UNKNOWN-3
僕の空腹は、ここ最近、流石の限界に近づいていた。今日こそはと何度思っただろう。しかし、「彼」から食事の許可は下りなかった。やはり、普通の人間の食事をとるしかないのだろうか。
この前。あろうことか食事の邪魔をされ、食いそびれてしまった。普通なら人目もはばからず邪魔者も殺してしまうのだが。
――あいつ、めちゃくちゃ強かった。
人間はみな、僕からしたら獲物に過ぎない。なのにあの時は……。
こっちが、食われそうになったくらい。
獲物の動きが目で追えないのなんて初めてだ。獲物相手に血を流したのも、初めてだ。
そうなると僕からすれば既に、そいつは獲物ではない。
狩る側である僕にはもちろんの事、“獲物の定義”というものがある。僕は自分より弱いモノしか襲わない。だってそうじゃないか。自然界のシステムというやつだ。強いやつには横暴する権利が有り、弱者ですらも、それ以下の弱者をくらって生きている――
この世界には確実に、ピラミッドが存在している。
そう、この汚い東京の路地裏にさえも、分かりやすい明確な三角形、秩序は確実に存在している。
食うものと、食われるもの。
僕だってあいつを、それはそれは殺してみたかったけど。でもそれにはまだ、栄養と時間が足りていなかったということだろうか。
どうにも歯が立たなかった。食事でこんなに苦労したのは久しぶりだ。
冷静にそう思うけれど、内心悠長にそんな事も言ってられない。女の肉を欲するあまり、今にも気が狂いそうだ。
だから、非常に不本意ではあったのだが、この前それこそダメ元で、『彼』に頼み込んだのだ。
――食事に失敗した。女を調達してほしい。
何故失敗したのかと平坦な口調で聞かれたので、事実そのままを彼に報告すると、なぜかこっぴどく怒られてしまった。平坦な口調は、怒りを抑えての事だったのかもしれない。
彼の話によるとそいつは、僕が最も遭遇してはいけない存在だったらしい。
お蔭で今は謹慎処分、的な扱いを受けている。
「お前馬鹿かッ。アイツは『天敵』だぞ」
これが僕の報告を聞いた直後。彼の怒りの第一声だ。
そしてそれを聞くと、納得せざるを得なかった。道理で。やはりやつも“狩る側”であったのだ。
「刀。頬の鱗。尻尾。お前なんでさっさと退散しなかったッ。アイツの刀は他の刃モノみたいにやわっこいもんじゃねぇ。お前の体を斬ることもできんだよッ」
そう、確かにそれには僕も素直に驚いていた。この体になってからというもの刃物が僕の体を通ることは普通無い。折れるのはいつも刃物の方なのに。
「しかもアイツは特別……いわば“希少種”だ。……ああそうだよお前以上にな」
じゃあ、あいつも同類じゃん。そう聞くと。
「同類?一緒にすんじゃねぇッ。あいつが何匹俺らを」
――鬼人を殺してきたと、思ってんだ。
なんだよそれ。聞けば聞くほど分からないやつ。
「許可が下りるまで絶対に変なマネはするな。お前の好きな薬なら、いくらでもくれてやる。炙るなり直接打つなり好きにしろッ」
彼は投げやりにそういって、僕に大量のダイヤを寄越してくれた。その時の気分はまだよかったんだけど。
「はぁ」
思い出すと溜息が出る。
確かにこんな量をもらったのは初めてだ。今日こそどこかで大量のダイヤを一度にキメる。それだけで最高のご褒美になる。
でも。でもでもでもッ……
やっぱり空腹だ――。
僕は人肉を食うわけじゃない。僕がアキラに食べ物だと教わり、好んで食べるようになったのは。
ヒトの“脳みそ”だけだ。
あれがいつも、僕にとって最高のメインディッシュ。
人の頭の骨は全身の骨の中でも特別に固い。爪で何とか引きはがし、削り取ると、その中には外殻に反して柔らかいトロトロのブラマンジェ、脳みそが詰まっている。そして頭部そのままを器にして……
ズズッと、啜るのだ。
――まるで硬い果皮に守られた、最上の果肉のようなそれを。
そこに至るまでは確かに大変だ。動かれると手元が狂って頭の中の脳みそを台無しにしてしまう。そのためにまず両手足を不自由にさせなければならない。そうやって動けなくして頭蓋骨を丁寧に砕いて初めて、最高の馳走を味わうことができる。
あれを食べたら、人間の食事なんてもう……、食べられたもんじゃない。そう。正に禁断の果実。俺やアキラ以外、この美味しさを知らない。