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第7幕 帰る場所と光の雨

少しずつ日が傾き始めた大通りに、ふたつの長い影が黒々と伸びる。

夕暮れ時の通りは未だ人の往来が途切れることなく、小さな子供たちがふっくらした頬を薔薇色に染めながら脇をすり抜けていく。


エルドランは己より少しだけ背の高い少年を見上げて尋ねた。


「本当に良いのかい…?」


そう。ラルフが彼に自分の家に来てはどうかと提案したのだ。


「元々俺が蒔いた種だ。先輩たちをこれ以上頼れねぇよ。それに…」


「それに?」


ラルフは一瞬言葉に詰まった。


(初対面のやつに、初めて会った気がしないから放っておけないとか言えるわけないよな。しかも男に!)


「…なんでもない。それより、ちゃんと前見て歩けよ。コケるぞ」


そう忠告したにもかかわらず、例の少年は「うわぁ」と情けない声をあげて派手に転んだ。


通りを歩く買い出し帰りであろう女性たちの、くすくすと笑う声が聞こえる。


ラルフは軽く嘆息し、エルドランに手を差しのべた。


「言ったろ。ちゃんと前見て歩けって」


少年はきょとんとした顔で差し出された手とラルフを交互に見やる。

転ぶことを許されなかった古の王子は、人の手を借りることも知らなかったのだろう。

ほら、と再度促せば、エルドランはその手を取って立ち上がり、服についた砂埃を払いながらはにかんだ。


「ありがとう。僕らの頃とは人も街並みもすっかり変わってしまったものだから、なんだか別の国へ来たみたいで…」


でも、変わらないものもあるんだ。


過去からの旅人は、少しだけ寂しそうに、そして少しだけ嬉しそうに語りだす。

その眼に映るのはどんな景色だろうか。


「どこかの家から漂ってくる料理の匂いや、家々から聞こえてくる小さな子供の声。どの時代にも、人の生きる場所がある…」


「良いところだよな。この国は」









他愛もない話をしながら歩いていると、ラルフが一軒の家の前で足を止めた。

黄土色の屋根に象牙色の壁のシンプルな家。


「着いたぞ。ここが俺の家だ」


太陽を模したノッカーのついた樫のドアを開け、エルドランを招き入れる。


「うわぁ…」


そこに広がっていたのは、小さいながらも住みやすそうな、あたたかな空間だった。


木でできたテーブルと二つの椅子、窓の近くにはベッドが置かれ、壁にはなぜか古そうな剣が掛けられている。


「色々と落ち着くまでは、ここにいればいい。あまり広くはないけどな」


エルドランは金糸の髪をぶんぶんと振る。


「充分さ!ただ、人の家にあがらせてもらうのは初めてだから…緊張してるのかな」


ラルフは短く声をあげて笑い、椅子に腰掛けて言った。


「今日からはここがお前の家だ。遠慮なんてするなよ?友達なんだから」


「とも、だち…」


エルドランは小さく呟いた。


その言葉は甘く柔らかく、心の奥の繊細な場所をそっと撫でられるようだった。


不思議と身体が軽くなっていく気分を味わっていると、エルドランはあることに気がついた。


「ラルフ…君のご両親は?」


その問いに、ラルフは苦笑混じりで答える。


「いないんだ」


「いないだって!?」


エルドランは宝石のような目を見開いた。


「あぁ。父さんは俺がまだ小さい頃に行方不明になった。母さんは、三年前に流行った質の悪い風邪が悪化して死んじまったんだ」


「…すまない…」


「お前が謝ることじゃねぇよ。幸い、兵士になるまでは親戚が面倒見てくれてたし、家事もある程度はできたからな。助けてくれる人がいる分、俺が頑張らないと」


俺をちゃんと育ててくれた父さんや母さんに申し訳ないだろ?


