第二話 夢の中でも彼女はときめく
体の重みが感じなり、まるでやわらかな水の中に浸っている感覚。
紗枝はおもむろと、布団の中で寝返りをうつ。
枕に顔を押し付けて、紗枝は幸福なまどろみを感じていた。
そして彼女は夢を見る。
夢の中では、いくつもの思い出が混ざり合い、理路整然としない物語に変わっている。
―あたしは……
紗枝は夢を見ながら、少し瞼を震わした。
あたしは、自分でいうのもなんだけど、とりたてて普通の女の子だと思う。
大学で、素敵な恋を始めたい。
彼氏と街を歩きたい。
楽しくてドキドキしたキャンパスライフを送りたい。
そんな思いで、あたしは実家を離れて、ここ京都の大学で、一人暮らしを始めたの。
田舎から京都に出てきたあたしは、それだけで、最初とってもわくわくした。
赤レンガづくりの小さなキャンパスは、あたしに幸せな学生生活を約束してくれる場所の ようだった。
新しい生活。新しい友達。
興味ある授業。面白い先生。
高校とは違った、新しい世界。
あたしはもう、大学生活すべてがとってもキラキラして見えた。
そしてあたしは、予告どおりに、恋をした。
初めて好きになったのは、テニスサークルの先輩だった。
高校でもテニス部だったから、そのままテニスをしようと思って入った。
でもそこは、コンパサークルといったほうが正しくて、毎週末サークルのみんなで呑みに いってた。
その中で、副部長の先輩が、とってもかっこよくて。
あたしは、飲み会で先輩と隣になるたび、どきどきしていた。
サークル仲間はみんな仲がいい。この勢いで、きっと付き合えるんじゃないかと思った。
そして告白したけど……ダメだった。
先輩には、好きな人がいた。
あたしは泣いた。
フラれた後、あたしは誰もいないテニスサークルの更衣室で一人泣いた。
その夜、大学生なんだからお酒で失恋を癒そうと、あたしは近所のスーパーでお酒を買い 込んだ。
部屋で飲みつぶれ、酔った勢いで、同じクラスの栄次にメールをした。
ああそうだ。栄次と仲良くなったのは、あれがきっかけだったんだった。
お酒ってのはすごいね。
普段しそうに無いことを実現させてくれるんだから。
同じクラスメートといっても、栄次のついてあたしはあんまりいい印象をもってなかっ た。
いつも前の席に座って、先生の話をじっときいて。
メガネが妙にインテリくさくて、あたしの肌には合わなかった。
地味でもないけど、イマドキでもない。
それが栄次。
大学に入ったすぐのとき、新入生歓迎コンパでたまたま隣になって、場のノリでメルアド を交換した、それだけの間柄だった。
突然のメールで、栄次はびっくりしたかもしれない。
でも、その一時間後に、奴は本当に、あたしのマンションに来た。
奴が玄関を開けたとき、ゆるゆるジーンズにトレーナーというお家ルックで出迎えたあた しを見て、栄次はふきだして笑った。
あたしは憤慨して、そのまま栄次を部屋に連れ込んだ。
そして、先輩にフラれたいきさつを、栄次にとうとうと語った。
あたしは、こんなに辛い失恋は初めてだと栄次にぐちった。
あたしの部屋で、栄次はきちんと正座をしていた。うなずきながら、真剣に話を聞いてく れた。
いい奴だ……
初めて栄次をそう思った。インテリ君が、寡黙ないい人君に変わった瞬間。
でも、やっぱりこいつは嫌味な奴だと、後で訂正しなおすんだけどね。
それは置いておいて、あたしは……本当に失恋が辛かった。
高校のときより、失恋が辛くなった。
あまりの辛さと、先輩とのこれからの気まずさに、あたしは頭を悩ませた。
それで大学のサークルは辞めちゃった。
それからあたしは、ちょっと太って、少しだけ社交界に疎くなった。
半年を過ぎて、それからあたしは、ゆっくりと失恋の傷を癒していった。
そして、今度はもっと好きな人に出会った。
大崎君。
あたしは彼を好きになった。
大崎君を好きになったのは、同じ授業で、ノートを見せ合うようになってから。
あたしたちは、同じ授業では、よく隣に座った。
お互い授業はまじめに受ける方だったけど、それとは関係のない事もあたしたちはたくさ ん話した。
彼はいつもおしゃれで、話題はとても、イマドキだった。
さわやか好青年な顔をしていて、笑うと、歯並びのいいきれいな白い歯がのぞいた。
先輩後輩問わず、大崎君の評判はとてもよかった。
「大崎君、かーわいー」って、先輩が二階の窓から、下校する大崎君に手を振るの。
大崎君は、はにかんで、手を振りかえしていた。
後輩は、年下という特権をフルに活用して、「大崎せんぱーい」って、無用にくっついて くる。
大崎君はテレながら、それに抵抗していなかった。
あたしは、そんなことはできなかった。
大崎君を好きになっても、そんなオープンに、彼にアタックするなんてできなかった。
大崎君を間近で見ていられるだけで、あたしは満足だった。
ノートを写しているとき、あたしの前には、大崎君がいる。
あたしは、ノートを写しているふりをして、大崎君を見つめる。
綺麗な黒髪。
お洒落なヘアカット。
短髪がとてもよく似合う。
ああ、好青年だ……(大崎君ラブ)
夏場では、半袖Tシャツで大崎君は、またかっこいい。
程よく筋肉のついた、締まった身体。
居酒屋のバイトをしているって言っていた。何をしても大崎君は素敵だと思った。
あたしは、高校でも何人かと付き合ったけど、こんなにドキドキしたことはなかった。
確かに、先輩にも相当ドキドキしたけど、大崎君を好きになっていくごとに、先輩の失恋 の痛みはいつの間にか消えていった。
そしてますます、大崎君への思いは募って……
大崎君には、現在彼女がいないのを友達から確認して、あたしは放課後に、彼を体育館の 裏に呼んだ。
がんばりました。もう一度の勇気でした。
そして……またもや玉砕したのでした。
*
「なんて…………いやな夢だ」
紗枝は枕に顔をうずめて、獣のように、うなりをあげた。
朝日がまぶしい。
《ジリジリジリジリ》
目覚まし時計がなっている。午前7時ジャスト。
「何でこんな時間になるのよ」
土曜日の朝早くに、何があるっていうの。
紗枝は苛立ちを覚えながらスイッチを押した。
「まったく……」
寝なおしてから、十五分。
紗枝はガバリと起きた。
「そうだ! 栄次に呼ばれていたんだったよ!」
紗枝は急いで、洗面所にとびこんだ。