秘め事と折衝/三位明崇
「ふん……」
その言葉に。一はついに食器から手を放した。考え込む仕草。
「キミ面白いね」
――自分の価値を、全く分かっちゃいない。
ズドンと、体の芯を撃ち抜かれるような感覚。
自分の、価値……?
「例えば」
彼はおもむろに立ち上がり、大仰にその両手を広げる。
――鬼人化抑制薬。
「キミは貴重かつ強力な鬼人個体である以上に、優れた鬼人の“研究者”でもある」
六華の視線を感じる。どうにも落ち着かない。
「キミが自身を律するために開発した鬼人に関わる薬剤、そして考案した生理学的理論の数々……それは事実、近衛家を含めた、多くの鬼人を救っているのだよ」
――あくまで政府、御三家側の話だがね。
歩み寄ってくる。娘の肩に、その手を置く。六華の体が、ビクっと震える。
「六華も高校に入学してから、定期的に注射を打っている……。おかげで突発的な鬼人化は全くと言っていい、起こらなくなった」
――キミのお陰だよ、明崇君。
「だけどね」
明崇も反射的に立ち上がる。
「感謝しているそれ以上に。私は三位明崇君、キミが欲しい」
「それは勘違いです」
明崇が言い放つ。そうだ。この人は何か、勘違いしている。
「あの薬を実際に作ったのは伽耶奈の……義姉の製薬会社だ」
「理論を考案したのは君だろう?」
全く……ああいえばこういう……。
――減らず口を。
「全く強情だねェ」
明崇に背を向ける。再び向かい側に、腰を下ろす。
「金剛杵……鬼人の脊柱からできた鬼人に対抗し得る武器。製造法は当の昔に失われ、不明だったのに。キミは自身で殺した鬼人を元に二年前、開発に成功したそうじゃないか……いや、止めを刺したのはキミじゃなかったかな?確かその金剛杵」
――銘は……姥鮫。
「な……ッ」
何でその事を知っている!?
「はは。私の情報網を舐めないでほしい」
沖和正が……しゃべった?いや、そんな事をする男じゃない、じゃあ、誰が……。
――でもあの時、あの鬼人に止めを刺したのは、和正だ。
余裕の表情。その眼が、明崇を射抜いている。
この男は俺を、強請る気なのか?
その震える明崇の手に。
「……真夜」
真夜がひんやりとした、しかしどこか温かみのある手を重ねていた。
――冷静になれ。
大丈夫。焦るな。あちらのペースに乗せられていては、まともな話し合いはできない――。
「牛頭……、羅。奴らと戦う戦力となり、日中韓サミットを防衛する。それが俺への依頼ではないのですか」
「ああ、それも一つあるね」
でもそれだけじゃない、と彼は言う。
「キミと密な存在でいたいんだよ。例えば鬼人化抑制薬は、個人個人の遺伝情報を元にオーダーメイドすることで、その効能を上げることができる。それは鬼人化促進薬でもいえる。それで私たちは今以上、さらなる力を手に入れられる……ほら」
――君の考案した、トライデントクエンチだ。
「キミにお願いしたいのは私直属の近衛兵、全員分のオーダーメイド鬼人化抑制・促進・制御薬、そして金剛杵の作成、そして私達の戦力として共に戦う事。この三つだ」
そうか。この人は未だに欲しいのだ。巨大な権力と富を手にしながら、いまだ満足できていない。
「しかるべきポストも用意する。金ならいくらでも払おう。それとも」
――この家の婿に来るかい?
「ちょっとパパッ」
六華がガタっと、椅子を鳴らす。その声には、いつもの余裕が感じられない。
この人にとっては娘さえも、力を手に入れるための駒ってわけか……。
「なるほど。俺のスポンサーになってくれると……いや」
――パトロンって言い方が正しいか。
「そう、それだ。パトロン……うん、実に良い響きじゃないか」
理解してくれた、とばかりに嬉しそうに。彼は笑う、が。
「それは流石に、考えさせてください。俺の生き方は、自分で決めます」
しっかり目を見る。逸らさない。
「日中韓合同の首脳会議……その護衛は引き受けます。しかしそれ以上は、今後の話し合い次第。ですが先ほどおっしゃった様なことは」
――二度と提案しないでいただきたい。
席を立ち、歩き出す。明崇はもう、振り返らなかった。