帰路/三位明崇
放課後というのは、これほど長く感じるものなのだろうか。
真夜達に振り回されて、からかわれて、笑われて。過ごしてみればあっという間だったと思いつつ、とても密度が濃い時間だったとも思う。
肉体的というよりは精神的疲労が蓄積していた。
しかし、とても長い一日を過ごしても最後まで真夜は明崇を解放してはくれないようだった。
じゃあね、と明崇の後ろの登田兄妹に手を振ると、真夜は真っ直ぐ明崇の目を見てくる。同時に後ろの二人の足音が遠ざかる。
――さすがに二人っきりは、ハズいんだけど。
男女、という意味合いにしてもそうだが、四年前のあの一件が俺の中での“桑折真夜”の記憶の大半を占めている。あの時、あの姿、というか状態を彼女に見られた。そのことを思い出してしまうと、彼女は心中で俺の事をどう思っているのか、分からなくなってしまうのだ。
「あのさ、その明崇」
なぜだか、切り出した彼女の声音はいつもの明崇をからかうようなそれではなかった。
真夜は昔から明崇に対して常に優位に立とうとする。なのに今はしどろもどろで、彼女らしくない。
「今日は学校来てくれて、ありがと。楽しかったよ。てか、明日も学校来るよね」
いや、この高圧的な態度。いつもの彼女だ。情けないとは思うけれど、この問いかけに対してノーと言える自信がない、例え明日学校に行くつもりが無かったとしても。
「来るって。もういろいろ吹っ切れたからさ」
そう、だからそんなに睨まないでくれ。
「そっか」
すると途端に下を向く。気分でも悪いのだろうか。
「これ」
最小限の言葉数と共に渡された白く薄い紙。手触りからすると、ルーズリーフの切れ端の様だ。
折り畳まれたそれを開いてみると三つの塊に区切られた11桁の数字、そして英数字の文字列が小奇麗にしたためられている。
「メアドと、携帯番号。私の。今日中にメールしてね。後電話もすること」
メアドには、“ice.204……”とある。Ice―氷―桑折か。なるほどね。
「私からの電話とメール、出なかったら……」
出なかったら、なんだよ。
「泣くから」
クラスのみんなの前でね、と付け加える。
「ウソ吐け」
「泣くよ。わんわん泣いてやる」
ニヤニヤ笑いながら言うことじゃないだろ。
「まぁとりあえず明崇。また明日」
「ん」
頷く。しかし彼女は攻撃的な表情でこちらを睨む。
「……ちゃんと挨拶しなよ」
「ああ、また明日」
小学生の頃もこんな感じだった。なぜか他人の礼儀云々には厳しい。自分自身の礼儀に関しては、割といい加減だった気もするが。
背を向け手を後ろ手に振ると、彼女が視界から消える。すると、背後から心底楽しそうな、真夜の大声が響く。振り返ると、今日何度も見せたあの悪戯な笑顔があった。
「亜子ぉ、明崇に家まで送ってもらってねェーッ」
これで命令は最後だと、信じたいものだ。
明崇は登田亜子を連れ、中野駅から伸びる中央総武線沿いの道を歩いている。
登田家は少し歩けば高円寺に出られる住宅が密集した団地にあるらしく、案外明崇の自宅とは近いようだ。
「だったら、お泊りパーティとか、できるよね。してもいいよね」
この子とまともに話したのは今日が初めてだが、なんというか、危うい。人の持つ感情を善として疑わず、悪意に鈍い。後、精神的に良くも悪くも子供っぽい。良い意味で手がかかる娘だ。兄である剛は気苦労が絶えないことだろう。
「つか、なんで剛はいないんだ」
それこそ、今日知り合った男と二人きりにするのを、許しそうには思えない。
「ん、なんかね、お兄ちゃん変だったの。いきなり用事がーとか言って。絶対ウソだよ」
なんで嘘を吐く必要がある。
「本当に用事だったんじゃないのか」
「んーん、絶対ウソ。ずっと兄妹やってるんだもん。分かるよ」
頭をぶんぶんと千切れんばかりに振って否定する。亜麻色の髪が、サラサラ揺れる。
「だからね、お兄ちゃんがアキ君のこと気に入っていることも、分かるんだ」
「そう、なのか」
「うん」
大きく頷いて、彼女は眩しい笑顔を見せた。