reminiscence4/三位明崇
明崇は普段の稽古から外され、深夜まで道場近くの、廃校になった体育館に連れ込まれた。
その、叫んでも誰も助けてくれないであろう環境で、彼の言う『稽古』は行われた。
与えられるのは竹刀一本。後はステゴロ。つまり素手だ。
「行くぞ」
稽古とはいっても、内容は一言にするなら、それこそ。
ただのリンチだった。
和正の拳も蹴りも、どう見ても正統なスポーツから派生したそれではない。それこそヤクザが喧嘩するときの、感情に任せた理不尽な暴力。そう映った。
そして彼はよく、こうも言っていた。
「殺しに来い」
明崇は毎回、我武者羅に向かっていった。そして毎日、体が感覚を忘れるほどの痛覚を超えた痛みを味わった。
しかしその傷跡も、以前では考えられないスピードで治癒していく。どうやらそれも、明崇が化け物として目覚めた証拠だと、和正は言った。
――このままじゃ、俺は死ぬ。
多分肉体が生命維持を保てない事、そういう意味合いの死の前に、精神的な死が訪れるだろう。しかし誰に助けを求めることもできない。この体を人に一体どう説明しよう。だったらいっその事、自分が自分である内に死んだら楽になれるだろうか。
そう稽古中に泣きながら零すと。
「貴様、簡単に死ねると思うな」
すぐに、鋭い痛みを与えられた。
「お前は、大きな罪を犯した」
――人の世に、生まれ落ちたことだ。
「それだけでなくお前は周囲と関わり、さらに、人を傷つけた」
――湯田を、思い出してみろ。
「お前は人ではない。害獣だ。死ねば許されるなどと、甘ったれたことを思うな」
――お前がいつ死ぬかは、俺が決める。
もはや和正の言う事が正しいとか、間違っているとか、正常な判断ができる思考はもう明崇には残されていなかった。
しかしその痛みだけの日々の中で、小さな希望すら音を立てて崩れていく一方で、砂利の中に埋もれそうな、砂金の様にわずかな、素朴な願いが明崇の中に残った。
――生きたい。
自分はこんなに醜い化け物だけど、生きたい。生きても痛みばかりだけど、それでも生きたい。
きっとそう思えるようになったのは、真夜と明羅。きっとあの二人のおかげだった。
彼らがかけてくれた言葉が無ければ、明崇は早々に、自らの命を絶っていたと思う。
しかし真夜とはあの一件以来、会話をすることすらなくなった。明崇が意図的に彼女を避けていたというのもあるのだろうが、それ以前に明崇の暴行沙汰、その噂は学校中に広まり、真夜が近づき辛くなったというのが大きいのだろう。教室にはそれほどに強い排他意識が働いていた。しかし自分でも気持ち悪いと思ったが明崇は、たまに教室や廊下で彼女を見るだけで、どこか満たされた気分になった。
それで、十分だった。
明羅は、自宅、学校どちらでも、何があったのかと兄に問いただした。しつこいくらいに、相談してと、切実な表情で訴えかけられた。
「何かあったんだよね……。相談してくれ兄ちゃん」
明崇は何も言わなかった。やはり真夜と同じく、そう言ってもらえるだけで、自分に目を向けてくれるだけで、嬉しかったのだ。
それから、一年も経てば、和正との稽古さえももはや日常化していた。
「脇、しめろ」
「ぐぁッ」
明崇は毎日の日々をただ生きる、そのためだけに時間を消費する日々を送っていた。和正に体は何度壊されようと、心を壊されないために、自力で格闘術を習得した。
本やネットで様々な競技の動きを取り入れ、独自のスタイルを身に付け実践する日々。
そして今の明崇の得意とする、動体視力を存分に生かした予測不可の剣技も、この時身に付けた物だ。
全てはそう、生きるために。
この頃はもう一日に一度程度には、和正に一太刀入れることもできるようになっていた。
――夜討ち朝駆け上等。いつか寝首、掻いてやる。
学校でも相変わらずだった。
同級生との関わりはほぼないに等しかった。明崇=危険人物と言う認識が根強く残っていたためだと思う。
しかしこの時一度だけ、何か月ぶりだろうか、真夜と会話をした覚えがある。
「久しぶり」
完全に嵌められた、そう思った。前日係決めを休んだせいで彼女と同じ係に、真夜の意図的に振り分けられていたのだ。
「……何」
彼女は上着のポケットに腕を突っ込んで、冷ややかな目で明崇を見据えていた。
「何って。別に何でも無いけど。私は明崇に、文句を言いたいだけ」
文句。そうか、真夜まで俺にそう言う事を言うのか。
明崇は珍しく、少しいじけていたのかもしれない。
「帰る」
俺は目を背け、教室のドアに指をかけた。しかしその指が、何かに触れている。
驚いていると真夜が、明崇とドアの間に、立ち塞がる様にするりと滑り込んだ。
彼女の両手が、明崇の肩に触れる。それが明崇の首を回り、包み込むようになった。
そのまま、彼女の顔が接近し、直前で――止まる。
そのまま明崇が何もしないでいると。
「……馬鹿」
そう言って、なぜか笑顔。
「何、え、どうした」
結局彼女はそれ以上何もせず、悲しげな、でもどこか満足した表情で手を離すと、足早に去った。
この時の彼女の行動は何が何だか、本当に分からなかった。
春先にしてはやけに晴れた、夏の様な陽気が漂う日の事だった。