"She" said what/藤堂浩人
今日は久しぶりに品川のアパートに帰る事になる。多野はまだ何かやる事があるらしく署に引き返してしまったので、浩人は4人と連れだって歩きながら休日の明日、どう過ごすかについて考えていた。
浩人の隣には倉持の相方である時田朱里がいつの間にか肩を並べている。その、時田が遠慮がちに聞いてきた。
「藤堂巡査部長、サインくれませんか?」
「は」
思わず聞き返してしまう。突然の問いかけの意味が理解できないことが、最近増えた気がする。
「サインですよ。サ・イ・ン」
チッチッチ、と人差し指を振る朱里。
時田はしっかり酔っぱらっているようだ。普段は浩人に自分から話しかけることなどないのに。
「藤堂浩人巡査部長と言えばっ。はい、璃砂。なんでしょう」
突然浩人越しに璃砂に話を振る。
「な、何って。と、藤堂巡査部長と言えば……?」
「すっとぼけないでよ璃砂ちゃん」
時田は滔々と、浩人について語り始めた。
昨年の11月。王子署管内、大手銀行支店。強盗犯による立て籠もり事案。
立て籠もり犯とSITの交渉班が渡り合った結果、突入班がSIT第一小隊を殿に待機。しかし、局面で指示された突入に“待った”をかけた機動隊員がいた。
それが浩人だった。
それこそが転機。人質も犯人も無傷で確保され、事件はめでたく解決し、浩人の采配は新聞沙汰になりすらした。
この事件がきっかけで、浩人は巡査部長へと特進。捜査一課へと異例の栄転。
――意外と、覚えている人がいるものだな。
そういうと時田は、意外、と口を開ける。
「めちゃくちゃニュースになってたじゃないですか。新聞にがっつり載ってぇ。世の女性はみんな、藤堂さんに夢中になってたと思いますよ」
いや、それは大袈裟だろう。芸能人じゃあるまいし。
倉持が突然振り返り、浩人を指さす。
「ああー見ました見ました。藤堂さんばっちり決まってましたよね。同じ警官だとは思えないなぁって思ってました」
熱っぽい視線だ。
「しかも一課配属ってなってまさかその有名人と同じ係に配属っしょお?びっくりしちゃいましたよ。俺あの時期、周りにめっちゃ自慢しましたからね」
それこそまさかだ。そんな風に、そんな目で見られていたとは。
――貴方のような、優秀な捜査官の、それを。
隣で顔を赤くして俯く璃砂を見て、二週間しないくらい前、初めて出会った時に言われた事を思い出す。
不思議だ。きっと自分は一人だと思っていたから。
――きっとそうやって、見てくれてる人もいるもんだよ。
そう自分に言ったのは今や実家で寝たきりの母親だったろうか。いいや違う。
夕暮れ。教室。彼女の頬に射す柔らかい斜陽。
この発言の前、あの時彼女は俺の事を“浩人クン”と下の名で呼んだ。そう呼ばれることは殆ど無くて、新鮮だったのを覚えている。
でもその後、なんと会話をしたのだったか……。どうにもそれが、思い出せない。
――次会ったら、聞いてみるか。
「浩人さん?どしたんすか」
「なんでもないよ」
久々に、そうだな。
アイツに、高峰に。会ってみたくなった。
今度機会があれば高峰を、三人に紹介してみてもいいのかもしれない。