梅雨模様/桑折真夜
五月半ば。もう少ししたら梅雨に差し掛かる。その前哨戦とばかりに、今日は朝から久々の雨だった。辺りは午前中にして日は射さず、どんよりとしている。
心なしか、気分も沈む季節。
真夜は雨が嫌いな訳じゃない。むしろ好きだ。嫌いだと昔からよく言っていたのは、明崇だったと思う。そうやって彼の事をくっきりと思い出すと、結果として気分はさらに沈んだ。
雨を受けて情けなく泣く窓ガラス。それを、異常なまでに不快に思う自分がいる。
明崇が再び学校に来なくなって、三日が経っていた。
授業中も意味も無くぼーっとしてしまう。心ここに非ずと言うのはまさにこんな感じなんだろうなと、身を持って知った。
そしてこういう日に限って授業中に教師から指される事も無くて。掴みどころのない霧のような不安が心中に漂い晴れず、その中に浸りきってしまう。
学校に来ていないのは、登田兄妹もそうだった。兄の剛はたまに登校しているようだが、亜子はあの件の翌日、心労のせいか学校で授業中に倒れてしまって以来、学校には来れない状況が続いている。毎日真夜は、彼女のお見舞いに行っていた。
私の周りから、暖かいモノが消えていく。
昼休みになれば、陰鬱とした梅雨の雰囲気がクラスにしみこんでいるのが嫌でもわかる。
いつも明るく元気な亜子がいないのも大きいのだろうと思う。真夜は溜息をつき、朝自分で用意した、冷凍食品ばかりが入った弁当を広げた。
「ま、真夜ちーん」
キッと、思わず反射的に、声のする方を睨んでしまった。
「どしたの、由香里」
そこにいつも通り、三島由香里がばつが悪そうにして立っていた。
「い、いやさ、そのご飯」
「ご飯が何」
「一緒に食べよー、おー。なんつって……」
口には出さず頷く。余計な労力を使いたくない。それとなんつってって何。そういう言葉の端に逃げるように一言を添える彼女の癖も、今日は一々癪に触ってしょうがない。
食べ進めながらの会話はいつも同様、当たり障りのないものだった。しかし真夜には分かる。先ほどからチラチラと視線を感じる。恐らく由香里はここ二三日何があったか、他のクラスメイトに探ってこいとでも言われたのだろう。
下世話な奴らだ。
「あのさ、真夜ちん」
「何」
「その、三位君と亜子ちゃん。どうしたのかな」
ほら来た。思った通りだ。周囲の視線が集中するのを意識するのと並行して、自分の中で醜い感情が沸々と湧き上がってくるのを感じる。
「前にも言ったけどさ」
――由香里には関係ないじゃん。
研ぎ澄ました氷の刃。思わず、そんな一言を放ってしまう。しまったと思ったが、彼女はもう涙目だ。
「ご、ごめん……なさい」
流石にそうあからさまに落ち込まれたお蔭で、罪悪感で少し、我に返る。
由香里は他人の顔色を気にする癖こそあるが、基本的に悪い子ではない。彼女は気が弱く、断りきれないところがあって、たまにそこが真夜を苛立たせてしまうだけ。真夜自身彼女に対して、特別強い悪感情を抱いているわけでは無い。
――そう、今一番腹が立つのは。
周りの、由香里にそう命じたであろうクラスメイトだ。
自分で勝手に気になる分には構わない。由香里のように聞きに来るのもまぁ不快ではあるが、覚悟がある分、まだ許せる範疇。でもそれ以上に自分の手を汚さずに、私達の事を酒の肴みたいに扱うのには、流石に我慢ならない。
「ねぇ、由香里」
ビクッと体を震わす。さっきので怖がらせてしまったか。ほんの少しだけ、申し訳ない気持ちになる。
「誰に聞いてこいなんて言われたの」
できるだけ優しく、話しかける。こういうタイプの人間は口が軽いものだ。それ以前に黙っている理由もないのだろう。躊躇しながらも、すぐに話してくれた。
「ゴトウ君と、キミコとか、から……聞いてこいって」
彼女の視線の先を見て、席を立つ。アイツらか。
「あの、でもっウソウソ二人は関係ないの、だから」
問答無用。たった今、二人を売ったのは由香里、あなたでしょ。今更逃げるような事言わないで。
つかつかと教室の中心、慌てて目を逸らす集団に歩み寄る。
「あのさ」
合計四人の男女の塊。いつも徒党を組み、教室の弱者を支配している顔ぶれだ。真夜から見ればこんな奴ら、ただの卑怯者としか思えない。
「何か言いたい事があるなら自分で言いに来てくれない」
言い放つ。今度は迷いなんてなかった。私達に牙を剥くやつは、確実に叩きのめしてやる。
真夜はいつだって、そうしてきた。
ずっと、昔から――
「な、何さ。僕達なんかした?」
へらへら笑うな、後藤とやら。そういう態度だけで十二分に胸をムカつかせてくれる。
「自覚がないんなら忠告。私達に関わらないでって言ってるの」
強い口調が効いたか、彼はすごすごと席に座り直す。
「あのさ、桑折さん。言いたい放題言ってくれるじゃんさっきから」
ガタリと、隣の女生徒が席を立つ。この子がキミコ、なのだろうか。
やはり、こういう時は半端な男より女が強い。だけどごめん。私君の名前さっき知ったくらいだから。明崇の愚痴をちょくちょく言う、後藤については流石に覚えていたが。
「言いたい放題?至極真っ当な事しか、私言ってない気がするけど」
そう言われて彼女は、全く関係のない暴言を並べ立て、真夜を攻撃し始めた。
「そうやっていつもいつもクラスをめちゃくちゃにして……。アンタね、そういう自分勝手な事しないでくれない?」
アンタ呼ばわり。かっちーん。
「アンタって何。そういう呼び方失礼だと思わないの。それより質問に答えなよ。会話できないの?」
こうなると真夜はもう止まれない。もうほとんど八つ当たり。論理的に追い詰めて、虐め抜いてやる。こういうところはやっぱり自分、サド気質なんだなと思う。
――低能な人の相手をする気は、あたし無いから。
最後にそう締めくくると彼女の目、その中に大粒の水たまりができ、ほどなく決壊した。
最終的に、女の子を一人、泣かせてしまった。