第一話 ソーセージは決意する
この作品は「はじめてのxxx。」の企画作品です。
紗枝のような、どこにでもいる女の子はこんなにがんばれるんです。
最後まであたたかく見守っていただければ幸いです。
扉を開けば、缶空かんかん。
「……」
からんからんと転がって、ドアから外に出た空き缶を栄次は黙って拾い上げた。
玄関先からそこはもう、ビール缶とチューハイ缶の、雑多な舞踏会場だった。
栄次はべつに驚きはしなかった。
メールで呼び出されたときから、嫌な予感はしていたのだ。
しかし……鍵もかけていないなんて。
無用心すぎると、栄次は思った(もちろん、こんな寒い冬の日に、マンションの前で待ちぼうけをくらうよりかは、よかったが)。
まあ、この無用心さには、わけがある。
玄関口の空き缶が、その理由を説明している。
そう、彼女は失恋したのだ。
そして、ヤケ酒は「彼女」の得意技だ。外で飲んで、さらに部屋でも飲んだに違いない。
それも、一人で。
「女の一人ヤケ酒なんて、するもんじゃないぜ」
栄次は疲れたふうにため息をついて、靴を脱いだ。
もちろん、ここは栄次の部屋ではない。
そして、栄次の恋人の部屋でもない。
栄次の大学のクラスメート、紗枝の部屋だ。
栄次はコートとマフラーを脱いだ。台所を通り過ぎ、薄暗い廊下を進んだ。
通り過ぎる際、台所のコンロの上にも、飲み干したチューハイ缶があった。
それを横目に、奥の部屋につながるドアを、栄次は開いた。
昼間だというのに、部屋は夕方のように薄暗い。
栄次はじっとりとした空気に、少したじろぎ、汗をかいた。
この薄暗さ。
遮光カーテンが、ほとんど陽の光をシャットダウンしている。かすかにこぼれる光で、栄次は部屋の中を見回すことができた。
すると、部屋の隅で、何かがうごめいた。
「うわっ」
栄次は思わず小さく声を上げた。
部屋の隅に、ふくらんで丸まった布団が。
栄次は黙ってゆっくりと布団に近づいた。
しかし、歩くたびに空き缶に足があたり、防犯仕かけのように、ガラガラと音をたてた。
「……」
じれったくなった栄次は、遠慮せずガラガラと空き缶を蹴飛ばしながら、そちらに向かった。
布団の前で腰をおろす。
栄次は困ったように、丸まった布団を見つめた。
それはドイツ名産のホワイトソーセージにも似ていた。
彼女の体は、頭からすっぽり布団にくるまれていた。
布団は、じっと、栄次の言葉を待っていた。
「……またフラれたんか?」
しょうがなく、栄次が尋ねた。
ソーセージは何も言わない。
栄次は黙って、しばらく彼女からの返事を待った。
布団の中から、泣きつかれた声がした。
「大崎君……『そんなんじゃないって』」
なんともいえない表情で、栄次はポリポリ頭をかいた。
「あたし……フラれたんだねぇ」
彼女はいった。
「……」
フォローはもう抜きにして、栄次はちょいっと、布団の口を持ち上げた。
パジャマ姿の紗枝が、うつむきで泣き伏していた。
布団が持ち上げられたので、寝ているわけにもいかないと思ったのか。
紗枝はゆっくりと起き上がって、鼻をすすった。
一体どれだけ泣いたのだろう。
紗枝のまぶたは、かなり重たそうだった。
でも、泣き疲れていても、まだ泣きたらないようだった。
しゃくりあげるように肩を震わす彼女を、栄次は見つめた。
真正面から、紗枝の姿を、じっと見つめた。
―長いまつげ。
―かわいらしい丸顔。
―肩が小さい。
栄次は黙って、なおも紗枝を見続けた。
―うす茶色のねこっ毛。
―前髪を横に流して、肩をくすぐるようなボブカットヘア。
その髪を少し乱して、涙をいっそう目に浮かべ下を向いていたが、紗枝は不意に顔を上げた。
じっと栄次を見つめ、紗枝は小さく口を開いた。
―いよいよか。
栄次は思った。
そう、これは、二日酔いの彼女が、栄次に抱きついてくる予兆だ。
紗枝はいつも、誰かにフラれるたびに、酔いつぶれ、最後に男友達の栄次を呼びつけ、泣きながら抱きついてくるのだ。
それは、失恋からの復活の儀式のようなものだった。
栄次はそれを待っていた。しかし―
「ダイエットしてやる!」
紗枝が、睨みつけるようにして、栄次にいった。
「は?」
栄次! もうヤダ! 死にたい!
