哀し鬼/桑折真夜
剛とは、駅前ですぐに合流した。
エプロン姿の亜子、なぜかバシッとスーツで決めた格好にトランクケースを下げた伽耶奈さん、私は存外ラフな、でもそれなりの格好で。
四人で、高田馬場から新宿方面。剛の案内で坂を上り、裏路地へと入っていく。
暗がりが徐々に、暗闇になっていく。街灯はあるけれどその、闇の密度と言うのだろうか。それが全く違ってくる。駅から歩きだし、最初こそ一軒家だった街並みも変化する。ビジネスビルが増えて、最後にはそのビルも、窓には一個も電気が点いていなかったり、明らかに空き家だったりした。どこか、浅瀬の海から突如深海に潜り込んだような、そんな戸惑いを感じながら。
四人はその場所に、到着した。
最初に聞こえたのは、ブツブツと何かを呪うような声。そしてそれが時折、声にならないうめき声になる。
「ち、血が、違?違わない違わない……」
「あいつも俺も俺で……」
「い、い、いいイヤだこんなの俺じゃ……」
混じる、アァーッとか、ウァーッとか。大声ではないけれど、魂を削って、すり減らして、そうやって絞り出した様な、うめき声。
「明、崇……」
声をかけられた、その姿が振り向いた。
「アァ、アア。だ、れ……?」
地面に体を張り付けて、苦しそうにうめくその姿が、今にもつぶれそうな声を発する。
それは紛れもない、明崇の声だった。
何してるの。そんなとこで寝たら汚いでしょ。そんなところで泣いてないで、いじけてないで、……出て来てよ。
声をかけようとした、叱ろうとした。その言葉が出なかった。
――その姿が、酷く哀しく見えたからだ。
彼の背後に大きな、蛇のような何かがうねるのが見える。それは大きな尻尾だった。
彼の頬が、丁度月光に当たり、その頬の鱗が光った。
彼は四年間、ずっとこうやって――。
でも、納得できないよ。
――苦しいなら、何で頼ってくれなかったの……
ぐすり、と亜子が隣でえずくのが聞こえた。剛は息を飲み、伽耶奈さんは神妙そうな面持ち。
真夜は、明崇へと歩みを進めた。
「真夜ッ、駄目だッ」
伽耶奈さんが叫び、目にもとまらぬ速さで、私の視界の端を駆け抜けた。
彼女が握っている、その何かの引き金を素早く引いたのが見えた。
パァン、と。空気の割れる音。
しかしそれと同時に、明崇が足元の何かを拾い上げ、素早く構えた。キンッとか、カキンッとか、そんな小気味良い音がして。
「ッ」
明崇は、うなだれている。伽耶奈さんがトランクから取り出した麻酔銃の銃弾を、彼は弾き飛ばした。その刀を持ったまま、荒く、肩で息をしている。
これはすごく……危ないんじゃないだろうか。
しかしなんと伽耶奈さんは、何かを決意したのか、真夜の前に立ち――
「明崇。全くお前ときたら……」
喋りかけ始めた。
「今までどこに行っていたんだ?みんな心配してたんだぞ。すぐにあっちこっちいなくなって。真夜や私に心配かける癖は本当に変わらないな……」
声色が変わる。本当に家族を心配する、優しげな声。
その伽耶奈さんの声が、不明瞭になっていく。彼女は、泣いていた。
「あ、新しい友達。良い子たちじゃないか。こんなに一生懸命、明の事探してくれたんだぞ。全くいらない心配をかけるからだ。そうさ。わ、私だってッ、心配、した……」
伽耶奈さんが両手を広げた。亜子にしたように、そして昔、幼い真夜にもしてくれたように。
――帰っておいで、明。
その言葉と共に、伽耶奈さんは明崇を、なんと抱きすくめた。危ない、と発する暇も無かった。しかし当の明崇はされるがままだ。強く抱きしめられているのが後ろから見ても分かる。伽耶奈さんは頬ずりをし、ごめん、ごめんねと泣きながら、明崇を抱きしめ続けた。
――どれくらい、経ったろうか。
伽耶奈さんが明崇の拘束を解いた。その伽耶奈さんの背中、肩ごしから、鱗だらけの、彼の顔が覗く。
その眼は――
確かに、明崇の目だった。先ほどまでの、今を見ていない、何かにとらわれたようなおかしな光は灯っていない。頬はいまだ鱗だらけだけど、明崇だ。彼がやっと帰ってきた。
「抑制薬もだけど……その前に、一番効き目のある制御薬を脇腹に打った。もう大丈夫だろ?明」
わしゃわしゃと、伽耶奈さんが明崇の頭を乱暴に撫でる。
「明崇」
笑いかけてあげた。真夜はそのつもりだったのだが。
――彼は顔を強張らせた。
もしかして……怖がっている?なんで?
「ああッ」
彼は素早く、伽耶奈の脇をすり抜けた。そのまま……なんと尻尾を器用に使って、廃ビルの壁を駆けあがっていく。
「こ、こらッ。逃げるな明ッ……、ああもう全くっ」
今度は自分の髪をくしゃくしゃと崩す。
え、ちょっと。
「明崇は……本当に戻ったんですよね?」
「ああ戻ったよ。だからだ。君たちを避けようとしている。私も四年間の間に何度も、同じことをされたよ」
じゃあ伽耶奈さんは、明崇が意識を失うたびにこうやって……明崇を支え続けていたのか。
「真夜。君の出番だ」
――明を叱って、強引にでも仲直りしてくるんだよ。
「抑制薬も打ったんだ。屋上からは動ける体力も、根気も残ってないだろうからね」
真夜は錠の壊れた、廃ビルの階段に足をかけた。