涙/桑折真夜
詳しい事は結局、亜子のお母さんから聞いた。
亜子はいつも帰りが早いのに、今日に限って30分以上帰宅が遅れていたという。それに気づいて携帯にかけても出ない。不安になったその時、警察から連絡があった。
――おたくの娘さんを保護しています。
警察署に行けば亜子が婦警さんの胸で泣きじゃくっていて、しかも友達の名前を呼ぶだけで、何があったのかも話そうとしない。
そして後に、登田家に再び訪問してきた警察の話によれば。
午後17時ごろに110番通報。若い男の声で高円寺、中野間の線路沿い、うずくまっている女の子を保護してあげてくれと連絡があった。悪戯かと思ったそうだが。
『連続殺人があった管区内だぞ。何かあったらどうする。絶対に保護しろ』
と、電話越しに怒鳴られたという。
そして仕方なく警官が路線伝いに見て回ると、亜子がすぐそこ、登田家に近い路線沿いでうずくまっていたらしい。彼女には暴行された形跡も無く、何があったとも言わなかったので事件性は無いという結論になったそうだ。ただ友達の事、つまるところ人間関係で落ち込む、普通の女子高生として保護されていたのだという。
しかし気になるのは、亜子が保護された付近、その線路沿いのフェンスが、
なんとひしゃげていた、というものだ。
十中八九、通報したのは明崇だろう。そして亜子がうずくまる近くの人間離れした能力の痕跡。
もしかして明崇は、四年前のように……
思えば今日明崇は、あの竹刀袋を担いでいた。あの竹刀袋は小学生の頃、裁縫が得意だった真夜が修理してあげたものだ。竹刀袋を破いてしまった明崇が、真夜に預けたもの。取っ手に真夜がからかい半分で貼っ付けたウサギのワッペンがある。
真夜が見て、気が付かないはずがなかった。
とりあえず、亜子のお母さんに聞けるのはこのくらいだろう。そろそろお暇しよう、そう思い、今日は帰りますと言いかけた真夜だったが。
「真夜ちゃん、もうお外も出歩くには暗いし……できれば今日泊まっていってくれないかなぁ」
申し訳なさそうに両の手を合わせる。懇願する表情は年齢の割に幼い。
「その……」
聞けば、双子の兄・剛が今日は帰らないらしい。
「え、どうしてですか」
「実は剛、時々帰らないことがあるのよ。昔グレてたから。それ繋がりでね」
それって親としてどうなのよ。口には出さなかったが、亜子のお母さんはそれを察したようで。意外なことを口にした。
「剛はね、亜子の事を誰よりも想っているの。その、ヤンチャし始めた時も亜子を守るためとかなんとか……だから、今回亜子がこうなったことと関係がある、そう思うの。亜子も昔から、最初に剛を頼っちゃうから……」
つまり、亜子は真夜より先に剛に電話したと、そうお母さんは推測しているわけだ。取り乱した状態にも拘らず真夜に電話したのも、剛がそうアドバイスしたから、という可能性もある。
「剛君からそれ以外に、何か連絡は」
にっこりほほ笑む。やはり笑うと娘そっくりだ。でも目尻には、堪え切れないような涙。
「もらってるわ。亜子をよろしく。自分の事、心配しないでって」
――だから私も息子の事、信じてあげたいの。
一般的な親とはこういうものなのだろうか。現在両親との関わりが薄い真夜には、判断できなかった。
一緒に食事を取り、風呂に入り、最近面白いと評判のバラエティ番組を見る頃には亜子も笑顔を見せてくれるようになった。
「真夜ちゃん。一緒に寝よ」
「うん」
亜子とは確かに仲はいいのだが、お泊りは勿論初めての事だ。別に真夜は友人の家で緊張する性格ではないが、他人の家というのはどこか、別世界のように感じてしまう。
亜子の部屋に入る。ベッドを別にして布団が二つ、敷かれていた。
「どうぞっ」
気分はもう、修学旅行のそれだ。
「亜子ぉ、こんなにお布団近くていーのぉ」
「どしてぇ」
亜子も、さっきよりはいつもの調子に戻っている。
「だってぇこんなに近いとぉ……こーやって私に、襲われちゃうぞぉっ」
がばっと、亜子の背後を取った。
「いやっ。きゃははっ、真夜ちゃんやめてぇ」
くすぐって笑わせてやると完全に、普段の明るい彼女に戻ってくれていた。
いつもの、見慣れた笑顔。
その後も結局数十分くらいは、二人でバカ騒ぎしていた。
二人でそのバカをして、いくらか落ち着いたところで。やっと二人とも寝床に就いた。
「お兄ちゃんに全部は、話してないから……真夜ちゃんには、ちゃんと話すね」
落ち着いたからなのか、亜子は今日あったことを、包み隠さず教えてくれた。
話し終わる頃には、日をまたいで12時半を過ぎていた。
「真夜ちゃんは、その」
「何?」
「アキ君の……見たことあるんだよね」
うん。そうだね。小学校の頃だけど。
「明崇ってさ、私の事多分……避けてるところあったと思うんだ」
自意識過剰とかではない、と思う。
「それはきっと……私が小学生の頃その姿を、見ちゃったからだと思うの」
あの時。彼は逡巡することなく、私を助けた。今日あった事も結局、同じようなことと言えると思う。
あの姿を見られたから人として見てはくれないとか、そんなバカなこと考えているのだろう。
「そっか。じゃあまたアキ君と……、お話しなきゃ……だね」
その会話を最後に。泣き疲れたのか亜子は寝入ってしまっていた。
対して真夜は、中々寝付けなかった。
携帯電話をずっと、握りしめていたからだ。
後少し起きていれば鳴るんじゃないか。知らない連絡先から、彼のお詫びの言葉か何か、届くのではと期待していた。遅くなってごめん、とか。忘れるところだった、とか。
「あの、ばかぁっ」
泣き声を押し殺した。明崇がいないと私、私また前に、逆戻りだよ。
気が付けば、周囲は明るくなっていて。
朝になっても。あれだけ念を押したはずのメールと電話は、届かなかった。
これで一章が終了です。次からは二章となります。