reminiscence3/三位明崇
「明崇。最近楽しそうね」
真夜との関係も良好だった。彼女も明崇を認めてくれる数少ない存在、その一人になっていた。あの本を紹介して以来、彼女は明崇に、様々な本を紹介してほしいとねだってくるようになった。
「これ……面白かった。でも最後が何かもやっとしちゃった」
――明崇は最後のシーン、どう思う?
明崇はその本に対する見解を素直に話した。それを聞くと彼女は目を丸くして、「驚いた」と言った。
「それは思いつかなかったなぁ」
そう言って彼女は、明崇が今まで受けたことない視線を向ける。
この頃から、真夜は世話焼きなところがあった。彼女は、明崇が自分を卑下する発言をすると、その度にきつく叱ってくれた。
「あのさ……そういうのなんか嫌」
明崇は、明崇だよ。そういって押し付けられた期待もレッテルも、意味ないことだと叱咤し、励ましてくれた。
「私は少なくとも、明崇の凄さを認めてる。私とこんなに話が続くの、ホント明崇ぐらいなんだから」
自分がちゃんと受け答えできるかどうかは分からなかったが、それも当然だ。彼女は小学生の割に、話し口調がしっかりしすぎていた。
「明崇、また明日」
もうこの頃にはどうしようもなく、彼女の事を異性として意識するようになっていた。
しょうがない。彼女は周りの子に比べて明らかに可愛かったし、しかしそれよりも明崇の、味方でいてくれる数少ない存在だったから。
――でも、思いを告げるなんて、とんでもない。
そう思い、子供ながらに明崇は、彼女を今まで以上に避けるようになった。確か小学四年の冬だったと思う。
そしてこの頃ついに俺は、自分に宿った破滅的な、その運命を自覚する。
事の始まりは、その冬。実力のある門下生でトーナメントを組み、道場で行われた練習試合をきっかけに起こった。
剣道場で、明崇よりも二学年上の門下生、湯田が、練習試合の最中、相手の真夜を思い切り突き飛ばしたのだ。真夜の剣道の強さは明崇の年代でもずば抜けていた。そんな真夜はその年上の男子から、なんと開始早々面打ちで一本を取ったのだ。それに逆上した行動であるのは明らか。反則行為以前に人としてどうかと言う話だ。
真夜の、その年の女子にしては身長の高い、しかし大柄の上級生と比べてはあまりに小さすぎる、その体が萎れた花の様にくずおれた。
それを見て俺は珍しく、強い怒り、憤怒の感情が自身の中に湧きあがるのを意識した。
――この野郎。
明崇は衝動的に、防具もしないまま。その上級生に掴みかかり、気が付けば殴りつけてしまっていた。
「お前何してるッ」
その場にいた全員が絶句した。しかし驚いたのは恐らく、明崇がとった行動もそうだが。
その上級生が付けていた面が、明崇の拳を受け、あっさり粉々に散った事に、絶句したのだろうと思う。
小学生から見たら十分大柄な巨体が吹き飛ぶのと同時に、少量の赤が飛んだのを見た。
そしてすぐに頭に強い衝撃が走って、明崇は意識を失った。
その日。
明崇の両親と、その上級生の両親が来て。夜遅くまで明崇は、道場に残された。
何を言われたかは覚えてない。ただ両親すらも、自分を人前で責めていたこと。そして自分がそれだけ責められる立場にある、卑しい存在であることも自覚していた。
だが、相手方の両親は非常に温厚だった。
「うちの子にも非はありましたでしょ?気にしなさんな」
「本当に……、ごめんなさい」
――ごめんなさい。
明崇は素直に謝罪した。衝動的な暴力ほど、汚いものは無い。それを知っていながら、ああいった行動に出てしまった事に、後悔よりも、自分自身への失望があった。
その後も、明崇は沖和正と二人きりで、その道場に居残るよう言われた。
両親は明崇の事などどうとも思ってはいない。世間体を気にして一度連れ帰る素振りを見せたが、和正に言い包められ、すぐに帰って行った。
薄暗い道場、二人きり。
「お前、あのままだとどうなっていたか、分かるか」
ゆっくりと和正が、その口を開いた。
どうなっていたか……?
警察沙汰とか、少年院行きだとか、そう言う事ですか、と返そうとしたが。
「……分からないです」
余計なことは言えないと思い、僕はそう答えた。すると彼は。
――分からせてやる。
そう言い終わるや否や突然、サッカーボールを蹴る様に、明崇の懐にその足を見舞った。
息が――。
「うごっ……げほっ、げぇ」
内臓がうねり、たまらず吐いた。しかし胃の中は空で、いくらはいても胃酸しか出てこない。そのせいか喉にも、焼かれるような痛覚があった。
道場の冷たい床が、むしろその時は火照った体に、心地よく感じた。
「立て」
また蹴り。今度は拳、かと思えば次に振り下ろされたのは木刀。明崇は、一切の抵抗もできなかった。
「うぁ……んぐ」
そしてある程度明崇を私刑した後、和正は明崇の髪を引っ掴み、道場の入り口付近、大きな姿見まで引きずっていく。
もうこれくらいの事は、痛いとすら感じない。
「見ろ」
そしてそのまま膝立ちできる程度まで、その髪の毛を引っ張られた。
今自身に起こっているこれは、何と言う理不尽だろう。この時までは流石の明崇もそう思った。
しかし鏡に映った自分の姿を見て、何も言えなくなってしまった。
――これは、一体……
誰。
そこに移ってこちらを見返しているその顔は、爬虫類の様な、醜い鱗に覆われていた。
どう贔屓目に見ても、これは――
「見ろよ。なぁ、お前人間じゃないだろう?あのままだとお前湯田を」
――殺してたかもな。
明崇はこの時人生で初めて、心から泣いた。声は出なかった。鏡の中の醜悪なそいつもちゃんと涙を流していて、それでまた余計に、涙が出てきた。
沖和正曰く、俺は突然人の間に生まれた欠陥品。人ならざる、化け物らしい。だから感情が高まると顔に鱗が出て、しまいにはそれに覆われ、完全に人ではなくなるという。そして化け物である明崇を抑え込むため――
「これからは俺が毎日、相手をしてやる」
とのことだった。
そしてこの日から、今までとは比較にならない、地獄の日々が幕を開けた。