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第3幕 君の名は

茜色の空を、一羽の鷹が舞っている。

昼間の暑さはどこへやら、吹きつける風は心地よく、踏みしめた金色の地面もひんやりとして疲れた足を癒やす。


ラルフはよろよろと数歩歩くと、腕の中の人をそっと砂地へ降ろし、その隣に仰向けに倒れこんだ。


「はあぁ~~…」


大きく息をつく。

橙色に染まった雲が、はるか頭上を早足で駆けてゆく。

空とは、これほどまでに広いものだっただろうか。


自分の心臓の音がやけに煩く聞こえる。

全身が、鉛のように重かった。


(生きて、出られたんだ…)


安堵からか、睡魔が甘くラルフを襲う。

誘われるように静かに目を閉じるがしかし。

誰かに頬をぺちぺちと叩かれた。


「ぅん…?」


薄く目を開けると、眼前には鮮やかなふたつのエメラルド。

静かな森のような色が、自分を見つめていた。

そして花弁のような薄桃色の唇がゆっくりと開かれると、


「助けてくれて、ありがとう。君がいなければ、僕は今ごろ死んでいただろう」


と、掠れてはいるものの、落ち着いた少年の声がラルフの鼓膜を揺らした。


(ん…?“僕”……?)


「おっ、お前、男だったのか!?」


ラルフは瞬時に起き上がりわずかに後ずさった。


(確かに俺と同い年くらいにしてはその…だいぶ平らだと思ったけど…あまりにもあんまりだろ、それって!)


騎士が救ったのは美しいお姫様、というのが昔話のルールである、が。

ラルフが救ったのはれっきとした男だった。


がっくりと力なく項垂うなだれたラルフに、金糸の髪の「彼」は今更気づいたのかとでも言いたげに頭を振る。


「助け出してくれて、ありがとう。僕の名はエル。エルドランだ」


「…俺はラルフ。ウィステリアの王都で働く兵士だ」


未だ戸惑いを隠せないラルフにエルドランは綺麗な眉をわずかに上げ、翠の眼を見開いた。


「君の国は…ウィステリアと言うのか…?」


「あぁ。花の国ウィステリア。500年前の戦争で奇跡的に勝利して、今じゃ大陸一豊かで美しい国として有名なんだけど…お前、知らないのか?」


エルドランは慌ててかぶりを振った。


「知らないわけではないんだ。ただ…そうか、やはり…」


言い淀むエルドラン。

ラルフが言葉の続きを待っていると、砂漠の向こうから誰かの呼ぶ声が聞こえた。


「ラルフ───!」


ガーランドだ。

おまけに班の面々もラルフの救出に駆けつけてくれたようだ。


「班長だ!」


駆け寄ろうとしたラルフをエルドランがそっと引き留め、素早く彼の耳元で囁いた。


「僕があの城にいたことは、できれば秘密にしてもらいたいんだ。君の信頼する人だとは思うんだけど…あまり、大勢の人には知られたくないんだよ」


エルドランの必死な頼みに、ラルフは不可解に思いつつも頷くしかなかった。


しばらくすると、ガーランドたちが次々と馬を降りてこちらへ向かってきた。


ラルフは今までの疲れも忘れて、すぐさま彼らのもとへ駆け寄る。


「ガーランドさん!」


ガーランドはラルフの無事な姿(ただし服はところどころ破れ血がにじんでいるが)を見て、ほっとしたように息をつくと、ラルフを力いっぱい抱きしめた。


「ぐっ…!」


ガーランドの逞しい胸板に強かに鼻をぶつけるラルフ。

しかし少年を抱きしめている当の本人はラルフの呻き声に気付かず、さらに力を込める。


「よく生きてたなぁラルフ~~っ!城が崩れた時はどうしようかと…!」


大喜びしているガーランドと、窒息しそうになっているラルフ。


「ガ、ガーランドさん…くる、し…!」


自分よりも大きな身体をどんどんと叩くが、腕が緩められる気配はまったくない。

意識に霞みがかかっていく。


その窮状を救ったものがいた。


「ほらほら班長、安心したのはわかりましたから、ラルフが窒息死する前に離れてください」


焦げ茶色の髪に同じ色をした優しげな瞳をもつその青年は、ガーランド班に所属するヒューイ。


27歳という若さでガーランドの補佐を務める、ラルフの憧れの存在だ。


普段は穏やかな物腰をしているが、ひとたび剣を握ると一変、射抜くような眼差しでガーランドと互角に戦うことができる剣豪である。

端整な顔立ちも相まってか、老若男女問わずファンが多いともっぱらの噂だ。


ヒューイはようやくガーランドの腕から抜け出したラルフに微笑みながら言った。


「よく戻ってきたね、ラルフ。班長から話は聞いたよ。城の地下に落ちたんだって?そこから脱出するなんて、やるじゃないか」


そう言って少年の頭に優しく手を置いて目を細める。


ラルフは心の中がじんわりと不思議な温かさに包まれるのを感じた。


「…で、」


彼は言葉を続けた。


「そこにいるのは、誰だい?」


ヒューイの視線はラルフの背後に向けられていた。


エルドランの存在をすっかり忘れていたラルフは慌てて振り返り、顔を青くした。


「エル!?」


そこには砂の上に力なく横たわるエルドランの姿が。

長い金色の髪も心なしか輝きを失って見える。


すぐさま駆け寄って抱き起こすと、エルドランの意識はすでに無く、呼吸は浅く唇も血の気を失っている。


「おい、エル!どうしたんだよ!」


まさか身体が弱いのではないだろうか?

