龍骨因子(Draco Factor)/三位明崇
細身の太刀を握る力を弱め、その男を、さぁ今からどう料理しようかと、そう考えた時だった。視界の右端。小柄な人影が見えた。肩で息をする度、さらさらと揺れる亜麻色の髪。
「ぁッ、アキ君ッ!」
亜子だった。
もしかして回り込むようにして、高架下からついてきていたのか――。
馬鹿ッ。
ちょうどその時。位置関係としては亜子、フードの男、明崇となる。そしてこの位置関係を把握したその男の動きは、明崇の予想をはるか超えて俊敏なものだった。
亜子に向かって、飛びかかっていく。
その動きは正に、肉食獣のそれだ。
男と亜子の距離はざっと3~4m。それを恐るべきスピードで、地を這うように駆けていく。
明崇は対してその男から、さらに1mほど距離がある――。
このままでは。どうなってしまうかは明らかだ。
――亜子を失う。死なせてしまう。
いや、そうは……。
「させない」
苦し紛れの一手。その決断に、さほど時間はかからなかった。腰の真下、脊柱の末端を意識すると、そこだけが炙られているかのように熱を持つ。
その熱の痛みに比例し、パチパチと静電気が明崇を覆う。
そうだ。俺の体、奪えるもんなら――
「奪ってみろよ」
――龍骨因子。
それが挑発に乗るように、表面に見えなくとも明崇の細胞一つ一つを内から食い破り、支配しようと全身を巡るのを感じる。
立ち尽くす亜子、襲い掛かる影、全てが同時に動き出す中。
明崇がとったのはごく単純な“回し蹴り”。当然、その足は空を切った。しかし。
それと同時に明崇の、その腰の下から――
まるで化け物の触手、それとも巨大な蛇、正に形容し難いほど醜く光る。
鱗だらけの“龍”の尾が、這い出した。
「!?」
それはフードの男を素早く追い抜き、大地に咬みつく。その男の進路を、太い線として遮る。
その器官を正に錨代わりに、明崇は跳躍した。
宙で重なる、影と影。
そこを狙いすまし、明崇のその攻撃器官が、次はその男に牙を剥こうと――
暴れる。
――くれてやるよ。
そして轟音と共に大破する、コンクリートとフェンス――。
事が終わると、二人きりだった。
あの大振りの一撃は、間一髪男に避けられた。そのまま恐れをなしたのか、男はもうそこにはいない。あの男。どうやら逃げ足は、幾分速いらしい。
対して明崇の体では、だいぶ事が進んでいた。手のひらの鱗は厚く肥厚しはじめ、もはや意識しなくとも、全身でバチバチと静電気が生じている。
ひしゃげたフェンスから目を背け辺りを見渡そうとすると背後にいた、亜子と目が合ってしまう。その表情は読めないが、初めて見た人はだれでも、きっとこう思う事だろう。
――こんなの、ニンゲンじゃない。
いま彼女の目には顔に紫の醜い鱗、またその鱗でできた金属光沢を放つ尾を持ち、あまつさえ鮮血に濡れた刃を握る、さっきまでクラスメイト“だった”化け物が映っている。
常に明崇が守ったものの代わりに失うものは、途方もなく大きい。
亜子はそんな明崇を見て、何か言いたそうにしていたが、その前に行ってしまおうと思った。自分でもなぜそう短絡的に考えてしまうのか少し疑問には思ったが、終わりだと、逃げたいと思ってしまっていた。
本当、指切りも何も無い。真夜に合わせる顔も、無い。
「約束守ってやれないな……ごめん」
――真夜にも、そう伝えておいてくれ。
もう後ろを振り返る勇気は、明崇には無かった。