?掃除くらいはちゃんとしなさい全くもぅ」


なんてことをブツブツ言っているが、しっかり片づけてくれている。伽耶奈はおそらくただ家族らしく言い合いがしたいだけ。姉らしいことをしたいだけなのだ。しょうがないからこういう時、機嫌を取って昔のように呼んであげれば喜んでまた片づけに来てくれる。


「ごめんって、姉ちゃん」


顔をそむけた。しかしこの角度からも彼女の口の端が上がっているのが見える。こういうことを言ってあげると露骨に嬉しそうな顔をするのも昔から変わっていない。


するとその伽耶奈の魔の手が、散らばった医学論文に伸び始めていた。

――マズい。

「あ、伽耶奈、それ違っ」

「なぁんだぁ?そんなに見られたくないものなのかぁ。明もちゃんと一端の男の子だなぁ」

何か盛大な勘違いをしているようだ。

伽耶奈の紙をめくろうとする手、それを押さえつける。

「止めろって」

真面目な顔をしても、伽耶奈は冗談だと思ったのか散らばったもう一枚を引っ掴んだ。

それをひっくり返し見た、伽耶奈の表情が強張る。


三又槍凍結法(トライデント・クエンチ)……。これって」


ああ、やってしまった。沈痛な空気がリビングいっぱいに広がる。

「……ごめん。ごめんね明」

力なく、伽耶奈の腕がぱたりと落ちた。

「ぁー、もう良いって。アイツのこと、踏ん切りはついているからさ」

こうなると伽耶奈は延々と黙り込んでしまう。本当に、酷い事をしてしまったと思う。伽耶奈は何も悪くない。悪くないのに。


カバンに荷物を詰める。朝食は取っていないが、しょうがないだろう。


ブレザーの制服に着替え始めると、ようやく伽耶奈が立ち上がった。


「学校、行くのか」

「行くさ。本当にあいつがここら辺うろついてるなら、こもってる必要どこにもないし」

「なら、その……」

眼が泳いでいる。何を言うのを躊躇うのだろう。

「真夜にその、ちゃんと頼るんだぞ」


何を言っている。なんで桑折真夜が話題に出るかな。


「真夜はきっと、今の明を支えるのに一番適していると、そう思うんだ」

支え?これ以上求めるのは贅沢だろう。

――義姉(ねえ)さんで十分だよ。

押入れの布袋、もとい剣道で使っていた竹刀入れをようやくつかみあげる。

神薙(カンナ)様、使うのか」

竹刀入れの中にある、少し反りのある棒状の長物、その輪郭を見た伽耶奈の表情が曇る。

「いざという時に手元にないと困る」

玄関に行こうとして、振り返る。その時にはもう、伽耶奈はだいぶ立ち直ったように見えた。

「掃除してくれてありがとな。忙しいのに」

「気にするな」

ニカッと笑って見せる。屈託のない笑顔とはこういうのを言うのだろう。

「私は明の」

――お姉ちゃんだからな。


しかしその去り際の呟きは、なぜか憂いを感じさせた。



明崇の自宅は中野の丁度はずれ、高円寺との境目にある。一人で住むには大きすぎる一戸建てだ。


自宅を出たら直進して高架下に出る。竹刀入れと通学カバンを担ぎ、路線沿いを行く。そうすれば明崇の通う中野区の端に位置する高校まで、考えずとも真っ直ぐ進めばついてしまう。


中野区に入ると開けた公園が目に入る。今回現場になった、中野中心部に位置する緑地公園。


立ち止まれば眼に入る、青いビニールシート。そしてその周りにちらほら群がる警察。

――俺が世界で一番、嫌いな風景。



止めよう。無駄なことを考えている暇はない。目の前の事に集中。今の俺に、何ができる。


朝のニュースを見た時点で御手洗篤史には例の殺人事件の捜査の進捗状況、その詳細の入手を依頼している。喫緊の捜査情報は明後日までに必ずよこすと言っていた。あの男のことだ。信用を自ら貶めるようなことはすまい。後は、アイツといざ遭遇した時。

――確実に、殺すだけ。


つまり重要なのはイメージトレーニング。


目の前に奴がいると仮定して。


何度も、何度も就寝前にヤツを殺した。もはや日常化したルーティン。

いつ、何時も。この瞬間に目の前に立たれても対処できる。



中野駅が見えてきた。ちょうど信号は青。もう視界に学校は映っている。イメージトレーニングを続行。


先に動くのはヤツの四肢のどれか、それともこちらから仕掛けるか。どの場合であっても、最善の一手を繰り出せる。


殺す。絶対に殺す。上がってくるのが右でも左でも捌ける。ストレートにはカウンター、中程度の距離を取られたらタックルの要領で間合いを詰める。手元に神薙があれば手数のバリエーションは無限だ。中段から袈裟に切りつける、宙で投げ、受け、そして、次は――。


あれ。


視界が突如、グニャリと歪む。かと思うと、今度は虫が食う様に目の前の世界に暗い穴が生じていく。動悸が、収まらない。


不味いまずいマズイ。これはシャレにならない。学校に行くのが久々だったから忘れていた。するりと布袋が肩からずり落ちる。カラン、と高い音がどこか遠くに聞こえる。


感覚が鈍っている。視覚、聴覚、触覚が薄くなっていく。口の中がカラカラに乾き、明崇の焦りに拍車をかける。呼吸をしようにも体が、そのやり方すら忘れてしまったようだ。


前後不覚のまま転がり込む、暗い暗い闇の中。そこにうずくまる、小学生の俺―― 


もう周りの目など気にしてられない。両膝をつく。硬く冷たい石畳の感触もどこか遅れている。

自身の肉体。その遺伝子に刻まれた本性。全細胞一個ずつに潜むその怪物に、四年が経つ今も、未だ抗うことができない――。


薬、抑制薬。


何とか青のラベルがトリアージされた、お目当ての注射針付き。小さな試験管を内ポケットから引き当てる。静脈注射なんて、この状況じゃできるはずもない。

「ゥあッ」

硬化が進み針が通らなくなれば手遅れだ。右腕に思いっきり、突き刺す。

「ハァッ、ぁ」


動悸が収まり視界の虫食いが取れると、目の前に人影が落ちているのに気付いた。


その陰がうずくまる俺に、その白く、細い手を差し伸べている。


見上げると、学校で今一番遭遇したくない知り合いだった。


桑折、真夜……。


意識しないように、目を逸らし続け、避け続けていた存在。ぱちりとした黒曜石のような黒目が明崇を捉えて離さない。顔のパーツが嫌味なほどに整っていて、見ているこっちが気恥ずかしくなる。だが垂れ下がるショートボブの濡れ羽色の髪、それを見れば俺の視界は急速にその色を取り戻していく。


なぜだろうか、自覚しないまま明崇は、彼女の手を取っていた。


「大丈夫?」

手を取ってみて、ふと思った。

彼女はそれでもこうやって、手を差し伸べてくれるのだろうか。


――もし俺が、“鬼人”だと知っても。



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