表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/19

第十一話 ヤドカリの沈鬱

 雪はふらねど、底知れぬこの寒さ。

 大学生には、身も凍るこの時期。

 一月の終わり、紗枝の大学では秋期試験が始まった。

 その頃になると、試験の日程とレポート提出の課題が掲示板に張り出される。

 まじめに授業に出ている生徒は余裕の表情で掲示をみつめ、出席日数の足りない生徒は試験とレポート提出で挽回ばんかいしなければと、あせりを見せる。

 大学の食堂では、栄次と紗枝がレポートの下書きにとりくんでいた。

「へぇ、それはそれは」

 シャープペンをノックしながら、栄次はくすくす笑っていった。

 紗枝は顔を赤くして、小声でいった。

「あれが最近のエステなの?」

 紗枝は栄次に、『スペシャル』について(話せる範囲で)事細かに説明した。

 栄次は笑いこけて、腹をおさえた。

「めちゃくちゃだなー」

「めちゃくちゃよ! でも痩せたわ」

 紗枝は、そこだけは『スペシャル』に感心した。

「でも、あんなん毎回じゃ辛すぎる」

 紗枝はさめざめと嘆いた。

「それだけじゃないよ。リラクゼーション・マッサージってのもあるし」

 栄次は目じりの涙をぬぐっていった。

「詳しいわね」

「なにせ店長が、姉貴ですから」

「そう! 牧野店長、サイコー・ビューディフォーよね!」

「なんやねんそりゃ。もうちょっと英語を勉強しなさい」

 栄次はいって、英語のノートを紗枝に渡した。

 栄次は、英語ノートを写し始めた紗枝をほほえましく眺めて、いった。

「でも、楽しくやってるみたいじゃん」

「まあ、確かに面白いわ」

 そこは素直に認めて、紗枝は心の中で栄次に感謝した。

「でさあ、栄次。この授業のレポートなんだけど……」

 紗枝はいいながら、かばんから新しいノートを出した。

 ついでに、自前のペットボトルも出してテーブルに置いた。

 それに気付いて、栄次がいった。

「あれ?」

「え?」

 紗枝はきょとんとして、ペットボトルのウーロン茶から口をはなした。

「炭酸系、やめたんだ?」

「ああ、うん」

 紗枝はペットボトルを持ち上げて、いった。

「ジュース一本でも、砂糖って結構たくさん入ってるし。

 それに炭酸は骨を溶かしちゃうから、ほどほどにすることにしたの」

「へぇ」

 栄次は頬肘をついて、紗枝をまじまじと見つめた。

 紗枝はいって、自分でうなずいた。

「生活習慣も変えていかなきゃって思って。

 エステに行ってない時間は、あたしが体をケアしてあげなくちゃ、でしょ」

「うん」

 栄次は感心して、うなずいた。

「一週間にどれくらい通ってんの?」

「週二。今のところ、それでコースが……」

 いいかけて紗枝が、ばっとテーブルの下に伏せた。

「何?」

 ぎょっとして栄次がいった。

「大崎君よ」

 テーブルの下から、小声で紗枝が返事をした。

 紗枝はそれ以上何もいわず、巻貝の蓋を閉めたヤドカリのように、沈黙してしまった。

 栄次は食堂の入り口を見た。

 今、数人の学生が、食堂に入ってきたところだった。

「あ、ほんとだ」

 栄次はつぶやいた。彼の足の下に隠れたヤドカリが、一瞬体を震わした。

 紗枝をフった、大崎君(紗枝に敬意を込めて、「大崎」ではなく、「大崎君」と呼んでおこう)が、こちらに向かって歩いてきた。

 なぜなら栄次(と紗枝)が座っていた席は、注文を聞く学食のおばさんがいる、カウンターの目の前にあったからだ。

 幸い、ここのテーブルは、丈が長めのテーブルクロスがかけてあり、栄次の足元にいる紗枝の姿は、誰にも見えなかった。

 紗枝は、栄次のジーンズの破れを見つめながら、じっと大崎君の声を聞いていた。

「なんにする?」

 大崎君の声が聞こえた。

「俺、カツカレーにしようかな」

 多分、彼の友達だろう。野太い男の声が聞こえた。彼はいった。

「そっちは?」

「えー。あたしは、オムライスにする」

 可愛い女の子の声が聞こえた。

「あたしは、パスタにしようかな」

 もう一人、大人っぽい女性の声が聞こえた。

 二人の声で、紗枝の胸が、どくんと脈打った。

「ねー、大崎君は?」

 可愛い声が、彼に尋ねた。

「そうだなぁ。あやちゃん、オムライスなんだよね。俺も同じのにしようかな」

 脈打っていた胸は、急激に萎縮し、ヤドカリは内側へと締めつけられた。

 紗枝は下唇を噛んで、ぎゅっと拳を握った。

 顔を赤くして、目線を床の方に落とした。

 テーブルクロスと床の隙間から、白い光がこぼれて見えた。

 そのすぐ向こうには、紗枝が告白した彼の靴があるはずだった。

 

 大崎君は、学食のおばさんにオムライスを注文した。

 栄次は、目の前の大崎君たち団体を、レポートを書くふりをしながら見つめていた。

 

 別に、取り立てて変な会話ではなかったはずだ。

 大崎君たちは、決して変な会話をしていたわけではなかった。

 単純に、メニュー見て、何を食べるか考え、それを注文しただけだ。

 

 だけど、栄次にはわかっていた。

 この些細ささいな会話が、どれだけ紗枝の気にさわったかという事を。

 ヤドカリは、繊細な生き物なのだという事を。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