昼食争奪戦/藤堂浩人
浩人は現在、門田璃砂を連れて中野駅から地下鉄東西線三駅先の早稲田駅へと向かっていた。しかし移動中の会話、いや。論争の内容は捜査の事ではなく。
今日の昼食についてだった。
「だから、今日は蕎麦かうどんだって」
「却下します。私はイタリアンが食べたいのです」
つんと顔を逸らす璃砂。
「おい。昨日も結局君が決めたじゃないか」
ちなみに昨日は最近の若者に人気だという、やたらと脂っこいラーメンだった。
「良いではないですか。人生の先輩なら昼食のメニューくらい譲ってください」
なんと失礼な人生の後輩だろう。その上浩人よりも階級が上だから始末に負えない。恐らく彼女は階級を意識しているつもりはないのだろうが。
まぁそこまで言うなら別に、一緒に食べる必要は何処にもないのだと気づく。
「じゃあ別々に食べればいいじゃないか」
うん、そうしよう。これでお互い幸せだ。
「そ、それは良くありません。もし別々に食べることになれば多野警部補に問題行動として言いつけますよ」
言いつけるって……、いい大人が。
「なんて報告するんだ」
「藤堂巡査部長は私から離れ、あろうことか単独行動をしていたようだと、会議で告発します」
はは。面白くない冗談だな。
窓の外を見やる。地下鉄だから当然の事、車窓からの景色は真っ黒に塗りつぶされ何も映らない。
彼女と組んだこの捜査も、早くも一週間近くが経過している。既に今回の事件の被害者の身元は割れている。とはいっても、つい三日前の事だが。
被害女性の名は芦田美由紀21歳、私立大学三年。写真で見たところ中々男好きする、良い顔をした御嬢さんだった。そしてそれを受け、現在大部分の捜査員がやっているのは聞き込みではない。被害者周辺の関係者に話を聴いて回る、識鑑と呼ばれる捜査だ。
丁度五日前の会議。帳場の立つ野方署に緊急招集があったのは勿論、藤堂・門田ペアが多野に報告した結果を鑑みての事である。
――犯人の手によると思われる、街灯のブレーカー破壊工作。
初動捜査で明らかになったこの新事実により帳場は騒然となった。そして例の鑑識課主任、そして検死官の報告によると、その破壊にかけられた物理的圧力や破壊様式を計算すると、その残痕は被害者女性の身体損壊状態と、非常に良く似ているという。
この事から事件現場周辺の聞き込みはほぼ効果が無いと帳場で判断がなされた。犯人の破壊工作により、元々少ないであろう深夜帯の目撃者が極端に少ない可能性が出てきたためだ。
そしてその被害者女性は過去に補導され、その際に調書押印で指紋を取られていた。そのため、切り離された腕の指紋が一致。身元特定に至ったというわけだ。
そう言うわけで今、藤堂・門田ペアを含めた多くの捜査員が被害者女性、芦田美由紀の周辺を洗っている。浩人と門田は被害者の通っていた富士見大学文学部キャンパスへと足を運んでいた。
早稲田駅で降りた二人は富士見大学とその位置関係を確認し、歩き始める。
「昼食、どうするんだ」
「……」
降りてからも璃砂は一言も発しない。
駅から出て歩けば実感する。正に学生の町だ。活気溢れる空気、質よりもボリュームを重視した飲食店、カフェ、居酒屋、などなど。
不機嫌そうな顔で、それでもイヤイヤついてくる相方を見る。
多分、駄々をこねているだけだろうが。
璃砂はそれこそ相棒として、しっかりやってくれている。どうやら捜査に関しては本気なようで、その熱意は確かに評価に値する。でもどこか最近、浩人との距離が近い。
距離が近いとはいっても男女関係、イロコイ云々の話ではもちろんない。いわゆる、生徒に目線が近い教師が中々尊敬を得られないそれと似ている。
そう、多分これは、舐められているのだ。
であれば、昼食に関しては譲る気はない。頑として認められない。ここでイタリアンでOKしてしまえば確実に彼女は味を占める。
「俺は、うどんを食べるからな。後で合流しよう」
早稲田通りから明治通りへと出る。その向かいの釜揚げうどんのチェーン店を指さし宣言する。
「ヤですッ」
突如、彼女は駅を降りてから貫き続けていた沈黙を破る。ものすごい剣幕だ。通行人が何事かと、通りすがりに目を合わせてくる。なるほど。通行人の目を味方に付ける算段か。だがここで退くわけにはいかない。浩人は璃砂を睨んだ。
彼女の目も、まるで親の仇をねめつけるようにくわっと見開かれている。その意外なほどの眼の意志の強さに、少したじろいでしまう。どちらかと言えばそう言った精神力はむしろ捜査に発揮してほしいものだが。無言の攻防、せめぎ合い。彼女の目は既に、血走るほどになっている。
――でも、俺はそれでも屈しないぞ。
子供っぽいと思われるかもしれないが、捜査が始まると楽しみなんて食事程度しかない。
そうやすやすと譲るわけにはいかなかった。
交渉決裂。
くるりと後ろを向き、そのチェーン店の目の前の信号へと歩き出す。後ろに璃砂の気配は無い。ついてこないのならもうそれでいい。俺は、うどんを、食べたい。
だが。
信号待ち。これが意外と長かった。ヒソヒソと、関係ないざわめきでもどこか自分を非難しているように感じてしまう。そして信号待ちに耐え切れず、ついつい浩人は後ろを振り返ってしまった。
「何やってんだアイツ……」
その光景にあっけを取られ、浩人は独り言をこぼしてしまった。
どうやら璃砂はうずくまっている。そしてその周囲に人だかりができていた。そのほとんどが若い女性。どうしたの、だの。何かあったの、だの。スーツ姿でうずくまる璃砂に声をかけ、どうやら慰めている。
その周囲を見渡すと、ああなるほどと、納得した。この通りのすぐ先に私立の女子大がその門を構えていた。浩人でも名前を知る女子の名門。確か、礼習女学園。
そこの名門女学生達が泣きじゃくる璃砂を慰めている。彼女は本当に警部補として、未来の警察官僚として、恥ずかしくは無いのだろうか。
そして突如、伏し目に顔を挙げた璃砂が浩人を指さす。
一斉にこちらを振り向いた、彼女たちとあろうことか目があう。
――おい、それは流石に卑怯だろ。
上目使いでこちらを見る璃砂の口元。勝利を確信したのか、その表情は少し緩んでいた。