ドブネズミ/汽嶋太牙
識鑑。
俺はこういう捜査が一番嫌いだ。なんでわざわざ関係者に話を聞きに行かなきゃならない。そんなことせずに知ってること全部話せと言えたらどんなに楽だろう。
汽嶋は毎回、刑事捜査で識鑑を割り当てられるたびそう思う。
俺達警官は国家の治安維持のために捜査をしている。お国のために働いてやってるのに何でこちらから話を聞きに出向かねばならないのだ。関係者、怪しいやつ全員警察署に呼びつけて、出頭を拒んだヤツを署っ引いても良いとさえ汽嶋は思う。
まぁ身もふたもないことを言っている自覚はある。半ば八つ当たりのようなものだ。ただ同じような理屈で、自分の捜査手法についてとやかく言われる筋合いはない。
ネズミ、だと。
藤堂浩人はそう表現した。公安部の捜査員は確かに刑事課の捜査員からその捜査手法からドブネズミなどと評されることがある。だが別にいやな気分はしなかった。むしろあの勢いで激怒して多野に報告くらいしてくれた方が都合が良いのだが。結果として捜査から外してくれるくらいやってくれれば万々歳だ。そのほうがやり返し甲斐があるし、自由に動ける。
汽嶋は嫌いなのだ。優しさとか、情けとか、同情とか。甘ったるいのは寒気が奔る。だから何とか汽嶋を優しく諭して更生させようとする、多野警部補のやり方も気に食わなかった。
――そういうなまっちょろいトコ、多野に似てきたなアイツ。
藤堂浩人。配属された当初こそ、良い眼をした奴が一課にもいたものだと感心したが、これが全く持って見当違いだった。腑抜けた顔をしやがって。特に今回はその間抜け面もより威力を増している気がする。まぁ十中八九、所轄の相方の影響だろう。
藤堂の、相方。
門田璃砂、若いキャリアの女。顔立ちが幼く、まだ学生だと言われても通じるほどだ。ただそれだけなのに、美人だのなんだのと騒がしくしないでほしい。あれはただ顔立ちが幼いから、カワイイと錯覚してしまうだけだ。いわゆる……そう。ロリコンってやつだ。ああいうのを美人と評する奴は、大概小中学生相手にも発情しやがる。警察官の花形、捜査一課があんなのに浮足立ってみっともないとは思わないのだろうか。
確か門田璃砂、アイツは父親が警視庁の警務かどっかのお偉いさんだったはずだ。まぁだからといって汽嶋はハナから、キャリアだからと言って手加減する気などない。参加する必要のない捜査に自分から勝手に飛び込んでいくから、痛い目を見るのだ。
バカな小娘が。
そのキャリアの小娘に付けた盗聴器、ボールペン型はダミーだ。もっと見つかりにくいものを二重三重と忍ばせている。分かり辛い、といったほうがいいか。これからもあの二人からは情報が取れそうだ。
――盗聴にもやり方ってものがあんだよバーカ。
ポケットの携帯が小刻みに振動する。こんな時に何だ。
「汽嶋か」
かけてきたのは汽嶋の上司だった。とはいっても多野ではない。公安時代からも汽嶋はこの上司の元について仕事をしている。その点で、実は昔からやることはちっとも変ってはいないのだ。
「なんすか」
「思った以上に事は進んでる。薬は、常備してるな」
薬。
まぁ定期的に打てといわれている。持病対策のようなものだ。それを上司に言われるというのはどこか癪だがしょうがない。ただの病気とは少し、事情が違う。
「ちゃんと昼前には打ちましたよォ」
嘘だ。まだ打っていない。この電話の後にすぐに打つことにしよう。
「そっちじゃない。出す方のだ」
出す方。まあ、病状を『悪化』させる薬ということだ。まぁただの病気とは事情が違うから、そんな薬も存在する。
「はァ?持ち歩くな使うなって言ったのは」
「状況が変わった。場合によっては君に出てもらうかもしれない」
出るって、あれすか。出るとこ出しちゃう、あれでいくんすか。聞くと間髪入れず、返事が返ってくる。
「ああ、俺が許可を出せばそれこそ」
存分にやってもらって構わない。その一言に脳髄が痺れる。
オイオイオイ……物騒だねぇ!
電話を切ると、血液がドクドクと、熱を持って体を巡るのが分かる。
「テンション、上がってきちゃうじゃんか」
捜査会議に出るつもりはもとよりない。次の目的地へと向かう足取りは軽い。
そうだよ、やっぱこういう、危なっかしいのでないとな。
結局薬を打つのを、この時には完全に忘れてしまっていた。