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D.N.A配列:ドラゴン  作者: 吾妻 峻
第一章 鮮血街・ブラッディシティ
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隣り合わせの死/藤堂浩人

ピッ、ピッ、ピッ、ピピピピ――


けたたましい機械音が、周期を短くして迫ってくる。


その音源を思い切り右手でたたき、警視庁捜査一課八係所属、巡査部長の藤堂浩人(とうどうひろと)はその大柄な体をベッドから起こした。


眼頭をぐっと抑え、分かり切っている時刻を確認する――6時丁度。


少々早すぎる起床時間かもしれないが、浩人はこの生活が既に板についてしまっている。洗面台に向かい、顔を洗う。先日で目白の会社員殺人事件の解決を果たした浩人の所属する捜査一課八係は久々の非番。だが普段から殺人が起こり帳場が立つとそれだけでその所轄の警察署に出ずっぱりになってしまう。休日に何をしたらいいのかなんて正直分からない。


だが。この休日は意外と貴重だとふと気が付いた。実は、浩人がこの捜査一課の配属になったのはつい二か月前。それまでは組織図的には捜査一課の傘下にはあるものの、立てこもり事件などの特殊刑事事案を扱う第一特殊班捜査1係所属だった。


Special Investigation Team、通称SITである。


その突入班所属だった浩人は普段から体を鍛え抜き、立てこもり犯を制圧する日々を送っていた。しかし殺人班である捜査一課に異動になってからというもの、地取り、いわゆる聞き込みではひたすら歩くだけで、それ以外は事務処理。特殊部隊出身の浩人の体力は有り余るばかりだ。


そのため最近は寝付きも悪い上あまり腹も減らない。


決めた――今日は一日中ジムにいよう。


そうと決まればすぐ支度だ。引出から二か月ぶりのトレーニングウェアを引っ張りだし、タオルを引っ掴む。防水性のゴムバンドの腕時計を腕に巻きつける。後は財布から最寄りの駅前の会員制スポーツクラブ、その会員カードの有無を確認する――ちゃんとあった。


ここに越してきたときから使わずじまいだったが、通うとはいかないまでも、行く機会があってよかった。二か月前の自分の先見の明に頭が下がる。


すると、静かな振動音が聞こえた。昨日着たスーツの内ポケット。


一瞬、思考がフリーズする。


思考は未だ止まったまま。内ポケットから震える携帯電話を引っ張り出す。


「はい藤堂」

「うわぁ、藤堂さんホント朝早いんすね。俺マジでさっきたたき起こされましたからね」

同じ八係所属の巡査、倉持健人(くらもちけんと)。なんか後ろが騒がしい。がやがや言っている。

「用件を言え用件を」

分かり切っているのに聞いてしまう。我ながら馬鹿らしい。

「あのぉその、平たく言うと臨場要請ですねハイ」

それしかないだろう……それしかないよな。

「場所は」

がやがやが大きくなる。誰かと会話しながら電話しているのだろうか。


「中野っす。帳場は多分野方署に立つんじゃないすかね。だぁ~もううっさい。んだよぉトキタぁ。そだっつってんじゃん藤堂さんだよッ。あ、なんかすんません。じゃ、そういうことなんで」

プツリ、唐突に電話が切られた。アイツ本当に礼儀とか、いやそれ以前もろもろ警察学校からやり直した方がいい気がする。


腕のちゃちな蛍光色の腕時計を見やると、今度こそジムをあきらめる決心がついた。



浩人の住むアパートの最寄は品川駅。スーツに着替えたら昨日のままの荷物、中身を確認してアパートを出る。

スマートフォンで中野までのルートを検索すると、朝のコーヒーを飲んでもいないのに頭が妙に冴えてくるのが分かる。くだらないことまで考えてしまう。


よく考えればあの電話は妙だ。普段八係では臨場要請するとき浩人達を率いる多野警部補から直々に連絡が来るはずだ。それをあの倉持に任せたということは、多野警部補は相当忙しいと見える。


倉持からの捜査状況が列記されたメールを確認しつつ改札をくぐる。行先は中野。羽田行の京急本線に乗り日本橋に出て、東西線に乗り換える。


中野につくころには、午前七時半を過ぎていた。通勤ラッシュをくぐり抜け、西口から今回の遺体発見現場、中野の緑地公園へと向かう。見上げると陽光が眩しい。左手に中野サンプラザ。それを一瞥し、歩き出す。確か倉持によると現場は、野方署を目指せば嫌でも目に入るとか言っていたか。


ビルに挟まれた細い通りを抜けると一気に視界が開け、大学のキャンパスとビルに囲まれた広大な公園が姿を見せた。これだけ広ければ、休日は大人子供問わず賑わうことだろう。しかしその丁度右端、道路よりの公園敷地内で存在を主張する青いビニール。それが、公園の景観を著しく損ねているように浩人には思える。


六メートルほど近づくと子犬のように倉持が駆け寄ってきた。とりあえず情報確認。

「多野さんは」

「そりゃもちろん来てます。ドべは汽嶋クンっすね」


では、多野班全員が揃っているわけではないということか。


捜査一課八係において藤堂浩人と倉持健人が所属するのは多野警部補の率いる多野班である。後一人、汽嶋という巡査を加えれば多野班全員が揃うことになる。

「現場保全は」

「もうとっくに終わってます。見てくださいよ。ここ野方署の思いっきし裏手なんすよ、信じらんなくないすか?」

倉持の指す指の先には確かに警察寮と野方署と思しき建物がある。さらにその右手には東京警察病院。確かに、よくこんなところに死体を遺棄しようなどと思ったものだ。

「遺体は」

途端に倉持の顔が厳しくなる。苦虫をかみつぶしたような顔、正にそんな表情だ。

「見ない方が良いっすよ」


そう言われると、見たくなるのが人の(さが)


