広域災害指定Ⅱ種/三位明崇
「ちょッ、待って。どういう事だよ」
「わ、私はッ。嫌なんだ……ッ。明崇がいなくなるのは嫌なんだ」
泣き始めた伽耶奈を電話越しに落ち着かせる。するとやっと伽耶奈は冷静に話し始めてくれた。
曰く。
牛頭羅の首領、その鬼人の名は。
「牛鬼」
牛鬼と書いて、中国語読みで、ニュオグェイ。
「日系中国人……角鬼系の鬼人だそうだ。実はその、鬼人危険指定が……」
危険指定。
二年前から沖和正が制定した、対象となる鬼人の、その一個体ごとの能力、単純に言えば“強さ”のパラメータだ。通常、危険指定Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ種の順に繰り上がり、さらに強力な鬼人は特Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ種と認定される。それより強力になると、もはや今の警察組織では特別対策チームを練らないと対応しえないため、二種の基準に分けられている。
特Ⅰ種超え――強力な一個体の鬼人について、その単体の戦闘能力を厳戒態勢指定Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ種、そして周囲への甚大な災害的影響を広域災害指定Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ種の二つのパラメータで測る、という事になっているはずだが。
「特Ⅰ超えなんだ。厳戒態勢指定はⅢ種、広域災害指定に至っては」
――Ⅱ種判定だ。
広域災害指定がⅡ種。それは判定された鬼人単体の影響力がもはや、天災レベルである事を意味する。
「明崇、お願いだ、そいつと遭遇したら絶対に……特に一人きりでの戦闘は避けてくれ」
いや。できれば。
「逃げて欲しい。牛鬼は多分今までの鬼人とは……おそらく次元が違う」
伽耶奈が明崇に向けたのはただの忠告ではない。引き留めるための、みっともない慟哭だった。今までもこうやって、伽耶奈には大きな心労をかけていた、かけてしまっていた。
でも、こんなに取り乱すなんて……。
「明崇……自分ではそうは思わないかもしれないけど、自分の事を大事にしないのは明崇の、本当に悪い癖だと思う」
責めるような口調。
「そんな事言ったって……」
――俺には、やるべきことがあるから。
「大丈夫だって。当日は近衛兵も、詩織さんや汽嶋さん――SIRGの皆もいる……俺だけが戦うわけじゃないよ」
慰めるように言っても。伽耶奈はどうしても、護衛には反対したいようだった。
「嫌だ……護衛止めるって言わない限り、神薙様渡さないもん」
「伽耶奈……」
沈黙。それでもお互いに電話は切らない。切りたくない。
「帰ってきたら……また、遊びに行こう」
「……」
「お台場とか、去年の学会以来行ってないよな。行こうよ。皆でさ」
「イヤ」
もう一押しか。と思ったら、そうでもなかった。
「……焼き肉行きたい」
「焼き肉?」
「うん、そう。焼き肉」
「分かった、行こ?皆でさ」
「……うん」
庭に一陣の風が吹いた。優しい、夏をとっくに忘れた涼し気な夜風が、頬を撫ぜる。
「ちゃんと……帰ってくるよ。大事にするから」
――自分の事も。
最後まで言い訳がましくなった。それだけが少し、電話を切る前の明崇の後悔だった。
そこで庭に、他の人の気配があるのを感じた。
「伽耶奈さんに報告?」
花壇越し、六華に貸してもらったのか、ナイトガウン姿の真夜だった。いつもの、からかうような笑顔。それにしても会話の内容は聞かれて無かったはず。相変わらず鋭い。
「真夜はさ」
「うん」
彼女が頷く。髪が揺れる。それだけの動作がなぜこんなにも。
牛鬼。広域災害指定Ⅱ種――
「……何?」
俺が死んだらどう思う?やっぱりそんな事聞けない。
「なんでもないや」
「何それ」
駆け寄ってくる。ふわりと明崇の横に並ぶ、彼女の足取りは軽かった。
真夜も剛、亜子も。レセプションパーティに出席はするが、当日には、いないのに。
敵に襲われる心配なんて無いはずなのに。
どこかこの戦いで、何かが壊れてしまうような――
「今から四人で大富豪しよ?明日はお休みなんだし。亜子と剛も、待ってるよ」
「……うん」
何故か、そんな、予感がした。