最悪の再会/藤堂浩人
飯田橋で有楽町線に乗り換えた。行先は4駅先――。
桜田門だ。
桜田門、正に警察組織の重要拠点、警視庁へと向かう。
先ほどから駅に着くまでの間、浩人は汽嶋から仕入れた沖和正の携帯番号をダイヤル、留守番電話にボイスレコーダーの、その音声を流し続けている。そして流し終わったところで、受話器に一言。
「西新橋二丁目、ルミナスビルで」
これはまた非常に、大きな賭けだ。
沖和正を……脅すなんて。
沖和正につながる携帯電話の受話器に流したのはついこの前、野方署の裏手での浩人との会話。そうあの会話を、浩人はひっそりと録音していたのだ。
自分でもどうかと思うほどに卑劣な手だが、仕方無い。
これで沖和正は一人で来る。そして来たという事は、浩人の要求を、少なくとも一つ以上飲むつもりで来ている、という事だ。
待ち合わせに指定したのは霞が関二丁目から外れた繁華街のビル群の一角、ルミナスビル。その最上階はテラスのついた、落ち着いた雰囲気のバーになっている。浩人はSITにいたときから、この店にはちょくちょく来ていた。そう……取り引き、駆け引きとは、常に自分に有利な環境でするものだ。これも交渉班、特Ⅰで学んだ極意。
警視庁だけではない、様々な省庁、国会のある霞が関、東京を取り仕切る永田町のピリッとした空気を味わいつつ、目的地へと向かう。
ルミナスビルは前に訪れた時と同じ、柔らかい空気のまま浩人を迎えてくれた。
屋上へのエレベーターに乗り込む。バーを見渡し、馴染みのマスターと目が合った。
そして、テラスへと出る。
――いた。
沖和正がそのテラスの淵に立っていた。誰が着ても変わらないようなスーツでも、やはり和正が着ると何かが違う。今日はまた一段と、その纏う空気が尖っているように見える。
「何のつもりだ」
最初に口を開いたのは和正だった。思えば今まで浩人はずっと、この男の前で無駄なことまでしゃべらされていたのかもしれない
「要求を飲んでもらう。俺の、要求を」
沖和正の表情は読めない。そのままうんともすんとも言わない。だから浩人は今のうちに、要求の内容を伝えようとした。
まずは――。
言い進めようとした、その時だった。
トンッと、背中に何かが当たる。小さな棒状の物が、軽い圧力を持って押し当てられている。そして背後からソレを押し当てている人物の、香水、それが香ってくる。
知っている。この匂いを、俺は知っている。
――高峰。
「藤堂浩人、動かないで」
そのハスキーボイスが、震えている。
「高峰、何「しゃべんないで」
このテラスは囁き越えが聞き取れるほどに静かだった。浩人もその状況を望んで、ここを待ち合わせに選んだわけだが。
周囲の気配が動いている。
背後の高峰だけではない。空気がザワザワと、気取らせないようにはしているが、それでも分かる。
沖は、一人で来るものと思っていたが。
見当違いだったようだ。
浩人の背に、高峰が押し当てているのは疑うまでも無い、官給の機関式拳銃だろう。
「貴様がこれほど、愚かだとは思わなかった」
沖が淡々と続けながら、こちらへと歩を進めてくる。
浩人の当初のプランは、沖に約束を取り付ける事だった。
まず第一の要求は、鬼人に関するありとあらゆるデータを、浩人に横流しすること。
今現在、鬼人が関わっているであろう事件の捜査を浩人は続けている。沖和正の鬼人に対する豊富なデータ。それが喉から手が出るくらいに欲しかった。
そう。今の現状では、事件を解決できない。
それは浩人にとって最悪のシナリオだ。
いや、もっと最悪なラストは。
三位明崇が現行の事件、その犯人に仕立て上げられてしまう事だ。
璃砂が発見した、一文。
あの都築実の、三位明崇に会いに行くという、一文。あれが何よりの決定打になるだろう。あの文章を捜査会議に提出してしまえば、三位明崇に捜査の手が及ぶ。そして彼には渋谷の一件でのアリバイを、隠さなければならない事情がある。
あの時最終的に犯人を殺したのは、明崇なのだから――
それにあの一文の更新が途切れた後、都築実は拉致されたという事になると、その時点で浩人は最重要の容疑者として、明崇を……。
でも浩人は知っている。明崇は気の狂った、殺人鬼ではない。彼自身が悩んで、悩みぬいた末の決断であるという事を、あの場にいた全員が理解していたはずだ。
それに彼は一度、浩人の命を救った。彼がいなければ、今の浩人はいないのだ。間違っても彼に、拳銃を向けるような事は、できない。
――明崇はそんな奴じゃない。
お前もそうだろう。そう、思うだろう。
なぁ、高峰――