この少年は、なんと強いのだろう。

失ったものにすがりついて嘆くのでも切り捨てるのでもなく、それらに恥じぬよう生きていたいと言う。


親と接することのほとんどなかった自分にはよくわからないものだと、エルドランは少し悲しくなった。










そういえば、とラルフがこちらを向く。


「お前はどんな魔法が使えるんだ?他にもあるんだろ?そもそも、魔法ってなんだ?」


彼の黒い眼は好奇心にきらきらと輝き、わずかではあるが、こちらに身をのりだしている。


(まるで小さな子供みたいだ…)


内心そんなことを考えながら彼に向かいあうように座り、エルドランは軽く咳払いをして答えた。


「魔法というのは、自分の持つ魔力をある動作を通して引き出し、火や風を起こしたりすることなんだ」


「ある動作って?」


「それは国や人によって様々だ。もちろん杖を使うのが一般的だけど、踊ったりする人もいるよ。魔力に応じて使える魔法は限られて、力が強ければ強いほど、より大きな魔法を使うことができるんだ」


へぇ、とラルフは驚きの声をあげる。


「お前は?」


「僕?僕は歌うんだ」


「歌?」


「うん。僕の力は魔力を自分の歌う声に乗せられること」


だから彼の声は穏やかな風のようなのか。


「お前の使う魔法、見てみたいな…」


ラルフがぽつりと呟く。


「いいとも。どんなものが見たい?」


「なんでもいい!お前の身体に負担のかからないものなら、なんでも」


エルドランはわかった、と言い、立ち上がって窓辺へ歩み寄り、ガラスのそれを開け放つ。


そしてすうっと深く息を吸うと、ハープのように澄んだ声で歌い始めた。



あまねく照らす日の光

鳥は大空を舞い 花は愛を唄う

願わくばこの想い 恵みの雨となりて

乾いた大地を潤せ…



歌声は風に乗って響きわたり、やがて空の彼方へ消えていった。


すると。


突然、晴れているはずの空から雨が降り出した。


…いや、雨ではなかった。


地面を濡らすことなく降り注ぐそれは、光の粒子。

眩しい夕陽をうけ、きらきらと黄金色にきらめいている。


ラルフはすぐさまエルドランの隣へ駆け寄り、その美しい光景に釘付けになった。


通りを歩く人々は「光の雨だ!」と叫びながら、息も忘れて粒子たちの踊るさまに見とれている。


試しにラルフも窓の外へ手を出してみると、受け止めた光は彼の手のひらの上で星くずのように弾けた。


「すごいな…」


「喜んでくれたかい?」


「もちろん!目の前でこんなにすごい魔法を見たのは初めてだ!」


ラルフの手放しの賞賛に、エルドランは翡翠の瞳を優しく細める。


「よかった…」


そう言うと、彼の細い身体がぐらりと傾いだ。


「エル!?」


咄嗟にその身体を支えて顔を覗き込むと、唇は血の気を失い、呼吸は浅く速いものになっている。


ラルフは覚束ない足取りの彼をすぐ脇のベッドに座らせ、水差しとグラスを持ってきた。


「大丈夫か?」


渡された水を一気に飲み干すと、エルドランはふうっと短く息をついた。


顔色はまだ良くないが、呼吸は落ち着いたようだ。


「…ありがとう。久しぶりに魔法を使ったものだから、まだ体が追いつかないみたいだ」


「だから無理はするなって…」


エルドランは緩くかぶりを振る。


「あの程度の魔法なら大丈夫。…少し、疲れただけだから…」


「休めよ。そこのベッド使っていいから。明日は近くを案内してやるよ」


ありがとう、と礼を言ってエルドランはぱたりと横になると、数分とたたぬうちにすやすやという穏やかな寝息が聞こえてくる。


「…今夜は床で寝るか…」


明日は近くの住人から布団を借りてこよう。


そう決意して新しい同居人の上に毛布をかけてやると、ラルフは夕飯の支度を始めるのだった。

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