積念と後悔/近衛六華
「ん……」
あれ、私落ちちゃってた……?
窓から見える、その空が白み始めている。近衛六華はその眩しい朝日から逃げるように、体をベッドから起こした。
「嫌われちゃった、かなぁ……」
広い部屋の真ん中で体操座り。自分の肩を掻き抱く。
重圧、もあったかもしれない。近衛家を引っ張って、皆をまとめて、守って……そのためなら、どんな手段も厭わない。だから追い込んで、その実力を確かめてから。その方が優位に、交渉できるかもしれない。そう、相手の都合も考えず思い込んでいた。その結果。
三位明崇を、傷つけてしまった。
「ちょっと嫌なヤツ、だったかも。私」
いや、多分ちょっとじゃない。すっごく嫌なヤツだったと思う。
ヤバいな、失敗したな。そう思い当たった時には既に、三位君は泣きそうな顔をしていた。怒りもあっただろうけどそれ以上になんか悲しそうで、その表情に、やっと。酷いことしたんだなって気づいた。
「うぅーヤバい」
うん、これは中々立ち直るのが大変そうだ。彼の子犬のような泣き顔が、きゅっと胸を締め詰める。
「登田君が説得してくれなかったら、もうダメだったな……」
それでも。YESの返事はもらえていない。結局泣いて、泣きついて。あれって今思えば、とっても狡いと思う。
――本当、狡い女だよね。
いい女にはなれないな。なんてふと思う。
「でももう誰も、失いたくない」
ベッドの脇、写真立て。それに映る私の隣の誰か。その顔には丁度、光が反射して見えなかった。
私の、大事だった人、大事なただ一人の弟。彼はもう、いない。
「頑張る、私、頑張るから」
――零士君。
今思い起こせば三位明崇の泣き顔は、零士にとても似ている気がした。
「六華様、起きられてますか?」
マズい。小梢が起こしに来ちゃった。
「……ん、は、はーい」
涙を拭う。声は、掠れていないだろうか。
「起きられてるんですね?朝食の準備、できておりますよ」
小梢は近衛家の使用人だ。年は六華よりも上だが、六華よりも子供っぽく、人懐っこい魅力的な女性。
ドアを開ければ彼女の、はつらつとした笑みに迎えられる。
「小梢おっは。今日の朝ごはんはなーに?」
無理に明るく振る舞うのは、六華の一番の特技と言ってもいいかもしれない。
「ご自分で確かめられては?」
この近衛家にはざっと20数人の使用人がいる。屋敷の規模も大きい。いわゆる豪邸だ。
といってもその廊下は幅が広いといえど、なぜか和風、木板の渡り廊下だ。そう近衛家の屋敷は中途半端な、和洋折衷様式で建てられている。
「あれ……パパとママは」
「先に出られましたよ?」
あっそ。
――三位明崇を手に入れろ。彼なら近衛家を救える。
父の感情の無い、冷たい声を思い出す。
六華の父、近衛一は外務省に勤める外交官、官僚だ。最近は日中韓首脳会議のためにずっと家を空けている。
――だからこそ、三位君の協力が必要なのは……事実、だけど。
「小梢ー、一緒に食べようよぉー」
こんな気分だから。一人で食べるのは、さすがに少し嫌だった。
「え、しかし」
そう言いつつ、いつも一緒に食べてくれる。そんな些細なところが小梢のいいところだと六華はいつも、そう思う。
「六華様、例の件、随分ご無理されてるんじゃないですか」
食後、暖かいアッサムティーを飲みながら。小梢は六華に、朝から聞きたかったであろうことを聞いてきた。
「……大丈夫だよ」
強がる。それは近衛家の次期当主として、六華に染み付いた癖だった。でも小梢も、そう簡単に引き下がってはくれない。
「六華様……貴方は十分、頑張っておられます。零士様がお亡くなりになってからも、その重責を一身に背負って。その重さは、私のような者には計り知れないものと思います。しかしどうか……ご無礼を承知で言わせていただきます。周りの声に惑わされず、自身の心を信じてください。そうすればどんな結果になろうと、きっと、後悔はされないかと」
馬鹿。そんな事言われたら、また泣けてきちゃうじゃない。
でも……
お願い、まだ、強がらせて。
「うん。そうだね。私見えなくなってたよ。多分皆をこれ以失うのが……本当に怖くなっちゃったの。滝、欣時、零士君……失った仲間の気持ちを勝手に想像しちゃってたのかも」
だからこそ。
「もう、迷わないよ。私自身の言葉で三位君にぶつかる。きっと分かってくれる」
自分で思う最高のキメ顔。小梢は強がる六華に、母親のように微笑みかける。
「六華様、どうか、ご無理はなさらないで?私は旦那様、奥方様ではなく貴方、ただ一人のご主人様にお仕えしたいと思っております」
む。これは、かなりグッと来ちゃったな。
「ちょっとぉ……危うく惚れちゃうところだったじゃない!?」
「あはは、六華様、何をおっしゃいますか」
――私はとっくに、六華様にぞっこんでございますよ。
「うぉ、言ったなぁ!?」
そんな事言うならもう、小梢は何処の嫁にもやらないぞ!
バカげた事を考えながら。私は決意する。
そうだ。次こそちゃんと彼と話そう。