それとも、脱出の際にどこか怪我をしてしまったとか?


慌てふためくラルフをよそに、ヒューイがエルドランの状態を手早く確認する。


「落ち着くんだ、ラルフ。栄養失調と脱水症状を起こしているだけだよ。…それにしても、彼は何者だい?」


ラルフはエルドランの「頼み」を思い出し、必死に考えを巡らせた。


「俺が城から出てきた時に、外で座り込んでたんです。こいつの商隊が賊に襲われたらしくって…あれ、ヒューイさん、こいつが男だってよくわかりましたね?」


「あぁ、俺の家は兄妹が多くてね。綺麗な顔立ちだけど、彼はれっきとした男の子の顔じゃないか」


「なあんだ、男なのか。せっかく俺の麗しの君に出会えたと思ったのに…」


ラルフの斜め後ろで残念そうな声を上げたのは、ガーランド班のひとり、ロータスだ。


「何ふざけたこと言ってんのよ、あんたついこの間まで東通りのリリーが気になるとか話してたじゃない。勝算がなさそうだからってもう次の相手探し?まったく、切り替えが早過ぎるのも問題だわ」


そう言ってロータスの頭をはたいたのは、班の中でも数少ない女性兵士のカメリア。

ウェーブのかかった明るい茶色の髪を肩のあたりで切り揃えた、涼やかな美人である。


食ってかかるようなカメリアの声音に、ロータスのこめかみがぴくりと動いた。


「あ?んなわけねーだろ。リリーちゃんとはこれからゆーっくりお近づきになるつもりなんだよ!今のは…その…社交辞令みたいなもんだろ!それになぁ、リリーちゃんは心優しい清楚な女の子なんだよ、それこそどっかの誰かみてぇにガサツで乱暴で女らしさのカケラもないヤツとは違ってな!」


ビッと指を突きつけるロータス。

そんな彼にカメリアは不敵に微笑んだ。


「へぇ…そんなことを言っていいのかしら…?実は私、リリーのアクセサリー屋によく行くのよね。いろいろと話をしたりもね。で、今度ふたりでお茶する約束までしてるの。…意味、わかるでしょう?」


「すいません謝りますんでリリーちゃん紹介してください!」


目覚ましい速さで頭を下げるロータス。

彼の完敗だった。


そんな彼らのやりとりを少し離れた場所で見ていたガーランドが声をかける。


「ヒューイ。その坊主、賊ではないんだな?」


馬に積んでいた荷から革の水筒を持ってきて、意識のないエルドランに水を飲ませていたヒューイは真剣な面差しで首肯した。


「えぇ。武器を所持している様子はありません。とりあえず王都へ運んで、こちらで保護した方が良いかと思います」


「わかった。よしお前ら、帰るぞ!」


ガーランドの一言に皆がおぉっ!と威勢よく応え、班の面々はそれぞれ帰り支度を始めるのだった。










ガーランドの馬の後ろに乗せてもらったラルフは、赤く燃えるように照らされた城の残骸を見つめていた。


(なんか…とんでもない一日だったなぁ…)


砂漠の城へ足を踏み入れるはめになり、床が抜けて地下へ落ち、隠し部屋で不思議な少年と出会い、死にそうな目にあって…


(あいつは、いったい何者なんだろう…)


ラルフは、己が助け出した不思議な金色の少年へと思いを馳せた。


育ちの良さを滲ませる柔らかな物腰。

どこか懐かしい、知性に富んだ翡翠の瞳。

風のように優しく、穏やかだがその端々に意志の強さを窺わせる声。


初めて会ったはずなのに、彼を知っている気がするのは何故だろう。


未だ意識の戻らないエルドランは、ヒューイに支えられるようにして馬に揺られている。


(そのうち、事情を話してくれるよな…)


彼があの城にいた理由や、魔法のような出来事のことを。


馬上での揺れが心地よく、忘れていた疲れがどっと溢れ出す。

ガーランドの広い背中に身体をそっと預けると、ラルフは微睡みに身を委ねた…











ウィステリアから遠く離れた北の国の、ある路地裏にて。


漆黒のケープを羽織りフードを目深にかぶった二人の男が、声を潜めて話をしていた。


「奴が生きていたようだ」


壁にかかったオレンジ色のランプがゆらり、と揺らめく。


「うまく隠れていたのか」


「あぁ」


「あの御方には?」


「報告した」


「なんと仰っていた?」


「奴の本来の力が戻る前に、早急に手を打つように、と」


「では、こちらから誰かをウィステリアに向かわせよう」


「頼めるか」


「明日の朝には出発させる」


「わかった。あの御方の手を煩わせるわけにはいかない。奴を見つけ次第…殺さなければ」


オレンジの炎がもう一度大きく揺らいだ時、彼らの姿は闇に消えていた。

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