バトル:インザ・ストレイストリート/三位明崇
「はぁ……ッ」
浅く、空気を吸う。背後の亜子の気配が消える。恐らくそれは本当に彼女がここから去ったということを意味しているのではない。彼女を認識することを明崇から、拒否したのだ。むしろ彼女の性格からして、少しの間見守るくらいのことはするのかもしれない。でも、出来ることなら早く立ち去ってほしい。
――まさか、こんなに早く会えるなんて思わなかった。
明崇の意識は自分の全身と周囲に巡らす最低限の五感。そしてほとんどは目の前の、その男に向けられている。
今さっきのは、確実に殺しに来ていた。殺気だ。この男は明確な意思を持って今、明崇と亜子にその刃を向けた。つまり。
――こいつが、例の殺人事件の……。
沸々と湧き上がってくる。それこそこの時のための、この男のための準備だった。あの時の疑問や喪失、そして後悔が、明崇の時間をせき止めていたのだ。今まさにそれが、溢れださんとしている。
剛毛様の光る体毛と片腕の刃。特徴は一致している。だからと言ってこの男があの時の犯人とは限らない。そこまで正確な判別は付けられないが。
――四年間の中で、一番はっきりとした手がかりだ。
「……来い」
言い切るまでもなく、男は目の前に迫っていた。
予備動作など無い、迫りくる掌底。しかもその掌底には鋭く長い刃先がくっ付いている。
でももう明崇が手にしているのは。
「ギェッ」
残念ながらもう、ただの棒切れではない。
布から勢いよく引き抜いたのは細身で鈍い銀色の刀身。その太刀を接近したその男に通りすがりに斬りつけた。すぐさまコート越しに切った腹から零れる鮮血。そして、これで終わるはずもない。
男が繰り出すコンマ一秒先の無数の手数。それは明崇の眼前に、見えない数多の点と線として存在している。そこから実像になったものを叩き落とし、機械的に切り返す。
振り返れば、振り下ろしてくる左手。それをいなすと構えていた右手で胴体を薙ぎに来る。剣道で言うところの“胴”だ。しかし当然の事のようにその一撃は空を切る。振り上げた時点で男がとりうる一撃の中、このモーションが最も速い。それ以外の手では遅すぎて、簡単に明崇の一太刀を浴びてしまう。つまり銅の薙ぎを予測し、降ってきた初手を捌いた時既に屈んでいればいいのだ。そして下から上に、振り上げる――。
「ふッ」
浅い。だが今作ったこの意識の間隙を逃さない手はない。刀を切り付け、投げ、振り回し、それを後ろ手で取る。予測不可能な剣戟。感覚が、あの頃に戻っていく――。
右手で思い切り、太刀を回し投げる。それに警戒し下がった立ち姿にめがけ、宙に投げたそれを左手で受け、平に切って捨てる。
これは受けられた。でも次の余裕は無い、はず。左の太刀を宙で素早く持ち替え、次は逆手で、抉るように――
「ウァッ」
衣服に包まれた胸部から血を吹くと、男はやけに人染みた、痛みを訴える叫び声を発した。
――全く、人間ぶらないで欲しいものだ。
そしてそこから畳み掛けようとすれば、サッと跳躍して中程度の距離を取る。つくづくがっかりさせられる。
――逃げんな、おい。
ヤツに見えるように、手招き。
――どんどん来いって。
挑発に充てられたか、次はピンポイントに、線で無い一撃で突いてくる。感情的な一撃を避けるのは容易い。懐に潜り込み、そのまま鳩尾を上方向に乱暴に蹴たぐる。
「グエッ」
男は高架下内からはじき出され、人気のない道路に転がった。やけにその、蹴った時の体重は軽く感じた。
そして男は素早く立ち上がると、明崇から見て左手、道路を駆けだした。まさか、逃げるつもりだろうか。
――逃がすわけ、ないだろ。
明崇も駆け出した。男の足はそこまで速いわけではなかった。しかし難なく追いつけそうだと思ったその時に、男が振り向きざま、右手の刃を振るってきたりする。
「んのッ」
並走しながら、刃物を振るい合う。
するとその刃物の残像の中、明崇は自分自身の右手が、醜く紫色に変色しつつあるのを確認した。それを自覚すると体が思いだしたように、体にその異変が起こっている事を、今更伝えようとしてくる。体の中の細胞の一つ一つを、寄生虫が這い回るような感覚だ。
――抑制薬、切れるの早くなったな……
パキ、パキリと。明崇の頬を何かが張り付いていくかのような異物感がある。それが不快なほどに顔を覆い始める。それと同時に感覚が鋭く、研ぎ澄まされるのを自覚する。
それでも、刀を振るう。
徐々に明崇も内面から、人間ではない何かに傾いていく。背骨が流動する鉄を流し込まれたかのように熱く、肩甲骨が今にも破裂しそうなくらいに痛い。なのにその苦痛に比例して、全身の神経がその伝達速度を増していくような、そんな錯覚を覚える。
今や二人は並走してはいない。後退する男に対して明崇が刀を振るう、それを男が避ける。ついでにお返しとばかりに伸びてきたそれを明崇も躱す。そんな構図だ。
そして明崇の、手に持つそれ同様に研がれた感覚は、男のわずかな意識の間隙、それを逃しはしなかった。
明崇の居高い位置から放った一撃を受けて、男の両手が浮つく。それを、逃さない。
「ンッ……」
飛び上がった上方から懐に飛び込む。男を追い抜きながら、明崇はその胴を切り裂いた。
「ひぃギィッ」
――これで、決まりだ。
これほどに無い、手ごたえがあった。どうやら先の一撃は男の戦意を削ぐには十分だったようで、観念したのか膝をつき項垂れている。
ちらりと自分の手のひらを見る。その手は自分のものか疑いたくなるくらいに醜い、紫の鱗に覆われ、歪んだ金属光沢を放っている。たぶん頬は、もっと酷いことになっているだろう。
――まぁ、いいや。
注射を打てば、すぐに引くはず。それまでこいつを、どうするか――