ここまでの…/三位明崇
亜子が登校してきたのは、丁度その、夏休みの宿題を回収しようとするタイミングだった。
「亜子、大丈夫だった?」
真夜が一番に駆けつけ、明崇は渋々その後を追った。
由香里がさらにその後ろから軽い足取り、スキップしながら明崇を追い抜いていく。
「あはは。結局パパとママに考えてもらっちゃった」
「さっすがぁ亜子ちゃん愛されてんねー」
「へへ。愛されてるかなぁ」
「私も亜子の事、愛してるよ。でもね亜子。約束だよ?これからはちゃーんと私と明崇に最後の宿題チェックさせてね」
「はーい!」
おい、だからそこはちゃんと宿題やりましょう、だろ。こうして亜子を甘やかすのは止めて欲しいと兄の剛からも釘を刺されている。
「次からはちゃんと計画的にやろうな。後自分の力で」
亜子の将来を思って、明崇はそう発言した。
「はーい……」
しょぼん、と今度は沈んだ声で返事をして見せる亜子。
「明崇、亜子の事いじめないでよ」
え、なんでそうなる。真夜は普段三島に向けるような表情で明崇を睨んでいた。
しかし意外なまでににこやかな声で亜子はこう続けた。
「いいよぉ。アキ君は、亜子の事愛して言ってくれてるんだもんね?」
おい……なんだそれおい。キラーパス過ぎるぞ亜子。
「うわぉ」
三島も囃し立てんな。うるさい。
「……」
真夜はただただ黙っている。彼女らしくない。
結果、みんな黙りこくってしまった。三島はニヤニヤしながら視線を亜子、明崇、真夜の順に向けている。何か、酷く心地の悪い沈黙だった。
その時だった。
「登田さんッ」
皆の意識が、教室の一点に向けられた。
「あ、か、カナちゃん」
「遅刻してごめんなさい、は!?先生ずっと待ってるんだけど!」
ごめんなさい待ちなんだ……。
沈黙を破ったのは七月からB組の担任を務めている真北カナという女性教員。
キツ目の容姿と裏腹に明るくドジッ子、親しみやすい彼女のおかげで、一時期落ち込んだこの教室が明るくなり、暗い雰囲気から立ち直れたのは事実だ。
「ごめんなさい、ごめんなさいってばぁ」
「ははぁ、痛いでしょーこれでも担任なんだぜ!バカにできないんだぜ!」
「うぇー、痛いぃ」
もはやキャラが迷走し始めているかもしれないが。
そう一カ月前。この1-B教室はだれもが再起不能だと思っていただろう。
今年三月から六月にかけて都内で連続して起こった凶悪な早稲田通り沿い連続婦女暴行殺人事件。実に4人の女性が殺害され、その手口は両の手足を切断し最後に頭蓋骨を破壊するという凄惨極まりないものだった。そしてこの事件は、この1-B教室と深い因縁を持っている。
その殺人事件の犯人の男、この1-B教室の臨時担任教師だったのだ。それだけではない。四月から本当の担任をであったはずの女性教員は、この事件の被害者。つまりこの学校は殺人者が学内を歩き回るのに全く気付いていなかったということになる。
そもそもこの事件は、ただの人間による仕業ではなかったのだからそれも当然だ。
鬼人。
人間の中に眠る普段は発現しないある遺伝子は、稀に発現することで人を鬼人という化け物に変える。鬼人は角と牙を持ち、常人をはるかに超越した身体能力を持ついわば怪人だ。
犯人だったその男は特に、非常に凶暴かつ強力な鬼人だった。
だがこの事件は、そう。解決したのだ。他ならぬ、
――俺、三位明崇の手によって。
何の因果か。事件現場に居合わせた明崇は自身が持つ龍の鬼としての衝動と能力を総動員し自らを鬼人へと身を堕とし戦った。結果。
――俺は犯人の鬼人を殺した。
事件が解決した今でも思う。俺は、生きていていいのか。もはや救いようもない殺人鬼だったとはいえ人を殺しながら、ここにいるのは、間違った事ではないのか。
俺は人殺し、化け物――。
明崇はまだ、迷っている。