という、いつもの泣き言は?
栄次はぽかんと紗枝を見た。
「あたし、痩せるわ。
そんで、もっときれいになって、大崎君よりいい男とめぐり合って、
今度こそお付き合いするのよ」
布団を吹き飛ばし、紗枝はその場で立ち上がった。
「何よ、私だって女よ」
「いや、うん。そうだよ」
「だから絶対綺麗になるんだから」
だからの意味が分からない。
栄次は思ったが、それ以上に、紗枝の意気込みに驚いた。
「いつもと違うじゃん」
紗枝は栄次をキッと見つめた。
「もうね、こんな風にフラれるたびにヤケ酒して、スタイルも崩れていって……
そんな自分が、つくづく嫌んなってきたの」
「ほうほう」
ヤケ酒のたびに慰め役に呼ばれる、俺の身の上に気づかいは無しかい。
栄次は心の中で愚痴をこぼした。
「それに……栄次にも悪かったよね。
毎回呼び出されて迷惑だったよね、ごめん」
紗枝は急にしゅんとなって、謝った。
……テレパシーってあるのかな。
栄次は思った。
「いや、俺のことはいいんだけど」栄次はいった。
「確かに、それは前向きだよなぁ」
栄次は驚きを入り混じらせて、彼女をほめたたえた。
「私は生まれ変わるのよ」
紗枝はいった。表情が生き生きしていた。
栄次は納得するように、うなずいた。
「じゃあ変わってみようか」
栄次はいい、ゆっくり腰を上げた。
そして紗枝の両肩に、手を置いた。
えっ?
紗枝は栄次の顔を見上げた。
すると栄次は、紗枝の両肩を下に押し、もう一度布団の上に座らせた。
ありゃ。
紗枝は、栄次を少しでも意識した自分を恥じた。
じっと紗枝の目を見て、栄次はいった。
「で。じゃあ、とりあえずどんなことして、痩せようと思ってんの?」
「そうね」
紗枝はいった。
「まずはじゃあ、流行の***ダイエットでも!」
「おやめなし」
「何人よ」
「体に無理がかかって危険だって」
「そんなこと無いよ」
「そんなことあるんです」
栄次はいった。
「一品ダイエットとか、栄養学から見たらよくないに決まってるだろ。
それにそんなダイエット、一生続けていけるのか?
やめたら、大体リバウンドするのがオチだよ」
紗枝はぐっと言葉をのみこんだ。栄次はいつも正しくて、どこか意地悪だ。
栄次はメガネをはずして、メガネ拭きで綺麗にふいた。
「痩せるにしても、健康的でないと、後々いいことないぜ」
「あぅ・・・・・・」
反論できずに、紗枝は栄次を憎々しそうに見つめた。
「にらむなよ」
「にらんでません」
栄次はメガネをかけなおした。
「続きがあるんだから」
紗枝はきょとんとして、栄次を見た。
栄次は、部屋に散らかっている空き缶をひとつ、ひょいと手にとった。
それを紗枝と自分の間に、ちょんと置いた。
「何?」
いぶかしげに、紗枝が尋ねる。
「誓いの儀式」
「はぁ?」
紗枝は笑おうかと思った。
しかし、栄次の表情は真剣だった。
紗枝は思わず、しゃんと背を伸ばした。栄次の言葉の続きを待った。
「本気できれいになりたいんだな?」
栄次がいった。
「……うん」
「フラれて落ち込んで、ヤケ酒するような女には、もうなりたくないんだな?」
「うん」
「努力は惜しまないか?」
「惜しまないわ!」
「よし」
栄次は、紗枝の両肩をぽんぽんとたたいて、いった。
「俺の姉貴を紹介しよう」