「行ってくるわ」

「マジすかぁ……」


ビニールに近づくと鑑識、捜査員用の通路帯が見えてくる。まだ鑑識が青い服を着て回りをうろちょろしている。本当に頭が下がる思いだ。少しの物的証拠も見逃すまいとする彼らの姿勢は敬服に値すると浩人は毎回のように思う。細かいことが苦手な浩人ならものの五分で音をあげてしまうだろう。小学校の時、図工美術ともに二だったのは苦い思い出だ。鑑識課の主任の背中が見える。果たして、なんという名前だったか。


「すみません、見てもいいですかね」

「これ見んのかい?物好きだなぁオイ」

振り返る赤ら顔。どうにもハイテクな科学捜査をしそうな人には見えないが。

「ちゃんと手、合わせろよ」

それくらいするに決まっているだろう。むしろまだ一課に配属されて二か月。そんなに死体が見慣れたように見えるのだろうか。


ゆっくりと青いビニールをめくる。


遺体は、女だった。しかし女と分かったのは顔立ちを見たからではない。剥ぎ取られたであろう少ない布のせいか、露わになった女性的なメリハリのある体つきでそう判断したに過ぎない。なにせ。


頭部が半分無いのだ。次いで右手首、右足首が欠損、左側に至っては左腕と左足の付け根がごっそり、まるで巨大な野生動物に噛み千切られたように存在していない。


手を合わせつつ血の抜けた、真っ青な肌の遺体をつぶさに見る。

しかしこれは。死因はどのような扱いになるのだろう。失血死だろうか。


そこらじゅうにはもはや乾いた大量の血の跡が散乱している。しかし、その中でも大きな血痕は丁度四つ、遺体の四肢に由来するであろう近い位置に血だまりを作っている。

その血のクレーターが意味することは一つ。


この場で、四肢をバラバラに切断したのか……?


こんな人目に付く開けたところで?なぜ。犯行がなされたのは無論深夜帯と聞いてはいるが、それでも人をこの状態にするのにふつう何時間かかるだろう。それも、通常なら抵抗するであろう人間を。しかもそれだけではない。頭部は顎を残してごっそり刈り取られたように無くなっている。素人知識でも頭部がもっとも破壊しにくい部位だと思うのは想像に難くない。その頭蓋が、あろうことか切り取られている。


信じられないことに。視界の端には、頭部と思われるボウル状の何かが転がっていた。

「ひでぇだろ」

気が付けば後ろに鑑識課の主任が立っている。彼はそんなつもりないかもしれないが、音もなく忍び寄るのは止めてほしい。特にこのような遺体の前では。

「これは、また中々」

今度は勝手に腰掛けてくる。

「中々なんてもんじゃねぇよ、こんなひでぇ殺しがあるかい」

確かに。少し我慢して四肢の切断面をじっくり見てみる。いやこれはもう、切断面と呼べるのだろうか。引きちぎられたようにしか見えないが。

「ムダだよ」

何が。

「切断面さ。こりゃ、刃物なんてもんじゃないね。引きちぎられたものでもない」

察しのいい人だ。まぁ、傷を凝視していたわけだし、感づくのは当然か。

では一体、どうしたらこんな断面になるというのだろう。


聞かずとも、彼は勝手に語ってくれた。


「これはなんだろうね。思いっ切りミキサーの中の刃みたいな、回転する刃物を押しつけて削るようにしたら、こんな感じになるのかも知んないね」


なんじゃそりゃ。


そういう顔をしてしまっていたのか、彼はまだ一生懸命に説明をしてくれていた。

「なんかね、押しつぶされた感じなんだよね。ほら、あきらかに抉られて肉自体がないでしょ、この左足なんか」


「……本当ですね」


確かに遺体の足の長さからみても、切断されたものと体をくっ付けようとしても明らかに足の長さが足りないように見える。無いのだ。その付け根の肉と骨が、ごっそり。


それが分かったところで、むしろ訳が分からない。


「大変だね。こんなわけのわかんない事件、捜査しなきゃいけないなんて」

――人間の仕業とは、どうも思えないしね。


いや、他人事みたいに言わないで欲しい。


でも確かに。わけがわからないことだらけの事案だ。



二人して遺体を前に途方に暮れていたその時。カサリ、と誰か他の捜査員がこの空間に侵入してきた音がした。

遺体を見た後だと、物好きだね、と彼が言った気持ちもわかる。

さぁ、入ってきたのはどんな物好きだろうか。


「失礼します」


なんと、女の声だ。凛と響く愚直そうな、まだ若い女の声。入ってきたその女を振り返って注視する。

想像してたよりも若い女だ。少し長めの髪は後ろで縛っている。大きなネコ目で目鼻立ちがはっきりしており、顔立ちは美人な部類に入るだろう。


しかしこの女、どこの所属だ?多野班に新入りが異動してくるのはこの時期ではさすがに不自然だ。しかし捜査に参加するということは所轄、野方署の強硬班か?この特にガタイも良くない普通の女が?

まじまじと二人で見つめているとその端正な顔がゆがんだ。みるみる青ざめていく。


「うゥッ」

吐き気を催したのか慌てて外へ出ていく、女。

どうやら彼女は俺達物好きと違い、この遺体を見て気分を悪くするくらいには、一般的な人間だったらしい。



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