亀裂/近衛六華
ダメ――信じたくない。
歩み寄ってくる。覆面集団の殿、先頭に立つその男。一際暴力的な、返り血の様な装飾がなされた、スプラッタな覆面を被っている。
先ほど高峰詩織を弾き飛ばしたのは、その覆面の鬼人の巨大な“尾”だった。
その尾の先は獣の爪のように、先端に向かい五つの俣に分かれている。
忘れもしないあの日の事――。
二年前。
「零士君の馬鹿ッ」
「姉ちゃん……」
零士の頬をひっぱたいた。彼の手から、先ほどまで被っていた狼の覆面がポトリと落ちる。
その日は、もう深夜二時を回っていたと思う。
「夜中いっつも出歩いて……何をしてるかと思ったらっ」
「何も、そんな悪い事してないって」
思わず、抱きしめる。また少し背が伸びた、六華の背をとっくに追い越したその体に縋りつく。
「夜遊びはダメ!何度言ったら分かるの」
でも口から出たのは心配させないでというセリフの代わりの、叱責だった。それでも零士はおかしそうに、ケラケラ笑うだけだった。
「姉ちゃんはケチだなぁ」
――こんなに楽しいのに。
あの頃の零士はいつも、夜遅くに屋敷に帰ってきていた。一が彼に、いつもつらく当たるから。そのストレス発散にか、彼は夜中で歩いて、あまつさえバイクに乗り、一晩中駆け回っていた。
暴走族と言えばまだ、可愛いものだったのかもしれない。
近衛家の中でも滝と欣二という、仲の良かった弟分、兄貴分を連れて。気が付けば六華といるよりも、二人といる時間が長くなっていった。
そして事件が起きた。
零士の乗っていたバイクが、東名高速で大破して見つかった。滝、欣二のお気に入りのバイクも程なくして、その近くで見つかった。
忘れたくても忘れられない。最後に見た零士君は事故の前、六華にこう言ってきたのだ。
「姉ちゃん、俺と近衛家から出よう」
いつになく真剣な表情。そのころの彼は髪を金髪に染めるようになっていて、そんな彼とは余り会話もしなくなっていた。少しだけ、避けてしまっていたのだ。
「考え、させて……」
結局私は、零士君に何も。何もしてあげられなかった――。
でも。
「でも、どうしてッ」
六華の叫びを受けてか。後ろの集団を制するように手を上げる。そしてその男は。
被っていた覆面を、脱ぎ捨てた。
「うるさいなぁ」
――姉ちゃん。
肩までかかる金髪。男らしい顔立ちは無邪気に笑うと、意外と幼く見えるのを六華は知っている。
「零士、君……」
――生きてた。
それは嬉しい。今すぐ縋ってごめんねと喚きながら。彼に謝りたい。もう離さない。一人にしないとそう言ってあげたい。
でもそれができないくらい。
二人の間には、見えない深い溝がある。
「零士君、帰ろう?」
ぎこちなく、微笑みかける。
「皆待ってるよ?小梢も、零士君の事すっごく心配してて……えと、それとね」
「それはできない」
冷たい、拒絶の言葉。それは六華の心を切り刻まんとばかりに、怜悧に尖っていた。
「現実受け入れろよ……馬鹿な女だな」
「零、士……君?」
そんな乱暴な言葉使い、お姉ちゃん教えた覚えないよ?どうしちゃったの?ねえ、ちゃんと仲直りしようよ――
茶化そうと、二年前の彼を引き留めようとした言葉が、頭の中に浮かんでは消える。
「俺は、お前らの、敵――わかんないかな」
バキバキと、彼の腰から伸びた、やけに太く攻撃的な尾が、威嚇するように蠢く。その体は近衛家の鬼人特有の、毛皮の様な灰色の金剛骨に覆われている。
「近衛一は、もう死んだってさ」
嘘。
「近衛兵は、俺らが皆殺しにした。全滅だ」
嘘だよ。
「滝も欣二も、うんざりだってさ」
「嘘だよッ」
「零士君はッ、そんな事、しない――」
パパが死んだ?近衛兵が全滅?そんな、嫌だ。嫌だよ。
パニックになる。胸が苦しい、どうしたら、どうしたらいいの。助けて、ねぇ。
三位君。
――ダダダッ。
その時背後から、銃声が響いた。