第十三話 まきざし四センチの奇跡
「なるほど〜。じゃあ痩せたら、その彼に会うんですね」
牧野店長がいった。
施術室のベッドにうつ伏せでいる紗枝の腰を、細い十の指でツイストする。
「はい、何か目にもの見せてやりたいというか……」
うつ伏せのまま、紗枝は壁を見つめて、いった。
「そうですね。見せるんだったら、一度いっさい連絡を絶って、ある日突然、大変身した姿で登場するのがいいですねぇ」
店長は声を弾ませた。
「ええ、ベタじゃないですか」
紗枝は苦笑いして答えた。
「サプライズは大事ですよ!
『デンジャラス・ビューティー』って映画知ってます?
サンドラ・ブロック主演の」
「いえ」
「一度見てください」
店長は微笑んで、次に、紗枝の腰から背中へとマッサージを移動した。
「紗枝さん、学校ではその彼と鉢合わせしたりしないんですか?」
店長が尋ねた。
「注意すれば、会わないですね」
紗枝は少し考えて、答えた。「もうすぐ秋期テストが始まるんですけど、テストのない授業なら、窓口へのレポート提出だけでいいし。
それが終わったら春休みなので、まるまる二ヶ月会わないですみます」
「いい時期じゃないですか。春休みに再会する頃には大変身ですよ」
「えへ、そうですか」
紗枝は嬉しそうに、はにかんだ。
今日のマッサージは、『スペシャル』よりも軽い、ソルトマッサージだった。
ソルトマッサージのクリームは、天然塩入りで、触感は少しざらついている。
紗枝はそれでマッサージされるとこそばがゆかった。
「じゃあ紗枝さん。その彼のこと、まだ好きで諦めつかないんですね?」
店長が、紗枝の二の腕をマッサージしながら、彼女の顔を覗き込んでいった。
「いえ……好きというか、どうなんでしょう。
好きなのかなぁ、私?」
―何だ、同じこといってるような。
紗枝はあれあれと思った。
「あ〜……でも。
何かですね、すごく悔しかったっていうのはあります。
……フラれ文句がちょっとひどくて」
「なになに、何て言われたんですか?」
店長のマッサージする手の力が強まった。
「いやいや……」
紗枝は口をにごして、別の話題に会話を持っていった。
つい話の口火をきってしまったが、それについては、まだ誰にも言える気分ではなかったのだ。
隣の施術室では、この間紗枝がうけた、スペシャルマッサージの太鼓の音が響いていた。
そして、激痛で叫ぶ、お客の声が。
それを聞きながら、紗枝は最後の鎖骨マッサージをしてもらっていた。
顔を覆われたタオルの下で、紗枝は眉をしかめ、フラれ文句を頭の中で反芻していた。
―あれは……ないんじゃないかなぁ。
首筋に汗が流れた。
仕上げの全身サウナの間、紗枝は大崎君の姿を、苦々しく思い出していた。
*
「あ、紗枝さーん。お疲れ様です」
更衣室から出たとき、横美祢先生がカウンターから声をかけた。
「あ、先生。ありがとうございました」
「今日はもう終わりですか?」
「はい。今日はソルトマッサージでした」
紗枝は先生から会員カードをうけとった。
そのとき、先生がじっと紗枝を見つめた。
「紗枝さん、ちょっと太もも、細くなってません?」
先生が、まじまじと紗枝の脚を見つめた。
「ええ、本当ですか?」
紗枝は興奮して聞き返した。
「多分そうですよ。ちょっとはかってみましょうか」
先生は、カウンターから出て来て、紗枝の脇で腰をかがめた。
ポケットからメジャーを取り出した。
―すごい、常に持参だ。
先生は服の上から紗枝の太ももをはかった。
「ジーンズの分を差し引いて……
紗枝さん、すごい、初めのときより四センチ減ってますよ!」
「ええ!」
紗枝はびっくりして、目を見開いた。
「すごいです紗枝さん」
先生は自分の事のように喜んだ。
「そういえば、ズボンがゆるいな〜とは、思ってましたが……」
―気のせいじゃなかったんだ。
紗枝はじーんとして、自分の太ももを見つめた。
「それだと紗枝さん、服もイメージチェンジしたらどうですか」
横美祢先生が嬉々としていった。
「ゆるい服を着てるより、もっとタイトな服で、大人っぽくみせるのもいいですよ」
「ええ。そうですかあ」
紗枝は顔を赤くした。
「うん。紗枝さん脚が綺麗なんだから、スカートとか、もっとはいたらいいですよ」
「そんな、恥ずかしいですよ」
「大丈夫ですよ。
なんなら、私と一緒に買い物に行きません?」
「えっ?」
「あら。何のご相談?」
カウンターの奥から、店長が出てきた。
「あ、店長。
今、紗枝さんのサイズを測ったんですけど、太ももが四センチも減ってたんですよ!」
「えー、紗枝さんすごいじゃないですか」
店長は口を縦に開いて、オペラ歌手のような顔で驚いてみせた。
「それで、新しい服でも、一緒に買いに行きませんかって」
横美祢先生は、楽しそうにいった。
「あらずるい。私も行くわ」
「ええ、店長」
紗枝はぎょっとしていった。
「紗枝さん、これも美革命計画の一端です。
明後日の日曜日、買い物に行きましょう」
先生は紗枝の肩に手を置いて、力強く握った。
有無を言わさぬ勢いだった。紗枝を抜きに、あっという間に「週末買い物計画」が立てられた。
紗枝は店長と横美祢先生の携帯番号を教えてもらい、二人にも自分の番号を教えた。
待ち合わせ場所と時間だけ決めると、店長は、次のお客が入っているからと、急ぎ足で施術室に入ってしまった。
「じゃあまた紗枝さん。
スカートはいてきてくださいねー」
横美祢先生も、次のお客との時間が迫っていて、あまり話す時間もなく紗枝を見送った。
紗枝は呆然としたままエレベーターで下界に降ろされ、ビルの前で、ようやく冷静になった。
―プライベートまで、お客と過ごしていいの?
信じられない、どうしよう。
そういうものの、紗枝はすでにわくわくしていた。
紗枝は、二人のエステシャンの、休日スタイルを想像してみた。
急に日曜日が待ち遠しくなった。